対談:衆議院議員 辻英之(前代表)×グリーンウッド代表 齋藤新

毎年寄付をいただいた方にお送りする報告書には、グリーンウッドと関わりが深く、様々な分野で活躍されている方と代表との対談を掲載しております。今回はグリーンウッドの前代表で現在衆議院議員を務めている辻英之さんと対談いたしました。

国会議員になったきっかけ

齋藤 だいち(辻の愛称)がいつの間にか国会議員になってしまったと思っている方もいるので、今回の対談がひとつの区切りとしてこれまでグリーンウッドでお世話になった方たちに向けたメッセージになればと考えております。早速ですが、議員になって6ヶ月経ちました。今の気持ちを教えてください。

 180度全く違う世界に来たので慣れないことが多い。まず土がないし、季節はあんまり感じられない。やっぱり30年も当たり前のように自然に囲まれていたので戸惑いを感じているのがひとつ。もう 1つはプレーヤーとして社会をどう変えていくかやってきたが、今は目の前にいたこどもたちや村の方たちがよりよく暮らすための制度をどう考えるかという働き方になってとにかく慣れないことが多いです。

齋藤 改めて議員になろうと思った経緯や理由を教えてください。

 姉が 4、5年前に亡くなって、さらに兄が 3年半前に事故で亡くなった。兄弟がいなくなり、これまで全く考えてなかった親の面倒とか家の相続が一気に押し寄せてきました。特に兄の場合は現職の県議会議員だったので、家の片付けだけでなく政治活動をどうやってフェードアウトしていくのか、兄が政治家としてどうしたかったのかのメッセージを受け取れないままいろいろな始末をつけるのはちょっと苦しかったね。
一方で自分が福井に生まれて育ったということを意識せざるを得ない時間だった。お袋の面倒とちょうど青森大学で教授になって東京に拠点を構えることが重なって、福井に帰る回数も増えていきました。
そのタイミングで実は兄の後釜にどうかという話があって。その時は100パーセントありませんと即決で断りました。「弔いだから勝てる」という話をされても果たして兄が喜ぶのかなとか。やりたいことがあって政治家になるならいいんだけど、やれるからやっちゃえみたいなのは合わないなと思って明確に断りました。
議員になった理由は2つあるんだけど、裏金の事件を見てさすがにこれはないだろうと思ったのが 1つです。庶民が一生懸命頑張って税金を収めてやってるのにごまかして嘘ついて懐に入れちゃう。こんなことがあっていいのかという強い憤りを感じました。
もうひとつは能登の地震です。寝たきりのお袋と元旦を一緒に過ごしていたら福井もめちゃくちゃ揺れて、もう 1回来たらつぶれるなと危険を感じました。その時考えたのは、次に来たらどうやって立てないお袋を避難させるのかということ。避難所の中学校に連れて行ったとして、電気水道が止まるかもしれない中で下の世話もしなきゃいけないし、食事介助もあるし、ベッドもどうするのかとか、避難所でも邪魔者扱いされるなとか。ハッと気づいたのはやっぱりそういう社会なんだなと。要介護者や障がい者とか緊急事態に一番救わなきゃならない人たちが避難を諦めてしまう。本当に弱い立場の人たちが 一番割を食らう冷たい社会なんだと当事者として感じました。これはやっぱり変えなきゃならないと強く感じました。その 1週間後ぐらいに福井県の党の方から見透かしたかのように「国政に出ないか」と連絡がありました。その時は考えさせてくださいと返答しちゃっている自分がいました。そこから半年悩んで決断しました。

