事務局長しんのエデュケーションコラム

Education Column of the secretary-general SHIN 

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2022年3月
今必要なのは、コミュニティーの再生と生み出す力

 
 コロナ禍による物資不足から様々なものが値上がりだけでなく、モノそのものが手に入りにくい状況になってきました。そこに来てロシアのウクライナ侵攻。これまでの当たり前が当たり前ではなかったことを次々と突き付けてきます。
 ガソリンの高騰や物価高、あるいは物品が手に入らない状況は、団体の運営にとっては大問題です。一方で山村留学「だいだらぼっち」の暮らしだけを見ていると、これまでとあまり変わらないように感じます。毎日買い物をするという、いわゆる消費の場面が少ないこともありますが、大人数で暮らしていることと自分たちで生み出しているものがあるからだと感じます。
 食事も多い時はこどもとスタッフ40人が分け合っているので、全体の食べる量は減っていたとしても、体感するほどではありません。また地域やだいだらぼっちの関係者からのいただきものもあるため、手に入らないものがあってもそれ以外のもので賄えているように感じます。
 暮らしに必要なものを生み出していることも大きな要因です。風呂とストーブが薪であることや、季節のものを収穫して食べることもできます。
だいだらぼっちの暮らしが大きく変わらないのは、助け合える、分け合えるコミュニティーの存在と、恵みを与えてくれる自然の中で暮らしているからです。その2つがライフラインとなっているということです。
 
 コロナや戦争といった突然の危機による物資不足だけでなく、気候変動や環境破壊、国同士の外交問題から恒常的な物資不足はこれからますます広がってくるはずです。そんな未来に一人ひとりが備えられることはなんでしょうか。それはコミュニティーの再生と、生み出す暮らしに取り組むことだと考えています。
 自分が関わるコミュニティー(特に地域)の中で自分が持てるものを出し合って、コミュニティーを成立させていく力。自分の暮らしに必要なものをひとつでも多く生み出していく力です。
 「暮らしの学校だいだらぼっち」の「知らない仲間となんとか1年を暮らす」協働の体験は、まさに一人ひとりがコミュニティーの中で出来ることを出し合って暮らすことに他ありません。また「なければ作る」という生み出す体験は、苦しい時に乗り越える知恵や工夫を育てます。緊急時に限らず、この2つの力は必ず生きていく上で人生を豊かに、そして苦しい時は乗り越える力にしてくれると信じています。
 そんなだいだらぼっちの1年も終わりを迎えます。楽しいことばかりでなく、むしろ大変なことばかりの1年だったのではないかとはたから見て感じます。それでも「来年もチャレンジしたい!」と継続するこどももいます。きっとそこにコミュニティの中で、そして生み出す体験の中で、自分自身が持つ力の存在を強く感じているからだと思います。。
最後になりますが、コロナ、気候変動、環境破壊と乗り越えるべき課題が突き付けられた現代において、ウクライナ侵攻などという戦争が起こってしまう人間の愚かさに非常に憤りを感じます。
 それでもなお未来を明るいものにするために、自ら社会を創る教育をこどもたちに伝え続けていくことが私にとっての世界平和の道と考えています。一日も早い収束のためにも、一人ひとりが自律していく教育を頑張らねばと改めて感じます。
 1年間応援いただきありがとうございました。そして今後共応援よろしくお願いいたします。

 

2022年1月
「こどもが主役」の本質

 
1/16~23までだいだらぼっちの35周年を祝うオンライン祝賀会を行いました。(詳しくはこちら)この祝賀会の目玉企画が「母屋建設物語」です。だいだらぼっちは設立当初、「自分たちの暮す家を創りたい!」という声からはじまっています。その建てた母屋も現在は建て替わってしまったため、「こどもたちが家を建てた」という事実も理解しづらくなっています。
自分たちで家を建てるということも無謀な挑戦ですが、さらにこどもと一緒に作るのは一体どうやったのか全く想像できません。私もだいだらぼっちに来て17年です。こどもと様々な経験を積んだからこそ、むしろその難しさがよくわかり、実際にどうだったのか?という疑問ばかりが浮かびます。
 今回はオンライン企画です。その利点を活かして、当時のこどもにも登壇してもらい話が聞ける機会ができるではないかと思いついたのがこの「母屋建設物語」でした。
 登壇していただいたのは、当時中1だったクリと小4だったゴイチ、そして創設メンバーのかにとギックです。
 時系列ごとのキーワードに対して、当時の想い出から話を進めてもらったのですが、とにかく想像できない状況に驚愕と感動と笑い。小さな民家にこどもと大人20人がひしめき合って暮らしていた、とか。7月にはその村営住宅を出なければならないので、3か月で住める家を作らなければならなかった、とか。学校から帰ってきたら材料になる木材の皮むきをしなければならず、夜8時くらいまでトラックの明かりを頼りに作業した、とか。7月にできた家は壁が無かったから、暮らしながら作った、とか。お風呂がなかったからドラム缶風呂をブルーシートで囲んだ入った、とか。今の時代では問題になりそうな話も次々と出てきます。
 
