スタッフ研修:福島編|バイオマスレジン福島・あぶくまエヌエスネット・福島県被災地

コロナ禍でできていなかった研修を今年度から復活しました。今回は、各部署横断で3つのチームを組んで、研修先もそれぞれ相談し行きました。このチームは地域・企画チームのもーりぃ、総務チームののりちゃん、地域チームのだいちゃん、だいだらぼっちチームのオラフの4人です。

私たちのチームは、株式会社バイオマスレジン福島さん、一般社団法人あぶくまエヌエスネットさん。そして福島被災地の3か所に2泊3日で訪問しました。

【株式会社バイオマスレジン福島】

まずは、1つ目の研修先、株式会社バイオマスレジン福島さんでの学びについて紹介します。

 皆さんこの上の写真の袋とペンは何でできていると思いますか?

 正解はお米です。


 バイオマスレンジ福島さんは福島の地域に根差した会社相馬ガスさんとお米を原料の一部に使ったライスレジン(バイオマスプラスチック)を作る技術を持ったバイオマスレジングループさんが2021年に福島県浪江町に設立した会社です。
 教育関係のグリーンウッドがなぜバイオマスレジンの会社を思う方もいると思いますが、このバイオマスレジン福島さんは、ライスレジン事業を通して地域・日本の課題をいくつも解決している会社なのです。 
 地域に根差し、地域の課題を解決しながら活動をつづけていくことは、まさにグリーンウッドも同じです。

 今回は直接、社長の今津さんにご案内いただきました。
 今津社長のお話の中には、様々な課題の話がありました。

まず、運営会社である相馬ガスの会社としての課題。使用すればするほど二酸化炭素を排出するガスやガソリンの販売を主とするガス会社としてどのように脱炭素を進めていくのかということ。

次に東日本大震災の被災地としての課題。相馬ガスのある福島県の浜通りは、震災から12年たった今でも、放射能汚染の課題や、風評被害があり、まだまだ人口が回復していないこと。そして米どころとしても盛んだった地域の田んぼも2割程度しか作付されていない現状をどのように復興していくかということ。


そして、日本の課題。お米を主食としている日本ですが、毎年多くのお米が廃棄されていること。バイオマスプラスチックをレジ袋などが増えてきているけれど、ほとんどが海外から輸入に頼っているということ。そして海外からの輸送に多くの二酸化炭素を排出していること聞くことができました。

そして、そういった多くの課題を浪江町で非食品米を使ってプラスチックを作る“ライスレジン”という事業で、見事に解決し始めているのがバイオマスレジン福島さんでした。

実際に事業を行い始めてから、放射能被害や風評被害がまだ根強く続く浪江町に雇用を生み出し、放置されていた田んぼにも稲作の風景が復活しはじめています。

 今回バイオマスレジン福島さんを視察させていただき、様々な課題を抽出できる視点、そして出てきた課題をつなげる発想力、解決に導く行動力の素晴らしさを実感しました。地域も企業も一緒に元気に活動することを学びました。

【あぶくまエヌエスネット】

2つ目の研修先は、福島の鮫川村で活動されている。あぶくまエヌエスネットさんです。
あぶくまエヌエスネットさんは、1988年に山村留学としてスタートした団体でグリーンウッドとも古くから親しくしていただいています。「土、自然から学び共に生きよう」をテーマに四季を通して無農薬農業を行い、ニワトリやヤギと共に暮らす。山村で営まれてきた丁寧な暮らしを実践されており、その暮らしを教育材として、こどもから大人まで常時体験学習として提供さています。丁寧な暮らしからの学びは多くの人をひきつけています。
 

敷地の中には、地元の大工さんと相談しながら作った農機具小屋や鶏小屋、今やシンボルともなっている巨大なピザ窯などがありました。それぞれの施設は手作りで、イベントで使うものとは別物の暮らしの息づかいが感じられ、日々の営みやこどもたちの遊ぶ風景が浮かんでくるような場所だったのです。
 視察当日は、大豆の脱穀をするということで、地元のシルバー人材の方も手伝いにこられており、いろいろな人たちの力も借りながら暮らしている姿も見させていただきました。
 
 あぶくまエヌエスネットさんの視察は、グリーンウッドも暮らしから学ぶをテーマにしているので、非常に共感することが多く、まさに暮らしの原点でした。

【東日本大震災被災地視察】

福島県の2つの研修先への訪問に合わせて、東日本大震災の被災地も視察しました。沿岸部には津波を防ぐための青森まで延々と続く防潮堤を見ることができました。周りの建物のほとんどが新しく建てられていることに気づき、津波の被害の大きさを感じました。

 東京オリンピックの聖火リレーの通過点にもなった双葉駅にも訪れました。報道でも度々目にしていた場所で綺麗な建物でした。しかし、双葉町自体がまだ避難指示区域が解除になって1年4ヶ月ほど、以前の人口の1%ちょっとしか住まわれてないということで、駅周辺の建物や道路などは12年前のまま手がつけられていない状態でした。被災地を巡る中で、様々な場所にある線量計や、未だ通行止めとなっている帰宅困難地域の看板とフェンスを目にしました、持ち運べる線量測定器を持参していたので、線量を測って見ると通行可能になっている道は比較的少ない数値でしたが、ほんの5〜6m山の中に入って測るとかなり高い場所もありました。放射能の被害に関しては目に見えるものでもないしましてや簡単に取り除くこともできません。同じ災害でも津波の地域は少しずつ復興しているのに対して、放射能の被害地域の復興の難しさを痛感しました。

 3日間の研修を通して、震災後の放射能という目には見えない災害の難しさを感じました。しかし、そういった問題も含め、地域の課題へ向き合う方々から現地で直接お話を伺うことができました。話しを聞く中で、泰阜村と照らし合わせる事も多く、改めて、自分たちの地域の課題はなんだろうか?何が出来るだろうか?と考えるきっかけとなりました。

 コロナ禍で中々外にでるきかいが少なかったですが、2泊3日で研修を行いたくさんの刺激を受けることができました。
 今回の学びをグリーウッドに持ち帰り、改めて地域に目を向けグリーウッドだからできることを模索し実行していたいと思います。まずは様々な課題を抽出し意識すること、そしていろんな人たちと協働して活動していきます。

お忙しいところ受け入れを行ってくださった「バイオマスレジン福島」さん、「あぶくまエヌエスネット」さん本当にありがとうございました。