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代表だいちのGREENWOODコラム


2019年6月1日
国全体で子を育てる政策へ 山村留学の今とこれから 本質は「不便さの学習」



 日本農業新聞に「山村留学の今とこれから」というテーマで大きく紹介された。というか原稿を自ら執筆した。32年の経験をもとに、独自の視点で論じている。最後に記した「提案」は、私の夢でもある。ウエブサイトでは紹介されなかったため、記事の書き起こしで以下に紹介したい。

日本農業新聞
現場からの農村学教室 116
テーマ 山村留学の今とこれから

NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター 代表理事 辻英之
国全体で子を育む政策へ

〇ポイント
1.過疎地域再生の中心
2.全国で参加者が激減
3.刹那的な移住策と訣別
4.本質は「不便さ」の学習
 
長野県泰阜村。人口わずか1600人の山村だ。今なお国道も信号もコンビニもない。産業も廃れ、若者の流出で疲弊しきった山村を、再生する切り札など存在しないかのようだ。そんな村の住民にとって、「村の自然環境が教育≠ノよい」と考えるNPOが1年間の「山村留学」を実施すること(1986年)は、到底理解できないことだった。
 当時はIターンやNPOという概念がまだ市民権を得ていない。しかも森林や田畑などの自然を資本にしたなりわいを諦めつつあった村民にとって、彼らは「招かれざるヨソ者」だった。しかし今、この「山村留学」は社会的事業に成長した。小さな村にあって20人弱の若者を雇用するNPOは「優秀な大企業」だ。スタッフは村に居住し、結婚して家庭も持つ。自治会や消防団など、地域を支える組織の担い手としての期待にも応えた。
 ヨソモノの動きに呼応して、村の有志がNPOを立ち上げて民宿や農家レストランの運営を始めた。さらに、子どもの週末や放課後の体験活動を支える仕組みや、大学生や若者夫婦が自然や民家で学ぶ仕組みなど、自主的な活動が組織化され始めている。
 このような「自律」への取り組みに刺激され、若者のU・Iターンが増えて(ここ7年間で114人)青年団まで復活した。「山村留学」の卒業生がIターンで村に定住する現象(Sターン)も始まり、村に3つあった限界集落は消滅しつつある。「山村留学」が地域再生の中心に位置付き、疲弊しきった山村に希望の灯がともりつつある。

 ここで「山村留学」を整理しておく。山村留学は1976年に長野県八坂村(現大町市八坂)において公益財団法人育てる会によって生み出された。都市部のこどもが1年間村に住んで学校に通いながら、自然豊かな環境の中でさまざまな体験をする。高度経済成長の陰で生きる力を失う子どもへの危機感も相まって、全国的なブームとなる。
 しかし全国で860人の参加があった2004年度を境に参加者は激減している(2017年度は562人)。急激に衰退した要因には、少子化や自治体合併、学校統廃合などが挙げられる。しかしそれは表面的なものに過ぎない。筆者はその本質的な要因を、地域再生に顕著な成果を生み出している冒頭の泰阜村の事例から、独自の視点でひもといていく。

 泰阜村の山村留学はNPOグリーンウッドが独立採算で運営している。全国から集う子ども(20名ほど)が、1年間の共同生活を営みつつ村の小中学校へと通う。子どもが食事、や風呂たき、掃除、洗濯など、暮らしの一切を手掛けていく。
 「困ったときはお互い様。みんなで解決する」という村の「寄り合い」の風習を、そのままいかした子ども主導の暮らし。ストーブや風呂の燃料はすべて村の里山から間伐したまき。田んぼや畑でお米や野菜を育て基本的な食材は確保し、敷地内の手作りの登り窯で焼いた食器でご飯を食べる。暮らしのあらゆる部分に、村の地域力や教育力を生かすことを30年間揺るぎなく続けてきた。
 ブームにもなった山村留学の裏側には、実は「便利さ」のサービス合戦があった。個室で冷暖房完備、食事や洗濯、掃除まで大人がやってくれるという、家よりも便利な山村留学事例が相次いだ。なぜそうなってしまったのだろうか。
 答えは簡単だ。児童減少に悩む自治体が、「山村留学」を「学びの政策」から「刹那的な移住政策」に変質させてしまったからだ。小・中学校の存続を掛けて、手っ取り早く子どもを移住させる。それが山村留学になってしまった。4月1日に児童生徒が何人この地域に「移住」してきたのか、その数字が大事なのだ。子どもがその地域に来た時点でゴール。その後はまさに「お客さま」。便利さや価格の安さを売りにして都市部の子どもを獲得しようとした。
 山村において都市部より便利な暮らしをするという構造的な自己矛盾。都市部の親子の支持を瞬く間に失い、多くは継続難に陥っていった。
 これに対して泰阜村の山村留学では、子どもが1年間暮らしていく中で「面倒くさいことが楽しいんだ」とつぶやくようになる。その言葉にハッとさせられる。そもそも、自然体験や暮らしは「不便なもの」だ。換言すれば「思い通りにならない」ということになる。その「思い通りにならない不便さ」こそが学びの土台になるのだ。山村留学は、山村の「不便さ」いう土台で学ぶからこそ山村留学なのだ。泰阜村はその本質を貫き通したから成功しているといえる。
 残念ながら山村留学は、都市部の子ども健全育成という当初の理念とは裏腹に、常に山村側の自己都合で進められてきた。断言しよう。村の子ども減少を都市部の子どもで補填(ほてん)するという「刹那的な移住政策」と決別しなければ、今後の山村留学の普及や発展はない。