 その中で印象に残ったのはギックの話です。「自分たちではできないことをこどもが棟梁になって大工さんに発注してやってもらっていた。7月には棟上げをするための段取りをこどもたちと決めて、私が大工さんに伝えるけれど、「そんなわけないだろう」と一蹴される。またそこで折衷案を考えて、今度はこどもに伝えると「えぇ~、なんで」と当然なる。でも職人さんからの意見だから「それしかないよね」となりそうなところを、こどもたち自身が決めているんだ、という意識を持たせながら作っていった。こどもが棟梁であることを絶対に外さない。形だけの「こどもが作りました」にはしないようにしていた。段取りをとって子どもが理解して動けるように組み立てる。その一点が大変だったけれど大切だった」
ここに一番聞きたかったことが詰まっていました。
 よく聞く「こどもが主役」という言葉。それはこどもの言う通りにすることではありません。いかにこども自身が問題を自分事と捉えて、自分の頭で乗り越えられるか、足りない自分たちの力をこどもたち自身が知ることが大切なのです。
 私もこどもと一緒にパン窯を作ったり、劇の台本を作ったりといろいろなことに取り組んできました。いつまでにやらなければ、とか自分の仕事が忙しかったりすると、もう終わりにしてしまおうと、大人の論理で進めたくなってしまいます。そこをグッと我慢できるか、なお子どもと一緒に乗り越えることにチャレンジできるかが私たちの役割なのだと改めて感じました。
最後にクリから「昔の母屋を取り壊すときに、だいだらがだいだらでなくなると思った人もいたようだ。でもみんなで話し合って決めていく、その精神こそだいだらぼっちであって、「今」のだいだらぼっちこそがだいだらぼっちなんだと思います」
この言葉も重く響きました。
果たして本当に「こどもが決めたこと」なのか?話し合うという手段だけを美化していないか?ヒトゴトにせずジブンゴトにできているのか?去年と同じことを繰り返しているだけではないか?大人が固定概念から抜け出せていないのではないか?
常に「こどもが主役」の場を創り続けていくために、今のだいだらぼっちの覚悟が問われた祝賀会となりました。

 

2021年12月
多様性を認めるとは

 
事務所のデスクの横に赤ん坊がいます。私のこどもではありません。
5月に産まれたスタッフのいとのこどもです。
 
私も夫婦そろってグリーンウッドで働いているので、3人いるこどもたちは保育園にお世話になるまでは事務所で過ごしていました。時に大声で泣いたり、ウンチをして芳しい香りを漂わせ、他のスタッフたちに面倒をかけていたのも遠い昔です。
我が子だけでなく、これまでもスタッフのこどもたちは大なり小なり職場と関わりながら成長していきます。私がここで働き始めた時は、今は大学生になった代表の末っ子がハイハイしているくらいの赤ちゃんでした。スタッフバズは3人のこどもたちが生まれた時に育休を取っています。
多様性を大切にしていることもありますが、そもそも家族で働かないと立ち行かないという農家的な働き方故、子連れ出勤もアタリマエにせざるを得なかったという背景があります。つまり私たちの都合で決められた職場の文化ということですが、今の社会的に言えば、先進的とも言えなくもありません。多様性を認めるとは、つきつめれば同じ社会を共有している人たち、それぞれの都合に合わせつつ、みんなが良いと思う解を出すという事なのだと思います。

