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事務局長しんのエデュケーションコラム


2021年3月
 コロナウイルスから学んだことは「対話」と「想像力」の大切さ

コロナウイルスとの付き合いも1年が過ぎました。当初は何が危ないのか、どのような対策が良いのか全く分からず不安ばかりの日々でした。グリーンウッドの過去の議事録を見返すと、2月27日から対策を検討しはじめていたのがわかります。ちょうど全国一斉の休校措置が検討された日です。その日に2019年度のだいだらぼっちの引継会(卒業式と入学式を合わせたもの)の中止の判断もなされていました。1年の締めくくりと新しいメンバーが出会うだいだらぼっちの最も大切な会の中止は、スタッフにもこどもにも大きなショックを与え、先行きの見えない不安さを暗示するようでした。

その他の議事録を見返すと、年度末に行われた全員参加の対策会議は5時間以上の話し合いも行われ、新年度スタートも危ぶまれた様子も思い出されます。また山賊キャンプもチラシやパンフレットを印刷されていたところから5月に中止の判断が下されていました。
「人が触れ合うこと」を避けなければならないウイルスに、事業を行うこともできず、団体としても、スタッフ一人ひとりにとっても、何のためにここにいるのか?という存在意義を問われる1年だったと感じます。

しかしもっと苦しかったのは、「わかりあうこと」の難しさをつきつけられたこと。全員で対策を検討する中で大きなハードルになるのは正確な情報よりも、個々人の「感情」を乗り越えることでした。未知のウイルスであるがゆえに、「絶対安心」の情報もなく、時にロジカルでない、感情的な解決方法を選ぶこともありました。

このウイルスの怖さは、不安を増大させ、その感覚の差を感情に出させてしまうものにあったように思います。「正しく恐れる」と言いながら、「正しい」情報よりも、より不安をあおる情報の方が納得しやすいのです。
そんな1年を過ごして学んだ最も大切なことは、同じ場を共有する人たちみんなが「納得」する答えを出せるかどうか、でした。それぞれ同じ出来事であっても感じ方も、抱える事情も異なります。正しさを押し付け合うよりも、みんなが少しずつの妥協も含めて「それでいいよね」と言えることの方が心の安心を手に入れられるのです。すなわち民主的に決めていくことに他なりません。
納得する答えを出すために必要なことは「対話」と、「想像力」です。対話とはそれぞれの主張の正しさをぶつけ合うことではありません。事情や気持ちを聞く過程、時間にこそ意味があるものです。そして自分とは違う他者に対する想像する力です。
しかし言葉は簡単ですが、実際に行うのは難しいもの。日々「一人一票」の話し合いで運営されている私たちですらすれ違いが生まれるのに、そういった文化のない場では困難を極めます。ではどうするのか?答えはひとつ「時間をかける」しかありません。「分かり合う」ことよりも「分かり合おう」とする時間こそが解決策そのものになることもあるのです。

まだまだコロナウイルスとのつきあいは続きます。合理化や正解を求められる時代において、立ち止まること、時間をかけることの意味をコロナは問うているのかもしれません。





2021年1月
 新たな挑戦 だいだらぼっちで性教育

だいだらぼっちのこどもたちにかねてから計画していた性教育を行いました。
そもそも性教育を行おうと考えたきっかけは、長女が生まれるときの助産師さんが開いてくれた立ち合い出産の講座から。こどもが数か月後に生まれて自分自身が父親になるにも関わらず、例えば胎盤というものがあって(胎盤という言葉は知っていたけど)、こどもが産まれた後に母親の身体から出てくることや、羊水は袋に入っていること、母親だけが出産でがんばるのではなく赤ん坊自身も回転しながら出産を助けること。そういった出産にまつわる話を何一つ知らなかったという衝撃と、もう一方で正しく教えてもらえたことで「生まれる」ことにとてつもなく感動したことを覚えています。
もうひとつは数年前に訪れたデンマークでの出来事。若者たちが暮らす学校の寮に男女の隔てがないことに驚く日本人ツアーの面々に対し、寮内で男女がつきあうことがあるのは「当たり前のことでしょ。だから性教育が必要なのよ」と当然のように性の話しがされていることを聞いた時です。
セックスや性は全ての人に関わること。生きること、生まれることは人間の根本に関わることにも関わらず、ちゃんと教えられない、語られない、むしろ語ってはいけない状況は間違っているのではないのかと疑問を持ちました。
興味の延長線上の男同士、女同士で話された中で手に入れる間違った知識では、知るべきことを知らないで傷ついたり、傷つけられたり、あるいは自分の人生の選択を誤るようなことが起きることもあるのではないでしょうか。特に昨今、高校生や大学生の女性が自分のこどもを誰にも知られず出産し、殺害してしまうという事件を見るにつけても強く感じます。
ちゃんと教えられていないけど、とても身近な問題であるからこそ、親元を離れ、自立に向けて一歩を踏み出し始めているだいだらぼっちのこどもにはしっかり話さなければならないと考えました。

