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2016年8月9日 「未来を生きるこどもたちに何を語るのか 〜ナガサキの日に想う〜」
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今日は長崎の日。11時2分に、静かに黙祷した。昨年は、長崎にも広島にも足を踏み入れた。平和公園に佇み、澄んだ真っ青な空をみあげた。そして大地を踏みしめ、あの時を想った。
今日の黙祷は、信州泰阜村の大地を踏みしめていた。信州といえども襲ってくる猛暑の空は、どこまでも青い。71年前のあの時も、そうだったのかも、と、想いはめぐる。
泰阜村は、満蒙開拓、植林、減反、自治体合併・・・、常に国策に翻弄されてきた村だ。それが、生産性がない(経済的尺度ではの話ですが)と切り捨てられてきた小さな山村の現状である。
そして、福島のこどもたちも、沖縄に暮らす人々も、そして市井の人々も、いま、国策に翻弄され続けている。戦後71年、この国は世界的な軍事貢献を厭わない「普通の国」になろうとしている。しかし、国が強くなろうとするとき、そして国が大きな危機に直面するとき、常に犠牲になるのはより弱いものだ。
戦争の本質は、「より弱いものが犠牲になる負の連鎖」だろう。11時2分の黙祷は、けっして長崎原爆で命を絶たれた人びとへの想いだけではないだろう。熊本地震で被災した人びとへの想い。東日本大震災で犠牲になった人びとへの想い。声を上げても上げても政府に届かないとあきらめが支配しそうな怒りに満ちた沖縄の人々の想い。
そして、いままた繰り返される「負の連鎖」におそれおののく弱い立場の人びとや地域へ、もう一度想いをめぐらす契機にならなければならないと、強く思う。
熊本のこどもが、福島の高校生が、そして全国のこどもたちが、未来に不安を背負って、それでも泰阜村で元気に遊んでいる。彼らの未来をどう考えるのか、彼らの未来を私たち大人がどう語るのか、それが試されている。
山賊キャンプは折り返し点を迎えた。すでに400人くらいのこどもたちが、泰阜村で短期間とはいえ暮らした。このキャンプで、私たちはこどもたちに伝え続ける。
小さな力を信じること。支え合って生き抜くこと。それをあきらめないこと。
全国のみなさん、8月から改めて考えてはどうか。未来を生きるこどもたちに、「より弱いものが犠牲になる負の連鎖」を断ち切るために、何を語ることができるのか。黙祷をしながら、そんなことを強く想う。 |
代表 辻だいち |
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2016年7月1日
「教育者のはしくれとして 〜子どもたちに胸を張れる大人でありたい〜」
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今年は、熊本地震で被災したこどもたちを、信州こども山賊キャンプに招待する。この詳細は後のコラムにて記したい。打ち合わせや説明会などで訪れた大雨の熊本から、夏の沖縄に来た。
まずは屋我地島にあるハンセン病療養所「愛楽園」を訪ねた。沖縄に来たら必ず立ち寄る施設だ。療養所と言うが、要は国策による隔離施設である。若い人にはピンと来ないかもしれない。ピンと来なくても、ぜひ調べてほしいと想う。
米寿を迎えた糸数敦子さんとは20年来の知り合いである。もう沖縄のお母さんのようなものだ。本当は、6月23日の「沖縄慰霊の日」に来たかったんだけれども、それは叶わず。ハンセン病問題は、つまりは差別政策、人権無視の政策である。人間を人間として扱わない政策と歴史がこの世にあった。それに向き合わずして、未来を語れるのか。教育を語れるのか。そんな思いで足を運ぶ。
療養所がある浜の前には長大な橋がかかる。沖縄のベストドライブコースとして富に有名で、渋滞するほどの車が行き交う。でも、その橋の袂(たもと)に、ハンセン病の療養所があることを知っている人が、どれだけいるんだろうか。今、日本は危うい、と本当に想う。
「愛楽園」を後にして、向かったのは世界自然遺産候補の沖縄やんばる。「ヤンバルクイナ」「イボイモリ」「リュウキュウヤマガメ」・・・、飛び出し注意の看板が違う。固有種の存在と生物多様性。この地に生まれ育った人々と、この地に集まってきた外の人々がチャンプルーになる。この地に通ってもう、14年ほど経つ。琉球の自然が産み出す価値と文化、そして自己決定権を発揮しようとせめぎあう人々に学ぶことは多い。
6月20日の琉球新報を手に入れた。米兵による女性暴行致死に講義する県民大会の様子が掲載されている。日本の本土と違う、凄まじいまでの怒りの渦だ。私が2歳の時に日本に復帰した沖縄。でも、その後44年、本当に復帰できているのか。改めて想う。今、日本は本当に危ういと。
子どもたちや若者を、戦場に行かせるわけにはいかない。自分たちの事は自分たちで決める権利を、手離すわけにはいかない。私たちの暮らしが、いつの間にか誰かの手の中に存在してしまうことを許すわけにはいかない。信州の山奥から、心の底から平和な世界を願う。
教育者のはしくれとして、子どもに胸を張れる大人でありたい。 |
代表 辻だいち |
