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代表だいちのGREENWOODコラム


2020年7月1日
Y-Cafe 〜いつでも立ち寄れる場があるという安心感〜



今年の6月からCafeをオープンした。Yは「やすおか」のY。そして「ワイワイ」のY。
の、つもりだ(笑)

毎週火・木のランチの時間だけ開店だ。この1か月、実際には誰もお客さんは来ない(笑)。店長?の私や、うちのスタッフたちが、画面の前でコーヒーを飲んだりギターを弾いたりと、ただの昼休みの風景が繰り返されているだけ。それでいいのが、このCafeだ。

Y-Cafeとは、とりあえず大学生のためにオープンしたものだ。ZOOM(オンライン会議室)の部屋をただ開けておく。立ち寄り自由・入退室自由のカフェ的な時空間だ。風景や鳥のさえずりをBGM的に視聴しながらお昼ご飯を食べる。NPOの実態に興味がある人がのぞく。
学生同士のおしゃべりや情報交換など。自由に使ってもらってOK。もちろん、そこには教員である私:辻がいる。だから質問や相談などのオフィスアワー的な使い方もできる。カメラやマイクをオンにしなくてもOK。私に用件がある人は、話しかけてくれてもいいし、チャットでもLINEでもやりとり可能。そんな使われ方をイメージしていた。


さて1か月が経過した。Y-Cafeは、コロナで行き場がない学生のための気軽なカフェ空間でもある。カメラもオンにせず、マイクもオンにしなくても、ただそこに参加してくる学生もいた。それでいい。学生によっては積極的に何かを話す人もいる。私に用件がある学生もいた。6月の前半の火・木のお昼休み、信州の風景をずっと流していた。私もずっとそこにいたわけではないので、ふらっと入室してすぐ出ていった学生もいるかもしれない。でも誰も来なかったかも(笑)

梅雨で雨が降り続く日は、屋内でオープン。そうしたら、無言の学生が入ってきた。スタッフがギターを弾いたり、アクリルたわしを作ったり、こちらの昼食の会話が丸聞こえ(笑)
無言の学生も反応ボタンを押していた。

7月に入る前後では、なんだか少しずつアクセスしてくる人が増えてきた。私が授業を受け持つ大学の学生だけではない。暮らしの学校「だいだらぼっち」の卒業生が「久しぶりー」と入ってくるときもある。彼らも大学生だ。確実に昼に開いているものだから、大学のオンライン授業に呼ぶゲストの方と打ち合わせにも使っている。学生にとってみれば、いきなり弁護士や猟師が私と話しているのだから驚くかもしれない。でも、現実のCafeや喫茶店って、そういうものだ。

このCafeが「ワイワイ」「ガヤガヤ」となることはないと想う。それでもいい。行き場を失い続ける学生さんたちに「いつでも立ち寄れる場がある」という安心感を与えるだけでもいい。気が向いたら、どうぞアクセスしてもらえれば(ZOOMのURL教えます)。

私も自由な昼の時間を過ごすつもりでいる。今日も画面の前で、うまいコーヒーを飲んでギターを弾こう。
 代表 辻だいち




2020年6月1日
自然と人間の共生 〜オンライン授業だからこそ〜



立教大学で春学期(前期)の授業が始まった。「自然と人間の共生」という授業だ。この授業を受け持つようになってから9年の月日が流れた。東日本大震災が発生した時にこの授業を受け持ち始めたのだから、ということは震災から9年ということになる。自然と人間との関係がどうあるべきか? そんなことを「考える」授業が、震災と同時に始まったとは、運命かもしれない。

大学からお願いされた時は、正直迷ったのも事実。なにせ交通へき地の泰阜村は、東京往復に10時間もかかる。1コマ1時間30分ほどのために、本当に10時間もかけて毎週通うのか? 悩む自分の背中を押してくれたのは、信州泰阜村の教育力だった。自然と向きあって生き抜いてきた村のびとびとの暮らし。その暮らしにこそ教育力がある、と信じて27年間、教育活動を続けてきた。この教育力を、若い学生たちにも伝えたい。その想いが「よし、やるか!」と想わせたのだろう。