 最後にせんえつながら山村留学が発展するための提案をしたい。複数の小さな地域(農山漁村)同志がネットワークを構築し、それぞれの子どもを一斉に交換留学させるという提案だ。交換だから「おらが村」の子どもの数は増えない。しかし1年間、さまざまな地域の生活を体験した子どもが自らの地域を見つめる眼を養って本拠地に帰ると想えばおつりがくる。留学に係る経費は、子どもを送り出す地域(自治体)が負担する。送り出す責任と受け入れる責任を、それぞれの地域が同時に負う仕組みを全国的に創る。義務教育9年の間に1年間、希望した子どもは他地域で留学ができる。「かわいい子には旅させろ」を政策化するということである。
 山村留学は、「刹那的な移住政策」と決別し、オールジャパンで子どもを育てるダイナミックな政策として展開する時期に来ている。根本から問い直すべきだ。山村で山村留学をする本質とは何なのかを。

つじひでゆき 1970年福井県生まれ。人口1600人の泰阜村に移住して25年。「何もない村」における「教育」の産業化に成功した。NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター代表理事、青森大学客員教授など努める他、「泰阜村総合戦略推進官」として「教育立村」の実現に向けて奔走する


オールジャパンで子どもを育てる政策、一緒にやりませんか。
 代表 辻だいち




2019年3月1日
村には人を育てる「力」がある 〜毎日新聞ウェブサイトで紹介された〜


毎日新聞のウェブサイトで私のことが紹介された。「毎日フォーラム」という政策誌の中の「あしたの日本へ」という特集で。「村には人を育てる“力”がある」というテーマだ。

先日、東京の毎日新聞本社で取材を受けた。本格的なカメラマンも同席していて「こんな格好で来るんじゃなかった」とちょっぴり想ったけれど、さりとてどんな格好で来るんだ?と考え直す。まあしょうがない。言いたいことや夢をずいぶんと語った。取材時間は1時間半。わかったことは、夢を語るには1時間半では足りないということだ。

以下に転記するのでぜひご笑覧いただきたい。



村には人を育てる「力」がある


長野県泰阜村のNPO法人グリーンウッド自然体験教育センターは、親元を離れて村の小学校に通う「暮らしの学校だいだらぼっち」や「山賊キャンプ」を通して、子どもたちの「生きる力」を養っている。若い世代が人口約1600人の村に集い、「教育」を基軸に据えた地方創生戦略としても注目されている。大学卒業と同時にこの活動に飛び込んだ代表理事の辻英之さんに、活動の歩みと次世代を担う子どもたちを育てる「地域の力」について、語ってもらった。(聞き手・本谷夏樹)


−−大学は北海道。ハンドボール部の主将だったそうですね。

辻さん 中学からずっとやっていました。自然が好きで、当時の知床ナショナルトラスト運動にひかれて、あえてだれも知り合いのいない北大に進学しました。部活の合間を縫ってバイクで道内を巡りましたが、自分が将来、例えば国立公園のレンジャーになるよりも、自然を大事にする人を育てる仕事の方が向いていると思い、教育学部を選びました。所属したのは体育方法論のゼミでした。走ったり投げたりする能力だけで評価すれば体育ぎらいの子どもを増やすだけで、それよりも運動が苦手な子どもにも体を動かすことの喜びを感じてもらうことが重要だ、ということを学びました。

