3.11 福島の青年たちよ、出番だぞ ~福島の被災児童と沖縄を旅して~

レイと旅をした。
東日本大震災のとき2年間、「暮らしの学校:だいだらぼっち」で受け入れた子だ。
放射能から逃れて信州泰阜村にやってきたのは小6の時。
今はもう20歳の大学生!

初めて会った日のことを鮮明に覚えている。
あの年の5月。
田植をしている時に、華奢な身体のレイが泰阜村にやって来た。
その細さに、本当に1年間、やっていけるのか心配だった。
その後、2年間、泰阜村民となる。
泰阜村の支援を受け、村民の皆さんから愛されたレイ。
今思えば、身体は華奢だったけれど、芯が強かったな、レイは。

レイが高校生の時、信州こども山賊キャンプにボランティアに来てくれた。
熊本地震で被災したこどもの招待キャンプだ。
被災したこどもが、時を超えて、被災したこどもを支える。
まさに支え「愛」だった。

話を戻そう。
レイと旅をしたのは沖縄だ。
那覇空港で合流し、レンタカーでひたすら北上する。
名護を過ぎるとリゾートの雰囲気は皆無に等しく、東シナ海の夕日が迎えてくれる。
着いたのは沖縄本島北部「やんばる(山原)」の国頭村。
沖縄の風土がそのまま残る安田(あだ)という集落だ。

やんばる西海岸:東シナ海の夕日

この集落の自律心がふるっている。
200人ほどしかいない集落だが、住民自治の意識が非常に高いのだ。
絶滅の危惧にあったヤンバルクイナを保護する施策を、村や、県や国にさきがけて、実際にやってしまう。
その正当性と成果を突き付けられて、国が重い腰をあげていく。
その積み重ねの歴史は、明確に「何を守るのか」「誰を守るのか」を議論し、動いていく自己決定の歴史でもある。
もう、ほんとに、責任をとろうとしない今の政治家に見習わせたいとつくづく想う。

中根夫妻とレイ

20年来の仲である中根ご夫妻の家に泊めていただき、集落のひとびとと島酒を飲んで語る。
この集落に私はもう30回ほど訪れている。
底抜けに明るい開放的な雰囲気と、集落の自己決定権を守り抜いた人々の強い意志が、何度も通わせるのだと想う。
いつもいつも、この集落の人々と、安田と泰阜村どっちのほうがへき地かと楽しく言い争いをしている。
へき地であればあるほど勝ちなのだ(笑)。
今のところどっちがへき地かと言うと・・・、内緒である。
限界集落なんて言葉は笑い飛ばそう。

外で飲んでいたがまさかの寒さで家の中へ

中根さんに沖縄歴史を教わる

安田の海は太平洋。朝日が見れた

聞けばレイは、沖縄に来るのは初めてらしい。
初めての沖縄が、いきなりやんばるの安田集落とはディープだ(笑)。
集落のひとびとは「それは正解。This is OKINAWA」とレイを大歓迎してくれた。
レイもまた、集落のひとびとの雰囲気に大感激していた。
きっと通じる「何か」があるのだろう。

協同店のご主人がおいしいコーヒーをいれてくれた

ヤンバルクイナが見送ってくれた

次の日、南下して名護市の屋我地島にあるハンセン病療養所「愛楽園」。
沖縄に来たら必ず立ち寄るところだ。
90歳を超えた糸数敦子さんは、20年来の仲。
差別との闘いに明け暮れた旦那さん・宝善さんを数年前に亡くし、ちょっと心配していたので顔を見に来た。
人間を人間と扱わない歴史がこの国にあった。
それは、遠い昔の話ではない。
1997年の「らい予防法撤廃」まで続いていた。
わずか20数年前ということに驚く。
激烈な痛みを伴う歴史。
その証人が途絶えていく危機をいよいよ感じる。
「沖縄にはまだ平和はない。怖いさ」と政府に訴える姿に、心が震える。
笑顔で別れたけれど、あと何度、会えるのだろうか。
生の声を聴くことができるチャンスはもう多くない。

あつこオバアにも話を聞いた

レイと共に、徒歩30秒の浜に出て美しい海を眺める。
人目のつかないところに隔離施設を作ったものだと、つくづく想う。
それは原子力発電所の立地と全く同じことだと、心が痛む。
目の前には、今や沖縄で一番有名な観光スポットになった長大な橋がかかる。
さらに沖合の離島とつながった橋には、ひっきりなしにレンタカーが走り抜ける。
この橋のたもとに、歴史に耐え抜いたひとびとが今生きていることを知っている観光客はいるのだろうか。
まだ20歳のレイが、この現実と歴史に直面して、「何」を想うのか。

古宇利島が目の前にある

そして首里城にも来た。
「守礼の邦」
これは守礼門に掲げられている文字である。
琉球王朝は武器を持たず外交を成立した非常に珍しい国家だった。
礼節を重んじることを国是とし、高度かつ深い「自律心」を国民に求めたのだ。
沖縄の尊厳を支え続けた正殿が焼け落ちた時の、ひとびとの苦しみ悲しみはいかほどか。
故郷が汚染されたレイは、きっと「何か」感じている。

焼け落ちた正殿付近

最後に平和の礎。
言葉はもういらない時間と空間だった。

2011年、東日本大震災に際し、NPOグリーンウッドと泰阜村は「教育を通した被災地支援」を行った。
暮らしの学校「だいだらぼっち」に被災地のこどもを5年間受け入れる。
信州こども山賊キャンプにも、5年間で250人の福島の子どもを招待した。

自然におびえきったこどもたちに、もう一度自然の素晴らしさを伝えたい。
仲間や地域を失ったこどもたちに、もう一度力を合わせる素晴らしさを伝えたい。
どんな状況に陥っても「周囲と協調して自ら責任ある行動とることのできる力(自律の力)」を育みたい。

そんな強い想いで支援を続けた。
人口1600人の小さな泰阜村ができる精いっぱいの支援だった。
自治体合併を拒否し、自然と共存してきた泰阜村のひとびとが発揮する「自律の教え」は確かに福島のこどもの身体に流れたと信じている。

一緒にキャンプをしたこどもたちも、レイと同じように、今もう20歳前後の青年だ。
ひとりひとりと、こうして旅をして語り合い、「何か」を感じてもらいたいとも想う。
そして一緒に、責任ある行動をとりたいと強く想う。

今日14時46分の黙祷は、東日本大震災で犠牲になった人びとへの想いだけではないだろう。
台風や豪雨など、度重なる自然災害で傷ついた人びとへの想い。
平和や安全保障の名のもとに、犠牲になり虐げられてきた沖縄の人びとの想い。
声を上げても上げても政府に届かないと、あきらめが支配しそうな怒りに満ちた沖縄の人々の想い。
そして、いままた繰り返される「より弱いものが犠牲になり続ける“負の連鎖”」におそれおののく弱い立場の人びとや地域へ、もう一度想いをめぐらす契機にならなければならないと、強く想う。

新型コロナが世界を襲う。
全国のこどもたちがSOSを出している。
全国の弱い立場の人が立ち尽くしている。
今こそ「周囲と協調して自ら責任ある行動とることのできる力(自律の力)」を発揮する時だ。
福島の青年たちよ、出番だぞ。

代表 辻だいち