だいだらぼっちの卒業生にインタビュー (2007-2009年度参加) かず

あの頃は「将来のために」なんて考えながら過ごしていたわけではありません。でも振り返ると、だいだらぼっちでの暮らしがあったからこそ、今の自分があると確信しています。

だいだらぼっちの卒業生にインタビューするこの企画、今回はだいだらぼっち22期生のかずです。

かずは、だいだらぼっち二十二年目から二十四年目(2007~2009年度)に、中学1~3年生の三年間をだいだらぼっちで過ごしました。育ち盛りでごはんをよく食べたかず。お父さんお母さんはだいだらぼっちに来るたびにたくさんのお米とカレール―などを持ってきてくださっていました。喧嘩もするけど優しくて、まだ小さかった相談員のこどもたちは、かずによく遊んでもらっていましたっけ(笑)。今はどんな感じなのかな?それではインタビュースタート!

                       

ーお久しぶりです!早速ですが、簡単に自己紹介をお願いします。

 

かずです。2007年度から3年間、中学生の頃にだいだらぼっちで過ごしました。現在は保育士をしながら、大学院で修士課程を修了し、今は副園長のような仕事をしながら博士課程の論文を書いています。また、講演の依頼をいただいたら講演したりしています。自分の園は、保育園から、こども園に移行し、子どもたちと毎日火を起こして料理をしたり、ピザ窯でピザを焼いたり、ユンボで園庭に築山を作ったり、井戸を掘ったり、田んぼで稲を育てたり、葛飾区でよくやれているなって思うような、子どもたちが日常の中で自然と触れ合える保育をしています。

他にも、幼少年教育研究所の自然部会に所属していて、そこでは自然体験の研究をしていたり、保育学会、日本乳幼児教育学会、こども環境学会などに所属していたり、こども支援学会の事務局もやっています。

 

ー肩書がありすぎてびっくり!おまけにマスターだけじゃなくってドクターもとるってこと?すごいな…。あんなに勉強嫌いだったのに!!…尊敬。

保育士、ということですが、今いる園はお母さんのところですか?なぜ保育士になったのですか?また、どんなことを想ってお仕事していますか?矢継ぎ早にすみません。色々教えてください。

 

いるのは母のところです。母が同じ仕事をしていたというのもありますが、人を育てる仕事がしたかったし、今は〝育てる人を育てること“が楽しくてしょうがないです。

ーかずが「人を育てる」だけでなく、「育てる人を育てる」ようになり、それが楽しくて仕方ないとは…!!なんだか中学生の頃のかずを想像したままではインタビューが成り立たないかもしれませんね。こちらも頭を切り替えていきますね。

お仕事で大変だったことや困ったことはありますか?また、それらをどう乗り越えてきましたか?

 

仕事で大変だと感じるのは、保育の世界では人それぞれの価値観によって「良い」「悪い」が異なることです。そのため、価値観を無理に統一するのではなく、社会のルールや法律を軸に考えるようにしています。そうした中で最近の趣味になっているのが、保育に関する事故の裁判を見に行くことです。裁判では法律がどのように適用され、どのような判断が下されるのかを学ぶことができるので、保育の現場での判断や対応にとても参考になり面白いです。

 

ー「良い」「悪い」が異なる…本当にそのとおりだと思います。保育者同士でもそうですが、保育者と保護者とでも、保護者同士でもその違いはあると思うのだけど…。社会のルールや法律を軸に考えるというのは万人にわかりやすい基準に思います。それでも理解し合う、納得し合うのは難しいこともあると思うけど、難しい時にはどんな 風に対応するのですか?

