別の環境に飛び込むことや、今やっていることをコツコツと続けるって凄く大事に感じます、今は。
だいだらぼっちの卒業生・保護者にインタビューするこの企画、今回はだいだらぼっち2期生のOBマンタロウです。マンタロウは、だいだらぼっち2年目(1987年度)に、中学2年生の一年間をだいだらぼっちで過ごしました。マンタロウが現役だった時、初めて「だいだらぼっち祭り」が開催されましたが、その時がみけの初だいだらぼっち来訪だったことを思い出します。マンタロウとは現役の時よりも、その後だいだらぼっちに遊びに来てくれた時によく話した覚えがあります。それではインタビュースタート!
ーマンタロウこんにちは。随分と久しぶりですね。今日はよろしくお願いします!早速ですが、先ずは簡単に自己紹介をお願いします。
33年前、中学二年の時に参加しましたマンタロウです。今は食品工場の人事担当として働いています。
ー 人事!大変そう。といっても完全にイメージだけですが(笑)。マンタロウが、今のお仕事に就こうと思った理由を教えていただけますか?
25歳の時に東京でパソコンのスキルを身に着けようとバイトや派遣などの仕事をしていました。コナミでの仕事した時は面白かったですね。ゲーム好きでしたし・・ただし期間派遣でしたが、パソコンスキルも磨かれました。appletalkとかms-dosとか知ってる人いるかな?
そんな中でパソコンスキルを持った人材が求められていた食品工場に正社員で入社する事となり、総務・製造責任者や品質管理などを経て今の人事業務を担当する事になりました。
ーお仕事で大変だったことや困ったことはありますか?また、それらをどう乗り越えてきましたか?
仕事は困ることだらけです。立場や責任が上がれば、難易度も上がり、要求される精度や納期もグレードが上がります。でも、パソコンスキルは武器にしていました。「わからない」とか「教えて」と言われるとホイホイ対応していたので、頼りにされています。当然分からないような専門的な話をされる事もありましたが、知ってる素振りで笑顔で答えると仲間に頼りにされちゃうんですよね。
ーなんとなく想像できます。なんとも人懐っこい笑顔ですもんね。それで引き受けてくれたらまた頼んじゃいたくなります!(笑)
お仕事をしていてよかったと思うことや、一番の思い出などあれば教えてください。
DIYが好きなので、工具やら電気工事やらの技術的な事や、材料の調達先でちょっと特殊な建材を扱っているような業者や情報を聞けたことは、今の自宅の改良に大変役立ちました。
仕事にはあまり感情移入していませんが、仲間と飲み会で盛り上がるのは良かったですね。コロナ前は、ですけど。
ーコロナ禍となって、いわゆるリモート呑みってしましたか?
ピースボートの仲間と一緒に、北海道から九州まで各地からのメンバーで参加してやりました。
ーピースボート!これは聞き逃せないワードですね。では、今の仕事に就く前にマンタロウがしていたこと、経験したことなど、きっとたくさんあると思うのでそのピースボート含めて教えてください!
高校の頃は音楽、E.BASSにのめり込んでいました。シーケンサーやデジタル機械にもそのころから打ち込んでいたので、後のパソコンスキルにもつながったかもしれません。でも、その後に乗船したピースボートは本当に楽しかったですね。かけがえのない出会いが多かったし。美しい海の景色なんかも今も忘れません。自分の垣根を越えた世界で出会った人たちから得た経験は、自分にとって大きな経験だったと今は思います。
ーなぜピースボートに乗ろうと思ったのですか?
就職したらこんな経験できない!と思ったので、お金貯めて行きました。
ー「自分の垣根を超えた世界で出会った人たちから得た経験」とは、具体的にどんなことか教えていただけますか?
自分が知ってる範囲の友人では想像もつかない、様々な人生経験をしてる人たちとの出会いは毎日が新鮮でした。
そんな人たちと同じ船に乗って世界を実感できたのは一生の宝です!