実は随分前ですが、グリーンウッドに障害のある方が職員に応募したいという問い合わせがありました。身体の状況を聞いて、山村での暮らしやアウトドアをメインにした仕事は難しいのではとお伝えしたことがありました。またキャンプのボランティアに聾者の方が介助者を連れて参加したいということも。その時もこどもの安全管理が最優先になるので難しいとお断りしました。
未だにどこかでひっかかっているのは、多様性が大切と言いながらもこれまで通りの運営ができないリスクを抱えてしまうかもと、こちら側の都合では判断してしまった自分たち自身への疑問です。
今年行われた東京オリンピック・パラリンピックでは多様性が強調されていました。しかし多様性とは障害の有無や性の問題ばかりではなく、人それぞれが抱えるもの。規定できないからこそ難しい問題です。
多様性を認めるとは互いに相手に向けて一歩を踏み込むことではないでしょうか。そこには受け入れられるという安心感がなければできません。自分とは違う他人と一緒に社会を共有する。という考え方が必要なのだと思います。
  
それぞれがそれぞれの違いや都合に寄り添えるかということが問われがちですが、もう一方で私の違いや都合を認めてほしいという事と同じくらい、隣にいる人の違いや都合も認めることが大事なのです。どちらかの都合がかりでは、場が成り立たないじゃないか!とならないように、対話でその差を埋めたり、認めたりすることが真の多様性なのだと思います。 

 

2021年10月
弛まぬ一歩が未来を創る

 
グリーンウッドでは「放課後児童クラブ いってきました」という学童を、村から委託を受けて運営しています。6年目となる今年は毎日20名近くのこどもたちが学校帰りに集まる場所になっています。泰阜小学校の児童数は60名で内7名がだいだらぼっちのこどもです。村のこどもの4割近くが毎日通ってくるのですから、大変なものになりました。
事務所から外に出ると、あちらではサッカーを、こちらでは山に入って木の実の収穫、こちらでは缶蹴りと、だいだらぼっちのこどもも混ざって縦横無人に遊んでいます。しかも今度の週末はこどもが企画して2泊3日のキャンプを実施するとのこと。チラシ作りやメニュー作りも自分たちで考えて行っています。こどもたちのやりたいことへの勢いが止まりません。
しかし開所時はなんと登録者2名。しかもその内の一人は我が子で、せっかくの事業もあまり需要はないのかと落胆していました。その後少しずつ登録者も増えましたが、お休みの子がいると、今日は一人だけ、なんていうこともよくありました。
だいだらぼっちや山賊キャンプと同じ理念で運営されていますので、当然こども主体で進めていきます。やりたいことをこどもたちが考えて行うというものです。しかしその頃は「何やりたい?」と聞いても、「わからない」「別に」という答え。担当スタッフも頭を抱えていました。
最初からうまくいったわけではないのです。
今の成果は積み重ねの力に他ありません。
参加人数は少なくても、続けていけば結果がでます。またその様子が伝われば信頼にもつながります。「とりあえずやってみよう」という行動が、次の実績に自ずとつながってくるのです。当然、ただ実施しているだけでは好循環を生まれません。学童の担当スタッフも毎年変わる中で、それぞれの想いをバトンのようにつないでいくことが重要になります。つまり先を見据える力です。どんな学童を創り上げたいのか?どんなこどもたちに育って欲しいのか?という遠いゴールを、関わるスタッフ全員で共有してつないでいくのです。そして一歩でも近づくために例え近道でなく、そして間違っていたとしても具体的方法を考えて行動し続けたことが今の成果につながっています。
どんなものも一足飛びにうまくいくことはないと改めて感じます。大成功だけがゴールだとしてしまうと、小さな成果を出しても失敗と感じてしまいます。想い描いていた成功とは違っていたとしても、一歩を歩み続けていれば必ずどこかにたどり着けます。そして一歩ならば、特別な力がなくても誰でも歩めるものです。弛まぬ一歩を信じ続けることこそ、思わぬ未来を見せてくれるものなのです。
コロナで先が見えないと言いますが、望む未来は自分自身でしか描けません。一歩の積み重ねを信じる覚悟があれば、必ず未来は拓いてくるのだと、この数年の学童の様子を見て感じます。

 

