方向感覚を研ぎ澄ませ ~今こそ、学び合う時なのだ~

新型コロナウイルス問題で、日本中が右往左往している。
それは、「どこに向かえばいいのか?」という“方向感覚”を失っているかのようだ。
この状況に際し、私の考えを示したい。
少々難しい言葉や概念が記されるがお許しいただきたい。

今は、疑心暗鬼が世の中を覆いつくすハイリスクな事態だ。
元来、リスクを高く認知する傾向があるのは、小さいこども母親や妊婦などの脆弱性の高いグループ(社会的弱者層)だ。
しかし、そのようなひとびとは、残念ながら正確な情報を得る機会が少なく、政策の意思決定から疎外される割合が高い。
その疎外された状況から方向感覚を失い、再びリスク感知が高まるという悪循環が起こる。

今の日本は、まさにこの悪循環に陥っている。
社会的弱者だけではなく、国民が総出で方向感覚を失っているように感じる。
オールジャパンで「どこに行けばいいの?」状態だ。

「不確実性」が増しているのだ。
新型コロナウィルスそのものが「不確実性」ということではない。
「不確実性」とは、「これまで信頼されてきた外部システム(権威など)の崩壊」を指す。
日本政府がまさにこの外部システムにぴったり当てはまる。
正確な情報を出さないから対応が後手後手になり、情報を出したとしても「それ本当なの?」と国民から疑われてしまう政府は、すでに崩壊している。
国民は、「政府の権威」をとうの昔に見限っているのだ。
国民を守るよりも政権を守ることを優先するためにあらゆる手段を駆使する政治家や官僚の姿を、この数年間目の当たりにすればそれは当然の帰結かもしれない。

しかし市井のひとびとはこのような状況の時、ただ茫然と立ち尽くしているわけではない。
市民は不確実性が増すとき、つまり「これまで信頼されてきた外部システムが崩壊」したとき、「内部の確実性」を創る動きを起こす(※1)。
それは本能的なまでに。
内部とは「地域」であったり、「仲間」であったり、「正しい情報で判断するネットワーク」であったりする。
そしてその確実性とは「信頼による学習活動の連続」なのだ。

この場合の「信頼」とは、“権威への信頼”ではなく、自律的に意思決定をしようとする“市民のつながり”のようなものだろう。
市民による「自律的な学びの連続」が、これからどっちの方向に進めばいいのかという「方向性の知」を生み出す。

方向性の知(※2)とは、「不完全で不確実な状況においても無力感に陥らず、そこから問題解決に向けて最大限の有効な情報を引き出し方向感覚の様に次の行動指針を自ら作り出すことのできる能力」を指す。
少々難しい言葉だが、よく読めば「そうそう、それそれ!」と納得できる内容だろう。

似たような状況は、歴史上いくつもあった。
直近で2つ記す。

チェルノブイリ原発事故が起こった1986年のドイツ。
「不確実な状況」すなわち、原発事故後に正しい放射能情報が政府から出されず、何を信じていいのか国民が混乱している状況だ。
つまり「これまで信頼されてきた外部システムの崩壊」だ。
市民は放射能を測定し分析する学習プロセスを通して「方向性の知」を獲得した。(※3)

そして、2011年の東日本大震災。
記憶に新しいが、この時も「不確実な状況」が生まれた。
市民が“絆”によって自律的に復興に向かっていった。
その真ん中に、自ら情報を集め学び合う“学びの連続”があった。

さて、話を戻して今の日本。
新型コロナウイルスに立ち向かう状況は、「不確実な状況」そのものだろう。
目を覆うような後手後手の政府の対応は、その不確実性をさらに深刻にしている。

自戒を込めて世に問いたい。
今、私たちは、無力感に陥っていないか。
今、最大限の有効な情報を、正しく集めているか。
今、次の行動指針を、自ら創りだしているか。

今後、どうなるかわからない「不確実な状況」。
今こそ、内部の確実性を自ら創る時だ。
今こそ、“信頼による学び”の連続を起こそう。
今こそ、自ら責任ある行動をとろう。

心の底からそう想う。

暮らしの学校「だいだらぼっち」の自律した暮らし

こんなに自然豊かな泰阜村でも休校になった。
臨時の学童保育が実施され、若手スタッフが全面協力している。
NPOグリーンウッドがやるべきことは、足元の泰阜村のこどもの「学びと育ち」を支えることだ。
そして、休校に伴い、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちもまた行き場を失い、今、一日中母屋にいる。
20人の小中学生が寝食を共にする暮らしの学校は、事実上の学童保育であり、普通に考えればハイリスクの場だ。
それを承知のうえで、予定通り3月下旬まで活動を続ける決断をした。

それは、こどもたちに「方向性の知」を培ってほしいと強く願うからだ。
「不完全で不確実な状況においても無力感に陥らず、そこから問題解決に向けて最大限の有効な情報を引き出し方向感覚の様に次の行動指針を自ら作り出すことのできる能力」を、獲得してほしいと強く願うからだ。
いや、昨年4月~今年2月まで11か月、こどもたちはこの「知」を獲得する暮らしを送ってきたはずだ。
だからこそ、今、このような状況の中でも、こどもたちは自律的な暮らしを送ることができている。
暮らしの学校のこどもたちは、決して不憫ではない。
孤立もしていなければ、引きこもってもいない。
方向性の知を発揮し、日本で一番、自律した毎日を送っているともいえる。

こどもたちと共に、改めて世に問う。
今、私たちは、無力感に陥っていないか。
今、最大限の有効な情報を、正しく集めているか。
今、次の行動指針を、自ら創りだしているか。

今後、どうなるかわからない「不確実な状況」。
今こそ、内部の確実性を自ら創る時だ。
今こそ、“信頼による学び”の連続を起こそう。
今こそ、自ら責任ある行動をとろう。

方向感覚を研ぎ澄ませ。
「方向性の知」を生み出すときは、今、なのだ。

代表 辻だいち

※1)理論社会学者:ニクラス・ルーマン
※2)Evers.A and H.Nowtony. Uber den Umgang mit Unsicherhrit. Die Entdeckung der Gestaltbarkeit von Geselschft.Erankfurt: Suhrkamp,1987.
※3)教育学者:ゲルハルト・デ・ハーン