齋藤 ある意味導かれるようにというか、もう帰結するのはそこしかなかったみたいな感じですね。

泰阜村での経験が議員の自分を支えている

齋藤 泰阜村で31年過ごしてきて得たものと、議員になって役立ってることをお聞きしたいです。

 たぶん全国会中で一番過疎地から出てきている議員です。選挙区は小浜だけれど、31年暮らしたのは泰阜村だから。過疎地で暮らした経験もそうだけど、小さな村の自立、こどもの教育、自然の脅威など当事者として得てきた感覚を持っているのは尊いことだなと思っています。人口1500人の実態や、過疎地とは何かなんてわかっている議員はほとんどいない。既にそういう意味で国会内で存在感は感じてはいます。
政策的にしわ寄せが来るのが僻地やこどもといった弱い立場の人たちで、その苦しさとか乗り越えた人たちを目の当たりにしてきたり、一緒にやってきたりする経験は求めればすぐ手に入るものではない。グリーンウッドの理念そのものですけども、手間ひまかけて、丁寧にものごと作ってたり、自然と向き合ったり、その中から得る喜びを実感として持ってる経験は尊い。だいだらぼっちがやっている一人一票でみんなで決めていく話し合いはまさにそう。国会でも自民党が少数与党だから今は丁寧に議論を重ねる姿勢があって、私はめちゃくちゃ感動しているんだけど、そう思っているのは自分だけかもしれない。ほとんどの人は話し合いの経験なんてないから、ヘタすると「早く多数決で決めればいい」とみんな考えている。やっぱりだいだらぼっちの暮らしや村の様々な立場や考え方が違う人と関わる村の独特の営みが今役立っています。

当事者意識を持つ人を育てる

齋藤 今はグリーンウッドも値上げをせざるを得ません。教育に興味を持ち、ある程度所得に余裕のある人達しかキャンプに参加できないという流れが生まれています。また都市部は5割ぐらいのこどもたちが私立の中学校に受験するという状況です。教育も体験も格差が広がる正と負の両方のスパイラルが生まれて、さらに再生産される社会になっています。国の教育はどうあるべきですか。

 公共育はやっぱり大事なんだと思う。高校無償化も決まって、一部は評価できるけれど確実に格差を広げる一因になり、公教育が廃れていく引き金を引いてしまったと思う。学習指導要領改定に向けて議論すると、すぐに詰め込み型はどうかとかIT化の話しになってしまう。そこに多様性や直接体験といった我々がやってきたような活動が取り入れられる必要性があるけれど、国会では社会教育なんてほとんど語られない。そもそも学校の教育ですら優先順位が低い。

齋藤 私たちが行っている事業は誰もが共感してくれるんですけどね。
先ほどの話の中で、土を触ったことがない、僻地を知らない、そういった体験が全くない人たちが国政に出てるということでした。ますます我々のやってきた体験の必要性を理解することは難しくなっていくのではないでしょうか。そこに私はすごく不安を感じます。

 正直思うのは与党の皆さんは偉そう。苦しい生活をしたことがない。被災者や地方の人に言葉だけで寄り添うと言うけど当事者になってないです。遠くから語ってると思う。土に触れたことがない、田んぼを作ったことがない人に、今の農家や米作りの苦しみが分からないのと同じで、過疎地の窮状や弱者の苦悩も体験がないと咀嚼できない。勉強して学べるものではない。
だから地方のことが分かる野党議員を増やす必要があると訴えている。増えれば委員会などで質問をして政策を変えさせられる。地方出身でも与党議員はどうしても都市部中心の考え方になってしまう。当事者意識を持ちつつ、きちんと政策に対して批判的、建設的に質問できる議員を増やした方がいいなと思っています。

政治を身近に感じる若者を育てるために必要なこと

齋藤 若者の政治に対する意識格差も感じます。本来は暮らしの先にある同じ地平にあるはずの政治が分断されてしまっている。社会課題をわかりやすく矮小化してみんなで叩くという状況も見られています。若者たちがもっと政治に興味を持つ、あるいは参画する意識を育てるために、立教大学や青森大学でも教鞭を取っていた経験からどのように考えていますか。