2021年9月
学びが進む「異年齢の関わり」

 
先日、だいだらぼっちのこどもたちと登山に行ってきました。ちょうど他の事業もなかったこともあり、だいだら専任スタッフ以外も一緒に行きたいと、結果26人の大所帯に。我が家もぱる(妻)とこども2人も参加しました。
行先は隣町の富士見台高原です。標高1700mと高い山ではありませんが、登りはじめが急なことと片道7kmと歩く距離が長いため、果たしてうちの保育園児の息子はついてこられるのかと若干の不安もありながらの登山でした。
しかし結果を見れば、6歳の息子は常に先頭に立って歩き、むしろ「止まって~!」とストップがかけられるくらいのスピードで進んでいきました。だいだらぼっちのこどもたちも保育園児の姿に、「疲れた」「歩きたくない」という声を出すわけにも行かず、全員楽しく終えることができました。
うちの息子がみんなを引っ張ったのかというと、そうとも言えません。他のこどもたちが見ているから張り切って前を歩いていたのだと思います。特に歩き始めでくじけている小学生たちを見て、去年は蓼科山に登れたという自信がそうさせたのかもしれません。
話は変わりますが、9月に年代ごとのスタッフ研修を行いました。経験のあるスタッフは自分の年代よりも下の研修には参加しても良いという条件にしたところ、どちらも15年選手のなおみちとぱるが、4.5年目研修と、6年以上研修に参加してくれました。
終了後に研修のフィードバックを参加スタッフからもらったところ、口をそろえて言うのは「なおみちとぱるが参加してくれて良かったです」ということ。リスクマネジメント研修で、これまで自分が起こしたリスクやトラブルを書き出すというときに、団体の信頼を失いかけたり、回復するのに時間も労力もかかった、それぞれの痛々しい失敗談を話してくれたことが良かったそうです。「普段聞いたことのない出来事だった」「頼りがいのある先輩もこんな失敗をしたんだ」と自分と同じ道を歩いてきたことに安心と未来を感じたのだと思います。
異年齢で関わることが少なくなった時代です。こどもにとっては身近な存在がお手本となり、それが成長を加速させることもあれば、自分よりも小さな存在を見て、助けてあげることを学ぶ場面にもなります。
大人になると年代が離れることで遠慮や配慮で話しづらいことや、説教臭くなってしまうのではとコミュニケーションの難しさもあります。学びは体験を通じた自らの発見でこそ得られるもの。とはいえ、せっかく先輩たちが得た知恵や経験を共有せず、同じ過ちを繰り返すようなことがあれば、それこそもったいない話です。自ら経験していなくても、あたかも自分の体験のように感じられることで学ぶこともあります。
「違いは豊かさ」と言いますが、改めて異年齢が関わることの豊かさを感じた出来事でした。

 

2021年8月
山賊キャンプの縁は一生もの

 
そんな気になってきます。
山賊キャンプの参加者の中には小学1年生から山賊キャンプに参加して、高校生になってからは相談員(ボランティア)、その後ひと夏やひと冬をずっと関わる長期ボランティアになる人もいます。7、8歳のまだまだ幼く色んなことを助けてもらっていた頃から、高学年の生意気な時期を超え、高校生、大学生で相談員として関わると今度はこちらが助けてもらう立場になったり。また就職の相談に乗ったり、合格をしたと一緒に喜んだりすることも。
今年、長期ボランティアに参加してくれたみっこも、小2で私がディレクターをしたスーパーコースに来たのをきっかけに、それから10年。今でも縁が続いているというわけです。
キャンプ申込みの中には「昔、山賊キャンプに相談員(あるいはこどもとして)で参加していました。娘をはじめてキャンプに出します」という声が届くことも一度や二度ではありません。
こんな手紙が届いたこともあります。「山賊キャンプのことでどうしてもお礼が言いたくて手紙を書きました。」という書き出しで始まり、小学生のころ3年間キャンプに参加し、その時に出会った友達と中学生まで文通をしてきて、その後音信不通になったが、また5年ぶりくらいに「久しぶり、元気?」と手紙が届いたということ。山賊キャンプが人との出会いの大切さに気づかせてくれたと書かれていました。
3泊や4泊の短いキャンプでこどもたちが急な成長をすることはありません。でも人の人生を変える力はある。参加者とのつながりがそう確信を与えてくれます。一方でそれだけの影響を与える怖さもあります。何気ない一言が良い影響を与えるばかりでないこともあるからです。
今年は参加者を大幅に減らしての開催でした。例え少なくてもこども一人ひとりには人生を変えるかもしれない、大きな体験なのです。そのダイナミズムを忘れずに与えられた機会をどう活かしていくことが私たちの役割であり、使命です。
コロナウイルスがあっても私たちにできることはまだあります。10年後の縁を紡ぐために挑戦を続けて参ります。