そして今年。コロナウィルス感染症のため、ご多分に漏れずこの授業も完全オンライン化された。ウィルスもまた自然。ウィルスとの共存を前向きにとらえる局面に入りつつある今、10年目を迎える「自然と人間の共生」の授業を今年もまた受け持つことができるのは、これまた運命なのかもしれない。

ただ、オンライン授業は、いつもと勝手が違う。学生に直接語りかけることができないのは、拍子抜けだ。オンラインなんかでこの信州泰阜村の教育力を伝えることはまず不可能だろう。これは苦しい授業運営になる。と、想っていた。いや、「できない理由」を必死で考えていた、ということかもしれない。

いざオンライン授業をやってみる。ツールはなんとかそろえた。この泰阜村のネット環境は、絶望的に弱い。それでもなんとかなる。いや、それどころか、学生にリアルな泰阜村の自然や暮らしの営みを、そのまま見せることができる。時折、ネットの接続が切れる。少し待つと、200人の学生の顔が復帰してくる。苦笑いだ。しかし、これもまた山村の実情だ。大学の教室でそれをいくら語ったところでなかなか伝わらないことが、一瞬で伝わる。

せっかく山村から生配信なんだから、外に出ないほうがもったいない。信州の山々を見せる。初夏の風のそよぎや鳥の声が、まさにLIVEで学生に届く。その説得力は、私の拙い言葉をはるかに凌駕する。そして、私の講義を以前聞いた学生からはこんな反応もある。「都市部の教室で聞いた時より、はるかに迫力がありました」そうなのかもしれない。私の本拠地なのだから当たり前か。

この9年間は、私の本拠地を離れ、往復10時間もかけてアウェイで話をしていたということになる。今、本拠地の土の上で、太陽の光を浴びて、谷渡る風を受けながら「自然と人間の共生」の話をしている。学生と話ができないのは残念だが、それを補ってあまりあるほどの圧倒的な自然のリアリティを学生に届けることができている。

これまではなかなか東京まで連れていけなかった、この村に息づくひとびと。今度、村最奥の限界集落に住む古老に、オンライン授業のゲストに登壇してもらう。東京まで6時間もかかる限界集落から、なんとLIVEで授業をする。今までは、そんなこと想いもつかなかったし、想ったとしてもやろうともしなかっただろう。泰阜村長にもゲストで登壇してもらう予定だ。彼らは、本拠地の土に立ち、どんな話をしてくれるのだろうか。学生よりワクワクしているのは、私かもしれない。

自然と向きあって生き抜いてきた村のびとびとの暮らし。その暮らしの教育力を、若い学生たちに伝えたい。きっとこの授業を受けてくれた学生たちに、直に会うことはないだろう。それでも私は、伝えることをあきらめない。オンラインだからといって、できない理由を探している場合じゃない。渾身の想いを込めて、毎週PCの前に立とう。
 代表 辻だいち




2020年3月6日
方向感覚を研ぎ澄ませ 〜今こそ、学び合う時なのだ〜



新型コロナウイルス問題で、日本中が右往左往している。それは、「どこに向かえばいいのか?」という“方向感覚”を失っているかのようだ。この状況に際し、私の考えを示したい。少々難しい言葉や概念が記されるがお許しいただきたい。

今は、疑心暗鬼が世の中を覆いつくすハイリスクな事態だ。元来、リスクを高く認知する傾向があるのは、小さいこども母親や妊婦などの脆弱性の高いグループ(社会的弱者層)だ。しかし、そのようなひとびとは、残念ながら正確な情報を得る機会が少なく、政策の意思決定から疎外される割合が高い。その疎外された状況から方向感覚を失い、再びリスク感知が高まるという悪循環が起こる。