−−いろいろな子どもがいます。

辻さん 優劣を競う運動部とは違う評価の基準で、弱者の立場に立つという考えは今の活動につながっています。さらに、ボランティアで児童養護施設の児童生徒の家庭教師をした経験が大きかったです。さまざまな家庭の事情で入ってきて、学力が低く、大人への信頼感もない子が多く、とても衝撃的でした。部活は4年生秋の全日本インカレまで続き、就職活動は全くしていませんでした。勉強もしていなかったし、このような状態で教員として社会に出てはいけないのではないかと思っていました。

−−「だいだらぼっち」との出合いは。

辻さん たまたまアウトドア関係の雑誌で「スタッフ募集」の記事が目に入り、4年生の6月ごろ、教育実習で福井県に帰った折に立ち寄って活動の様子を見学して大変感銘を受けました。9月ごろ、当時の「ダイダラボッチ協会」代表の村上忠明さんに「学歴はいらない。大学を中退してでも入りたい」などと生意気なことを書いた手紙を出したら、村上さんからは「そんないいかげんな者はいらない。せめて卒業してから来なさい」と諭されました。とても温情のあるアドバイスをいただき、それで部活を引退した秋以降に何とか論文を書き上げて卒業し、1993年4月に泰阜村へ行きました。

−−どのような仕事でしたか。

辻さん 都市部の子どもたちが山村で共同生活をしながら学ぶ活動(山村留学)は、今NPOの会長をしていただいている梶さち子さんが86年に始めました。僕が入った頃はまだ任意団体で、財政的に困窮していて運営の継続が危ぶまれていました。スタッフが少なかったので最初から山村留学やキャンプの企画運営の責任を負いました。月給は6万円で、遅配が続く時もありましたが、子どもたちと共同生活をしていたのでお金を使う必要がなく、なんとか生活できました。少しずつ貯金して、5年後に北海道で中学教師をしていた今の妻を呼び寄せて結婚しました。NPO法人の財政担当してもらっています。

−−村の人との関わりは。

辻さん 99年に文部省(当時)が「生きる力」を育成する「こども長期自然体験村」という事業を打ち出し、我々の活動実績もあって泰阜村が手を挙げました。村全体で25人からなる実行委員会を立ち上げ、アマゴ養殖で成功した実績のある木下藤恒さんに委員長になってもらいました。ところが木下さんは、我々若造の活動に関わるのは不本意だったようで「子どものことなど分からん」と、当初は乗り気ではなかったのです。
二十数人の子どもたちが村内で2週間暮らし、川で魚を触ったり、炭焼きをしたり、ブルーベリーを摘んだりと、地元のおじさん、おばさんと交流しました。終わった後、木下さんが「生まれ変わったら教師になりたい」と言い出したのです。子どもたちは口々に「水がきれい」「星がきれい」「食べものがおいしい」と言って感激してくれたのに、木下さんたちの世代は自分の子どもたちに村のいいところを何も教えずに都会に出してしまった、と反省したのだそうです。今78歳になる木下さんは、僕が非常勤講師をしている立教大学で若い学生に村の生活を語っていただいています。

−−村の人たちの意識も変わった。

辻さん 毎年夏と冬の山賊キャンプには1000人以上の子どもたちが集まり、「だいだらぼっち」では十数人は1年間、村の小中学校に通います。食材のほとんどは、地元の農家から買い取ります。子どもたちは食事の後、農家を訪れて「とてもおいしかったです」と感謝します。そうすると、農家はより安全な作物を作ろうと、自ずと農薬と化学肥料を減らして手をかけて栽培するというサイクルが回り出しています。子どもたちから大きな刺激を受けているのです。

−−このキャンプはアジアにも広がっています。

辻さん 村上さんが代表理事で僕が副代表理事のNPO法人「こどもたちのアジア連合」が主催しています。2001年から中国、韓国、北朝鮮、モンゴル、極東ロシアの環日本海6カ国の子どもたちが毎年それぞれの国に集まって1週間のキャンプをしています。今年は10月に中国・大連で開きました。公用語は開催国の言語にしていますが、子どもたちは身ぶり手ぶりで仲良く一緒に料理したり、すぐにコミュニケーションができるようになります。この交流が北東アジアの平和の礎になってくれることを期待しています。

