Sターン ~33年の歴史を物語る言葉~

私が造った言葉「Sターン」。

朝日新聞で紹介された。
「ひとづくり×地域づくり=素敵な未来」のひとつの成果だ。
ぜひご覧いただきたい。

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そしてサイトに入れない人のために、以下に全文転記。

朝日新聞 2019年2月19日

U、IでなくSターン 山村留学生が泰阜村に回帰」
印象深い「第二の実家」 4人が村に移住

都会に帰って社会に出た元山村留学生が、かつて暮らした泰阜村に戻ってきている。動機にあるのは「最も印象深い生活をした第二の実家、そこに戻る」という思い。この10年の間にぽつりぽつりと戻り、現在、4人が村で職に就いている。山村留学を長く手がける同村総合戦略推進官の辻英之さん(48)は「都会から山村に来て、都会に戻って、最終的に山村に来る。UターンでもIターンでもなく、Sターンです」。

泰阜村での山村留学の舞台となってきたのは、辻さんが代表を務めるNPO法人「グリーンウッド自然体験教育センター」。受け入れをスタートさせたのは32年前で、毎年十数人が同村田本の生活施設「だいだらぼっち」で共同生活をしながら、村の小中学校に通っている。これまで288人の児童生徒が、1~3年間の留学を体験した。

参加者のほとんどは東京などの都会っ子だ。泰阜で自主性とたくましさを身につけ、都会の学校へ帰っていく。その彼らが再び泰阜に戻り始めたのは、10年ほど前から。「村に友達がいるんですよね。村のじいちゃん、ばあちゃんたちも顔見知りだし」と辻さん。「『だいだらぼっち』自体が実家のような感覚だと思います。留学後も帰省のような雰囲気で遊びに来ますから」

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山村留学2期生の下田直人さん(45)は、4年前に泰阜へ戻った。東京出身で、泰阜に戻る前は埼玉で働いていた。コンピューター関連の仕事から妻と同じ看護の仕事に転身し、現在は村の特別養護老人ホームで准看護師として働いている。
「山村留学は1年だったんですけど、私にとってはすごく濃い1年で……。泰阜に帰りたいというのはずっと頭の隅にありました」

家族3人で泰阜に遊びに来たことがきっかけで、役場に仕事と借家を紹介された。村で2人目の子どもが生まれ、妻も村内で働いている。「来た理由? いろいろですね。子どものときの体験をまたやってみたいというのもありますし」

矢加部茜さん(31)は5年前に泰阜に戻った。山村留学したのは2001~02年度。千葉に帰って地元の高校に進み、アルバイトや旅行で日々を送ったあと、東京芸術大学の彫刻科に入学する。木彫作品の制作を続けるうち、頭に浮かんだのは泰阜のことだった。
 「東京で(作品制作に使う)木を買うと、高いんです。泰阜なら、ただで木をもらえる」と笑う。下田さんもそうだが、矢加部さんも留学後にたびたび泰阜へ足を運んでいた。「ちょくちょく遊びに来ていたんです。そうそう、泰阜村の成人式にも呼んでもらった」

山村留学当時について、矢加部さんは「わくわくして楽しかった。男女も年上も年下も関係なく、仲がよかった」と振り返る。「(泰阜は)知らないところじゃないし、私にとっては楽しかったところだし。あるのは山と空と、鳥の声と虫の声。私にとってはこれでいいかな、と」

泰阜に戻ったあと、グリーンウッドのスタッフと知り合って結婚、出産。山懐で2人の子を育てながら、木彫を続けている。

辻さんによると、村に戻った山村留学生はほかに2人。留学生が当時に住んだ家の多くは今もあり、知り合いも村に住む。矢加部さんが言うように、村側も元留学生を村の成人式に招くなど、積極的に交流を続けてきた。「これからもSターンは増えると思います」。辻さんは期待を語る。(依光隆明)

Sターン。
流行語大賞、とれるかな?(笑)

代表 辻だいち