 

価値観の衝突というのは、答えが出ない戦いだと思います。それぞれの背景や考え方が異なる以上、完全に一致させるのは難しく、そのために法律が存在しているのだと感じます。法律は価値観に左右されない基準を提供し、それでも解決できない場合は裁判で判例として出てくる。だからこそ、法律や判例を「味方」にするためには、きちんと知識として身につけておくことが重要だと思います。その上で、法律はあくまで大枠や概念を示すものであり、細かいルールは先手必勝だと考えます。たとえば、ブラック校則の問題がよく取り上げられますが、多くの場合、衝突の原因はその内容だけでなく「ルールを知らされたタイミング」にあることが多いですよね。入学後に突然知るのではなく、入学前に細かいルールまで明示され、それを理解し、同意して入学していれば、校則に従うのも合理的だと思います。後から知ることで摩擦や混乱が生じるというのは、保育現場でもよくある課題です。

だからこそ、価値観の違いによる衝突を減らすためには、細かいルールを言語化して先に伝えることが非常に重要だと考えます。事前にルールを共有し、必要に応じて議論をしておくことで、後々の対立を防ぎ、信頼関係を築く基盤にもなります。

と、まあ難しいことを話しましたが、実際にやるべきことはもっとシンプルです。自分たちがやっていることや、やるべきことを言語化する作業を重ねることで、それがそのまま自分たちの質を高めることにつながるんですよね。それを意識しながら一つひとつ取り組むことで、自然と良い方向に進んでいけるのではないかと思っています。

 

ー…納得。今更なんだけど、みけは本当に“かず”と話しているのだろうか…!?と思ってしまうくらいすごくたくさんのことを考えていてびっくり!&なんだかとてもうれしいです。

お仕事をしていてよかったと思うことや、一番の思い出などあれば教えてください。

 

仕事が楽しいってことだと思います。

何が楽しいかって聞かれると、子どもたちと遊ぶ時間もそうですが、それだけじゃなく、職員を育てることや、大学や行政とのやり取り、新しいアイデアを考えたり、それを企画・計画・運営したりすることもすべて楽しいんです。そして、毎日頭の片隅で何かしらのことを考え続けていることや、次々にやってくる困難に対応することさえも楽しさにつながっています。特に楽しいなって思うのは、高校時代に「こんなの何で必要なん?」と思っていた授業が、今になって驚くほど役立っている瞬間や、新しい事業の計画を立てている時のワクワク感。そして、日常生活ではまず使わないような難しい日本語を判決文を読みながら理解していく新鮮さ。そのひとつ一つが、自分を成長させているのを実感します。

ご存知のように、僕はもともと勉強は大嫌いでした。でも、気づいたら大学院を卒業していて、今では博士のための論文を書いています。人生って本当にわからないものですよね。でも、楽しいから勉強している気はあんまりありません。「子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という言葉がしっくりきます。もちろん、しんどい瞬間も無数にありました。その時々では「本当に大変だった」と思うことも多かったです。でも、振り返ると、やっぱり楽しさの一部になっているんじゃないかと思うんです。

僕は、大谷翔平選手と同い年なんですが、きっと彼も野球の世界で厳しい練習やきつい状況がたくさんあると思います。でも、「野球が面白いから、何とも思ってない」んじゃないかな、と勝手に想像して、なんだか気持ちがわかるなと思います。きっと、この仕事が自分にとって「志」そのものになっているんだと思います。楽しいだけじゃなく、しんどいことも含めて、この道を歩んでいきたいと思える。そんな仕事に出会えたことが、やっぱり幸せだなと感じます。ちょっといいことを言ってみました。(笑)

 

ーちょっとどころか、だいぶいいこと言っています。大谷翔平くんにも聞かせたいくらいです(笑)。

かずはだいだらぼっちを出た後、高校生活や大学生活はどんな風に過ごしていましたか?今のお仕事に就くまでに、どんなことを体験したのか聞かせてください。また、その中で一番の思い出を教えてください。

 

高校は三重の農業高校に通っていました。ちょっと変わった学校で、パンフレットにはいろんな部活が書いてあったのに、実際に入学してみたらラグビー部しかありませんでした。でも、気づけばラグビー部に入って副部長までやることに。他にも、朝5時に起こされラジオ体操させられ、農業の仕事をする。その中で、野菜や米を育てたり、鶏解体したり、牛や豚を育てたり知識を学んだりしていました。当時は嫌で嫌でしょうがなく、如何にサボるかをずっと考えていました。

