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4月あしも研修報告 | ||
![]() 初めての共同生活での最初の試練は、だいだらぼっちで自分の存在を考えることでした。一応生活ルールを覚えても、実際にどう過ごせばいいのかわからずに困りました。プロジェクト生ということもあり、当初私は自分が共同生活の中でどこにあればよいのか、さらにはこの共同生活の中にいて良いのだろうか、いる場所があるのか、と考えていました。自分の中で『この共同生活に所属している一員だ』と自信を持って言えるようになった時、初めてこの共同生活集団への帰属感を得ました。その帰属感を裏付けてくれるのは周りから認めてもらう、支えてもらう、必要としてもらうこと。特に必要としてもらうことは大きな要素なのではないかと思います。物理的な要件で必要なのではなく、その人の存在自体がこの集団には必要なのだ、という意思表示、存在の承認が大切なのだと実感しました。 帰属感と主体性 だいだらぼっちでは「話し合い」を大切にしています。この話し合いでは大人もこどもも関係なく、誰でもここで生活する一人の人間として、話す権利、聞く義務があると思っています。ただし、この話し合いには参加する一人一人が議題に対する(生活に対する)プラスの主体性を持って参加することが前提条件だと思います。でもプラスの主体性を持つことはなかなかできないことではないでしょうか。そもそも、主体性がどうやって生まれてくるのか。私は、それは帰属感が大きく関係しているのではないかと考えます。その集団に対する帰属感を得ることで、その集団に対する自分の存在が安定し、そこから活動の幅を広げていくことができるのではないでしょうか。存在が安定し、活動も増え、その集団がとても居心地の良いものになったとき、その集団に対しての主体性をより強く発揮するのではないだろうかと考えます。まだまだ私もこども達も様子見で、おとなしくしているところもあるかと思うので、これから一緒に色々なことにチャレンジしていきたいです。 相談員として 初めての共同生活という点で、こども達も私と同じことを考えているのではないかとも思います。最初の頃はキャンプのテンションでまとまりがあったものの、だんだんと日常になり相手のことがよく見えてくるとそうもいかなくなりました。それぞれ自分の安定する位置を求めて生活するなかで、少しずつだいだらぼっちのくらしが各々の中に落ち着いてきたのかなと見ていて思います。私は一緒に生活する相談員として、子ども達の帰属感を促したり、その帰属感から安定して活動が始められたりするようなお手伝いができたらいいです。きっとこども達一人一人が安定する位置に落ち着いてからが、だいだらぼっちの本当のスタートなのではないかと思います。ここでしかできない色々なことにこども達と挑戦して、今年だからこそのくらしをつくれたらいいな、と思います。 □ 研修担当ぱるのふりかえり ![]() 共同生活では、自分の役割を認識して行動することが求められます。例えば昨年からいた人が新しい人に教える、など。これは他人との関係性の中で決まるものです。そして、責任をふまえた上での自由も、暮らしを楽しむためには欠かせないこと。 4月は関係性が作られる時期で、一旦落ち着いてきますが、それも束の間、関係性が変われば役割も変化するし、「責任をふまえた自由」も慣れると「勝手」になりがち…。 でも、それが人間。それが暮らし。そこで出てきた問題にどうみんなで向き合い、解決していくのか。あしもの言う通り、それぞれが主体性を持って関わっていくことで、きっとこの仲間だけの、素敵な暮らしが創れるはず!それはこどもにも大人にも、一人一人に求められること。そうして色んな社会は成り立っているわけですから。 大学を休学して一大決心でこのプロジェクトに参加してくれたあしも。だいだらぼっちは小さな村の、小さな集まりですが、これからみなが出ていく大きな社会の要素がたくさん詰まった学びの場。こどもたちと共に体験し、大いに失敗して悩み、考え、前に進む力を培ってほしいと思います。がんばれ、あしも! |
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5月あしも研修報告 | ||
