泰阜村の道路改良の話 村長レポート 10月20日 No.259 

わが泰阜村の村長が、就任以来毎月毎月、村民に向けて発信する「村長レポート」。
ちょっと時間がたってしまいましたが、2017年10月20日号を紹介します。

国道も信号もコンビニもない村が、やっと村内縦貫道路が2車線化。
これで大型バスがようやく通過できるのです。
これは、贅沢な願いだったのでしょうか?
2車線が当たり前の全国の皆さんに、問いたい。

村長レポート 10月20日 NO.259
泰阜村の道路改良の話

 10月8日に「村民運動会」が3年ぶりに開催されました。まさに老若男女が一堂に会し盛大な運動会で、泰阜村の元気を感じさせていただきました。そして10月14日には、飯田富山佐久間線中尾工区の最後に残されたJR飯田線下を通過する工事の竣工祝賀式を行い、午後3時から通行可能となりました。。この竣工では、9月30日に、温田商栄会の皆さんにより、開通前イベントを実施していただきましたが、天気も良く大勢の皆様の参加により盛大に開催されました。道路改良を進めてきた長野県始め関係者にとりましては、地域の盛り上がりを感じ大変にうれしかったことと思います。
 さて、この温田の開通により、泰阜村の金野から温田まで二車線の道路でつながることになりました。泰阜村は、鉄道が走り、車社会になるまでは、交通事情のいい山村でした。しかし、モータリゼーション時代の訪れでは急激で、物流も人の移動も自動車になりました。それに合わせて道路改良も進められましたがまず国道からで、(天竜川の)対岸の国道151号線は、私の感覚では、あっという間に改良されました。泰阜村には、国道がなく、中心となる県道も改良が進まず、一転して交通事情の悪い村となりました。昭和40年代始めから改良が着手されましたがなかなか思うように進みません。そのため、村の最大の行政課題は、道路整備の促進ということになり、歴代の村長、議員を中心に、さらには集落でも陳情、要望が繰り返されました。そこで、本格改良が始まった以後の村の道を改良を振り返ってみたいと思います。泰阜村は起伏が激しい村で、谷を超えるのに「橋」が必要です。その橋の完成をみると道路改良の歴史も分かります。泰阜で最初の本格的改良が始まった箇所は、田本でしたが、大きな橋の完成は、昭和57年の「千泰大橋」が最初となります。この橋ができたのは、金野地区が故松下逸雄県会議員をお祭りのたびに招待し、米底橋まで降りていくのが大変、千代へ向かって橋をかけてほしいという運動を展開した結果だと思っております。有力政治家に頼んで、施策が実現することの是非については、別の機会にいますが、とにかく、有力政治家に頼む、陳情するのは政治の世界では、現在も同じです。話を戻しますが、昭和57年11月に完成しましたが、その前後が狭いままが続きます。泰阜村としては、田本から始まった改良が大畑方面に伸び、昭和63年7月に「大沢橋」が完成しました。これも田本と大畑の皆さんが目と鼻の先の所に橋を、ということで運動を展開し完成しました。完成を祝い、三尺玉の花火を挙げたという記憶があります。その後、南北を結ぶ「大俵―田本」の工区は、左京方面へ移りますが、平成5年3月に「左京大橋」が完成しました。私は、ちょうど村役場を離れていましたが、これも盛大に開通式が行われました。今でも旧道を通ると懐かしいのですが、そを知る人も少なくなりました。次に平成7年3月に南宮大橋が完成、飯田方面では、龍江と千代の紅葉橋も完成。この二つの橋の竣工式は、私も村長として出席いたしました。南宮大橋の完成のときも盛大な花火大会が実施された記憶があるのですが、30日の開通前イベントに参加した当時の南宮リバーサイトの代表が花火の番付表を持参してきました。その番付表を見ながらすごい花火大会だったことが改めて分かりました。寄付で実施したのですが、総額1千5百万円ほど集まったのでは、ということです。田舎ではまだバブル経済景気が続いていたころで、いまとは状況が違いますが驚きました。さらに、南宮リバーサイドクラブの皆さんが建設事務所に通い、ライトアップを実現させました。
 その後、最大の難関工区、南北を結ぶ大俵工区へかかります。左京地区の皆さんが積極的に協力してくれて平成8年には、左京の集落を抜ける改良も完成しました。平成9年から本格的に大俵地区になったのですが、何しろ当時で30億かかると言われ、1年1億くらいの予算でしたから30年かかるということでした。ちょうど小選挙区が導入され、当選された故宮下創平先生が自民党の税制調査会の小委員長で、時限立法の道路特定財源を継続することを決めたこともあって、改良予算も大幅増額となりました。それにより、平成14年に泰平トンネル、平成長久保橋を含めて完成しました。正直、私が生きているうちにはできないと思っていた工区の完成でほんとうに感激しました。平成24年に飯田市ではありますが米峰橋が完成。県単で改良が進められていただ金野地区の完成していて飯田市へ二車線で結ばれました。そして平成29年10月に温田が完成となりました。
 泰阜村の二車線縦貫は、飯田富山佐久間線、下條米川飯田線、村道柿野中央線を通過します。同一路線ではなく、それぞれの路線で、いろいろな財源を使ったので出来たとも思います。飯田富山佐久間線の全線改良は、用地問題でつかえましたが、飯田富山佐久間線は、役場、平島田を通過しませんので、むしろ幹線道路整備としては、これもよかったのでは、と思っています。
 車が公共交通の唯一の手段である村では、道路は重要です。その道路をつくる上での最大の問題は、用地取得です。大事な水田や宅地を提供していただくことになるのですが、ご無理を言って提供いただたいたことを思い出します。地権者の皆様に改めてお礼申し上げます。あとは、この道路をどう活用していくか、これからの課題です。

今後も、小さな村の首長の言葉を紹介していきます。

代表 辻だいち