ーお金を貯めて行った甲斐は充分すぎるくらいにあったということですね!みけにはそんな経験はないので羨ましい限りです。
ところで、マンタロウは結婚もして、お父さんでもあるわけですが、家庭を持って自分の中で何か変わったことや気づいたことはありますか?
育児期間ってあっという間に過ぎてしまいますね。ビビりながら授乳後のゲップをさせたり、自分にとっては当たり前のことをこどもができなくて困っているのを手伝ったり…。
こどもを成長させているつもりでしたが、気が付いたら自分が成長してた、年くってたって思うこともあります。今は、上の娘が中3になり高校受験を迎えていますが、親子というより友達とかライバルといった感覚もあります。不思議ですね。
ー娘さんへのライバル感覚って、なんだかおもしろい感覚に思えるのですが、例えばどんな時に感じるのですか?
成長して私を追い越す勢いに負けないようにするときです。
ーなるほど、親たるもの娘にはまだまだ負けられない!といったところでしょうか。負けず嫌いですね!(笑)
マンタロウ一家はどんな一家ですか?PR含めて教えてください!
妻O型、娘二人と私がB型の家族で、こどもとパパが熱しやすく飽きやすいので、頑なに一直線な妻が常に疲労困憊しています。器用さはパパ、情報の深堀はママ、お宅っぽい長女、誰にも可愛がられるとぼけた次女。そんな、一家です。
ー冒頭の写真からは仲良し家族な感じがします。上の娘さんはお年頃でしょうか。話は変わりますが、マンタロウがいたころのだいだらぼっちはどんな感じでしたか?
あのころのだいだらぼっちは、「北の国から」の時代背景に近いと思います。不自由さの中に楽しみがあって、堂々と言い合ってぶつかって、作り上げて・・・遠慮したらダメだと思っていました。くり・しもちゃん・俺っていう中2の男三人が全く違う性格で、そんな三人を長男とするメンバー全員をイチダイ・ギック・カニ・クーが「だいだらぼっち(家)をみんなで建てよー!」なんていう、今考えたら無謀とも思えるような目標を立てて、通年キャンプをしました。「北の国から」の五郎さんのように、相談員たちが私生活時間を顧みずに自分たちに真っ向から向き合ってくれたのは、現代社会では全然考えられないほどの感情のぶつかり合いがありました。自分には真似できません。凄いパワーを持っていた相談員だと思います。
ー「自分たちで家を建てる」という途方もない計画を実行に移していたメンバーなわけですが、当時大変だったことや面白かったことなどぜひ話を聞かせてください。
この辺りは時間がたちすぎているのであまり思い出せなくなってきていますが、初めて出会い、途方もない計画を一年かけて実行するっていうのは凄い事だったと改めて思います。
ー当時の出来事で一番印象に残っていることはなんですか?また、面白エピソードがあったら教えてください。
あの時の経験で後々驚いた自分の能力が、「並外れた持久力」です。もちろん、ギター弾いて歌ったのは最高でしたし、音楽演奏は最高に楽しかったのですが、当時、朝寝坊な私は、ギリギリになって出発して中学に間に合うように山道を毎日走って通っていました。その後愛知に帰ってから高校に入学した際に、山岳部に入ったのですが、入部草々に三年生の先輩との長距離勝負に勝ってしまうという〝とても嫌われてしまいかねない″結果を余裕で出してしまったのです。先輩には高評価をもらい、顧問の先生はこれまでに無かった「穂高岳への登頂」に挑む計画を立てて、高校生活は楽しかったです。朝寝坊も捨てたもんじゃありませんね。反省なしですみません(笑)。
ーあらら、現役だいだらっ子が聞いたら喜んじゃうようなことを・・・!(笑)
そんなだいだらぼっちでの暮らしは今のマンタロウにどんなふうにつながっていますか?あるいはどんなふうに位置づいていますか?
もうこんな年になってしまうと、だいだらぼっちでの経験はかなり希釈されてしまっていますが、団体生活で人に対して何かをすることの喜びを感じる、というのは、だいだらぼっちでの経験が活きているかもしれません。
ーマンタロウは当時ギターを弾いていましたが、今でも弾きますか?また、今夢中になっていることはありますか?あれば教えてください!
