北海道中頓別町で夢を語る ~日本最北端と泰阜が豊かにつながる~

北海道の最北端にほど近い、中頓別町に行ってきた。
と、簡単に「行ってきた」と書いたが、これがまた遠い!
地図で調べてもらうとわかると想うが、稚内のやや南部にある内陸部の町だ。
その日の前後、この冬一番の寒波が北海道を遅い、大雪の影響で列車も運休。
最寄り駅の「音威子府」駅に着いたときは奇跡的に快晴。
迎えに来てくれた職員が「これだけ条件のいい日はないですよ。でもまた明日から大荒れですけどね」と。

今回は、素敵な町長さんに呼ばれて講演だ。
10数年前に「小さな地域に存在する教育のチカラを発揮させていこう!」と意気投合して以来、信州と北海道を行き来する仲である。

中頓別町の人口1700人と、泰阜村とほぼ同じ規模。
合併ではなく自立を選んだ。
数年前までは山村留学も実施したり、農業高校もあったとか。
わが泰阜村と共通することが多くある。
抱える課題はまさにおんなじ。

午後の勉強会には、観光地域づくりの組織(DMO)を立ち上げる際の助言を求められた。
観光を教育に置き換えて、という前提でいろいろ意見交換をすると、これがまた共通することがある。
というか、私の考えていることが、役に立つんだなあ、という感覚だ。

夕方からは「教育と地域づくり研修会」で講演。
40~50人の聴衆が集まってくれ、町長さんが言うには「この町でこれだけ集まるのは大成功だ」という活気である。
私は町民の皆さんに熱く語った。
小さな地域が連合して子どもを育てていこう!という「地域間交換留学」の夢を。
小さな地域同志が支えあいを通した学びの仕組みを構築しつつ、それぞれの地域が強くなっていくべきと訴えた。
その後の懇親会は、その夢に向けておおいに盛り上がったことは言うまでもない。
夢を語る。その前向きな気持ちが、地域を変え、社会を変えていくのだ。

課題多き北の町。
それでも希望を失わずに生き抜くひとびとがいる。
ひとは傷つけば傷つくほど、ひとに優しくできるのかもしれない。
そしてひとは悲しめば悲しむほど、ひとを想いやれるのかもしれないとも。
傷つき悲しむ被災した小さな地域が、同志としてつながっていく。
小さな地域同志のつながりが、優しさと想いやりを大切にするひとびとを育成していくと強く想っている。
今後、中頓別町と泰阜村が、「ひとづくり」をキーワードに紡がれるであろう豊かな縁にご期待いただきたい。

せっかくなので日本最北端の宗谷岬に足を運ぶ。
大荒れの“てっぺん”は、オドロキの寒さだった。
それでもサハリンが見えたので良しとしよう。

代表 辻だいち