秋田県大曲に、山岳部の親友が眠る ~友たれ永く友たれ~

改めて2月になるといつも想うことをしたためてみる。
個人的なことなのだがおつきあいいただければ。

2月10日。
29年前のこの日、親友が雪崩でこの世を去った。
北海道オロフレ山。
大学1年冬のことだ。

19歳の春に、札幌の大学でヤツと出会った。
私は福井出身、ヤツは秋田出身。
同じ日本海側出身ということで、田舎者同志なんとなくウマがあったのかもしれない。
大学まで来て、やめとけばいいのに2人とも体育会。
私はハンドボール部、ヤツは山岳部。
自然が好きで登山によく行っていた私は、ヤツのことを少しうらやましくも思っていた。
裏日本出身の宿命か、2人とも酒はめっぽう強かった。
ヤツは強かったというか、豪快だったというべきか。
高校時代は水筒に日本酒を入れて山に登っていたらしい。
楽しそうに酒をあおる姿が、今でもよみがえる。

19歳の冬、後期試験の最終盤だったと記憶している。
夕方の学生食堂で、2人は顔を合わせる。
私も部活の遠征などで授業に出ていなかった方だが、ヤツはそれに輪をかけて授業に出ていない。
そりゃそうだ、私は球を追い、ヤツは山を追い続けていたのだから。
「明日から山に行くんだ」
ヤツは頬を赤らめたいつもの笑顔に秋田訛りの声で私に話しかけてくる。
「試験はどうするんや? ほとんど出てないやろ?」
人の心配などしている場合でもないのだが、さすがにその時はヤツのことを心配する。
「まあなんとかなるさ」
あっけらかんと言ってのけるヤツに「こいつ留年するつもりだな」と確信。
「そうか。まあ、山には気をつけろよ」
それがヤツとの最後の会話となった。

今夜は献杯して、酒豪だったヤツと続きを語ろう。

おい信じられるか? あの会話からもう29年。
長男が今、大学生、21歳だよ。
こんな感じだったのかな、俺たちも。
お前の死を知ったのは、試験後に帰省した福井だった。
今の様にスマホもネットもない中で、よく俺に知らせが届いたもんだ。
何がなんだかわからずに飛行機で札幌に飛んで帰ったなあ。
情報が錯綜する中、仲間二人が代表して秋田の葬式に飛んだ。
みんなでその飛行機代をカンパしたっけ。
俺も行きたかった。
お前の最期の顔を見たかったんだよなあ。
それ以来20数年、秋田に行けばお前のお父さんが迎えてくれた。
でも、そのお父さんもお前を追いかけて逝ってしまったな。
今ごろ親子でどんな会話をしているのか。
親友が死んだのは初めてだった。
あの19歳の冬の衝撃を、いまだに忘れる事ができない。
今日は、大学の校歌を久しぶりに歌うわ。
校歌の最後のフレーズは「友たれ永く友たれ」。
いつまでも友でいよう、世がどれだけ変わろうとも。
お前が好きだった日本酒で、今日は飲もう。
♪友たれ永く友たれ ♪

ヤツは秋田県大曲に眠っている。
1年に一度は行って墓参りをしていたのだが、この7年行けていない。
震災支援で東北の太平洋沿岸部には足しげく通ったのに。
東北の日本海側から講演などの依頼があれば、今年はヤツに逢いにいこうかな。
ヤツが短い人生を濃く生き抜いた秋田の地に、身を置きたい。
いつものように、墓の前で下手なギターを弾いて歌いたい。
29年前を思い出しながら。
もちろん、酒盛りしながら。

代表 辻だいち