 一般市民から遠いのは「胡散くさい政治」であって、そういった政治家がごまんといるから遠い存在にさせてしまっている。
本来政治のど真ん中に若者はいる。人が2、3人集まったら社会のルールができるように、その 3人が面白く生きていけるようなルールを決めて皆で守る。うまくいかなくなったら変えるということをする。まさにだいだらぼっちがやっていることで、政治がどうのこうのという手前で自分達できちんと考えて、参画して、物事を決めたり、変えたり、あるいは何か運動を起こすといった経験を丁寧にやっていくことが政治に参加する若者を増やすことなんだと思うのね。だから大学では大人数でも参加型の授業をやっていた。
教え子がよく議員会館に来るのだけれど、秘書に国会を案内してもらったり、なるべく勉強会や政策の会合も見学させてもらったりしている。小さな委員会の会合では議員はみんな案外真面目なんだよ。官僚に立ち向かわなければならないから相当勉強しないと議論できない。それを見て学生も感動して帰っていく。国会議員が少し自分たち側に来るわけだ。扱われてるテーマも極めて自分たちの身近なことを扱っているから。自分と政治を直結するパイプができれば、若者たちは案外覚醒するのではないかなと思ってる。
一方で土台となる、「自分たちで考えて行動する」というようなことを、しっかりと学ぶ機会を失ったらダメになってしまう。多数決で全て決めるとか、競争社会が強まると少数や弱者を排除する世界になってしまう。政治に興味を持つことと同時に体験から学ぶ。両方繋いでいかないといけない。今の社会はどちらも遠いね。自分の興味関心だけの若者も多い。人と関わった方が面白いんだということを伝えていかなければいけない。

山村の未来とグリーンウッドの役割

齋藤 私も政治は遠い存在だと泰阜村に来るまでは思っていました。それが村長選があったり、村議会議員選挙のお手伝いを頼まれたりと村民の代表を決めるという場に立ち会ったことは大きな考え方の転換につながったと思います。
最近、土地をお借りして畑を始めました。野菜を作ることもそうですが、自分自身が動くことで目の前が変化するという実感はグリーンウッドや泰阜村で学んだなと思ってます。山村はそういう意味でも非常に重要です。しかし700自治体が 2040年にはなくなると言われ、労働人口もどんどん減り都市に集中されていく。これから山村の未来は決して明るくありません。一方で山村がなくなれば日本も立ち行かないと思います。

 森、水、農地を失うと、日本は潰れると思う。例えばコンパクトシティ化して人の流れを1つに集約することはできるとしても、森の機能や水をどう維持するのかとか、自然防災の意味での森林や田んぼもどうやって守るのか、という考えを抜きに人だけ集めても難しい。こどもの教育も同じで山村や自然、地域が持っている教育の力を抜きにして、都市の論理で効率的な教育をやればいいとなると、僕がこの国会で今まさに感じている、そこでしか学べなかった体験とかっていうのが消えて行くことにつながってしまう。これは日本にとって損失だろうなと思っている。
グリーンウッドは離れてみるとやはりきわめて特殊な事例だとわかる。若者が10数人働いていることや山村を使ったこどもたちの教育活動、それらが与える地域への波及効果や地方創生のあり方は一言では説明できない。日本の可能性を高める一事例として、地道に続けて行ってもらいたいということと、社会に広く一般化させるようにがんばってもらいたいです。

齋藤 最後に今まで応援してくださった皆さんに一言お願いします。

 泰阜村とグリーンウッドで経験して育てられてきた時間というものが、今の土台になっていると確信しています。この土台がなければ迫力のない言葉になってしまう。30年間本当に苦しかったけれど、諦めずに現場を支えてくれた、あるいは一緒に作ってくれた人たちには感謝してもしきれないなと感じます。ステージが変わった以上は、今度は地方が面白くなることと、泰阜村でやってきたような教育がもっと展開されて若者が生き生きとする社会に向けてがんばっていきます。福井県からの出馬ですが長野県の議員でもあるつもりです。今度は支えてもらった恩返しというよりも支える側に行くんだなと思ってます。これからも応援をお願いいたします。