人の力の大きさ ![]() 田んぼや畑・薪作業を通して ![]() こどもたちとの毎日 ![]() □ 研修担当なおみちのふりかえり ![]() こどもたちから1番近い距離にいるあしもは、こどもたちのお姉さんという存在ですから、当然のごとくこどもたちから受ける試練はさまざまあり、悩むこともたくさんあるようです。しかし、そんな時も「大人として」「相談員として」自分の言動はどうだったのか?どうしたらよかったのか?一生懸命考えて、時に相談にくるあしもは常に前を見ています。今の自分が自分の力で答えを出す経験を大切に、ステップアップしてほしいです。 |
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6月あしも研修報告 | ||
村の人たちとの交流 6月はぐっと村の人たちとのかかわりが増えた月でした。休日に布団を干したり、家の周りの草刈りをしているとお隣さんが声をかけてくれたりします。野菜をいただいたり、草刈りを手伝ってくださったこともありました。だいだらぼっちでも野菜や果物、時には狩った動物をいただいたり、田んぼや畑のアドバイスをいただいたりします。何気ない毎日の生活が、人の温かさに守られているのを感じます。泰阜村の「結」という文化、お互いさま、ということなのだと思いますが、都会の人の距離感に慣れていた私には、村の人たちが優しすぎて驚くこともありました。最近は村の和太鼓チームの練習に参加させてもらうようになったので、そこで色々な話を聞くのもまた楽しみになっています。 自分を再発見する ![]() あっという間の6月 ![]() □研修担当みけのふりかえり ![]() あしもはきっと6月を終えたときにそう思ったのではないでしょうか。 振り返りの最中、あしもが口にしていたのは、「あっという間だった」「記録(日記等)しておけばよかった」ということでした。休日のお隣さんとのやり取りは、一見ただのおしゃべりだったりするのですが、そこにはお隣を「気遣う」という「種」があります。いつもなかなか目にしないあしものことを、「毎日遅くまで大変だな。」「(草刈りなど)大変なとこがあったらやったるでな。」「お茶飲みにおいなんよ(おいでよ)。」と、まるで自分の娘や孫のように気にかけてくれているのです。 「困った時はお互いさま、何かあったら声かけなんよ。」 こんな風に声をかけることは、昔は当たり前だったのに、今は希薄になってしまっている人間関係。泰阜村には、この「お互いさま」「おかげさま」という日本のもつ豊かな関係性が今でも息づいています。こどもたちとの生活だけでなく、地域で、地域民として暮らすことによってよりその豊かさに気づかされます。(地域民として暮らすとはどういうことなのか、については話すと長くなってしまうので今回は割愛しますが。) 声をかけていただいたお隣さんや、地域の温泉で顔を合わせた面識のない近所のおばさん。あしもはその人たちとかかわりを自ら持ったので、新しいつながりが生まれました。そして人の温かさを知り、地域コミュニティを成り立たせている大きな要素がそこにあることに気づき始めています。きっとこどもたちとの関係性の中に、それらは活かされていくのだと思います。 意識せずにいるとそのまま通り過ぎてしまうようなことだけれど、そこに自分の意識をおくだけで、実は学びになることがたくさんある。それこそがまさしく「暮らしから学ぶ」です。3月までの暮らしの中で、あしもがどれだけの「種」に気づき、それをどのように自分の中で育てていくのか楽しみです。 あしも、頑張れ〜! |
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7・8月あしも研修報告 | ||