今も弾きます。娘はピアノなのでいつかセッションしようと思います。他に、春は青木湖でヒメマス釣りと山菜取りを楽しんで、夏はテンカラでの渓流釣りで沢登り、秋はキノコ狩りを楽しんで、冬はテレマークスキーでほぼ毎週ゲレンデに行っています。
長野は遊ぶところが多くて大好きです。
ー娘さんとセッション、いいですね!想像しただけでうれしくなっちゃいます。その現場に立ち会いたいくらいです(笑)。それから、話を聞く限りでは、長野県民であることを目一杯楽しんでいますね!マンタロウの趣味の写真を集めたら、長野県の観光案内パンフレットが作れるかもしれません(笑)。そんなマンタロウの夢を教えてください。
海外旅行ですね。夫婦で。次は海上ルートではなくシベリア鉄道で大陸横断がしたいです。いつかは。
ー海上ルートでは行ったことがあるっていうことですか?
さっき言ってたピースボートです。
ーなるほど、確かに海上ルートです。それにしても、奥様とシベリア鉄道で大陸横断とは…!素敵ですね。すごく古いけど、昔のJRの「フルムーン旅行」のCMを思い出してしまいました。今でもたぶんありますよ。二人の年齢を足して88歳以上だったかな?新幹線のグリーン車かなんかで旅行できるやつ。シベリア鉄道には使えませんけど(笑)。
最後に今のだいだらぼっちのこどもたちにメッセージをお願いします!
結果に焦らないでほしいです。自分が好きで没頭出来て、人や景色で変化させる事が出来て、でも無理が無く努力が出来る事。人より苦労とは思えずに実行できる事。そんな能力をすごく大事にしてください。大事にすれば大事にするほど、絶対に結果はついてくると思います。
ー変化させることができるって、何を変化させることができるのですか?
自分を変えることです。なかなか自分だけで出来る事も限られるし、自分を変えようと思っても怖いと思って足がすくんでしまう。
でも、別の環境に飛び込むことや、今やっていることをコツコツと続けるって凄く大事に感じます、今は。
ーだいだらぼっちを巣立って30年以上経って、一人で海外に行ったり、家族をもって、いろんなことを経験したりした中でのこの言葉は、とても重みがあります。もしかしたらなかなか見えない結果に焦っているOB・OG含めただいだらっ子がいるかもしれません。そんなこどもたちの拠りどころとなるような言葉をありがとうございました!
マンタロウと一緒には生活していないみけの勝手なイメージですが、マンタロウはやさしいし、笑顔は抜群だけど、打たれ弱い面と(ゴメン!)意外と頑固な一面があって、ひと癖あるオトコって感じでした。多分当たらずも遠からず、だと思いますが(笑)、今回のインタビューで感じたのは、熟考するタイプだけどいざというときには決断できる、そして自分のことも周りの人のこともちゃんと大切にできるオトコなんだな、ということです。こどもたちへ贈ってもらった言葉は、今苦しんでいる人にとって、背中を押してくれるというよりかは、後ろからそっと支えてくれる、そんな力のある言葉だと思いました。 マンタロウの夢が叶う日が来ることを、みけも楽しみにしています。社会状況がよくなったら、ぜひご家族で遊びに来てください。そして娘さんとのセッション、披露してくださいね。楽しみに待っています!

こどもと大人が力と智恵を出し合って暮らしをまわしていることに魅力を感じ、グリーンウッドに参画して36年目。今もだいだらぼっちのこどもたちや地域のこどもたちと日々奮闘中!寄る年波には勝てないので一緒に走り回ることはできないが、こどもたちと一緒にあちこち歩き回ったりキャンプしたりするのはできる。今のお気に入りは虫のいない季節に野宿して夜空を眺めることと、帰ってきたOB・OGと一緒にお酒を飲むこと!。