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2016年6月8日 「今はやりのアクティブラーニング?」
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私は、立教大学で授業を持ち、毎週毎週東京に通っている。往復10時間だから楽な仕事ではない。今年は、昨年から1コマ増えて、2つの授業を担当することになった。
ひとつは、東日本大震災の年から続く「自然と人間の共生」という授業である。自然と共存しながら生き抜いてきた泰阜村のひとびとの営みや、被災地で復興に立ち向かう人々から、今後あるべき自然と人間の関係のあり方を考える授業である。今期は、履修者300名。
そして今年から始まった授業は「大学での学び・社会での学び」という授業。大学生になったばかりの1年生に、立教大学ではどのような学びがあるのか、その「学び方」を学ぶ授業である。特に、立教が今年から力を入れている「サービスラーニング(社会貢献を通した学び」の一環の授業であり、私に求められているのは、教室の外の学びを強調しつつ、教室内の学びを融合させていくというものだ。とりわけは、地域社会からの学びをリクエストされている。今期は、受講生190人。
どちらの授業とも、大人数の授業である。最近は、アクティブラーニング(能動型の授業)が何かとはやりで、大学授業にも導入をと騒がれている。しかし、われわれの世界、すなわち自然体験教育や環境教育、ESD(持続可能な開発のための教育)では、そんな手法はもう20年以上前から導入してきている。それを今は「アクティブラーニング」と言うだけだと思っている。
しかし、100人を超える大人数の授業では、なかなか参加型の運営はやりにくい。確かにそうだが、それはそのスタイルをあきらめる理由にはならない。4月からの毎週毎週の授業の試行錯誤を経て、ようやく、学びとはどうあるべきかについて、学生同士が活発な議論を交わすような授業になってきた。190人という大人数の授業でも、参加型の運営にチャレンジである。 |
代表 辻だいち |
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2016年5月18日 「そんな大学もあっていい 〜小学生が大学生を教える?〜」
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この週末、泰阜村がちょっとした大学になった。山梨県の小さな町の公立大学、都留文科大学から14人の学生が来た。旧知の高田研先生のゼミ生たちである。
彼らは、まずは「自然学校」の現場を見ることが目的だということ。到着した後、NPOグリーンウッドのスタッフから事業概要と施設案内を受ける。その間、私は高田先生とコーヒーを飲みながら、情報と意見を交換。暮らしの学校「だいだらぼっち」の母屋は、創設者のカニ(梶さん)ともゆっくりと話せるし、こどもたちもちょっかいを出してくる。豊かな時間と空間だと改めて想う。
学生たちは、施設案内を受けた後、五右衛門風呂焚きや夕食つくり。ここでは小学生のこどもたちの方が、暮らしのレベルもスキルも高い。なので、こどもたちが学生たちの先生である。そんな大学もおもしろいかもしれない。
夜は、学生たちとNPOグリーンウッドのスタッフがおおいに懇親を深めた。実はわれわれスタッフの中にも、都留文科大学の学生がいる。休学して参加しているクマちゃんである。今年の1年間教員養成プロジェクトに参加している。正確にはスタッフではないのだが、一緒に暮らしているので家族なようなものだ。やはり良い縁は、紡がれていくものだ。
翌日も午前中は、草刈や畑仕事を手伝ってくれたようだ。小さな集落に生きるためには、草刈は必須である。村の人々は見ている。たとえ30年たったとしても、われわれヨソモノが、どのような立ち居振る舞いをするのかを。どれだけ素晴らしい教育活動をしていても、敷地周りの草刈りをきちんとしていなければ、村民としての評価は低い。そんなことも、学生さん、少しはわかってくれたかもしれない。
今回は、1泊2日ということだったので、視察見学に毛が生えたようなプログラムだった。2泊とか3泊だと本格的に教育目標を設定したプログラムを、大学と一緒に創る事業も行っている。そして、泰阜村自体が高等教育機関になるという構想も動き始めた。泰阜ひとねる大学構想。ひとねるとは、「育てる」という意味の泰阜村の方言である。
14人が泰阜村を後にした3日後の5月18日。今度は私が、都留文科大学の公開セミナーに招へいされた。泰阜村の取り組みを、環境教育やESD(持続可能な開発のための教育)という切り口で話をする。週末に泰阜村を訪れた学生たちも聴講しに来てくれた。
このような何度も往復のある双方向性の学びと育ちを、泰阜村と大学の協働が可能にしている。単なるサテライトキャンパスではない。泰阜ひとねる大学として、既存大学と協働する。泰阜村の教育力が発揮される日は近い。さて、どうなるか。 |
代表 辻だいち |
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2016年4月1日
「かんこうする 〜自律の訓え、魂の教えを今こそ次世代に〜」
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