今の日本は、まさにこの悪循環に陥っている。社会的弱者だけではなく、国民が総出で方向感覚を失っているように感じる。オールジャパンで「どこに行けばいいの?」状態だ。

「不確実性」が増しているのだ。新型コロナウィルスそのものが「不確実性」ということではない。「不確実性」とは、「これまで信頼されてきた外部システム(権威など)の崩壊」を指す。
日本政府がまさにこの外部システムにぴったり当てはまる。正確な情報を出さないから対応が後手後手になり、情報を出したとしても「それ本当なの?」と国民から疑われてしまう政府は、すでに崩壊している。国民は、「政府の権威」をとうの昔に見限っているのだ。
国民を守るよりも政権を守ることを優先するためにあらゆる手段を駆使する政治家や官僚の姿を、この数年間目の当たりにすればそれは当然の帰結かもしれない。

しかし市井のひとびとはこのような状況の時、ただ茫然と立ち尽くしているわけではない。市民は不確実性が増すとき、つまり「これまで信頼されてきた外部システムが崩壊」したとき、「内部の確実性」を創る動きを起こす(※1)。それは本能的なまでに。
内部とは「地域」であったり、「仲間」であったり、「正しい情報で判断するネットワーク」であったりする。そしてその確実性とは「信頼による学習活動の連続」なのだ。

この場合の「信頼」とは、“権威への信頼”ではなく、自律的に意思決定をしようとする“市民のつながり”のようなものだろう。市民による「自律的な学びの連続」が、これからどっちの方向に進めばいいのかという「方向性の知」を生み出す。

方向性の知(※2)とは、「不完全で不確実な状況においても無力感に陥らず、そこから問題解決に向けて最大限の有効な情報を引き出し方向感覚の様に次の行動指針を自ら作り出すことのできる能力」を指す。少々難しい言葉だが、よく読めば「そうそう、それそれ!」と納得できる内容だろう。

似たような状況は、歴史上いくつもあった。直近で2つ記す。

チェルノブイリ原発事故が起こった1986年のドイツ。「不確実な状況」すなわち、原発事故後に正しい放射能情報が政府から出されず、何を信じていいのか国民が混乱している状況だ。つまり「これまで信頼されてきた外部システムの崩壊」だ。市民は放射能を測定し分析する学習プロセスを通して「方向性の知」を獲得した。(※3)

そして、2011年の東日本大震災。記憶に新しいが、この時も「不確実な状況」が生まれた。市民が“絆”によって自律的に復興に向かっていった。その真ん中に、自ら情報を集め学び合う“学びの連続”があった。

さて、話を戻して今の日本。新型コロナウイルスに立ち向かう状況は、「不確実な状況」そのものだろう。目を覆うような後手後手の政府の対応は、その不確実性をさらに深刻にしている。

自戒を込めて世に問いたい。今、私たちは、無力感に陥っていないか。今、最大限の有効な情報を、正しく集めているか。今、次の行動指針を、自ら創りだしているか。

今後、どうなるかわからない「不確実な状況」。今こそ、内部の確実性を自ら創る時だ。今こそ、“信頼による学び”の連続を起こそう。今こそ、自ら責任ある行動をとろう。心の底からそう想う。


こんなに自然豊かな泰阜村でも休校になった。臨時の学童保育が実施され、若手スタッフが全面協力している。NPOグリーンウッドがやるべきことは、足元の泰阜村のこどもの「学びと育ち」を支えることだ。
そして、休校に伴い、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちもまた行き場を失い、今、一日中母屋にいる。20人の小中学生が寝食を共にする暮らしの学校は、事実上の学童保育であり、普通に考えればハイリスクの場だ。それを承知のうえで、予定通り3月下旬まで活動を続ける決断をした。

それは、こどもたちに「方向性の知」を培ってほしいと強く願うからだ。「不完全で不確実な状況においても無力感に陥らず、そこから問題解決に向けて最大限の有効な情報を引き出し方向感覚の様に次の行動指針を自ら作り出すことのできる能力」を、獲得してほしいと強く願うからだ。いや、昨年4月〜今年2月まで11か月、こどもたちはこの「知」を獲得する暮らしを送ってきたはずだ。だからこそ、今、このような状況の中でも、こどもたちは自律的な暮らしを送ることができている。暮らしの学校のこどもたちは、決して不憫ではない。孤立もしていなければ、引きこもってもいない。方向性の知を発揮し、日本で一番、自律した毎日を送っているともいえる。

