今年も変わらず、8月にはヒロシマ、ナガサキの日がめぐってくる。
6日と9日に、静かに黙祷した。
76年前の夏も、こんなにも暑く、そしてこんなにも無力感に襲われる夏だったのだろうか。

信州泰阜村 空がどこまでも青い
泰阜村は、満蒙開拓、植林、減反、自治体合併・・・、常に国策に翻弄されてきた村だ。
それが、生産性がない(経済的尺度ではの話だが)と切り捨てられてきた小さな山村の現状である。
そして、被災地や沖縄に暮らす人々も、コロナに立ち向かう市井の人々も、そして行き場を失うこどもと若者も、いま、国策に翻弄され続けている。
国が強くなろうとするとき、そして国が大きな危機に直面するとき、常に犠牲になるのはより弱いものだ。
戦争の本質は、「より弱いものが犠牲になる負の連鎖」だろう。
両日の黙祷は、けっして原爆で命を絶たれた人びとへの想いだけではない。
度重なる自然災害で被災した人びとへの想い。
声を上げても上げても政府に届かないと、あきらめが支配しそうな沖縄の人々の想い。
コロナ禍で、この国の政治は何を最優先するのかを目の当たりにし続けた、怒りに満ちた市井の人々の想い。
そして、いままた繰り返される「負の連鎖」におそれおののく弱い立場の人びとや地域へ、もう一度想いをめぐらす契機にならなければならないと、強く思う。
自然や人間関係、そして暮らし。
そもそもそれらは不便で危険がつきまとうものだ。
言葉を換えれば、「想い通りにならないこと」ということになる。
想い通りにならないからといって、強引に、力に任せて、理不尽に、想い通りにしてしまうことは、愚の骨頂だ。
でも戦争や紛争はそうして起こってきた。
あおり運転、こども虐待、イジメに通り魔…、日々の様々な悲しい事件も、きっとそうして勃発している。
「想い通りにならないことを楽しむ」
この言葉が、今年ほど心に突き刺さる夏はない。
このセンスこそ、これからの時代に必要なもののひとつだと信じて、山賊キャンプを開催し続けてきた。
山賊キャンプに参加して、「想い通りにならないものを楽しむセンス」を培った子どもたちは、きっと戦争や紛争を起こさないだろうな、少なくとも分断を煽るような振る舞いはしないだろうなと、半ば確信的な想いを持っている。
私はこれらのセンスを帯びた平和な世界をイメージして、子どもたちと山賊キャンプを行っている。
今年、山賊キャンプを再開することができた。
再開実現たのめに尽力いただいたすべての皆さんに、心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
冒頭にお伝えすべき言葉ですが、お許しください。
コロナの影響もあり縮小に部分中止を重ねた。
参加者は例年の10分の1をはるかに下回る。
NPO経営は2年連続で壊滅的だが、そのことはいずれまた記したい。
今、コロナから逃れてきたこどもたちが、少人数ではあるけれど、未来に不安を背負ってそれでも泰阜村で元気に遊んでいる。
彼らの未来をどう考えるのか、彼らの未来を私たち大人がどう語るのか、それが試されているる。
想い通りにならない夏。
子どもたちと山賊キャンプを再開できたことを、心の底から幸せに想う。
唇固く微笑んで、未来を見つめたい。
代表 辻だいち

NPOグリーンウッド元代表理事(2009-2024)
2017年までのブログ「わが大地のうた♪」はこちらからご覧いただけます!