子どもらしい顔をとりもどせ ~オキテその5 働かざるものクウベカラズ~

またぞろ感染が急増。
これで夏の活動が止まるならば、こどもたちの学びは、本当に息の根が止められる。
それでも、こどもの学びが弾ける可能性を信じて「オキテ」紹介を続けたい。

大人気の「信州こども山賊キャンプ」。
その人気のヒミツに迫る連載企画、第5回。
今回は、「オキテその5 働かざるものクウベカラズ」


その五 働かざるものクウベカラズ


~遊びだけスゴクても、山賊とは言えない 食事の準備、火おこし、片づけ、寝床作り、そうじ…。暮らすための仕事はいっぱいだ~

ハタラカザルモノクウベカラズ。
こどもたちは他のおきてに比べてこのおきては元気よく言える。
案外よく聞く言葉なのかもしれない。
意味するところは読んで字の如しだが、山賊キャンプでは解釈をもう少し進めている。
働かないと食べてはだめではなく、働いたほうがおいしく食べることができる、という解釈だ。
働き方は多様にある。
みんなが一様に同じ仕事をしなくてもよい。
料理が不得意なこどもは、片づけをがんばればよいのだ。
力仕事がなかなかできないこどもは食事作りをするなど、力仕事をするこどもを支えればよい。
料理も片付けもできないこどもは生ゴミを堆肥場に捨てにいけばよい。
暮らすための仕事は、その気になればいくらでも見つかる。
みんなが少しずつ働けば、きっとごはんもおいしいはずだ。

もう一度言う。
暮らしの中にはこどもの仕事はいくらでもある。
逆に言えば、「やらなくていいよ」と言われる仕事はひとつもないのが、本来の「暮らし」ではなかったか。
しかし、いったいいつからこどもの仕事は「勉強」になってしまったのか。
なぜ暮らしの中にこどもが携わる仕事がなくなってしまったのか。
こどもが暮らしの場面から遠ざかり、自らの暮らしに参画できなくなった。
そして、「おいしいごはん」は外食になってしまった。

先日ある取材を受けたとき、記者にこういうことを言われた。
「ここのこどもたちは、大人びた顔をしていますねえ」
ここのこどもたち、というのは、山賊キャンプのこどもたちのことだ。
「いや違う、これこそが本来のこどもらしい顔でしょう」
私は即座にそう答えた。

勉強が仕事だからと勉強するこどもの顔。
危険だからと刃物や火を扱わせてもらえないこどもの顔。
大人が決めたスケジュールをこなすこどもの顔。こどもには無理だからと不便なことに挑戦できないこどもの顔。
それらは果たして本当にこどもらしい顔をしているのだろうか。

三時間も火と格闘してようやく仲間のご飯を炊き上げたこどもたちの顔には、だくだくと汗が流れ、土の汚れがべったりだ。
その顔に記者がカメラを向けると、彼らはニヤッと笑う。
その顔は確かに輝いている。そう、自信に満ち溢れているのだ。

ここでは、こどもたちは大人たちから仕事を「任されている」。
こどもにもできると「信頼されている」。
力を貸してほしいと「あてにされている」。
こういった実感を持つことができたこどもたちの顔こそが、本当の意味での「こどもらしい顔」なのではないか。
今のこどもたちは、「妙に大人びた顔」をしているが、本当の意味での「こどもらしい顔」を失ってしまったのではないかと危惧する。
それを取り戻すために、学校の教室の中だけではなく、暮らしの中に、そして地域の中に、こどもたちが「任される」「信頼される」「あてにされる」といった、こどもの「出番」をもっと作りたい。
山賊キャンプはこどもの「出番」だらけだ。
働くことを大事にするからである。

代表 辻だいち