だいだらぼっちの保護者インタビュー|栗山さん(1986年・1987年に長男が参加)

設立時の保護者が共通していたのは
こどもの意思を尊重するということでした

だいだらぼっちの卒業生、保護者にインタビューするこの企画。第3回は保護者の栗山さんです。なんとだいだらぼっち創設の1年目と2年目に長男を参加させていました。今回は福岡の森づくりの仲間を連れて、視察見学に合わせて来訪されました。

―参加した理由を教えて下さい

ずっとこども村のキャンプに参加させていて、本人が通年合宿に行きたいと言ったので、その意思を尊重したということです。

―当時の想い出を教えてください

だいだらぼっちを建てる前で、4人のこどもに3人の大人で手厚いなと。あとは何が始まるのかという期待。これから壮大な体験が待っていると思いました。

「だいだらぼっち」を建設するという目的もあって集まっていたので、当時は中垣外(なかがいと)という家を借りて住んでいました。とりあえず雨露はしのげるなと不安はなかったです。その中垣外に、参加させる4人のこどもの家族も集まって、これからだいだらぼっちが始まるにあたって、こどもを育てていて何を大切にしてきたかを話し合いました。その中で「こどもの意思を尊重する」という考え方はみんな同じだったので安心したのを覚えています。

だいだらぼっちが建ってからもまだまだ未完成で、(屋内なのに)ドラム缶で薪を燃やして暖を取っていたり、果たして寒い冬を乗り越えられるのか不安になったことや、いつ行ってもこどもたちと大人が車座になって話し合っている姿を思い出します。

―印象的だったことは?

だいだらぼっちに行く前に参加していた1ヵ月キャンプで、名古屋に迎えに行ったとき帰ってきた姿がものすごくて(笑)。千切れたサンダルを持って、靴は泥だらけで、手はススだらけ。たくさん楽しんできたんだなと思ったのと同時に、この後一緒に電車に乗って帰りたくない!と正直思いました(笑)。
でもその後知り合いの大学の先生にその話をすると、とてもうれしそうに聞いてくれて、「それは勲章だね」と言われたのは、だいだらぼっちに入れることや、このまま育てることの後押しになりました。

―こどもに与えただいだらぼっちの影響は?

だいだらぼっちもそうですが、作り出した経験は代えがたいものなのだと思います。あとは克己心を持ったなと。
だいだらぼっちに来てからギターにはまって、家に帰ってからもひと時も離さないくらい夢中になっていたのだけれど、ある時下の娘が「お兄ちゃんがギターを弾いていない」っていうんです。どうしたのか聞いてみると、行きたい大学に行くために受験が終わるまでは大好きなギターを弾かないと決めたとのこと。今自分が大事なことは何か?そのためにどうするのかを考えられるのだと感心しました。

だいだらぼっちでいろんな人に関わっているから思いやりはあると信じています。今、息子はミュンヘンで働いているのですが、たくさんの人に助けられたり、支え合ったりする中で、きっと活かされているのではないかと思います。
あとはどんなことをするのもハードルが低いなと感じます。チャレンジすることに躊躇しない姿勢はだいだらぼっちで培われました。

―今のだいだらぼっちを見ての感想を教えてください

完成した形があるなと思います。一方で(息子が参加していた当時の)何もないところから生み出していった経験は、代えがたいものだったと思います。今だいだらぼっちにいるこどもたちにも、作り出す、生み出す経験をしてほしいと願っています。

25周年や30周年記念には必ず来てくださっている栗山さん。それでもだいだらぼっちの中に入ったのは、随分久しぶりだったとのこと。今年は20名のこどもが、だいだらぼっちを引き継いで34年経った今も続いていることに感無量という様子でした。

開設当初はいつ終わってもおかしくなかったとおっしゃっていました。一方で、創設メンバーのかにさんやギックは、「当時の保護者の人たちのおかげで続けられた」と。栗山さんとお話しするかにさんやギックを見ていると、一緒に創り上げた戦友という雰囲気を感じます。参加者や預けた保護者、主催団体といった垣根を越えて、みんなが「主体者」であることで34年目の今があります。そしてそれがだいだらぼっちの「ねっこ」となっています。

引き継ぐ私たちは、それを胸にがんばらねば!という想いを新たにしました。
栗山さん、遠いところ本当にありがとうございました!