山村の暮らしが育む”子どものこころとからだ” ~日本教育保健学会のシンポに登壇~

日本体育大学に来ました。
どーん!と垂れ幕が。
なるほど、メダリストはここの大学か。
ざぞや大騒ぎだったことでしょう。

さて、私はこの大学で開催される学会に呼ばれました。
「日本教育保健学会」というものです。
なんでも、教育という視点からこどもの“からだとこころ”を捉えなおす学問だそうです。
この学会のシンポジウムに呼ばれたわけです。

そのシンポジウムのテーマは次のようなもの。
「子どもの健康・発達困難と教育保健の課題を考える:子どもの現実を出発点にして」
当日会場に来て、「ちょっと場違いかなあ・・・」と二つ返事で登壇を快諾してしまった経緯を軽く悔やむ(笑)
当日まで「何を話そうかなあ」と考えていましたが、私の出番の直前にあった「子どもの権利条約と日本の子どもの現実」という特別講演を聴いて、なるほどこれでいいのか、と妙に納得。
急いで講演資料(今回はパワーポイント)を作り直した次第です。

私以外の登壇者は、保育園の園長さんと小学校の養護教諭。
学会参加者も、おしなべて養護教諭や保育関係者が多い感じです。
園長さんの話は「保育現場から見える子どもと家庭 今、保育園に何が起きているか」。
養護教諭の方の話は「保健室でとらえた子どものからだと心の今日的特徴と子育ての困難について」。
そして私の話は「山村の暮らし(自然体験教育活動)が育む“子どものこころとからだ”」です。
今回は時間の都合もあり、暮らしの学校「だいだらぼっち」(山村留学)のこどもの暮らしについて、いつもながらに笑いと動きをふんだんに入れて、渾身の想いを込めて話をしました。
毛色が違うんでしょうね、話の切り口や語り口が。
施設や学校の外で育まれる“こことろからだ”の話がずいぶんと新鮮だったようです。
場違いどころか、なかなかどうして、学会参加者からは高い評価をいただきました。

学者でも研究者でもない自分は完全アウェーだと思っていましたが、この分野に少しは私も関わりがあります。
大学時代は、“からだ”について勉強していました、一応。
体育方法論という教授論理ですね。
※このあたりの詳しくは、稿を改めてブログに記します。

また、2010年から地元の飯田女子短期大学で養護教諭のタマゴたちに授業を受けもっています。
共同生活や宿泊型プログラム、そして山村の暮らしの中に潜む、子どものリスクについて教えます。
というような自己紹介をしたら、会場の雰囲気が少し和みました。
そうですよね、会場の皆さんも「いったいどんな話が始まることやら」と思っていたのでしょうから。

「視点を変えよう」
いくつかの大学で授業を持っていますが、学生に必ず迫る言葉です。
それは私もそうですね。
勝手に「場違いかな」「アウェーだな」と思っている自分がいます。
われわれの実践は、“からだとこころ”の切り口から裁断されると、こんなにも素晴らしい意義と可能性があるのだ、と痛いほど教えられました。
ちょっと場違いかと最初は思いましたが、こどもたちのからだとこころを通して、皆さん、同じ方向を向いているのだなと確信できた良き時間となりました。
主催者の研究者の方々からお礼を言われましたが、こちらがお礼を言わなければ。
「学びが拓かれていく」という湧き上がるような楽しさでした。

世界は狭いもので、懇親会では私の大学時代の恩師の関係者と次々と遭遇。
久しぶりに学生に戻ったような感覚でした。
でも、偶然出会ったような意味合いの「狭い」んじゃないんですよね。
出会うべくして出会ったのだと思えます。
次にお会いする時には、さらに今の実践から導き出される視点を紹介しようと心に誓いました。

さて、とっとと南信州泰阜村に帰らなければ、です。

代表 辻だいち