支え合いの縁を紡ぐ ~泰阜村がやるべき身の丈の支援~

福島県いわき市から青年が来た。
熊本地震で被災したこどもたちの招待キャンプ(信州こども山賊キャンプ)で、ボランティアとしてこどもたちをサポートしに来てくれたのだ。
彼のニックネームはタカ。

7年前の2011年、タカと彼の住む地域のこどもたちを、山賊キャンプに招待した。
放射能の影響で自由に外で遊べないこどもたち50名は、泰阜村で躍動した。
当時、中1のタカが、福島のこどもを代表して、泰阜村長に挨拶した全文である。

▼2011年夏、いわきから招待した当時中1のタカ(右)

このたびは山賊キャンプに僕達を招待してくれてありがとうございます。今回の招待は泰阜村の皆さん、長野県の皆さん、学生の皆さん、その他たくさんの方々の支援があって実現したことを聞きました。本当にありがとうございます。
 僕は去年の夏と冬に山賊キャンプに参加してとても楽しかったので、今年の夏も山賊キャンプに参加しようと思っていました。でもあの地震があってから参加はあきらめていました。でもキャンプのスタッフがわざわざ僕の家までお見舞いに来てくれて、今年もキャンプに参加できると聞いたときにはとても嬉しく信じられませんでした。
 今、福島県と聞くと、福島原発、放射能が思い浮かぶかと思います。3月11日の大地震から、僕たちの生活は大きく変わりました。地震のとき、僕は小学校で先生方との謝恩会を開いていました。学校の屋上から、津波が近づいてくるのを見ました。そして同級生の家が流されました。その日の夜は近くの学校の体育館に避難しました。それからしばらく水や電気が止まり、毎日何時間も並んで水汲みに行きました。スーパーが閉まって物が入らなくなり、食べ物がなくなりとても困りました。原発が爆発してたくさんの人が県外に避難していきました。僕もしばらく東京のいとこの家に避難していました。
 しばらくすれば落ち着くと思っていましたが、5ヶ月たっても福島の状況はよくなりません。いわきでは水辺ではもう遊べませんしプールの授業もありません。外での部活も時間が制限されています。食べ物もできるだけ離れたところで作ったものを買います。
 でも僕たちは福島で生活していくしかないので、学校ではあまり放射能のこととか話したりはしません。これからどうなるのか不安はありますが、みんなでがんばっているので福島を応援してください。
 僕たちは山賊キャンプで、いわきではできない水遊びや自然の中での遊びを思いっきり楽しみたいと思います。そして泰阜村の皆さんが作ってくださった野菜やお米をたくさん味わいたいと思います。
 このたびはありがとうございました。

▼泰阜村長と教育長にあいさつするタカ

福島から来たこどもたちの交通費は泰阜村が負担、その他経費はNPOグリーンウッドが全国から支援金を募った。
たくさんの想いが集まり、50人ずつ5年間、合計250人のこどもたちを招待することができた。
とりわけ、全国の大学生諸君が集めてくれたお金は多額だった。
日本の若者も、捨てたもんじゃない、と想った。

▼2年前、高3の時に熊本のこども招待キャンプに、ボランティアとして来てれたタカ

そのタカも、社会人。
立派な若者になった。
あの時の感謝を、今、ここ泰阜村で伝えたい、今こそ恩返しだと、タカはボランティアで掛けつけてくれた。
時を超えて、東日本大震災で被災したこどもが、熊本地震で被災したこどもを支える。
支え合いの縁が豊かに紡がれていく。

▼そして今年も来てくれたタカ。今回は虫とりリーダーかな?

これを私は「支縁」と言っている。
泰阜村は、そんな豊かな縁を支えたい。
こんな支援=支縁が、泰阜がやるべき身の丈の支援である。
タカ、ありがとな!
また来いよ!

代表 辻だいち