NPO法人 グリーンウッド自然体験教育センター
代表だいちのGREENWOODコラム


2008年6月18日
『東北の地震に想うこと』

 東北地方で大地震が起こりました。その映像を見て絶句しました。報道でよく出てくる倒壊した「駒の湯温泉」のある「耕英」地区に、知り合いがいるからでした。グリーンウッドと同じような自然学校団体です。くりこま高原自然学校といいます。泰阜村のようなへき地に根を張り、とても魅力的な活動を展開されてきました。数年前にグリーンウッドで働いていた「との」は、その自然学校からグリーンウッドに来たのです。
 自然学校のスタッフとそこで山村留学をしている子ども達は全員無事とのことでした。安心しましたが、長期戦になるであろう山の麓での避難生活では、様々な困難が待ち構えていると思います。16日に所用で羽田から札幌に移動したのですが、その飛行機の窓からはっきりと栗駒山の被災地の様子が見えました。胸が痛みます。
グリーンウッドでは、阪神大震災では疎開児童を3人、3年間預かりました。参加費用は泰阜村が災害支援という形で負担しました。中越地震では、雪かきボランティアをした後、長岡の子ども達と同時期に豪雨水害で被災した福井の子ども達、翌年に、自然の猛威におびえきった子ども達にもう一度自然のすばらしさを伝えたい、と、中越地震と福井豪雨で被災した子ども達を泰阜村に招待して自然体験キャンプを実施しました。今、被災地に行くことだけが支援ではないでしょう。長期化しそうな状況に対して、グリーンウッドができる支援というものを考えていきたいと思います。
 そして6月18日は北陸の福井にいます。一晩だけ実家に帰りました。福井という土地も昔からなぜか災害の多い土地です。昭和21年に市街地のほぼ全域を消失した戦災。その復興ままならぬ昭和23年6月28日に、福井地震は発生。死者は3700人を出し、阪神大震災までの最悪の震災でした。この福井地震を機会に気象庁に震度7が設定され、その震度7が初めて適用されたのが阪神大震災でした。福井地震当時の話を周りの老人に聞くと、「地割れが起こり、その地割れに人がたくさん落ちて、揺れの中で地割れが閉じた」そうです。まったくSF小説の世界です。その3ヵ月後に、今度は市街地を流れる九頭竜川が決壊し、大水害に見舞われたそうです。
 その後も、昭和39年豪雪、昭和56年豪雪、平成に入ってからは重油タンカー事故、記憶に新しい平成16年の福井豪雨水害。昭和20年代の3度の壊滅状況から立ち直った街として「不死鳥の街」と言われ、その後の災害からも次々と立ち直ってきています。その福井にいて想います。「あきらめない」ということを、私はこの街から学んだのだということを。
 東北の栗駒山の小さな集落が、壊滅状態に陥っています。そこには私たちの仲間がいます。同じようなへき地で生き抜いている者として、「あきらめない」という想いを何らかの形で、届けたいと想っています。     
(事務局長 辻だいち)




2008年5月31日
『すてきな大人たち』

 先日、NPOグリーンウッド代表理事の村上と二人でラジオを聞いてると、パーソナリティーが「今の子どもたちに欠けているものは?」とゲストに質問していた。ゲストたちは「礼儀だ」「いや忍耐ではないか」「いやいや常識やマナーだろう」などいろいろ答えていたが、それを聞いた村上は「違う違う、そんなんじゃない」とつぶやいた。私も同感。
 私たちは想う。「今の子どもたちに欠けているもの」、それは「すてきな大人の存在」だ。
 前回のこのコラムでは、「子どもたちの自立自営のコミュニティー」を再構築すること、つまり自然体験・生活体験教育プログラムを提供することが私たち大人たちの責任だと述べた。ここで大事なことは、私たち大人がどのようにこのコミュニティーに関わるのか、ということだ。子どもたちによる自立自営のコミュニティーというのは、子どもたちの論理を尊重するあまり「野放し」にしておくということではない。かといって、「過保護・過干渉」では本末転倒だ。
 私たち大人が手をつないで輪になる、その輪の中がこのコミュニティーだとしよう。大人はコミュニティーが輪の外になしくずしに崩れていかないように「大人の縦のベクトル」を機能させる、すなわち援助するのだ。この輪が大きいのか小さいのか、柔軟性があるのかないのか、どんな教育理念を持ちどんな形態なのかが、コミュニティーの質を決定づける。
 一昔前までは、地域社会自体がこの子供達のコミュニティーだった。きちんと輪を作って見守る大人たちが実は存在し、そしてきちんと怒ってくれた隣のおじいさんが存在していた。子どもは隠れてイタズラをしていたものだ。しかし、今や街を歩けば高校生が堂々とタバコを吸い、大人は殺されると思うのかだれも注意しない。最近日本各地で起きているこどもに関する多くの痛ましい事件は、大人の輪がどこか壊れていたのであり、ある意味「すてきな大人社会の欠如」がもたらした結果とも言えるだろう。
 この「大人の縦のベクトル」を機能させることこそが、子どもたちにとって必要なのであり、「子どもたちの横のベクトル」を円滑に機能させることになる。学校の教室の外に、こうした大人と子どもが相乗的成長を遂げることのできる場、すなわち「子どもたちの横のベクトル」と「大人の縦のベクトル」が有機的に機能する場を創り出すことが、まさに今の時代だからこそ必要なのではないだろうか。
 自然体験・生活体験活動は、この両ベクトルが有機的に機能する場となり得るものと確信している。しかしそれは、私たち大人次第である。すてきな大人にならなければ!

