「分断の嵐」に”正義のパンチ”をぶちかませ ~タイガーマスク現象から10年~

あれから10年。

コロナ禍のニュースに押されてはいるが、最近メディアに頻出するキーワードだ。
“あれ”とは、もちろん3.11.
東日本大震災から10年がたとうとしている。

しかしみなさん、覚えているだろうか。
2011年の年頭は、テレビから懐かしいこの歌が頻繁に流れてきたことを。

「♪白い~マットの~ジャ~ングルに~、今日も嵐が~吹き荒れる~♪」

2010年のクリスマス。
群馬県の児童養護施設にランドセルが贈られた。
それ以降、年をまたいで次々と報道されるタイガーマスクの善意の贈り物。
せちがらい世の中にあって、なんともほっとする話題だった。
そう、10年前の年頭は、タイガーマスクから始まったのだ。

そして3.11の未曽有の自然災害。
日本全国に「善意の嵐♪」が吹き荒れた。

― 善意 ―

なんともくすぐったく聞こえる言葉だ。
死語に近いのかもしれない。
それでも侮ってはいけない。
小さな善意といえどもそれが集まれば、絶望的な状況を希望に変えていく土台となる。
全国のタイガーマスクによって「支え合い・助け合い」の善意を受け取った児童養護施設のこどもたち。
きっとゆるやかにそしてたくましく自律していったのだろうと確信する。
震災後に「支え合い」「助け合った」ひとびともまた、きっと本質的な“豊かさ”を手にしたのだろうと確信する。

10年たった2021年。
緊急事態宣言が再び出された。
責任から逃げ続け、言葉と覚悟が軽すぎるこの国のリーダーたち。
だからなのか“正直者が馬鹿をみる社会”が築かれつつある。
「あっち側のひと」と「こっち側のひと」が、わかりあえなくなってしまった。
いや、わかりあおうとしなくなってしまった。
大人たちがこんなに方向感覚を失ったまま、こどもたちにいったい何を残そうというのか。
「善意の嵐」が吹き荒れた10年後、今、目の前で吹き荒れているのは「分断の嵐」ではないか。

それでもひるんでいる場合じゃない。
立ちすくんでいる場合じゃない。
「世のため人のため」(もしかして死語に近いのかもしれないが)に、ほんの少しといえども発揮される善意を促していかなければ。
それを教育の立場、しかも「支え合い・助け合い」の文化が今なお息づく小さな村の教育実践の立場から促すのが私たちの役目だ、と改めて想う。

タイガーマスクの歌の続きはこうだ。

♪白い~マットの~ジャ~ングルに~
 今日も嵐が~吹き荒れる~ ♫
 ルール無用の悪党に 正義のパンチをぶちかませ
 行け行けタイガー タイガーマスク ♪

「分断の嵐」に正義のパンチをぶちかまそう。
こどもたちの未来に、希望の灯をともそう。
ひるんでいる場合じゃない。
立ちすくんでいる場合じゃない。
今、大人たちが支え合わなくて、どうする。
今、大人たちが立ち向かわなくてどうする。

代表 辻だいち

※「ルール無用の悪党」には、いろんな〇〇が当てはまる。皆さんにとっての〇〇は何だろうか?