だいだらぼっちの卒業生にインタビュー (2011-2012年度参加) さち

だいだらぼっちの頃に教えてもらった事が今の私を作っている。自分で決めること、一所懸命に頑張ることはかっこいいこと、何かあったら帰れる場所があること。だいだらぼっちは実家の一つだと思っています。

だいだらぼっちの卒業生にインタビューするこの企画、今回はだいだらぼっち26期生のさちです。

さちは、だいだらぼっち二十六年目から二十七年目(2011~2012年度)に、中学2・3年生の二年間をだいだらぼっちで過ごしました。キャンプに来ていたころから知っていましたが、とにかく元気で何にでもチャレンジできるバイタリティ溢れる女の子というイメージです。年齢も性別も関係なく、まわりのことをフラットに見ることのできる感じでした。きっと苦手な人もいただろうし、怒れちゃうこともあったと思いますが、いつも笑顔のイメージしかありません。2年目は最年長だったので、姉御肌の部分がよく出てはいましたが、4人兄妹の3番目で、甘え上手でもありました。本当に誰のことも分け隔てなくちゃんと話のできる人というイメージです。あ、あとだいだらぼっちの手作りヨーグルトの容器(牛乳パック)を、ゴムベラできれ~にしていつも片づけていましたっけ(笑)。夜遅くまで起きているのが苦手だったさち。今どんなことをしているのでしょうか。
それではインタビュースタート!


                       
ーこんにちは!相変わらず元気そうですね。(それはお互い様か…:笑)早速ですが、簡単に自己紹介をお願いします。

 

さちです。2011年度、2012年度の2年間参加していました。今は東京で会社員5年目として働いています。社会人になってから丸4年間北千住に住んでいましたが、今は千葉県に引っ越し、二人暮らしをしています。

近況報告としては…実は結婚することになりました。
このインタビュー記事が皆さんの目に入る頃はおそらく結婚した後なので、’結婚しました’が正しいのかも。最近の趣味は美味しいお酒を飲むこと、ドラマを観ること。あとは結婚式に向けてダイエットをしなくては!と重い重い腰を上げてジムに通い始めました。

 

ーおめでとうございます!あのさちが結婚だなんて…!なんだかとっても嬉しいです。せっかくなので、なれそめなど聞かせてもらってもいいですか?

 

彼は私の4つ上で、病院で働いています。すごく落ち着いていて、客観的に物事を見ているけれど、人の気持ちを汲み取ってくれようとする姿勢は真似したいほど尊敬しています。けどダジャレや笑い話は私と同じレベルでくだらないのでそこも気が合うのかも。
出会いは私が北千住に住んでいた時によく通っていた日本酒のお店の常連さんのひとり(笑)。常連さんとはすごく仲が良くてよくお家に行って鍋を囲んでお酒を飲んだり、我が家にも何度か来て昼間から乾杯しています(笑)。居酒屋で出会ったくらいなので、お互いお酒がとっても好きなんですよね。なので地方に出張した時のお土産は大体お酒かおつまみ。昨年の春頃にはそらち(OG)や けいや(OB)をはじめ、同期が家に遊びに来てくれて、彼と一緒にご飯を食べてワイワイしました。初めましてでも人見知りせず仲良くなってくれるのは、やっぱり嬉しいね。

 

ーとっても温かい人なんですね。お会いするのが楽しみです。

ところで、さちは今どんなお仕事をしていますか?なぜそのお仕事に就いたのですか?また、どんなことを想ってお仕事していますか?色々教えてください。

 

全国の自治体のDX推進や業務効率化を推進する仕事をしています。自治体は都会であれ地方であれ、どこに住む人にも生活に直結するような業務を担っている場所です。昨今、より浮き彫りになってきた人手不足やアナログ業務の課題に対して、会社のサービスやノウハウを使ってDXを推進していくことはとてもやりがいを感じてます。
今週は沖縄、来週は福岡…と出張の多い日々ですが、泰阜村のような小さな自治体にも直接訪問し、なるべく対面で困っていることを聞くようにしています。もしかしたら皆さんの住む町も私の会社がお手伝いしている、かも?いつか泰阜村ともお仕事で関われる日が来たらこんなに嬉しいことはないですね。

 

ーお仕事で大変だったことや困ったことはありますか?また、それらをどう乗り越えてきましたか?

