この村が大学になる ~この夢を諦める理由がない~

2016年、泰阜ひとねる大学が発足した。
それは、泰阜村長が学長となり、そして村民が教授になるユニークな学びの場。
人口1700人の小さな村の行政、住民、NPO、そして大学が協働して、2年~4年かけて若者をひとねる(「育てる」という意味の方言)仕組みづくりへの挑戦でもある。今回はその仕組みの推進のための住民主導チームの会合。
不肖ながら私がリーダーをつとめている。

この3年、まずは名古屋短期大学と共に、ひとねる大学の構想をカタチにしてきた。
学生と村民が、村と名古屋を何度も何度も往復した。
この「何度も往復する」というのが胆である。
1回だけの交流では、学びの質が深まらない。
息の長い、そして丁寧な往復が、学生と村民の学びの質を高める。
泰阜村の教育力が、ジワジワとだが確かに彼女たちの身体に流れた。
この村には、学生や若者を育てる教育力がある。その滲み出るように産まれる教育力を、今こそ発揮する時が来ている。

ひとねる大学が、学びと育ちの素敵なモデルを創る。
「この村が大学になる」。
その日は近い。

▼限界集落に住む96歳のおじいま(おじい様の意味の方言)に話を聴く学生

ひとねる大学の学長である、泰阜村の松島村長が寄せた文章を紹介する。

「人に成る」は、人間が成長していくことを意味する言葉だが、村の先輩たちは、子供が成長して大きくなった姿をみて「ひとなったなあ」という。身体が大きくなるだけではなく、心身ともに成長したという表現ですばらいしと思う。この「人なる」が子供を育てる意味で使ったとき先輩たちは「ひとねる」と言う。私の祖母などは、ひとねるが通常の言葉であった。教育と比較して山村の中で人が育つという意味合いを考えれば何と格調高い言葉であろうか。耕地も少なく、観光地でもなく、都市とも離れているこの山村で生き抜いてきた先輩たちのその生活力の中にこそ「教育力」があることを見抜いたNPOグリーンウッドは、すでにこの泰阜村を基盤に注目を浴びている。その教育力から学びたいという若者がたくさんいて、その輪が広がりつつある。

この輪をそのまま「ひとねる大学」ということにした。

国が総合学習の中で生きる力を育む教育を、と言ったことがあるが、その生きる力の源泉がこの村にはあり、そこから学ぶことがたくさんあるという。地方創生が叫ばれるが、地方を元気にする方策がすぐ見つかるはずがない。見つけたとしても、この村の歴史や風土から離れた施策は、長続きしない一過性になる。この「ひとねる大学」は、泰阜村にとっての重要な地方創生施策であるが、決してすぐ結果が出るようなものではない。しかし、若者にアプローチする方策がなかなか見いだせない山村にとって、若者に学びを提供するという、地に足をつけた地道な活動が10年後、20年後に花を咲かせることになる。そんな期待を抱かせる大学が発足し、うれしい限りである。

▼住民主導の「ひとねる大学推進チーム」

私はこの村に、本当の大学を創る夢を描いて久しい。
そしてその夢を諦めてもいないし、諦める理由がない。
「この村に大学をつくる」
いつか実現したい。

代表 辻だいち