キャンプに参加して ![]() だいだらぼっちの子の凄さ キャンプでこどもたちと接していて痛感したことは、こどもたち(というより、誰しもそうかもしれませんが)は「はじめはなにもできない」のだということでした。成長していくうちに私はいつしかこどもの頃のできなかった自分を忘れ、今の「できる自分」を基準にしてしまっていました。だいだらぼっちでこどもたちと暮らすなかで、洗濯ができなかったり、物を置きっぱなしにして無くしたり、どうしてなんだろうと思うほどでした。 でもキャンプで色々な子を見て、だいだらぼっちのこどもたちの凄さが見えてきました。毎日の朝づくり、ごはん当番、洗濯、風呂焚きを自分たちでやっていくことが、実は凄いことなのだと気づきました。私のこども時代を考えると、はたしてできていたか怪しいです。最初は「できない」ということが当たり前のこどもたち。でもできると思い込んでしまう大人。そこでの期待はこどもに重圧をかけてしまう。だからといってこども扱いするわけではなく、「今はできないけど、できる可能性を持っている」人として接していきたいです。それはこどもだけではなく大人にも言えることだと思います。なかには、できなければいけない場面もあり、身体的にまだ難しいこともあります。良い調子の時もあれば調子が悪い時もあります。あまり期待しすぎず、でも可能性は信じて、こどもたちと暮らしていきたいです。 こどもの土台と支点 〜こどもを支えるものはなんだろう〜 先日ある時にグリーンウッド代表のだいちが土台と支点の話をしてくれました。 私は「なんでも、いくら土台がしっかりしていても、支点がしっかりしていないと意味が無い」という話だと解釈しました。そこから考えるのは、こどもの支点はどんなものかということ。いままでそんなこと考えたこともありませんでした。だいちの話を聞いて、土台作りはもちろん、支点の強化と支点を増やすことも一緒に考えていかなければいけないのではないかと感じました。こどもの支点(こどもだけではなく、人が生きていくために共通している支点かもしれませんが)とはなんだろう、安直に考えたのは「自分を理解してくれるものの存在」です。それは家族だったり友達だったり、もしかしたら実在しない二次元のキャラクターかもしれないし、動物かもしれません。また、支点というと対外的な何かに支えてもらうイメージですが、外側の支点だけでなく、己の中に自分で自分を支える(=自立させる)支点を造ることも必要なのかと思います。今回の気づきをきっかけに、また色々考え、自分はどういう側面でこどもに接していきたいのか、どういった手法がいいのだろうかなども考えていきたいです。 ![]() ![]() ![]() □ 研修担当ばんのふりかえり ![]() キャンプ中、あしもはこどもやキャンプのことだけではなく、自分自身のことも含めて悩むことがありました。 だいだらぼっち同様、キャンプには、様々な価値観・背景をもった人々が集まり、ときには悩みを抱えながら暮らしを共にしていくこともあります。 振り返りの中で、あしもは「自分の気持ちに左右されることがあった。その場に合った自分をつくらなきゃいけないと感じた。」と話しています。 これは、キャンプを楽しみに来たこどもたちに対して、迎える側として大事な心構えです。 一方で、理想の教師、教育者の姿とは何でしょうか? 「何でも完璧にこなす人?」「常に顔色を変えずにいられる人?」 暮らしの中では、こども同様に私たち大人も悩みをもち、喜怒哀楽の感情を表すこともあります。人間関係、自然・生活環境において、様々なトラブルが起こるのが暮らしであり、社会そのものなのです。 そして、よりよい人生を歩む・よりよい社会を切り拓くために大切なことは、「悩まないこと」ではありません。むしろ、色々なことに悩みながらも前に進もうとすることこそが大事なことです。 キャンプ中のあしもの姿自体がこどもたちにとって大切なメッセージとなったはずです。 あしもはここでの学びを活かして社会教育に携ることを志しています。 「悩みながらも自分で答えを出していく」姿勢は、どんな状況の中でも重要なことです。 ここでの5ヶ月間の生活を経て、あしも自身「やりたいこと」がドンドンと生まれています。だいだらぼっちのこどもたちと一緒にそうした「やりたいこと」、小さな夢の実現に向かってこれからの日々を過ごしていって欲しいと思います。 がんばれあしも!そして一緒にがんばろう! |
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9月あしも研修報告 | ||