いざこどもたちに性教育を行おうとプロジェクトチームを立ち上げて内容検討をし始めると、男女がいて、小学4年生から中学3年生まで年齢差があり、それぞれの知識や関心も違うこどもたちに等しく教えることの難しさを痛感しました。当初は4回ほどの会議で内容は決まると高をくくっていたのが、3か月たっても、半年たっても喧々諤々。「性は当たり前のこと」と言いながら、学年で話を分けた方がいい、男女で分けた方がいい、ここまでの話しは早すぎる、必要ない、言い回しが誤解を生む、ストレートに話すことに意味がある。とチームでの考えをまとめることがとても難しいものでした。なぜなら私たち自身がちゃんと学んでいないこと。だから学ぶことからはじめる必要があったからです。一度作った内容をスタッフにお披露目するも、厳しいフィードバックをもらい新たに作り直しも1度や2度ではありません。
チームを立ち上げて1年。先日、やっとこどもたちに伝えることができました。結果、男女も年齢も分けず、だいだらぼっちに関わる多くの大人も一緒に行いました。性器の名称や、第二次性徴の変化、どうやってこどもができるのかなど全てストレートに話します。こどもたちも恥ずかしがって聞けないのではないかと不安を感じていましたが、むしろ真面目に自分事としてしっかり聞いている姿があったのは、「性は当たり前のこと」という考えを貫いたからではないかと思います。
こどもたちからは「聴けて良かった」「思春期の心の変化は全部自分にあてはまっていた」「大広間で大人がおおぴっらにセックスと言って驚いた。けどそういうもんなんだと思った」など驚きや腑に落ちた表情を見て、やってよかったと素直に感じました。と同時に、年長のこどもたちの中には「全部知っていたこと」という声も。「知っている」の中身がどの程度なのかわからない中で、やはり全員が等しく同じ知識を手に入れることに意味があると改めて思います。
知識は自分を助けるものです。しかし今の世の中、生きるために必要な知識ではない知識が蔓延し、むしろ生きるために必要な性教育などはタブーになっていました。ここ数年大きく潮目が変わってきていますが、まだまだです。
知ることは不安を取り除きます。知ることで対処する方法や、変化に戸惑うことが少なくなるからです。知ることで自分に選択する力がつきます。どの道を選ぶべきか、判断することができるのです。何よりどうやって自分が生まれたのか?自分のねっこを知ることは生きるねっこになるのです。

学校で学ぶ算数や理科、社会も大きな意味で生きるために必要な知識。しかし生きることに直結する、こども時代に学ぶべき知識は他にもあるように思います。こどもたちが自分で学びを得るだいだらぼっちにおいて、「教える」ということに臆していましたが、大人の役割として「本当に必要な知識とはなにか?」をこれから考えていきたいと感じています。





2020年12月
 学びはいつでも双方向性

先日、だいだらぼっちの中学生男子と村内のサイクリングに行きました。やっと都合があった12月のわずか3時間。限られた時間なので、ゴールは村内のスタッフバズの家、往復10kmと決まりました。
自転車で10kmだと大した距離ではないのですが、泰阜村は全て山のため平坦な道はなく、登りか下りのみのサイクリングです。バズの家はだいだらぼっちがある田本集落から標高が200mほど上にある集落。行きは登りのみ。帰りは下りのみ。という極端なコースとなりました。
12月も中盤を過ぎ、とにかく寒いというのは当然として、なによりもきつかったのは、やはり坂。スタート直後から早くも途方に暮れ、心臓と肺が破裂するのではと恐怖におののく私を尻目に、彼は呼吸が乱れることもなく、淡々と登ります。しかも追いつけない私を気遣い、先に行っているにも関わらず戻ってくれることも。無尽蔵の中学生の体力に圧倒されました。
無事に1時間の登りを終えてゴールし、帰るところでハプニングが。中学生男子、まさかの石にひっかけての転倒です。スピードがそこまで出ていなかったこともあって、体は無事な様子でしたが、いざ自転車を立て直すと、見事なパンク。村内だからと気を抜いて私自身はパンクキットを持ち合わせていなかったので、これは迎えに来てもらうしかないかなとおもっていたところ、彼はしっかりと準備してあり、私に頼るそぶりも見せず、淡々とそしてテキパキと直していました。