英語と数学が選択科目になっていて、代わりに食品製造の授業を選択。他の人が英語の授業を受けている間、僕はメンマとかを作っていました。農業経営の授業で簿記を学んだときも、「何でこんなことやるんだ」と文句ばかり言っていましたが、社会人になってすぐに勉強もせず貸借対照表が読めたり、仕訳がなんとなくできたりしたのは、その嫌々ながら無理矢理、授業を受けていたお陰です。今では農業簿記にマジ感謝しています。というような、変な農業高校に通っていました。

その後、大学は愛知の大学に進学しました。大学生活もラグビー三昧で充実していましたが、一番の思い出は、左肩の亜脱臼の手術の痛みです。全身麻酔から覚めたときの痛みがとにかく強烈で、今でも忘れられません。また、大学1年生のときには必修科目として英語の授業がありましたが、高校時代に英語が選択科目だったのは、同級生600人中おそらく僕だけ。ほとんど英語の基礎がない状態だったので、単位を取るのに苦労し、結局3年生になるまで再履修をしてました。大学院行ってからは英語の論文を読むのに苦労してましたが、チャットGPTとか、時代に感謝です。

 

ーどの話を聞いていてもビックリするほど大人になったかずですが、働きはじめて、こどものころには気づかなかったことや改めて感じたことなど何かありますか?

 

最近感じるのは、体験は星のようなものだということです。ひとつ一つの体験が星であり、経験とは、その星たちを自分なりに意味づけしながら結びつけて描いた星座のようなものだと思います。

子どもの頃からたくさんの体験を重ねてきたおかげで、気づけば自分の中には満天の星空が広がっていました。その星空があるからこそ、星座を描くのが容易になったのだと思います。ただ、その星たちがいつ、どのように繋がるのかは、自分でもわからないものです。だから、大人になるまでわからなかったこともあれば、今もまだわかっていないことがあるかもしれません。それでも、わからないからといって落ち込む必要はないと思っています。

東京のように街の明るさが強い場所では星が見えにくいですが、泰阜のような静かな場所では、どんなに小さな星でもはっきりと見えます。これと同じように、自分の中にある星(体験)も、周りの環境を少し変えるだけで、今まで見えなかったものが輝き出すことがあります。大切なのは、自分の中の星空を信じ、適切な環境を選び取ること。そして、その星たちがどんな星座を描くのかを楽しみにしながら、日々の体験を重ねていくことだと思います。高校や大学でも、星座をイメージしながら「好きな学び」を選択することはもちろん大事です。ただし、それだけでなく、「面白くない」「必要ない」と感じる授業にも耳を傾ける、つまりその場にいるって事が大事だと思います。自身の興味から学びを選んで好きな星座だけを描こうとすると、それ以上の星座は生まれません。しかし、満天の星空さえつくっておけば、いつでも、そこからいくつもの星座を自由に描けるようになります。そう考えると、今までの学校教育という仕組みには感謝しかありません。嫌々ながらも学んだこと、興味が湧かなかったこと、それらすべてが自分の星空を広げる一つ一つの星だったのだと今になって思います。自然体験は、やりたい事とやりたくない事、この両輪が叶う場なんだと、思ってます。いやー、だからだいだらぼっちにもまじ感謝してます。ハハ。あざーっす!

 

ー(泣)…素敵すぎる!!涙無くしては聞けません。本当に素敵な大人になったんだね。かずの中に広がる満天の星空…。世界中の人の中にその星空が広がっていたら、素敵な世の中になるのだろうなって思えます。ジーンと来てしまいました。

気を取り直して、かずがいたころのだいだらぼっちはどんな感じでしたか?