「話」をした1カ月 ![]() 1つは相手を知ることができること。話してみて初めて相手の思いを知り、そこから自分の勘違いに気づきました。今まで思っていたものとは違う相手の姿に出会うことは、とても大きい気づき・学びを私に与えてくれます。 ![]() 最後に「話すこと」で大きい意味を感じたのは「自分は認められているんだ」という安心感が得られること、また、与えることができることです。話の内容に関する返答はなくても、ただ「話をきいてもらえる」というだけで、人は大きな肯定感を得るのではないでしょうか。そこからお互いに相手を認め合えるようにもなっていくと思います。このことは初めは意識すらしていなかったことですが、実際自分が話したりこどもたちの話を聞いたりする中で、自分・こどもたちの変化に気づき、実感しました。 学校の行事やだいだらぼっちでの企画など忙しい毎日ですが、夕飯やお風呂、ちょっとした時間を見つけて、くだらない話から大事な話まで、こどもたちとたくさん話をしたいです。 だいだらぼっちの子の凄さ ![]() 小学校の運動会はお弁当を作ってみんなで応援に行きました。お昼にはこどもたちがお弁当を食べに来て、総勢60人ぐらいになりました。ものすごい大所帯でしたがわいわいと楽しかったです。いつもと違う真剣な表情や、リーダーになって応援で大きな声を出している姿、友達とふざあけあっている様子など、とても新鮮でした。変なことを言えば『こどもらしい』姿を見られた気がして、「みんな小学生だったんだなあ」としみじみ思ってしまいました。中学校の恵曽祭では学年ごとの発表や職場体験をまとめた壁新聞の展示などを見てきました。同級生と楽しそうにしている姿や立派な掲示物を見て、小学生の時と同じように、まだまだみんなのことを知らなかったんだなあと思いました。学校とだいだらぼっちと、あまり重なることのない世界ですが、それそれの頑張りがうまく作用していけばいいなと単純に思います。また、その頑張りを支える「毎日生活する場」として、だいだらぼっちがみんなにとって『家』のような素が出せる、リラックスできる場であるといいです。私もだいだらぼっちの一員としてそういう場を一緒に作っていきたいです。 □ 研修担当にっきのふりかえり ![]() あしもは9月にたくさんの人と話をしたと話をしてくれました。自分から切り出して話をできたことはとてもよかったと思います。ここだいだらぼっちでは、こどもも大人もやりたい!と思ったことは、挑戦できる環境にあります。ただし自分が行動に移さなければ何も始まりません。色々な人と話をするということを例にすれば、機会や時間があったとしても、自分から話しに行かなければ何も始まりません。 私もだいだらぼっちに来てから6年目になります。諸先輩方からここで仕事をしている思いや、価値観、生活スキルまで色々なことを学びました。だいだらぼっちに参加しているこどもたちのお母さん方からも色々なお話を聞くことができます。普段出会わない人と出会うこともできます。そして皆さん色々なお話をしてくださいます。お話をすることで自分自身のものにできることは本当にたくさんあります。大学を休学して来ているあしもにとってはなかなかない環境でしょう。この環境にいることを活かして色々な価値観や自分自身を知るきっかけをもっともっと得てもらいたいと思います。そして、そこで聞いたことを自分自身のものにして自分の力にしていってほしいと思います。 9月が終わって私とあしもの2人で話す時間をとりました。あしもの夢について聞かせてもらいました。夢を描けることはとてもすばらしいです。私はその夢を応援していきます。そして夢に向かって今吸収できることがたくさんあります。前期が終わり、後期に入ります。指導者育成プロジェクトに参加した一年がより良い年になるように色んなことにチャレンジしてほしいです。がんばれあしも!! |
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10月あしも研修報告 | ||
