2004年11月1日 『地震被害の長期化について』
新潟県で大地震が起きてからもう10日が過ぎようとしています。各方面で様々な支援や分析がおこなわれています。阪神大震災の時に、疎開児童を暮らしの学校「だいだらぼっち」で3年間受け入れたように、NPOグリーンウッドでも私たちだからこそできる役割を今考えているところです。 この震災で、次の3つの心配点があります。 まず一つ目は、子どもの心的外傷ストレスです。私は北陸の福井県に育ち、昭和56年の豪雪を経験しました。福井平野に一晩で1m以上の降雪があり、積雪2mの豪雪となりました。自衛隊が出動し、学校は2週間以上休校になりました。小学生の私は、来る日も来る日も雪かきをしていたのを思い出します。「雪なんて見たくもない」と思ったこども時代でした。阪神大震災や三宅島、新潟・福井水害など、災害の体験は子どものストレスを増大させます。長期化の様相を見せる新潟中越地震ですが、むしろ長期化するのは町の復興の遅れよりもこどもの心の不安定かもしれません。 二つ目は、地域コミュニティのほころびです。避難所では、できるだけ集落ごとに集まり、このような状況だからこそ助け合って集落同士の絆が深まっているという報道もあります。しかし、極限の状態で、コミュニティの基盤である住居や集落が崩壊した今、果たしてコミュニティが機能し続けるのか心配です。コミュニティのほころびを、当事者たちが繕えない状況の今、外部の私たちはどのようなサポートが必要なのでしょうか。 最後の三つ目ですが、人々の卑しさです。阪神大震災の時は、日本中の泥棒が神戸に集結したと言われます。泥棒たちが堂々とわがものがおで家から荷物を運び出したと言われます。それは被災地では日常のシーンと映りだれも不審に思わなかったそうです。目の前で自分の家から泥棒たちが荷物を運び出された人にそう聞きました(恐怖で何もできなかったと言っています)。新潟中越地震では、オレオレ詐欺まがいの事件も起きているそうです。被災地にも人々の卑しさは集まることを心配します。
私がこの僻地にいてできることはいったい何なのでしょう。日本中の人々が少しでもそう思えば、被災地の人々に笑顔が戻っていくのかもしれません。
(事務局長だいち)
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2004年10月20日 『アルプス1万尺 小槍の上で♪』
10月17日〜18日にかけて、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちとアルプス登山に行ってきました。登山好きなら有名な北アルプスの燕岳(つばくろだけ:標高2,763m)です。紅葉はすでに登山口の中房温泉あたりまで降りてきていて、稜線はすでに朝晩は氷点下です。 今回こどもたちは、稜線の山小屋に宿泊はするが夕食と朝食は自分たちで作るという段取りをとりました。食料や水、バーナー、ボンベなども全部自分たちで担いでいかなくてはなりません。また、ロープウェイで途中まであがれる山を選ぶこともできたのですが、歩いて登る山を選びました。傍からみるとたいへん労の多い登山です。しかし、その労多きところ、つまり「自分たちでやる。自分たちで歩く」というシンプルなことがたいへん楽しかったようです。 山小屋まで急登につぐ急登で、なかなか足が進まなくなる子どももいましたが、全員で励ましあいながら6時間を登りきりました。山小屋に着いたまさにその瞬間に夕日が沈み、その荘厳さに息を呑みました。 夕食朝食とも、山小屋宿泊者ではわれわれのみが自炊でした。妙なもの(ゲンキンなもの?)で登る途中では「こんな重い水と食料はここで捨てたい!」と嘆いていた子どもたちが、自炊の時は「やっぱり自分で担ぎ上げたからこそおいしんだよねえ」と得意顔になることでしょうか。 御来光はたいへんすばらしく、東に噴煙をあげる浅間山、北は立山剣岳、南は富士山、そして東には槍ヶ岳を始めとする北アルプスが燃えあがえるように染まったりシルエットになったり。 頂上でみんなで唄ったり踊ったりもしました。「アルプス一万尺 小槍の上で♪」という唄の「小槍」の意味を知っていますか? 子どもたちにその意味を伝えたらみんな「へええ!」と驚きの声をあげていました。ヒントではありませんが、頂上からは天を突くように槍ヶ岳が聳えているのが見え、子どもたちからは「槍ヶ岳に登りたい!」という声があがりました。 苦しいばかりが登山ではありません。安全管理に注意を払い、おおいに大自然を感じてほしいと思います。
(事務局長だいち)
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2004年9月21日 『僻地からの挑戦 泰阜発NPOの実践から』