 

2021年7月
「わからせる」から「わかりあう」へ

 
 私がだいだらぼっちの専任スタッフとなったのはグリーンウッドに来て6年目の年。同時に責任者となり、これまでキャンプや青年育成を担当していたところから大きく役割が変わりました。「あれをやりたい」「こうすべき」「こうやっていかなければ」と自分なりの理想像を創り上げるために気負いと気合いがあふれ出ていました。しかし、1ヵ月経たない内からこどもたちから洗礼を受けます。
 ご飯当番に入っていたこどもが作り終わった途端に、食べずになぜか部屋に戻って、出てこない。薪作業を終えてだいだらぼっちに戻ると、そのまま部屋にこもって出てこない。その年は8人しかいない年で、ただでさえ少ない人数だというのに、田んぼ作業、畑作業は目を離すと、男子のほとんどがいない…。自分の常識からかけ離れたこどもたちの行動から、「だいだらぼっちのこどもはこうあるべき」という私の「正しさ」は、時に強い言葉でこどもたちを指導することもしばしばありました。強い「正義」を持って理解させようとすれば、当然の結果が起きます。さらなる反発です。様々な問題が起こり、私の休みのたびに携帯が鳴り、学校に謝りに行ったり、保護者に連絡したり。心苦しさの中で、「どうしてうまくいかないんだ」と怒りと徒労感に包まれるばかりだった。
 一方でもちろん問題ばかりが起こったわけではありません。8人しかいない日常は、当然、毎日ご飯当番が回ってきたり、朝づくりの掃除も2か所も3か所もやらなければなりません。「誰かがやらねば暮らせない」という状況は、20人近くいるときよりも、圧倒的に暮らしの実感をこどもたちに与えたと思います。
 窯焚きでは、ひとりでも抜けたら回らないというローテーションで、小学生だからと臆している場合ではなく、全員が全ての役割をこなしていました。他の年の子たちに比べ、この年の子たちの薪くべはあきらかに上手だったのは、関わる時間と負っている責任が違うからだったと思います。
 薪作業も、当初は「薪が割れない」と逃げていた男子たちが、ギック、まるちゃんからおだてられ、ついには薪割り名人となり、そのおかげで母屋前の山となった薪を全て片づけて来年に引き継ぐという目標をやり遂げました。
 季節ごとに登山に行き吹雪の冬山に登ったり、全員で外国のこどもたちの前でソーラン節を踊ったり、学校から帰ってきた小学生と毎日サッカー野球をさせられたり。
 1年後の姿は決してだいだらぼっちの理想の姿ではありませんでした。しかしそれは、みんながゆっくりだけれど一歩ずつ歩み、少しずつ力を持ち寄り作り出した本物の豊かな場でした。
 苦しさも楽しさも全部ひっくるめて「だいだらぼっち」なんだ。「わからせる」のではなく、「わかりあう」ことを学ぶ1年なんだ。と気づきました。当時の私にとって、それは脳内に光が走り、暗闇の中に光を見出す感動に近いものでした。「わからせよう」「言ったらわかるでしょ」「理解させる」というのは、こちら側が正義だという思い込みです。それはとても危険なことなのです。どちらが正しいかという議論は分断を生みます。互いに「わかりあおう」という過程と時間にこそ、例え出した答えに大きな隔たりがあったとしても、理解できることを見つけ出し、一歩でも寄り添える希望になるのです。
 現在、新型コロナウイルスの対応やオリンピック開催の是非、様々なところで「自分の正義」をぶつけ合い傷つけあっています。分断はさらに広がっていくでしょう。こんなときこそ、この話題をタブーにせず、「わかりあおう」とする対話を大切にすべきなのだと、10年前のこどもたちが私に教えてくれたことを振り返りながら感じています。隣にいる人とまずは「対話」。これが平和の一歩なのです。

 