色々なことが盛りだくさんだった10月 ![]() 『何気ない日常』になった、だいだらぼっちでの暮らし ![]() 11月に向けて 11月のテーマは「腹をくくる」です。何に対してかは色々ありますが、一番は「言う」ということ。昨年バイト先の職員の先生に言われたことです。「こどもと友だちになるためじゃなくて、その子の将来のために働いてるんでしょ」言われたときは、衝撃でした。でも本当にそのとおりだな、と思います。今は良い顔をされなくても、その子のことを考えて。最近の私にそれができていたとはいえません。腹をくくってこどもたちと向き合う。本当は一年の始めからすることだとは思いますが、改めての決意です。「タイミングを逃さないこと」と同じように、自分の中で大切にしていきたいです。 □ 研修担当のりのふりかえり ![]() そしてそんなだいだらぼっちでの暮らしが日常化したこともとてもよかったことだと思います。日常である暮らしの中にこそ学びがあるのです。暮らしが非日常であるうちはこどもたちの本当の姿はみえないものです。こどもは時に私たちが思う以上にたくましかったり、強かったり、頼もしかったりします。当然また、逆に、思う以上に弱かったり、ずるかったりもします。そんな日常の素の部分で垣間見られるこどもたちの姿をしっかりと見て、個々に応じた関わりをしていってほしいと思います。 だいだらぼっちはこどもも大人も、「1年間家族という仲間になって、共に暮らす」ということを決意してきた者が集まって、暮らすことに挑戦していく場です。誰かが何かを教えてくれる場でもなければ、誰かが責任を取ってくれる場でもありません。1年間の暮らしを自分たちで創りあげる楽しさと大変さを体感してほしいと思います。 そして、ぜひ、「腹をくくって」この1年の暮らしをこどもと共に創りあげる楽しさを味わってほしいと思います。 |
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11月あしも研修報告 | ||
みんなで思案した11月暦 月初めにだいだらぼっちでは「月暦」というものをとります。学校行事や個人の予定を書き出したら、やらなければいけない事とやりたい事を出して、今月はどういうふうにみんなで過ごそうか、と予定を練ります。11月は月末に祭りが控え、12月には穴窯も控え、毎週の休日はもちろん、平日も準備で大忙し。でもやりたいこともいっぱいある、遊びたい!という気持ちもおさえきれません。「じゃあどうする?」とみんなで考えます。自分のやりたい事はもちろん、仲間のやりたい事がどうやったら実現できるだろう?とみんな真剣に考えます。日程的に難しそうならば「なんとかここで薪作業がんばって、この日空けられないかな?」という意見が出たり、「先にこれを終わらせておくから、この日行ってもいい?」とお願いがあったりします。共通して言えるのは『自分で時間を生み出す』ということ。やりたいもののために頑張るということ。仲間のチャレンジと頑張りを応援するということ。こども達のこういう姿は本当にすごいなあと思わされます。 芸能発表会に参加して 6月ごろから村の太鼓教室に通っているのですが、先日その発表会がありました。演目は2曲。でも私はまだ覚えていないので、きちんと叩いたのは1曲でした。間違えることもありましたが、楽しかったです。大学のゼミで『町おこし』について考えることがあり、私も非常に興味のあるテーマなので、こうして村の方々と関われる場をもてたことは嬉しかったです。外からの人を集めて活性化することではなく、元々のそこに住む人々が活力を取り戻して生き生きする事が本当の『活性化』だと私は思っています。だいだらぼっちがある「田本地区」は地域の行事も多く、おじいちゃんおばあちゃんもとても元気です。その気概はどこから生まれているのか、生まれてくるのか、本当に興味深く、是非機会があれば村の色々なところに行って、顔を出してお話が出来たらいいなあと思っています。太鼓の練習も頑張りたいです。 だいだらぼっちまつり ![]() □ 研修担当のってぃーのふりかえり ![]() また、村の人たちと関わっていく場面が増え、村の行事にも積極的に参加していくことで、村の人たちの暮らしも身近なものになっていったようです。厳しい山村の暮らしをその知恵と気持ちで乗り越えてきた人々のことを知り、交流していくことで、あしもにとって新たな学びと、楽しみが増えて、嬉しく思います。 だいだらぼっちの日常の中、村の暮らしと関わっていく中に、色んな学びや発見がたくさんあります。それに気づくか気づかないかは自分次第です。ぜひ残りの日々を大切に、小さな学びを見逃さず、チャレンジしていってほしいなと思います。あしも、最後まで一緒に頑張っていきましょう!! |