9月11日に、隣町の阿南町ということろで開催された長野県南部地区教育研修会の基調講演の講師として呼ばれました。近隣7ヶ町村の教員やPTA会員が集まり、過疎化、少子化が進む「当地域の抱える教育課題にどう対応したらよいか」というテーマで論議が繰り広げられました。 私も小学校の息子がいるPTA役員ですので、立場を変えれば参加者としてこの研修会で学ぶはずなのですが、今回はどういうわけか講演を頼まれました。この種の基調講演は、高名な大学教授などを東京あたりから呼んでくるのが一般的ですが、7ヶ町村のど真ん中の泰阜村から、しかもNPOの若者を、そしてPTAの一員として悩む同じ立場として、基調講演の講師に選びました。その過程で賛否両論いろいろあったことは容易に推察できますが、選んだその気概こそこの地域をよりよく変えていく力の源なのだろうと確信します。 私は「僻地からの挑戦 泰阜発NPOの実践から」という演題で、中学生140人を含む差参加者350人に対して1時間30分のお話をしました。講演後、控え室で、ある村の副議長さんと校長先生と意見交換をしました。その村は自治体が山村留学を運営していますが、なんと年間2千万円余の予算を山村留学事業で確保しているそうです。その村より人口の多いわが泰阜村の山村留学事業予算は、NPOグリーンウッドに助成する400万円程度と、コストパフォーマンスにすぐれています。 僻地の自治体は、今後さらに少ない予算運営を強いられていくのは間違いありません。少ない予算をどのように活用するのか? 地域の財(人、モノ、金、情報、歴史・・・etc)を持ち寄って、どんな地域社会を描くのか? われわれNPOはもちろんのこと、地域住民みなが試される時代となりそうです。
都会の皆さん、挑戦を続ける僻地山村にちょっぴり視点や気持ちを向けてみませんか? (事務局長だいち)
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2004年9月9日 『救急の日から始めよう』
9月9日は、救急の日です。ご存知でしたでしょうか? 日本各地で豪雨や台風、地震、噴火まで起こっていますが、この日、皆さんは何を考えて過ごしましたでしょうか。 私はこの日、東京で救命救急法国際トレーナーの研修最終日でした。現在、私は同インストラクターとして、成人用、小児用などの救命法国際認定コースを年間20回ほど開催し、地域で命を守ることのできる市民を育成しています。私だけが講習するのでは限界があると感じ、今の私のようなインストラクターを養成できる国際トレーナーの道にチャレンジしています。現在、トレーナー職は日本で10人程度だそうです。 緊急事態は時と場所を選びません。地震や交通事故、突然死は、今、そこにやってくるかもしれないのです。愛する家族が目の前で倒れたとき、あなたが企画するイベントで参加者が倒れたときに、「知らなくて」何もできなかったことほど後悔することはないでしょう。 NPOグリーンウッドが開催する救命法講習会は、アメリカで開発された教育プログラムで、世界的には民間で一番普及されている定評ある国際認定プログラムです。 何かが起こったときに、行動を起こすことができるように、命を救うスキルと自信を学ぶNPOグリーンウッドの救命法講習会にまずは参加してみませんか? 詳しくはこちらへどうぞ(MFA講習のページへ) (事務局長 辻だいち)
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2004年8月6日 『ヒロシマの日に』
8月4日に、里帰りも兼ねて福井豪雨の被災地を見てきました。福井市内はすでに復旧作業が進んでおり、ぱっと見ると何もなかったように見えましたが、足羽川の堤防決壊場所に立つとそのツメ跡が感じられました。そして町のほぼ全域が災害に遭った美山町に足を踏み入れると、自然の猛威の凄まじさばかりが目に焼きつきました。 7月の猛暑、北陸地方豪雨、そして台風による被害などなど、いったい地球の自然環境はどうなってしまうのだろうと最近不安を感じます。それと同じように、日々悪化する世界各地での紛争状況や日本国内の青少年事件や汚職事件などなどを見るにつけ、いったい地球の人々はどうなってしまうのだろうという不安を感じることを禁じ得ません。
私の生まれ育った福井市は、戦災に見舞われ、その最中に福井震災にも見舞われました。その後よみがえった街は不死鳥とも呼ばれ、最近では住みよい街のランキングで常に上位だそうです。ご存知のように災害のたびに全国から支援を受ける街でもあります。また、住み込んで12年経つ泰阜村は、満州開拓という国策の誤りに翻弄され、そして今は合併促進という国策に翻弄され、ユニークな施策を打ち出しこれまた全国的に自律を支援される村でもあります。このような、その土地の持つ潜在力が私をそう思わせるのでしょうか、やはり戦争も災害もなくお互い助け合う平和な世の中であってほしいと痛切に思います。毎年めぐってくるこの日に、ぜひ皆様も忙しい足をとめて、これからあるべき世の姿を思い描いていけたらすばらしいなと思っています。少なくとも私は、青少年の健全育成キャンプをするその先に、平和な社会をイメージしています。 (事務局長 辻だいち)
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