2021年6月
おやつがない!その必然がこどもを育てる

 
 だいだらぼっちのおやつがなくなりました。
 だいだらぼっちのお勝手には、学校から帰ってきたこどもたちのために、いつもおやつが置いてあります。おやつ箱からそれぞれ自分の分をとって、学校であった話しなんかをしながら食べる、毎日の楽しみの時間であり、コミュニケーションの大切な要素でもありました。
そんなおやつが今廃止されています。今年になってからそのおやつを無断で食べたり、多く食べたりして無くなってしまうという事件があり、誰が食べたかわからないままに。おやつの一つや二つなくなることはこれまでも日常茶飯事で、こどもらしいと言えばこどもらしい事件ですが、なお悪いのは、誰が食べたか言わないこと。「ごめんなさい」と言ってくれれば良いのですが、未だ名乗り出てきません。
そんな状況をどうにかしようと、こどもたちが話し合った結果が「おやつの廃止」ということでした。おやつを廃止したからと言って根本の問題が解決されるわけではありませんが、こどもたちが出した答えを尊重し、1か月近く、みんなの楽しみであるおやつが食べられない状態が続いております。
 さておやつがなく不満を抱えているこどもたちに、最近思わぬ変化が見え始めました。
 学校から帰ってくると、こどもたちは畑のビワに直行します。ついこの間までは事務所裏のクワノミでした。今は母屋前にあるスモモも狙っている様子。
 育ち盛りのこどもたちは、おやつが食べられない状況からだいだらぼっちの周りにある果物を食べるようになったのです。今年は特にどれも成りがいいというのもありますが、とにかく群がって食べています。昨年度までのこどもたちも当然食べていたのですが、今年はその意欲が違います。
 「おやつがない=お腹がすく」という必然が、視線を外に向けさせ、食べ物を発見する力を開花させ、また周囲の豊かな自然を気づかせるきっかけになったのは非常に興味深いことです。
「暮らしから学ぶ」がわたしたちの行動理念ですが、まさに必然が人を育てるという好事例(?)。特に人間の欲求につながるものは即時性が高いことと、こどもたちの逞しさに妙に感心した出来事でした。
 さてこの「おやつ問題」。これからどうするのか改めてこどもたちは話し合うそうです。こどもたちが向き合っている問題は、一人の勝手が当たり前のように許されてしまうと、みんなで持ち寄り、分け合う暮らしが成り立たないこと。そして黙っている状況はみんなの安心した暮らしができないということです。たかがおやつ、されどおやつ。一事が万事なのです。がんばって自分たちなりの答えを出してくれることを願っています。

 