 

会社の持つサービスや技術だけでは解決しない課題が出た時にはやはり頭を抱えますね。グループ会社のサービスと連携させて提供することはもちろんですが、他社と共同提案という形を選び一緒に創り上げることもあります。場合によっては利益にならなくても、課題にマッチした解決策があればお手伝いすることもあります。
自分の力で乗り越える、というよりは色んな人の知恵と力に助けられて乗り越えてきた感じですね。本当に感謝です。

 

ーお仕事をしていてよかったと思うことや、一番の思い出などあれば教えてください。

 

働いていて一番良かったことは、学生の時の何倍も、時には何十倍もお給料がもらえることです(笑)。あまりキラキラした話でなくて申し訳ないです(笑)。

 

ーいえいえ、お金を稼ぐことは重要です!自分の仕事が評価されているという実感もわくし、自分で稼いだお金ですから、それをどんな風に使うのか考えるのも楽しいですしね。

 

自分で働いたお金で、ちょっと良いフレンチレストランでご飯を食べ、作夏は与論島と沖縄に旅行に行き、ばん(知らない人も多いかな?→元スタッフです。)にSUPを教えてもらいました。


働くことは大変な一面もあるけれど、それ以上に充実した、ワクワクすることを自分で手に入れることは、社会人として仕事をしていて良かったな、と思います。
仕事終わりに会社の人とビールを飲む瞬間は、最高です。たまりません。

ーさすが酒好き!(笑)
さちはだいだらぼっちを出た後、高校生活や大学生活はどんな風に過ごしていましたか?いろんなことがあったと思うので教えてください。また、その中で一番の思い出を教えてください。あ、一つじゃなくても大丈夫ですよ(笑)

 

中学3年生を卒業するまでだいだらぼっちで過ごしていたので、高校生活は都会での生活に慣れることと受験に追われていたような気がしています。高校受験はだいだらぼっちにいたこともあり、怠けていた部分があったと自負しているので「大学受験は苦労して入らないと。」と自分の中で何か軸みたいなものが出来、がむしゃらに勉強していました。
大学生活はいい機会と人に恵まれ、部活にゼミ、バイトといかにも大学生!といった生活を毎日過ごしていました。
その中でも一番というと、なんとなく入ったスキー部での生活ですね。半分友達に誘われて入ったスキー部でしたが、かっこいい先輩や優しくて強い同期に憧れて、どんどん練習にのめり込み、最終的にはメーカーの選手として大会に出場するくらいの実績にもなりました。今でもここまで頑張れたのは不思議なくらいですが、忍耐力と上達するために考える力が付いたと思います。
冬のシーズン中はずっと雪山に篭り、民宿のお手伝いやスキー教室の先生をやりながら空いた時間はゲレンデで部員たちと練習、夜は飲み会…、と真面目?な一面を持ちながらも大学生としてできる限りの遊びはやり尽くしたと思っています。

 

ーだいだらぼっち卒業後、「都会での生活に慣れること」にも追われていたということですが、戻ってすぐのころは何に困っていましたか?また、どうやってそれを克服したのですか?

 

当時は可愛いモデルさんやかっこいいアイドルの名前も顔もわからなかったので、「なんで知らないの?」と疑問に思われることに少し懸念がありました。こういうのは東京ならではなのかな?芸能人の名前や雑誌を読んでいないと置いていかれる!と焦って色々調べた時期も若干… 数日とか数週間くらいだけど… あったと思う。私の場合、あんまりアイドルに興味が湧かなかったこともあり、「このままの自分でいいんじゃないか」と急に開き直っていました。なんで急に?と思うかもしれないけど、ほんと急に調べる意欲がなくなったというか、そんなことするより他にやりたいことあるよな、と。
そこからは私が都会に慣れるというよりかは、周りに私を理解してもらえるようにコミュニケーションをとっていたと思います。「芸能人の話は興味ないけど、キャンプとかアクティブな事が好き」「渋谷や原宿には行かないけど浅草でもんじゃを食べるのは好き」と自己分析して発信していく。こんな感じで過ごしていると、周りに似たような人が集まってきて仲良くなる。
今ではこういった経験が役に立っていて、会社で出身地を聞かれた時にはあえて泰阜の話をすることもあります。
東京で働いていると、東京出身よりも地方出身の方が話が盛り上がる上に、地方都市ではなくしっかり地方!というのが逆に新鮮らしく顔を覚えてもらうことが多いです。
都会の雰囲気に染まることだけが正解ではないと思うので、自分の心地よい環境を求めることがいいんじゃないかなと思っています。

 

ーさちのありのままを理解してもらうことに注力したってことですね。確かにそれが一番かも。
だいぶ大人になったと思われる・・・失礼!(笑)さちですが、働きはじめて、こどものころには気づかなかったことや改めて感じたことなど何かありますか?