こどもたちと共に、改めて世に問う。今、私たちは、無力感に陥っていないか。今、最大限の有効な情報を、正しく集めているか。今、次の行動指針を、自ら創りだしているか。

今後、どうなるかわからない「不確実な状況」。今こそ、内部の確実性を自ら創る時だ。今こそ、“信頼による学び”の連続を起こそう。今こそ、自ら責任ある行動をとろう。

方向感覚を研ぎ澄ませ。「方向性の知」を生み出すときは、今、なのだ。



※1)理論社会学者:ニクラス・ルーマン
※2)Evers.A and H.Nowtony. Uber den Umgang mit Unsicherhrit. Die Entdeckung der Gestaltbarkeit von Geselschft.Erankfurt: Suhrkamp,1987.
※3)教育学者:ゲルハルト・デ・ハーン
 代表 辻だいち




2019年10月1日
次は金メダル! 〜養老孟司氏からオーライニッポン大賞の表彰を受ける〜



ここ2〜3年、養老孟司氏と一緒になる機会が多い。環境省の委員会で委員同志だったので、年に3回ほどか。私にはちんぷんかんぷんな話をされる時もあるが、でもやっぱり話の内容が実に奥が深い。また聴きたい、と心底想う人である。そんな養老孟司氏から、表彰状を渡される機会をいただいた。ちょっと前の話になるがおつきあいいただきたい。

オーライ!ニッポン大賞。オーライ!!ニッポンとは「都市と農山漁村を人々が活発に「往来」し、双方の生活文化を楽しむことで、日本が元気になる「all right(健全)」になることを表現したものです。オーライ!ニッポン会議は、農林漁業体験や田舎暮らしなど都市と農山漁村を行き交う新たなライフスタイルを広め、それぞれの地域の住む皆さんがお互いの地域の魅力を分かち合い、「人、モノ、情報」の行き来を活発にすることで、日本再生を目指します」ということだ。そして、顕著な成果を出している団体・個人を表彰するのが、オーライ!ニッポン大賞である。

今年、NPOグリーンウッドは銀メダル相当の「オーライ!ニッポン大賞」を受賞した。30数年にわたる「教育を通した山村と都市の交流」を高く評価されてのことだ。東京で挙行された授賞式には、泰阜村の田本区住民や都市側の支援者である暮らしの学校「だいだらぼっち」関係者、山賊キャンプ関係者、大学関係者などにも同行いただき、一緒に分かち合った。

そして「惜しくもグランプリを逃した」らしい。受賞式やその後の交流会の公式の挨拶では、審査委員や主催団体専務理事から「僅差で逃したがグランプリを最後まで争ったのはNPOグリーンウッド」と最大限の評価をいただいた。山村都市交流だけではなく、本質的な教育への挑戦、へき地のど真ん中でのNPO経営、教育を中心とした地域づくりなど、33年も前にその取り組みを始めた先見性もまた高い評価を受けた。

率直にたいへんうれしく、身も引き締まる思いである。実は10年前に、オーライ!ニッポン大賞の銅メダル相当である「審査委員会長賞」をいただいた。10年経ってやっと銀メダルに到達。ということは、10年後には・・・。まさに地を這うような歩み方が、私たちらしい。

NPOグリーンウッドは、確かにこれら分野の先駆者だった。多くの困難に直面しながらも、目の前に道を切り拓いてきた日々。あきらめずに、33年間継続してきた日本でも稀有な事例だと自負している。「拓く」とは何も新しいことを始めることだけを指さない。継続することは、実は「拓く」ことでもある。誰も取り組んでこなかったこの活動を、明日へ明後日へと続けることが、先駆者であり続けることだと確信している。

時代が変わろうとしている今、私たちもまたその変化を前に進む推進力に変換していきたいと考える。新しいステージを切り拓き、常に時代の先駆者であり続ける。そんなNPOグリーンウッドを目指したい。

そんな熱い想いを胸に秘め、表彰状をいただいた。それを知ってか知らずか、養老孟司氏はニヤリと笑った。次に会えるときには、もうひとまわり成長した姿を見せたいと想う。
次は金メダルだな(笑)
 代表 辻だいち