2021年5月
新人1年目。こどもから教わった大切なコト

 
今年は新スタッフ1名と育成プロジェクト参加者2名の新人3人が入りました。こどもたちとの付き合い方に戸惑う姿を見ていると、私自身が来たばかりのころを思い出します。
私がだいだらぼっちに来たのは17年前の10月です。直前まで活動していた他団体での実習生の期間が9月末までとなっていたため、中途半端な時期からの参加でした。だいだらぼっちの場合、こどもも大人も4月に集合して1年がスタートします。ですから10月に来るというのはただでさえ珍しいタイミング。しかも既に半年を一緒に過ごしたこどもたちは、ちょうど1週間前に実施しただいだらぼっち祭りの成功から仲間同士のつながりも強まっていて、間に入り込むことも難しい時期でした。運の悪い(?)ことに私が到着した翌日に半年の実習を終えた女性が帰る日でもあったため、その人の代わりで来た人のように捉えられている感じもありました。涙を流しながら送り出した後、当時30才の若いとも言えない微妙な年頃の私が残っているのを見て、がっかりした様子が見えたのも決して気のせいでもなかったのを思い出します。
さらにだいだらぼっちには独特のヒエラルキーがあります。年齢よりもどちらの方が早くだいだらぼっちに来ていたか?というものです。小4の男子から、「そんなのもわからないのかよ」「わからないなら俺教えてやるよ」と先輩として面倒見てもらったりすることもよくありました。今でもそうですが、新人スタッフが継続メンバー(特に中学生)に「お風呂に入りな」とか「宿題やったの?」なんて言えば、「何偉そうに指示してんの。自分で考えてできるし」と反感を買う様子も、4月のだいだらぼっち「あるある」のひとつです。当時の中3女子3人の、新人の私のことは目にも入らないという態度を思い出します。年頃の女子がそんなに気軽に心を開くわけはないのです。
さていろいろな洗礼を受けながらもなんとか1か月が過ぎたころ、ある一人のこどもが、「みんなと仲良くできないから、もう家に帰りたい」と泣きながら話すことがあり、急遽全員で話し合いが行われました。
かにさんから「しんちゃんも輪に入って下さい」と促され、戸惑いながらこどもたちの話し合いの輪に入っていました。それぞれが理由を聞いたり、説得したり、自分の経験を話して、これからも一緒に過ごそうと励ましていました。そのまま何となく話は終わると思っていたところに「しんちゃんも意見ありますか?」と振られました。ただでさえ深刻な状況で果たして何を言えばいいのかと戸惑っていましたが、みんなの目が注がれる中で何も発言しないわけにはいきません。
だから、ただ自分の本心を素直に伝えました。
何を話したのかは朧気で覚えていませんが、きれいごとは言わなかったことは確かです。
その時にこどもたちの私を見る目が変わったと、空気から伝わってきました。その日を境に少しずつこどもとの距離感や関係性が変わりました。特に私に話しかけもしなかった中3の女子たちからも話しかけてくれるようにも。
見る目が変わったのは、「スゴイ人だ」という尊敬に変わったわけではありません。大人な振りをして良いことや偉そうなことを言わない人だということと、私という1人の「人間」がこどもたちに見えたのだと思います。
もうこどもと話すときに緊張することもありません。大分慣れたものだと思います。それでもこどもと関係性をちゃんと結ぶためには、必要以上に大きく見せたり、えらく見せたり、強く見せたりせず、1人のあるがままの人としてこどもの前にいること、それが一番大切なことだと、今でもその時のことを思い出しながら考えています。

 

2021年4月
こどもを育てるよその人

 
我が家のこどもたちも村のこどもの一人として、グリーンウッドが運営している放課後児童クラブ「いってきました」に参加しています。
他のスタッフに面倒を見てもらうようで申し訳ないような気もしますが、働く親として大変助かっています。
その児童クラブに通う3年生の次女が、最近竹で箸を作り、大切そうに持って帰ってきました。帰ってくるなり、「今日からこれを使う!」とのこと。今も食卓に並べられ大事に使っています。これまで私が家族の箸を木で作って見せても見向きもせず、一緒に作らない?と誘ったところで興味を持たず、あげくせっかく作ったものも、既製品の方がいいとそちらが使われる始末だったのに。ちょっと複雑な気持ちです。
だいだらぼっちのこどもたちと暮らす中で、逆の立場になることもよくあります。家では親が何を言ってもやらなかったピアノを毎日練習したり、人見知りだった子が人前で堂々と話せるようになったり、嫌いな食べ物が食べられるようになったり、お菓子作りや料理が得意になったりと、預けた保護者からすると変化に驚くことは枚挙に暇がありません。それは決して私たちの関わり方が特筆しているわけではないこともあります。
人が育つために家族でない「よその人」の関わりはとても重要なのです。
ひとつは感情的にならない。どうしても家族だと感情が先に立つことが往々にしてあります。感情はバリアを生んで、つまらないことでも受け入れられないことがたくさんあります。
よその人と関わる場面は、親と物理的距離が離れているときです。こども自身も多少の緊張感と、自分で考えなければならない場となります。小さなころから大なり小なりこどもの行動に意見をしてきた親が入れば、「どうしよう?」と判断を親に任せてしまったり、あるいは「どうする?」とこどもの答えが出る前に親が促してしまうこともあります。よその人と関わる場面は、こどもたちが自分で考えて決めることを促します。
そして何より、他人は良い意味で無責任です。その子の背景や普段の様子を知らなければ、今起こっているその事象だけを捉えます。普段はやんちゃばかりしていても、今良いことをしていれば認めてくれます。余計なフィルターを持っていない他者の目はこどもの安心につながります。
「自分のこどもは自分で育てる」その通りである一方で、親では育てられないこともたくさんあります。他人に頼ることがネガティブに捉えられることも耳にしますが、こどもの成長にとって親ではない「よその人」だから育つものもあるのだと改めて感じた出来事でした。