ヒロシマの日、私は常にキャンプ ~これで、いいのだ~

今日は広島の日。
8時15分に、静かに黙祷した。
広島は容赦なく降り続く豪雨にも悩まされ、二重に想いをめぐらす日になっただろう。
73年前のあの時は、黒い雨がひとびとを襲ったのだろうか。

泰阜村は、満蒙開拓、植林、減反、自治体合併・・・、常に国策に翻弄されてきた村だ。それが、生産性がない(経済的尺度ではの話ですが)と切り捨てられてきた小さな山村の現状である。
そして、福島のこどもたちも、沖縄に暮らす人々も、そして市井の人々も、いま、国策に翻弄され続けている。
戦後73年、この国は世界的な軍事貢献を厭わない「普通の国」になろうとしている。

核兵器禁止条約を拒否することは、この国の自殺行為に等しいと、世界中が想っている。
しかし、国が強くなろうとするとき、そして国が大きな危機に直面するとき、常に犠牲になるのはより弱いものだ。
戦争の本質は、「より弱いものが犠牲になる負の連鎖」だろう。

8時15分の黙祷は、けっして広島原爆で命を絶たれた人びとへの想いだけではないだろう。
西日本豪雨や熊本地震で被災した人びとへの想い。
東日本大震災で犠牲になった人びとへの想い。
声を上げても上げても政府に届かないとあきらめが支配しそうな怒りに満ちた沖縄の人々の想い。
そして、いままた繰り返される「負の連鎖」におそれおののく弱い立場の人びとや地域へ、もう一度想いをめぐらす契機にならなければならないと、強く思う。

熊本のこどもが、福島の青年が、そして全国のこどもたちが、未来に不安を背負って、それでも泰阜村で元気に遊んでいる。
彼らの未来をどう考えるのか、彼らの未来を私たち大人がどう語るのか、それが試されている。

山賊キャンプ。
すでに400人くらいのこどもたちが、泰阜村で短期間とはいえ暮らした。
このキャンプで、私たちはこどもたちに伝え続ける。
小さな力を信じること。
支え合って生き抜くこと。
それをあきらめないこと。

全国のみなさん、8月から改めて考えてはどうか。
未来を生きるこどもたちに、「より弱いものが犠牲になる負の連鎖」を断ち切るために、何を語ることができるのか。
黙祷をしながら、そんなことを強く想う。
広島の日、私は常にキャンプ。
これでいいのだ。

代表 辻だいち