2019年8月15日
正しいことほど強いものはない



国民的人気の世襲議員と才色兼備のキャスターが結婚するという。このこと自体はとてもめでたい話だし、祝福したい。とはいえ、それを首相官邸で生中継することには違和感はぬぐえない。「祝福はするけどなぜこのタイミングとその場所で発表?」と、多くの国民が感じていることではないかと私は想う。

どうもこの類のニュースは、権力にとって都合が悪いタイミングで発表される。この6年は、その傾向が顕著になってきている。”何か隠したいことがあるんじゃないか”、”今回はいったい何があるんだろう”と想っていた矢先。いわゆる森友事件で財務省幹部たちが不起訴となり、捜査終結だというニュースが入った。福島第一原発の汚染水タンクがあと3年で一杯になってしまう、というニュースも。

やっぱりな。

おそらく報道各社は、これらの案件を掘り下げて紹介することは少なく、冒頭の結婚話題の方に誌面や時間を割き続けるのだろう。他にも国民に知ってほしくない案件が、ひっそりと新聞の片隅にあったのかもしれない。

断わっておくが、上記はあくまで私が想っていることである。当然のことながら、政権にとって都合の悪いことを隠すために、国民から目をそらすために、芸能人や著名人の話題をリークする、ということに因果関係が認めらているわけではない。それでも「やっぱりな」と疑ってしまう自分がいる。そんな自分自身も情けないのだが。でも、そう想ってしまうのは私だけではないはずだ。国民をこのような思考回路に陥らせてしまったとすれば、今の政権は実に罪深い。

一方で森友問題そのものについては”誰がどうみてもダメでしょこの人たち”と想う。
皆さんはどう想のだろうか? この財務省の人たちがやったことは不問に付されていいのだろうか。きっと多くの国民が「?」と想っているはずだ。同じく、福島第一原発の汚染水がもう限界にきているのに有効な手立てが打てず、それでいてオリンピックは大丈夫だと言い切るこの国は、それこそ”大丈夫なのだろうか”。そう想う国民も多いはずだ。でも、これら国民が「?」と想うことが正当性を持つ道は、すでにこの国にはなくなってしまった。

品格が感じられない最高権力者夫妻とそのお友達。正しさをねじ曲げて、命を懸けて彼らを守り抜こうとする官僚。国民に対して背を向けて、追随する国会と司法。都合の悪いことはなかったことや偽造しちゃう大臣、覚せい剤に手を染める官僚、年金は払えないけど戦闘機は買っちゃう政権、そして真実を語っているのか疑わしい報道…。茶番を超えて無力感漂う滑稽な場面を、国民は見せつけられ続けた。ウソを言い続けて開き直る場面を、こどもたちは見せつけられ続けた。アメリカに媚びへつらいながら、隣国や沖縄にはどえらい剣幕で対峙する場面を、世界中のひとびとが見せつけられ続けた。

この国いったい、いつの時代のどんな体制の国なのか。いったい、誰を守ろうとしているのかこの国は。「強いものが正しくなってしまう」今の日本社会。とりわけこの6年は、その傾向がひたひたと進んできたと肌で感じる。いや、違う、違う。「正しいことが本当は強いんだ」そんな当たり前の社会をめざそう、という想いは、なぜ権力者たちに届かないのだろう。

NPOグリーンウッドのミッションは「自律のひとづくり」だ。言葉を補えば「違いを認め合い支え合いつつ、自ら責任ある行動をとれる人づくり」。こんなミッションを掲げること自体がバカらしくなるような日本の体たらく。それでもあきらめてはいけない。自ら責任ある行動をとれるひとを創る。正しいことほど強いものはないと、胸を張れるひとを創る。信州こども山賊キャンプや暮らしの学校「だいだらぼっち」などの事業を通して、私たちは30数年、そんなひとを育んできたと自負している。

私は何度でも発信する。教育者のはしくれとして、子どもに胸を張れる大人でありたい。政治家と、官僚と、司法のひとたちよ。三権に携わる人のはしくれとして、お願いだから、子どもに胸を張れる大人であってほしい。信州の山奥から、心の底から願う。2019年8月15日、夏の日に。
 代表 辻だいち




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