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12月あしも研修報告 | ||
待ちに待った穴窯 ![]() 薪の暮らしの原点、山仕事 ![]() これからに向けて ![]() □ 研修担当かおるこのふりかえり ![]() だいだらぼっちで暮らす時間も、残り2ヶ月となりました。そこで私は、「あしもだったら、どんなだいだらぼっちにしていきたい?」という質問をしました。すると、「あいさつをする暮らし」という答えが返ってきました。 「ありがとう」「ごめんね」「お願いします」「ちょっと時間に遅れちゃう!」など、ちょっとした「あいさつ」をきちんとすることが、人と関わること、自分を表現すること、相手の気持ちを理解することに繋がるのではないかということを話してくれました。そして、あいさつをすることで相手の気持ちに「気づく」ようになり、それを積み重ねることで、「相手への気遣い」に変わっていくのではないかということを感じているようです。そうやって、人ときちんと関わる、相手のことを想いやることのできる、優しい暮らしを創っていきたいのだと話してくれました。 そんな暮らしを創るために、あしもがこれから2ヶ月頑張ることは?と質問すると、「自分がきちんとあいさつをする」ということと同時に、「こどもたちが自分からあいさつができるようにサポートすること」を頑張ると答えてくれました。自分がどうなりたいのか?どうしていきたいのか?をきちんと自分に問いかけて、「じゃあ、それを実現するためにはどうしたら良いのか?」を考えることはとても大切なことです。 あしもが自分の考えたことを実行に移し、3月にこの研修が終わる頃には「目標を達成できた」と実感できるよう、私もサポートしていきたいと思います。 2011年度のメンバーで暮らせるのは、泣いても笑っても残りあと2ヶ月。この2ヶ月を大切に、丁寧に、そして多くの学びを得られるように、暮らしの中で精一杯こどもたちと、そして自分自身と向き合ってほしいと思います。がんばれあしも!! |
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1月あしも研修報告 | ||
こどもたちとのかかわり 毎日こどもたち全員と関わるように意識しよう、と1月はひそかに思っていました。16人もいるだいだらぼっちのこどもたち。はじめは大変かなあと思いましたが、意識してみると案外普通に関わっているもんだなと気づきました。学校から帰ってきたこどもに「おかえりー」と声をかけるところから始まって、夕飯を食べてお風呂に入って、「おやすみなさい」と各自が部屋に帰っていくまで。『16人も』いると思っていましたが『16人しか』いないのだと実感しました。それでも1日に1人と関われる時間を考えればごくわずか。あと少しだからこそ、1人1人との関わりを大切にしていきたいです。 だいだらぼっちの「家」という考え方と「こどもを預かる責任」のバランス ![]() どこまで任せていいのか、どこまで任せられるのかの見極めはとても難しいです。その子との日常のコミュニケーションの中でその幅が大きく変わってきます。自分の力量によっても、どこまでさせてあげられるかが違います。こどもたちの活動を広げることには自分の幅を広げることも大切なのだなあと改めて思います。そういったこととは別に「こどもを預かる責任」が常にあります。ポイントを押さえ忘れないこと。見えないところでセーフティネットを張っておく意識は重要です。だいだらぼっちの「家」という雰囲気の中で薄くなってしまうこともありますが、常にこのことを胸に留めてすごしたいと思います。 残りの期間に向けて ![]() □ 研修担当なおみちのふりかえり ![]() だいだらぼっちの相談員は「暮らし」と「仕事」が背中合わせであり、そのバランスの難しさも感じているあしもですが、それこそが生きる面白さでもあり、自分の腕のみせどころだということにも、気がついています。経験してきたことの全てを自分の力に変え、前を向く強さが備わってきました。 