都市一極集中の時代に山村の価値を考える|小さくても輝く自治体フォーラム

5/15-16に泰阜村にて「第29回全国小さくても輝く自治体フォーラム」が開催されました。当初は役場の担当も「集まっても50~60人くらい」と言っていましたが、蓋を開けてみると150人。北は北海道から南は九州まで全国各地から泰阜村に集まり大変盛り上がりました。

 

「自然を活かした教育・保育が『ひとねる』未来」というテーマのシンポジウムに私も登壇し、グリーンウッドの放課後児童クラブについて紹介。またフォーラム終了後のグリーンウッド視察見学には30名の方にお越しいただき、山村を財にした教育活動の現場を見ていただきました。自然豊かで人が少ないからこそこどもがのびのび育つ方法は他市町村でも展開できるもの。全国の方にもぜひマネしてもらえたらと思っています。

 

 

このフォーラムも29回目で、第1回は2003年(平成15年)だそうです。つまりその頃から人口減少・少子高齢化をはじめとする小規模自治体の問題は顕在化されていたということです。
全国を見渡せば、過疎やへき地を逆手にとった戦略で注目を集める事例も増えていますが、多くの自治体は20年経ってさらに過酷な状況に直面しているのではないかと思います。

私がグリーンウッドに関わり始めたのがちょうど2003年です。出張で東京に行く度に感じるのは、私が暮らしていた時代よりも明らかに人が増えていること。そして新宿も渋谷をはじめどこもかしこも開発が進み、見慣れた風景がどんどん変わっていく様子に毎回驚かされます。
物価高、原油高、人手不足、経済格差など日本全国どこも課題が増えているにもかかわらず、逆行するようにスクラップ&ビルドが繰り返され、商業施設が立ち並び消費に突き進んでいきます。

人手や物資、資金をどこに投入するのかは、次の資本を生み出すかどうかで決められます。
そうすると山村に投入されることはほとんどありません。しかし、山村がなくなって都市部だけが生き残る未来はあり得ません。

つい先日も地域の会議で井水の管理についてが話題に上がりました。私が住んでいる地域には水源がないため、明治時代にひとつ山を越えた川から水路を作り、田んぼに水を注いでいます。その長さはおよそ4kmです。こんな山奥に人力でどうやって物資を運んだのか?機械もないのに勾配はどうやって測ったのか?先日の知恵と力に驚かされます。しかしそんな村の宝ともいえる井水も、住民の9割が田んぼを作っていた数十年前から大きく減り、今では1割くらいになっているそうです。井水管理の人手も足りず、田んぼをしていない住民にも手伝ってもらいたいというものでした。
まさに令和の米騒動と言われている昨今、単に補助金や大規模農場化すればいいという話だけでは解決できない問題があるのです。山村の維持を当事者である市町村や民間だけが取り組むことに限界があります。そしてこの問題は必ず都市に波及します。

「玄米先生の弁当箱」というマンガに、「徴農制を取り入れる」というアイデアがありました。言葉は不穏ですが、要は若者が数年農業に従事することを義務化するというものです。今の時代に実現は難しいと感じますが、「資本」に偏る都市の価値観では立ち行かない若者もたくさんいる中で、新たな自分を発見するため、社会の構造や過程から学ぶ場として、そして未来の日本を守るためにも強制とは言わないまでも多くの若者が関わる場が必要なのではないかと、フォーラムに参加しながら考えていました。

山村は「自然豊かな場所で癒される」などとのどかに語っていられなくなる日が、そろそろ現実になりつつあります。