職員面接に若いチカラが集まる ~そうとしか説明できないよ、ほんと~

2月は新年度採用の職員面接が続きました。
「私たちと共に働きたい」という若いチカラが、全国各地から集まってきます。
もう、それだけでワクワクしますねえ。
いかんいかん、しっかり面接しなければ。

面接の際、担当者が問うた質問に次のようなものがありました。

「なぜNPOグリーンウッド・泰阜村を選んだのですか?」

つまりは応募動機ですが、その問い対して若者が応える光景を見ながら自問します。
そういえば、自分はどうなのだ、と。

はっきりと覚えていることがあります。
中学2年の時。
進路相談かなにかで担任の先生と面談でした。
「将来は、どんな仕事をやりたいか」と問われました。
いろいろと思案した結果「自然に関係する仕事につきたい」と言ったことを覚えています。
海も山も川もある自然豊かな北陸福井に育った自分は、「なんとなく」だけれどそう想ったんでしょうね。
それが、農業なのか、国立公園のレンジャーなのか、動物園の飼育員なのか。
それは全くわかりませんでした。
あれから33年。
今、確かに自分は自然に関係する仕事についています。

大学時代は札幌で過ごしました。
北海道の大自然に触れ、「この自然を守りたい」と熱く心に誓ったりもしました。
体育会(運動部)に属していましたが、休日はほとんどバイクで北海道中をめぐって、山に登ったり湿原や原生花園を歩いたり。
当時盛んになっていた知床半島のナショナルトラストなどの自然保護運動にも興味を持ちました。
札幌にある自然保護運動事務所に顔を出したら「運動やっている人には珍しいね」と言われたのをよく覚えています。
しかし自分が自然保護の最前線に立つのではなく、自然を大事にできる人を育てるほうが、自分には合っているんじゃないか。
直感的にそう想ったんでしょうね。
そうとしか説明できないよ。

だから北海道のへき地の体育教員を目指しました。
海も山も川もある北海道の「へき地」に行こう。
体育会(運動部)で鍛えて体力には自信があったし、最終的には大学の専門は体育教授論だったので。
そこに迷いはありませんでした。

でも、学校の教室に入る前に、学校の外での学びの場にこの身を置いてみよう。
運動ばっかりやっていたバカは、そうやって社会から学ばなければ。
実は体育と並行して、社会教育も専門領域として勉強していたのです(かじっただけ、という表現かもしれませんが)。
そう想って、2年くらいの自己研修だと飛び込んだのが、信州泰阜村です。
そしてそのまま25年この村にいます。
まあ、学校の中よりもこっちの方がおもしろくなったんでしょうね。
そうとしか説明できないよ、ほんと。

こどもたちと創る1年間の暮らし。
泰阜村という自然や地域と向き合いながら、身体を通して大事なことを学んでいく。
まさに私は、へき地の体育教員であり、社会教育の担い手でもあります。
中学2年生のころにつぶいやた「自然に関係する仕事につきたい」。
それがこのようなカタチになるとは。
あの頃には想像もできなかったカタチです。

泰阜村に来た1993年の頃は、これが「仕事」などと言える状況ではありませんでした。
「そんな山奥に行ってどうするんだ」と、多くの人に心配されたものです。
我ながら、波乱万丈の人生だと思っていますが、もがきにもがいて今があるのです。
這いつくばって血反吐を吐いて今があります。
いやあ、人生っておもしろいとつくづく想います。

面接に話を戻します。
そういえば25年前の2月、私もこの場にいました。
立場は逆ですが。
私、なんと22歳!
熱っぽく語る目の前の若者たちを見て「私もこんな感じだったのかしらん」と、不謹慎ながら心の中で笑ってしまいました。
応募者の若者諸君、ゴメンナサイ。

さあ4月から、自分の息子ほど歳が離れている若いチカラが新しく加わります。
若いチカラと共に、夢を語り合いたいと強く思います。
そして共に夢を応援し合い、夢を実現していきたい。
それぞれが、自分が「なぜここに来たのか」を常に確認し合いながら。

代表 辻だいち