私たちは、他人同士が寄り集まって1年間を約束した「家族」です。でも、他人は他人です。では、こどもの暮らしや育ちに責任をもつのは誰なのでしょう。自分の人生に責任をもつのは自分自身であると、私は思います。その心を育てることが、私たち関わる大人の役割だと考えています。一方で、そばで一緒に暮らし、直接的に命を守る役割は重い責任ではありますが、これは表裏一体のもので体の一部のようなものです。それは、家でもよそでも変わらないものであり、そばにいる大人として担わなければならないものだと思います。自分がどうこどもを守っていくのかを考え、動いていくことはあしもの言うとおり「責任」を考える大切なことです。 しかしまた、こども一人ひとりの今後の人生を思う時、私は家族・他人・預けている側・預かっている側といった立場を越え、人として関わる「覚悟」を持っていたいと思います。人生の大切なこども時代に関われることの幸せをかみしめて、あしもらしい愛あふれる先生になってください。ずっと応援しています。 |
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2月あしも研修報告 | ||
登り窯を終えて ![]() 登り窯の感想はとにかく面白かったです。何が面白かったのかというと、自分たちで考えてそれを実行してみることが第一、やってみたことで良い結果が出てさらに面白くなります。私は小学校の理科の勉強をしていたこともあって、窯の温度を上げるためにどうするか考えるときに、酸素量、薪の量、燠の様子や煙突の様子など一つ一つに理科が深くかかわっていることがとても魅力的でした。理科離れといわれていますが、やはり生活に密接にかかわっているものだと思うし、こども達にこの面白さを伝えたい、と強く思いました。 また、同じ現象を見てもそれぞれとらえ方や、表現の仕方、そこからの考え方が全然違うことも面白かったです。「炎がごーとなったとき」「炎が下からふおーって出てきてて」窯の中の様子を見て薪を入れるタイミングをはかります。その表現も人それぞれ。一緒に炎を見て「これ!これがごーってかんじ!」と共有できて初めて伝わります。まさに百聞は一見にしかず。でもきっと本当は窯だけじゃなくて、色々な場面で伝わりきっていないことって多いはずです。自分の考えを人に伝える、人の考えを受け取るってことは大変だけど、とても大事なことだと思います。窯焚きでは小さな気づきもみんなで大切にして考えます。「登り窯」を通して改めて「話すこと」の大切さを感じました。 ![]() 2月の後半にワークショップがありました。何を気にすることもなく、参加者になって生活を楽しむことができたのがよかったです。ほかの参加者のみんなが普通に当たり前に接してくれるのがとても新鮮でした。ワークショップではまずカルチャーショックの連続でした。キャンプで相談員さんたちと話す中で、泰阜の生活が自分の中に消化されていることは感じていましたが、ワークショップはいつも自分が暮らしている場所での生活だったこともあって、いつもの「あたりまえ」 ![]() □ 研修担当ぱるのふりかえり ![]() また登り窯を「理科」の視点から捉え、「この面白さを伝えたい!」と実感したことは、ものの見方、価値観が変わる大きなきっかけとなったのではないでしょうか。私も、焚き火で焼き物を焼く野焼きを初めて体験した後、縄文土器を見て、これまで何の興味も疑問も沸かなかったところが、「どうやってこんな大きなものを見事に焼き上げたんだろう!」と縄文人の技術に感動した瞬間を鮮明に覚えています。今学校で学んでいる「知識」は、実は目に見えていなくとも生活に深く関わり、必要だからこそ学んでいるのですが、結果的に導き出された、完成された「答え」だけを学ぶ学習では、面白みも何もありません。体験から学んだ人自身が、自分の言葉で語って初めて、その熱意を通して本質がこどもに伝わるのです。「ホンモノの面白さ」を体感したあしもだからこそ伝えられることを、将来伝えていってほしいと思います。 またワークショップでは、これまでの10ヶ月が「こどもを支える」縁の下の力持ち的な役割だったところから、一参加者として参加し、同世代の仲間と語り合ったことで、新鮮な発見が多々あったようです。体験からの学びは、人に話して言葉に落とされることで、次につながる強みとなります。なぜなら、言語化されることで明確なものとなり、自信が持てたり、外に発信できたりして、それがまたさらなる学びを得ることにつながるからです。 3月は締めくくりの時期。貪欲に体験しつつ、それらを言葉に落とし、次につなげる足がかりを、少しずつ自分で形にしていってほしいと思います。そうすることで、新たなるステージに登れるはずです!一緒にがんばっていきましょう! |
