こどもたちの暮らしの現場から

暮らしの学校「だいだらぼっち」の1学期が終わった。
コロナのこともあり、1学期間一度も親と直接会えなかったこどもたちもいる。
それぞれの家庭がある都市部は、今、危うい環境ではある。
それでも家族と一緒に過ごすことが一番だ。
感染対策をこれでもかというほどとりながら、こどもたちは無事家族のもとに帰った。

4月から7月の間、こどもたちの共同生活は、普通に考えればハイリスクな環境だった。
薄氷を踏む想いでこどもたちとの暮らしを続けてきたが、それはこどもと共に未来を語るためだ。
こどもに伝えることをあきらめないからだ。

最近は、コロナやオンラインの話題ばかりを記している気がする。
それは止めないし、止めることができない。
ただ、ぼちぼちと、こどもたちの暮らしの一面を紹介していこうと想う。

4月。
こどもたちの長い話し合いのすえに部屋割が決まる。
新しい2、3人の仲間とプライベートな空間・時間を共にする。
散らかる部屋、いつもきれいな部屋・・・。
当然のことながら部屋ごとにいろいろなドラマがあり、ルールが発生する。
そして、家ではいかに自分のことを他人がやっていたかと気づく。
部屋の掃除、洗濯、片づけ、お風呂の用意、着替えの確認、明日の学校の用意、急な弁当づくり・・・。
これまで人のせいにするプロフェッショナルだった子どもたちは、「自分で判断して自分で動く」ことをいきなり試される。
こどもたちが共同生活をする以上、そこには必ずルールが発生する。
「暮らしの学校:だいだらぼっち」では、個人を縛るあるいは規制するためのルールではなく、それぞれが気持ちよく暮らせるためのルールを考える。

4月の起床の時間を決める話し合い。
今年の話ではないが、たまたま手元にメモがあったので記す。

「朝早いと眠いから、遅くしよう」
小学生が発言した。
「部活の朝練があるから、それだと間に合わない」
中学生が応じて平行線になる。
「じゃあ、どうする?」
「別々に起きればいいんじゃない?」
「いや、やっぱり朝はみんなで顔を合わせようよ」
「・・・」
しばらく無言の時間が続く。

この時間が一番しんどいが、一番着陸点を考える時間でもある。
「夜にはやく寝られるようにみんなで努力しよう。そうすれば睡眠時間が確保できる」
先ほどの中学生が口を開いた。
「そうだね、中学生にあわせようか」
やはり平行線だった小学生が応じる。
そして、最後に小学生も、中学生も、起きられる子も起きられない子も、気持ちよく朝を過ごすことのできる(とみんなが考えた)時刻に決まった。
この後朝づくりのルール、食後の片づけのルール、食事作りに風呂焚きのルールなど、ひとつひとつ丁寧に話し合われていく。

大人が答えを出してしまえば10分で終わることを、あえてこどもたちが知恵を絞って1週間、1ヶ月、ときには1年かかって話し合い決めていく。
どうすれば自分だけがよければそれでいいという暮らしでなくなるのか?
どうすれば力を合わせられるのか?

自分のことを自分でやり、そして他人を思いやって暮らしていくのは、本当にむずかしい。
それでもこどもたちは、食後のミーティングで、「暮らしで困っていること」「明日の過ごし方」を話し合い、思い切り寄り道まわり道をしながら暮らしを進めていくのだ。

代表 辻だいち