 

どんな感じだったかと聞かれると、正直「あれなんですけど…」と前置きしたくなります(笑)。というのも、当時は絶賛反抗期の真っ只中で、周りのスタッフや仲間には本当に迷惑をかけたんじゃないかと思います。今振り返ると、「大変やったやろな」と申し訳なく感じる部分も多いです。

正直なところ、作業もしたくなかったし、掃除もやりたくないという態度をとっていました。そういう気持ちが全面に出ていたと思いますが、そんな中でもスタッフの方々は根気強く見守ってくれて、たくさんの自然体験をさせてもらえたんです。薪を割ったり、畑仕事をしたり、穴窯や登り窯を焚いたりと、普段ではできない体験をたくさんさせてもらったことが、今では本当に貴重だったなと感じています。当時は素直にそう思えなかった部分もありますが、今になってその経験が自分の糧になっていると実感しています。

 

ー当時の出来事で一番印象に残っていることはなんですか?また、面白エピソードがあったら教えてください。

 

穴窯や登り窯をみんなで焚いたことは、今でも強く印象に残っています。なんといっても、NHKに特集されたくらいですから(笑)。最近、職場の新年会でその映像が流れたときも、「こんなことしてたんだ」といじられてしまいました。

その特集の取材中、「だいだらぼっちに来た理由」を聞かれたのですが、いざ言葉にしようとすると自分でもなかなか整理がつかなくて…。その場でたいきに助けを求めたところ、「明るくなりたい」という理由を提案されました。驚くことに、それがそのまま特集の冒頭で使われ、放送された翌日には、泰中でもからかわれたのを覚えています。

窯焚きでは自分なりのルールを決めていて、一番最初と最後、そして真ん中のローテーションに入るようにしていました。全体の流れを見ながら、自分の担当部分をどう引き継ぐかを意識するのが面白かったんです。火の勢いが弱いときはどうするか、次の人がやりやすいようにどう整えるか――そんなことを考えながらの作業が楽しかったのを覚えています。

いまだに「あのときみたいに、もう一度窯を焚いてみたいな」と思うことがあります。

 

ー「明るくなりたい」にはそんなエピソードがあったとは…(笑)。それにしても、窯焚きについては当時もいろいろ考えていたんですね!考えなきゃ焚けないけど、ただ「焚きたい」だけではなく、次の人のことも考えていたっていうことと、それが面白かったと言っていることが、今のかずと同じだなって思いました。

そんなだいだらぼっちでの暮らしは今のカズにどんなふうにつながってますか、あるいはどんなふうに位置づいていますか?

前の質問の答えとも少し重なる部分がありますが、だいだらぼっちでやってきたことは、すべて自分の経験として今の自分を支えています。その経験の上に、今の自分があるという感覚はすごく強いです。

「つながり」と言われると、実際のところ、あれもこれも全部つながっていると思います。当時、窯焚きや自然体験を通じて学んだこと、仲間とのやりとりやスタッフとの関わり方――そういったひとつ一つが、今の考え方や行動のベースになっています。

もちろん、あの頃は「将来のために」なんて考えながら過ごしていたわけではありません。でも振り返ると、だいだらぼっちでの暮らしがあったからこそ、今の自分があると確信しています。何が直接、どこにつながっているかを明確に言葉にするのは難しいけれど、全体としてすべてが糧になっていることは間違いないですね。

 

ーありがとうございます。なんだか照れ臭くなっちゃいました。

カズが今夢中になっていることはありますか?あれば教えてください。その魅力も!