これまでもだいだらぼっちのこどもと一緒にチャレンジすることで私自身の可能性を知る機会がたくさんありました。例えば毎週の宿直の朝に全員分のパンを一緒に手作りしたり、30km先の元善光寺まで夜通し歩いてみたり。ギターにチャレンジしたり。自分ひとりでは決してやらないことも、こどもが一緒だからが「行動の理由」になりやすいのです。
一方で一緒に何かをする中で、こどもの吸収力や発想力、体力や知恵など、こどもの可能性を知る機会にもなっています。改めて私たち大人が教えるだけの一方向ではなく、学びは双方向なのだと気づかされます。

実はこのコラムに書くテーマで悩んでいました。そもそもは私が現場であったことを元に思うことを書こうと始まったもの。今年は山賊キャンプをはじめ多くの事業が中止となり、現場に立つことがありませんでした。そんな中で久しぶりのだいだらっことのチャレンジは、現場で学ぶことの大切さを気づかせてくれました。

さて年の瀬となり、コロナの様子はますます不透明に。毎年当たり前に行っていた年越しのキャンプも行えず、静かな正月を過ごすことになります。そして年が明けたとしても、どのような日常が戻るのか、全くわかりません。
できないことはあきらめるしかありません。だからこれまでやったことのないことにチャレンジする機会です。「これまで通りでない」というマイナスばかりに捉われても仕方がないのです。コロナがなかったら絶対やらなかったよね!というチャレンジを、こどもたちと私も一緒にやっていきたいと思います。それが私にとっても、こどもにとっても、そして団体にとっても一番の成長につながると信じています。






2020年11月
 登山で感じたこどもの成長の法則

コロナの影響で…と書き始めて、またこのくだりからかと飽き飽きしてきました。が、まあやっぱりコロナの影響に変わりはないので、書き進めさせていただきます。
コロナの影響で土日に余裕が生まれたこともあり、我が家では家族で登山に行くことが増えました。もともと夫婦そろって登山が好き。こどもが生まれたら家族で行こうと話していたのが、こどもたちの年齢が離れていることもあり、そもそも登山に何度も行くことが叶わない状況。行ったとしてもピークにたどり着けなかったり、ハイキングで終えてしまったりなんてこともよくありました。
一番下の息子が5歳となって、大分体力がついてきました。ここ最近は山頂を踏めるようになってきて、やっと登山が楽しくなってきています。

先日は蓼科山にチャレンジ。地図で見ると2時間半程度で山頂にたどり着ける様子です。しかし、その分急登が多いため、果たして登れるのか?と少し心配をしていました。ご存じの方もいると思いますが、後半は岩場で、手も使わなければ登れない場所があります。
小6と小2の娘はどんどんと登っていきますが、さすがに5歳の息子はゆっくり慎重に登ります。よく見ていると、どこをつかんでどこに足を置くかを非常によく考えている様子。登りはじめは戸惑っていたのに、時間が経つにつれて足運びも上手になり、スピードも上がっていく姿をみていると、改めてこどもの吸収力の速さに驚きます。

グリーンウッドの教育活動も基本はこどもたちが考えて行うので、スタッフ側は様子を見守ります。口も手も出したくなる気持ちをグッとこらえて、自分で結果をつかみ取ることを大事にしています。それは成長や学びが過程こそが大事だからです。
しかし自分のこどものこととなると、口も手も出さないようにとは思いつつも、どうしても感情が前に出てきてしまって、思わず余計な一言や手出しなんてことはよくあります。山に登るという、本人が自ら歩かないとならない登山は、親が手を出しづらいこともあり、よっぽど落ちそうだったり、危ない状況でなければこどもの成り行きに任せていました。今回はそれが功を奏したように思います。

さてその息子ですが、登り切る直前にあまりの高度感と寒さで恐怖が出てきてしまい、大泣きをしていました。小さなこどもにとっては大冒険だったのだと思います。しかし姉たちと合流するときには後ろを振り向き、涙をぬぐい、グッとこらえる姿を見て、自分にはない別の人生がそこにあることを感じました。

こどもはこども自身の人生を歩む。だから親や身近な大人の尺度で計ることよりも、こども自身、その子なりのチャレンジが安心してできるためにも、「余計な口出し、手出しはしないこと」が重要なのだと改めて感じた日でした。