−−地域にとってますます重要な活動ですね。

辻さん ボランティアの大学生たちも村で学び合う「泰阜ひとねる大学」を昨年立ち上げました。将来的には泰阜村に本物の大学を作りたいと強く思い、現在準備を進めています。また、国内の山村留学も、長野県内などから参加する子もいるなど、以前のような都会と田舎の二元的な関係ではなくなってきました。これからは、泰阜村の子どもたちを他の地域に留学させて、外から自分たちの村の良さを感じてほしいと思っています。国内で10地域程度が協働してお互いの子どもたちを交換するオールジャパンの仕組みを作れないかとも思っています。もちろんその向こうには、オールアジアでの仕組みのステージも夢みています。ブーメランのように、子どもたちを強い力で押し出してやれば、大きく育って戻ってきてくれると思います。そのような人材還流が、長い目でみて人を育てる「地域の力」を持続させていくことにつながるのではないでしょうか。



つじ・ひでゆき 1970年福井県生まれ。93年北海道大教育学部卒、「ダイダラボッチ協会」入り。2001年「NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター」設立。09年代表理事。現在、長野県泰阜村総合戦略推進官。青森大客員教授。立教大、名古屋短大、飯田女子短大の各非常勤講師。NPO法人こどもたちのアジア連合副代表理事・事務局長。著書「奇跡のむらの物語〜1000人の子どもが限界集落を救う〜」(農文協)など。
 代表 辻だいち




2018年8月1日
それは私が本気になったからだ 〜オールジャパンでこどもを育てる夢をカタチにする〜


ここ2年の講演履歴を振り返ってみた。まずは開催場所。大学の講義は東京や名古屋など都市部が多い。しかし講演は、明らかに地方が多い。福井、山口、石川、島根、高知、長崎、広島、京都、兵庫、栃木、熊本などなど。どこも豊富な自然資源や文化歴史資源がある。それらをどう活かして次の地域を創っていくのか。そしてそれを担う人を育てていくのか。日本全国の地域が抱える、ある意味普遍的な課題でもある。そのような地域から最近、お呼びがかかっている。

最近の講演のテーマ・演題は「『ひとづくり×地域づくり』の素敵な未来」というものが多い。その地域が持つ教育力をカタチにできれば、素敵な地域になっていく、というものだ。私にとっては、泰阜村における30年の実践を語っているだけに過ぎないことなのだが、聴衆の反応はすこぶる良い。そんな講演の場では、最後に私の夢を改めて語ることにしている。

その夢とは、私の住む泰阜村の子どもを、他の地域に留学させることだ。暮らしの学校「だいだらぼっち」は30年かけて、500人以上の卒業生を輩出してきた。「だいだらぼっち」の一年の成果は、子どもたちが自分の本拠地(家族のいるところ)に戻ってこそ発揮される。一年間の山村での暮らしが、その後の生活や周囲との人間関係、地域に生かされる。それを30年見続けてきた。

ならば、なぜ私は泰阜村の子どもこそ、一年間「違う場所」へ留学させないのか。私は「一年間の旅をさせることが、その子どもの人生に大きな成果を与える」と信じている。だからこそ、「泰阜村の子どもこそ留学させるべきではないのか」と考えるのだ。小中学生のうち、留学を希望する子どもには、一年間だけ行政が経費負担をする。もちろん希望しない子どもがいてもよい。留学制度は、あくまで自主的・自発的な判断が必要で、行政はその自主性を経済的に支援するべきというのが私の考えだ。

ただし、「違う場所」といってもどこでもいいわけではない。趣旨に賛同する地域が連携・協働する。たえば海のある漁村、大平原の農村、絶海の孤島、都市部だっていい。もちろん、国外の地域でもかまわない。10箇所の地域が趣旨に賛同すれば、その地域間で交換留学が可能だ。泰阜村の子どもは、一人は北海道、一人は島根県、もう一人は沖縄の離島。その替わりに泰阜村に来る子どもは、四国から一人、福島から一人、富山から一人というように。

この考え方は、日本の教育行政の考え方を根底から覆す。義務教育9年間に、希望する子どもは一年間だけ国内交換留学ができる。そんな大胆な教育行政は、おそらく国主導では進まない。責任を持つ覚悟のある小さな地域同士が、県境を越えて教育の質を高めるために協働する。小さな地域が発揮する教育力をもっともっと束にしよう。小さな村の教育力を、オールジャパンで発揮させようではないか。

1年という期間がネックであれば、まずは3日とか1週間からでもかまわない。オールジャパンでこどもを育てようという夢だ。こどもたちだけではなく、いずれNPOスタッフ同士、役場職員同士、教員同士、猟師同志、農家同士などなど、夢は広がる。