 

失礼!(笑)
私自身、当時想像していた社会人のオトナとはだいぶかけ離れている気もしますが…(笑)。気づかなかった、というよりも改めて気づかされた、という方が近いかもしれません。
いくつになっても人や環境に助けてもらうことがほとんどだな、と最近より強く思います。先述した通り私の仕事の場合、困ったことが起きた時には先輩や上司、同僚に助けてもらうことが多くあります。
プライベートでも同じ。悩みがあれば彼や友達、人生の先輩方にかなり助けてもらっています。
時には飲みに連れて行ってくれて、遅くまで付き合ってくれることも…。
だいだらぼっちにいた頃もかにさんに洗濯物を干してもらったり、もーりぃに宿題を教えてもらったりと非常に助けていただいた記憶は鮮明に覚えていますが、あの時は「オトナって助けてくれるいい人たちだな」くらいにしか思っていなかったと思います。ごめんねみんな…。
大人だから助ける、年上だからサポートする、といった立場や年齢も関係あるかとは思いますが、それ以上に’お互い様’の精神が私の会社や周りには行き届いていて、改めていい環境に身を置いていると気付かされました。
自分の周りに人がいて、よく見てくれて気遣ってくれる人がいる、本当に幸せ者です。
私の存在や行動がいつか人の力になれる日が来るといいな。

 

ーきっとすでに来ていると思いますよ。
お仕事もプライベートも、いろんな人の力を借りてきたとのことですが、この「人の力を借りる」って簡単なようで難しいこともたくさんあると思うのですが・・・。
たとえば、迷惑かけちゃいけないっていう想いが先に来てお願いできなかったり、自分の責任なんだから頑張らなくちゃって思ったり、力を借りることを邪魔してくるいろんな想いとぶつかると思うのですが、さちの場合はそこらへんの邪魔してくるような想いとかは無かったのですか?

 

本当にね、簡単なようで難しい。
新卒の頃はやっぱり「間違えちゃいけない!先輩の時間を無駄にしてはいけない!」と緊張も相まって相談できないことが多かったです。ただ、これを読んでいる社会の諸先輩方はお気づきだと思うけれど、いつか失敗するんですね。はい、失敗したし、失敗しかけたことが何度もありました。
その当時上司だった方に教えてもらったのは、「リスクかも?と懸念した瞬間に、上司の耳に入れておきなさい、ランチの時の雑談でも会議室まで向かう途中の道でも良いから。」ということ。シンプルなアドバイスだけど私には結構刺さりました。ほんの少しでも耳に入れておけば、「この前ちょっと話したアレですけど、やっぱり力を貸してほしいかも」と次のアクションを起こすハードルが下がるように感じます。
おかげで私の仕事は先輩に逐一報告しているし、そのおかげで先輩から進捗を気にしてもらったり、評価してもらったりすることでモチベーションにも繋がりました。
昨年の夏には営業が100人以上いる中でトップにもなりました。嬉しかったなぁ。(すごいっ!)
人の時間を使ってしまうことに気を遣うのは今も変わらないけど、自分の範囲で出来ること、出来ないことをきちんと把握して、出来るならまずはやってみる、出来ないなら躊躇なく人を頼る。たかが社会人5年目に会社を動かしたり自力でミスをカバーしたりする技術はないし、私の責任は結局上司の責任にもなってしまう。
結果的にこのやり方が今の私には一番合っていると思ったし、一番人の時間を使わないやり方かなと思っています。ミスをカバーする労力はとんでもないのでね。

 

ー本当にそうですよね。どうしようもなくなるまで黙っているのではなくて、ちょいちょい小出しに状況を共有しておくことって、とっても大事。でもこれができるようになるのも実は大変だったりするから、早めにできるようになれたのはさちにとっても会社にとっても花まるですね!
ところで、さちがいたころのだいだらぼっちはどんな感じでしたか?

 

1年目も2年目もそれぞれ違う、比べられない2年間でした。大変なこともたくさんあったけど、終わりの見えないような話し合いも幾度となく繰り広げられたけど、今思えば全部笑える思い出ですね。
朝ごはんにはかなり偏りがあった記憶があります(笑)。時にはレタスと卵焼き1つ。時には大量のワッフルやピザ、クロワッサンサンド…。おかげで給食の時間になってもお腹がすかず、大変な思いをしながら口に入れたこともしばしば…。夜になるとおにぎりが流行り出す文化は今でもありますかね?(→受験生がいると流行るよ:笑)
当時の私的一番人気はむさしのお母さんのえごま?漬けとゆかり。
あとは暇な時間を見つけてはけいやとだるまさんが転んだを永遠とやっていたような…。当時2人で考えた謎のハイタッチシリーズ?は今でも体が覚えています。多分できる。笑
2年目の後半はとにかく平和でした。中学3年生が終わったら家に帰らなきゃいけないのが嫌で高校生まで残れないか本気で考えました。(笑)