 この文章は、財団法人ハーモニーセンターさんからの依頼で執筆した原稿の原案その4です。私が常々考えていることです。また紹介したいと思います。 (事務局長 辻だいち)




2008年5月25日
『長男が教えてくれたもの 〜陸上大会を観て〜』

 小学校5年生の長男が、地区の陸上大会に出場しました。短距離より長距離が得意らしく、1000メートル走です。応援も悪くないと思い、家族で出かけました。
 あいにく雨がぱらつく天気でしたが、飯田市にある全天候型の陸上競技場は熱気にあふれていました。応援の親の姿がまた多い。私は中学から大学までハンドボールというマイナースポーツに打ち込み、地区大会、県大会、ブロック大会、全国大会と出場しましたが、一度も親が観に来てくれたことはありませんでした。その身からすると、親がたくさん応援に来ていることに新鮮な感覚を抱きます。まあ、私も応援している親なのですが。
 さて、長男の結果はというと、34人くらいの中で27番目くらいだったかな。順位はいまいちでしたが、自己記録を大きくうわまわるベスト記録を出しました。息子のその一生懸命な走りを見て、とても感動しました。小さいころから病気に悩まされたこともあり、その感動ひとしおです。一緒に出場した同じ学校の友達(暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どももそのうちの一人です)を応援する姿も実に清々しく感動しました。
 走り終えて戻ってきた長男の顔は疲れきっていましたが、充実感あふれる顔でした。まぶしい顔とはこういう顔のことをいうのでしょうね。あきらめないこと、ベストを尽くすこと、仲間を大事にすること・・・、親として息子に教えていこうと思っていたことを、長男から教えられたような気がします。いささか親バカのコラムでした。
(事務局長 辻だいち)




2008年5月14日
『ニオイで感じるものなのだ』

 秋田の帰り道?に山形と福島に立ち寄りました。山形は高畠町の有機農法グループであるたかはた共生塾の中川塾長と遠藤事務局長。遠藤事務局長とは9ヶ月ぶり、中川事務局長は1月に泰阜村で実施したへき地フォーラムにも参加してくれましたので4ヶ月ぶりの再会です。今の日本を漂う退廃的な雰囲気、あるいは合理的な雰囲気について、酒を酌み交わしながら意見交換しました。私よりも二周り以上年上の方々ですが、今の世の中を裁断する視点はまったく同じでした。うれしくなって私も飲みましたが、彼らの飲みっぷりはすさまじいかぎりでした。
 福島は、私がどうしても一度は行ってみたかった鮫川村。NPO法人あぶくまエヌエスネットの進士代表と三瓶副代表のもとに1泊2日で転がり込みました。泰阜村に住む私は、ちょっとやそっとのへき地では驚かなくなりましたが、進士さんの拠点には正直驚きました。へき地に根ざすこと、教育を中心にした地域づくり、食の安全性とその教育力など、夜遅くそして朝早くから話が尽きませんでした。彼らも私と一回り以上年上の方々ですが、同じ感覚を持っている、と、うれしさがこみ上げてきました。進士さんと三瓶さんの2人のコンビがまたなんともいえない味。お笑いもそうですし、山形でもそうでしたが2人がいいのかな。お互いの味を引き出して。
 話がそれました。人間は視覚や聴覚はだまされやすいのかもしれないな、と感じます。日本全国には、同じように見える、同じように聞こえるだけの実践があちこちにあります。でも、同じようなニオイの実践はあまりないかもしれない。少ないのかもしれませんが、同じニオイのする実践や人々を探してみたいものです。  (事務局長 辻だいち)




2008年5月12日
『秋田で同窓会 〜不思議な感覚〜』

 5月10日・11日と秋田県の大仙市という街に行ってきました。合併前は大曲市と言われていたところです。このコラムでも紹介したことがあるかと思いますが、大学時代に友人が冬山登山中に雪崩に巻き込まれてこの世を去りました。故人の出身地である大曲にお墓があります。機を見つけてはお墓参りに訪れていますが、今回は、故人を偲ぶことを目的とした大学時代のミニ同窓会となりました。
 秋田空港、秋田新幹線大曲駅で同期の友人たちと待ち合わせをして、お墓参り。その後、彼の実家に伺いました。親父さんが健在で、今回は厚かましくも、家に泊めていただくことになりました。仏壇の前でゆっくりと話をしたり、夕方から街に繰り出して秋田の地酒をいただきながら会食をして、夜中まで彼の話をするうちに、思い出すわ思い出すわ、故人と過ごした時代のたくさんのエピソードがまさに走馬灯のようにかけめぐりました。
 故人のおふくろさんは、実は37歳という若さで世を去っています。故人が11歳の時でした。私が今38歳、私の息子は今10歳。私でいえばちょうど今頃です。もし、この時に妻を失い、そしてその8年後に息子を失うとしたら、私は発狂するのではないかと思います。その時の親父さんの気持ちはいかほどだったのだろう。そう、親父さんの心情を推察するような年齢に、私自身がなってきているのです。それはつまり、友を失った苦しみや辛さに加えて、身内を失う激烈な苦しみや辛さの一端を感じられるように自分が変化してきたということです。その変化に不思議な感じを覚え、そして驚きを隠せない夜でした。
 翌日、親父さんは疲れている身体に鞭を打ち、私達を角館や田沢湖、乳頭温泉へと駆け足で案内してくれました。故人が短い人生を濃く生き抜いた秋田の地の魅力を、身体を張って私達に伝えるかのように。
 新緑と残雪のコントラストが美しい秋田の自然でした。  (事務局長 辻だいち)



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