こんな私の呼びかけに、聴衆はどよめく。ちょっと昔なら「何バカな事言ってるの?」という感じだったが、最近は違う。「ぜひ実現させてみたい」というどよめきだ。時代が動いていることを強く感じる。

いや、違うな。時代が変わったからではない。それは私が本気になったからだ。この10年、この夢を描いてきた。でも、どこかあいまいな、煮え切らない態度だったのだと、自分でも想う。今、私は本気である。腹を据えるからこそ、周囲に共感者が増えるのだ。夢を本気で語るからこそ、仲間が増える。

日本中にそんな仲間が増え始めた。今年度、まずは鹿児島の離島:与論町とその構想を実現化する動きを創る。やるといったらやる。その強い想いを胸に秘め、次の地でもまた夢を語ろう。仲間探しの旅は続く。皆さんも、一緒にやりませんか。
 代表 辻だいち




2018年5月1日
 それが私の使命 〜小さき弱い山村の地から、自律の人を創る〜


 日本海の海を見つめている。ここは若狭小浜。若くして亡くなった姉の一周忌で福井県に来ている。

 私の実家は、大飯原発から10キロ圏内。再稼働された高浜原発や、美浜原発からも20キロ圏内には軽くおさまる。地元では原発について声をあげにくいものだ。立地自治体の財政は、6割が原発交付金でまかなわれている状況をみれば、それはやむなしだろう。

 それでも私は、若狭小浜にルーツを持つ人間として言いたい。

 どうしてこの国は、小さき弱い立場の人々や地域を、ここまで犠牲にし続けるのだろうか。あれだけ地方を痛めつけておきながら、その反省や総括もしないままに、今さら地方創生か、と「いい加減にしてくれ」と叫びたくなる。そう想ったのもつかの間、秘密保護法、安保法制に、沖縄辺野古、原発再稼働、改憲に共謀罪。そして、権力者夫妻を必死で守るために、公文書改ざんセクハラなど目を覆うばかりの行政・政治の信頼失墜。

 次から次へと、世界が壊れていく。モノ言えぬ社会が迫りくる。国外で武力行使をすることが積極的平和だという社会が迫りくる。命よりも経済を優先する社会が迫りくる。

 この国は、ハンセン病という、人を人としてみなさない歴史があった。今も、もしかするとそんな時代になってきてしまっているのではないか。国民を国民としてみなさずに、権力者が暴走する社会になってはいないか。

 壊れる社会を止めようもない。あふれる想いを止めようもない。流れる涙を止めようもない。何が私にできるというのか。それでも、それでも、背一杯、生きていきたい。

 一人一人が大事にされる社会を、小さき弱きひとびとや地域が犠牲にならない社会を、そんな社会を創る「ひと」を創らなければならない、ほんとにそう感じる。小さき弱い山村の地から、自律のひとを創る。私にはそれしかできない。そしてそれが私の使命である。
 代表 辻だいち




2018年4月1日
 つくづくこの村の教育力に感動する 〜ハイブリッドな役割を産み出してくれた〜


 改めて、私の新しい一年の挑戦を紹介したい。泰阜村は、「教育」をど真ん中に据えた村づくりを展開することによって、次の時代を生き残っていくつもりだ。世のため人のために行動を起こせる人材を輩出し続ける村。そんな戦略を進めるために、私は一昨年度から「泰阜村総合戦略推進官」を拝命されている。

 私に期待されているのは、「教育立村」の土台作り。観光でもない、企業誘致でもない、「学び」によって自律的な地域になるための戦略作りと、その着実な実行を期待されている。村からの給料はゼロ。私の方から「いらない」と言った。お金よりも自由度がほしい。
「私のようなNPO実践者を庁舎の中に置いておくよりは、野に放った方が良い成果を出せる」という訴えを、この村は受け入れてくれた。まあ、実際は、勝手に名乗っているだけだが(笑)

 村とNPOのハイブリッドな人材を、この地域が産み出してくれた。つくづく泰阜村の教育力に感動する。そのおかげで、ここ1〜2年は縦横無尽に動けている。私はNPO代表理事として全国を駆け巡るが、同時にその言動には村の政策実現の責任も伴うことにもなる。それを重荷に感じるのか、可能性と感じるのかは大違いだ。

 少なくとも私は、このハイブリッドな立場を「可能性」として捉え、小さな村が教育によって自律するための方策を日々考えている。今年の一年は、私にとって大きな意味を持つ変化や挑戦の1年になると勝手に想っている。
 代表 辻だいち




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