90年代まで人権がなかったひとたちがいる ~この歴史に向き合わずして教育を語れるのか~

沖縄に来たら必ず行くところがもうひとつある。
空港からやんばるの行きか帰りのどちらかに立ち寄る。
場所というよりも、その人に会いに行く。
今回も「あつこオバア」が待っていてくれた。
91歳とは思えない。

ここは「国立療養所 沖縄愛楽園」。
ほんの20年前までハンセン病患者の隔離施設だったところである。
沖縄県名護市の離島にある。
ハンセン病と聞いて、今の若いひとは理解できるのかな?
???だとしたら、ぜひ調べてほしい。
私も恥ずかしながら、言葉では聞いたことがあっても、詳しくは知らなかった。
20年ほど前にこの施設に転がり込んで、朝まで患者さんとどんちゃん騒ぎをするまでは。

90年代まで、ハンセン病の患者さんには「人権」がなかった。
この日本にあって、人間として扱われていない人たちが確かにいたのだ。
恐ろしいけれど事実である。
この歴史に向き合わずして教育を語れるのか。
この現実に向き合わずして教育を語れるのか。
そんな想いで足を運び続けている。
今はひとり身のあつこオバアだが、数年前までは「ほうぜんオジイ」もいた。
行くたびに「辻君、平和というものはだな!」と熱く説教されたものだ。
今は北谷の協会に眠っているが、オジイの一言一言が、私の今の活動の礎になっている。
帰り際、あつこオバアは「新しい基地は沖縄にはいらないさ」と笑顔で言い切った。
その迫力に心が震える。

今回一緒に同行してくれた名桜大学の学生さん。
実は、暮らしの学校「だいだらぼっち」の卒業生である。
今年から名護にある大学に進学した。
卒業生の顔を見がてら、一緒においで、と誘ったら愛楽園にもついてきてくれた。
まだ20歳前の若者が、この現実と歴史に直面して、何を想うのか。

彼女と共に、徒歩30秒の浜に出て美しい海を眺める。
人目のつかないところに隔離施設を作ったものだと、つくづく想う。
それは原子力発電所の立地と全く同じことだと、心が痛む。
目の前には、今や沖縄で一番有名な観光スポットになった長大な橋がかかる。
さらに沖合の離島とつながった橋には、ひっきりなしにレンタカーが走り抜ける。
この橋のたもとに、歴史に耐え抜いたひとびとが今生きていることを知っている観光客はいるのだろうか。

海を見つめて想う。
人が人として尊重される世界を強く願う。
教育者のはしくれとして、こどもに胸を張れる大人でありたい。

代表 辻だいち