 

東京23区で自然体験を実現することが、今の自分の目指すことなんじゃないかなと思います。田舎に行って自然体験をするのも素晴らしいけれど、自然は「非日常」ではなく「日常」であってほしいんです。23区は日本でも自然体験のハードルが特に高い場所だと思います。でも、だからこそ、ここでそれが実現できたら、どこでもできるんじゃないかと思うんですよね。そして、子どもが一番多いのが東京だからこそ、東京で自然体験を提供することには大きな意義があると感じます。今のこども園でも、毎日火おこしをしたり、ドラム缶でお風呂を沸かしたり、園庭に田んぼや築山、ビオトープを作ったりして、自然体験の環境を整えてきました。ただ、やっていて気づいたのは、親も子どもも、そもそも自然体験の経験が少ないということです。

一方で、東京では公園の整備に莫大な予算が使われています。例えば、近所の都立公園なんかは年間3億円もの予算で管理されています。そういった公園を歩くだけで、驚くほど多様な種類の蝶々を見ることができます。田舎では畑に訪れるモンシロチョウや、ミカンの木に来るアゲハ蝶など、広すぎる自然ゆえに出会う機会が少なくなる一方で、東京の公園にはむしろ多様な自然が凝縮されているように感じます。結局、「自然体験」というのは単に環境の有無ではなく、その環境の中で何を感じ、どう向き合うかが重要なんだと思います。そして、いきなり田舎の大自然に飛び込むのではなく、スモールステップで進めることが大切だと感じます。自然体験が少ない親や子どもにとって、身近な自然から始める方が現実的です。東京には莫大な予算で整備された、比較的安全で豊かな自然環境があるのだから、そこを活用して最初の一歩を踏み出すのが良いと思うんです。そこから田舎の大自然へと繋げていけば、「自然は田舎にしかないもの」という固定観念を超え、田舎と都市部が融合した形で自然が日常になる未来が見えてくるんじゃないかと感じます。東京だからこそできる体験、東京でしか感じられない自然の豊かさを日常に取り込むこと。それがこれからの課題であり、自分が目指す未来なんだと思います。

ーもっとライトな「夢中になっていること」が出てくるかと思っていたのですが、すごく大きな、具体的なことが出てきてビックリです。これもかずが描いている星座なんですね!

今の話も「夢」なのかもしれませんが、そんなかずの夢を教えてください。

 

どんな人でも、人生って「何をしてきたか」よりも「誰に出会ったか」がターニングポイントになるんじゃないかなって思うんです。僕、中1の頃の英語の先生の顔も名前も思い出せないんですけど、それってきっと自分の中でその先生がターニングポイントにならなかったから覚えていないんだと思うんですよね。逆に、強く覚えている人たちは、自分に何か大きな影響を与えてくれた存在なんだと思います。これって周りがとやかく言うのではなく、子ども本人が選択する事だと思うんですね。

だからこそ、「この人に会えてよかった」ってその子自身が思ってくれるような人になりたいなと思います。今は、立場が変わってるので、そういう人を育てる人でありたい。それが、今の僕の夢なのかもしれません。

 

ー素敵な夢ですね。きっとそうあれる!応援しています!

最後に今のだいだらぼっちのこどもたちにメッセージをお願いします!

 

なんすかね…。 この曲聴いてみてください。

里見浩太朗「あゝ人生に涙あり」 ―――人生の半分くらいを教えてくれます。

RADWIMPS「正解」 ―――社会の半分くらいを教えてくれます。

 

ーありがとうございました!今までこれだけ饒舌に話をしてくれたのに、最後には照れ屋な部分が出てくるあたりがかずっぽいですね。みなさん、ぜひ聴いてみてください!

今日はありがとうございました!

 

 

 

とにかく涙なしにはこのインタビューを振り返れないくらいなんだか感情が揺さぶられました。自分で仕上げたこのインタビュー記事を何度読み返しても本当に泣けてしまうので…。当時は本人も言っている通り絶賛反抗期中。作業も嫌だったと言っていましたが、それでも3年もいたんです。本人も気づかない間に自分の空にたくさんの星を散りばめていたんですね。“経験は星のようなもの”なんていう素敵な言葉はみけには紡げません。かずの育てた“人を育てる人”たちが大勢のこどもたちの中にたくさんの星を散りばめるお手伝いができて、満天の星空を持ったこどもたちが自分でたくさんの星座を描く日が来ることを心から願っています。かず、今度ゆっくり遊びに来てね!いつでも待ってます!