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3月あしも研修報告 | ||
全く実感がないまま引継ぎ会と解散へ ![]() 一年間の最後に思ったことは、本当に自分たちのやってきたことがこどもたちにも出るんだなあということです。「こどもは親の鏡」とよく言いますが、それだけこどもたちも周りの環境を大人たちをよく見て吸収しているのだろうと思います。一挙一動が直結することもあれば、雰囲気から伝わることもあったでしょう。だからこそ「大人」という立場の私たちがこどもたちと接するときには難しさやある程度の責任があるし、それが同時に面白さにもなるのだと考えます。教育実習やバイトで言われてきたことがやっとつながり、大きな気づきになりました。 あっというまの1年間 〜4月からを振り返って〜 ![]() ![]() 4月から始まって、3月なんて想像もつかない遠いことだったはずが、気がついたら夏休みが終わり、冬休みが終わり、あっという間に引き継ぎ会でした。過ぎていった1年はあっという間でしたが、一つ一つを振り返ると一1年間に収まりきらないほど濃い毎日でした。 まだまだ1年間の学びは私の中に堆積しているだけで、私自身が気づいていないこともたくさんあります。これから地元に帰りますが、少しずつこの学びを整理し、いずれはこども達に社会に還元していきたいです。最初は不安もありましたが、参加してよかったです。1年間たくさんの方々にお世話になりました。ありがとうございました。 □ 研修担当しんのふりかえり ![]() キャンプの際、学生ボランティアがこどもたちのトラブルにぶつかると「こんな時、どうすればいいですか?」と困惑して聞いてきます。「自分自身が正しいと思うことをやってみて」と私は答えるようにしています。結局はどんな大学で学ぼうと、教員免許をとろうと、教え方や手法がこどもを育てられるわけではありません。その人自身の「人間力」しかないのです。 だいだらぼっちという暮らしを共にし、良いことも悪いことも共有する生活では、一緒に暮らす仲間や大人の「人となり」がすべて現れてきます。このことを気づいたあしもは、きっと私たち大人の心がこどもたちに表れていることを感じてきたのだと思います。結局、伝え方や話し方ではない。大人の生き様なんだと。 「あっという間の一年」と「当たり前の日常」。一年間、16名のこどもたちと暮らすこと、田んぼや畑、薪の暮らし、陶芸で自分の食器を作ること、自然とつながる山村の暮らし…。東京での暮らしと見比べれば、ありえない出来事に驚きと発見の連続だったものも、一年という時間を重ねれば、「当たり前」になってしまいます。しかし元の生活に戻った時に、この「当たり前」が実は当たり前でなかったと知覚し、きっとこの一年の意味や学びが明確に言霊となって、あしもに語りかけてくるのだと思います。 人は人として完成することはありません。毎日の暮らしと経験から学び続けようとする姿勢が「人間力」を育てます。この一年を足掛かりに、さらにさらに人として大きく成長していってほしいと願っています。あしも、一年間本当にありがとう、そしていってらっしゃい! |
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育成プロジェクト TOP | ||
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* 問い合わせ・連絡先 * 〒399−1801 長野県下伊那郡泰阜村6342-2 TEL:0260-25-2172 FAX:0260-25-2850 e-mail camp@greenwood.or.jp |