ー当時の出来事で一番印象に残っていることはなんですか?また、面白エピソードがあったら教えてください。

 

面白エピソードで同期と一番話題になるのはやっぱり「お菓子の話し合い」ですかね。毎日かにさんが用意してくれているお菓子を決められた数以上に取ってしまう事が多発し、一度お菓子システムが停止しました。挙げ句の果てに’揚げないと食べられない’天ぷら饅頭がなくなったと大騒ぎ。しかも食べようとした人は誰だか分からず迷宮入り…。(こどもが全員卒業した数年後に判明しました。この話もまた最高のエピソードです。)
これからのお菓子システムをどうするべきか、深夜まで毎晩話し合いを本気でやっていました。こどもとしては一大事件でしたね。

 

ー大人としても一大事件よ(笑)。未だに何かにつけて引き合いに出される事件です(笑)。
そんなだいだらぼっちでの暮らしは今のさちにどんなふうにつながっていますか、あるいはどんなふうに位置づいていますか?

 

だいだらぼっちは実家の1つだと思っています。だいだらぼっちの頃に教えてもらった事が今の私を作っていると自信を持って言えます。
自分で決めること、一所懸命に頑張ることはかっこいいこと、何かあっても帰って来れる場所があること。
見守ってくれている実感があるので離れていても毎日頑張れています。
人格形成にも繋がっていて、今の心の支えの1つにもなってくれているのかな。

ーそんな風に言ってもらえるなんて、とっても嬉しいです。ありがとう!本当にいつでも帰ってきてね。
さちが今夢中になっていることはありますか?

 

今は結婚周りのイベント事に夢中!というか必死!笑
結婚ってこんなに書類が多くて手続きが大変なんだ…と、これまでの人生で一番のビッグイベントに心躍りながらも必死に乗り越えようとしている最中です。ただ、幸せが体型に現れつつあるので要注意です。

 

ーふふふ…。ジム通い、頑張ってね!
そんなさちの夢を教えてください。

 

これから結婚するにあたって新しい家族ができるので、まずは自分の家族を自分を含め幸せにできたらいいな
あとは仕事もずっとしていたい。今の仕事はすごく好きなのでなるべく続けていきたいです。
仕事もしながらプライベートはもっと充実させていきたい。
やりたいことをやりたいと思った時に出来るように、今から少しずつ大人になって行けたらいいな。

 

ーやりたいことをやりたいときにできるってとっても難しいけどとっても幸せなことですよね。ぜひそうできるように頑張ってくださいね!
最後に今のだいだらぼっちのこどもたちにメッセージをお願いします!

 

大変であることを楽しんで過ごしてください!
楽(らく)に過ごすこと、便利なものに頼りたいと愚痴をこぼすのは簡単ですが、地元に帰ればいくらでも頼れてしまいます。
便利でキラキラした生活を送ってきた子ども時代よりも、「薪で風呂を毎日炊いた」「15分かかる山道を毎日登って登校した」「多数決で決めない、満場一致になるまで話し合う」といった一風変わった子ども時代を経て大人になった方が何倍もかっこいいです。
当時のGW合宿でテーマにしていた「大変って楽しいね」のスローガンがとっても気に入っていて、今でも思い出します。
これからのだいだらぼっちでの生活、家に帰った時、大人になった時、大変なことは常に身の回りにありますが、ぜひ楽しんでください。現役の皆さんにこれから先どんな事があっても、楽しんで乗り越えられますように、少し遠くから見守っています。

ーとってもさちらしいメッセージをありがとうございました!


よく食べてよく寝て、よく遊んでよく働いて…そしていつも最後は笑顔!さちは本当に自分の周りに不必要な垣根を作らない人に思われがちですが、たぶんとても頑張ってそうしている面があるのだと思っています。元来の天真爛漫さにその努力が隠れて見えにくい感じがします。でもさちがそうして懐広く開けてくれていることで、救われている人がたくさんいると思います。インタビューの途中でも言いましたが、もうすでにさちの存在や行動は誰かのためになっていると思います。表面的な愚痴は結構あけすけに言うさちですが、心の奥の方で抱えているものはあまり出さないと思うので、たまには吐き出しに来てください。いつでも聞きますよ!

先日結婚式を無事に迎えたさち。さちらしい温かい明るい家庭を築いてくださいね!