2020年9月
 身を守るのは「正しい知識」

今年の夏も本当に暑かった。信州とはいえ、愛知に近い泰阜村は県外の方のイメージする信州の涼しさとは程遠く、朝晩は涼しくとも日中は都市部と変わらず40度近い日もありました。
山賊キャンプのない夏休みだったこともあり、日中、エアコンのない自宅にいることも増えた我が家では、村内や隣村の川に、遊びついでに涼みに行く毎日を過ごしていました。
山賊キャンプでも使用する隣村のキャンプ場に行くと、今年はいつにも増して大盛況。コロナ禍の中でアウトドアブームが続いている様子です。ナンバーを見ると全国津々浦々から来られて驚きます。そこでいつも気になるのは川遊びの様子です。
その川は深いところは3mほど、エディーといわれる逆流している箇所があり、流れが少なく泳いで遊ぶこともできるのですが、すぐ下流から川幅がせまくなるため流れが早くなり、遊ぶにはそれなりの注意が必要な場所でもあります。山賊キャンプで連れていく際は必ずライフジャケットとヘルメットをつけ、スタッフが管理体制をひいて遊ぶ場所ですが、家族連れやグループで来られている方はライフジャケットもなく、小さなこどもをだっこしながらその本流を対岸に向かって渡っていたり、中にはお酒が入っている方も見られます。
川の危険を知っている私からすると、自分の家族と遊ぶどころではなく、ずっとヒヤヒヤしっぱなしです。先日もビーチボールを流された小学生の女の子が下流まで追いかけて行き、途中で川の流れから岸に戻れず、慌てて高校生くらいのお兄さんが助けているところに出くわしました。こちらもいつレスキューに行くかと身構えていましたが無事に戻れてホッとしました。これまでも山賊キャンプで川遊びを引率したスタッフが、流されそうになった人を何度かレスキューしたなど、決して安全に遊べる場所ではないのです。
 
近年のアウトドアブームとコロナの影響で室内よりは野外の方が、という雰囲気もあってか、今年は川の事故のニュースを聞く回数が増えているように感じます。しかし「安全な川はない」というのが私たちアウトドア業界で働くものの常識です。
野外で遊ばせることが危険だと遠ざけられた時代から、このブームはアウトドアに親しむ裾野が広がる良いきっかけになっています。しかし、とっつきやすさの裏にあるリスクが伝わるのは、コトが起きてからのような気がします。川に限らずアウトドアの遊びは危険がつきものです。しかし起きた後では遅い。「無知は罪」なのです。

リスクを知り、そのリスクの対応策を講じる「リスクマネジメント」の考え方を知ることで怖さも知る一方で、遊びが広がり、世界も広がります。危険と楽しさは表裏一体、どちらかではなく、どちらも知る必要があります。このアウトドアブームと同じく伝わることが必要なのだと感じます。
 このコロナウイルスが蔓延する暮らしの中で、私たちが様々な予防策を獲得できたのは危険を知らなければ暮らしがままならないという危機感からの、自らの行動そのものだったはずです。どんな活動でもその裏にあるリスクを知ろうという主体的な行動がなければ得られないものがあります。出かける前、ほんのちょっとでも「危険なことは何か」を調べてください。いつでも身を守るのは「正しい知識」なのです。





2020年8月
 信頼とは何か

コロナウイルスという未知の脅威の中で、国や行政だけでなく多くの企業や団体も対応に四苦八苦しています。グリーンウッドも御多分にもれず、世の中の状況や地域の様子、こどもたちの変化などによって右往左往しています。
そんな困難に直面したときに問われるのは、やはりリーダーの存在です。

正解のある答え(あるいは最適解があるもの)であれば、これまでの経験から答えが出されます。しかし今回のコロナのような、誰も直面したことがないような事態に遭遇した場合は、リーダーすら悩みます。さらに社員やスタッフの個人の感情や価値観が表出しやすくなり、その集合体である団体がどの道を歩むのかは最終決定者に委ねられる場面が増えてきます。

問われるのは答えを出す存在であり、その人に対する信頼に他なりません。正解がない時、あるいは団体やチームの中で意見が割れたとき、どんな形であれ答えを出さなければなりません。それが上に立つ者の責任であり役割だと思います。しかし納得できるかどうかは出した答えそのものよりも、答えを出した人への信頼感によるものだと思います。

では信頼とはどのように得られるのでしょうか?
肩書や立場でしょうか?明るい性格でしょうか?話しやすさでしょうか?それは自分たちの声を聞いてもらっているか、疑問に答えてくれているか、情報が等しく知らされているか、隠していることはないか、ごまかしていることはないか、わからないことはわからないと言っているか、判断を誤るなどの失敗をしたときにその失敗を認められるか、いざというとき矢面に立ち責任をとることをしてきたか…。
「出した答え」よりも「プロセス」を大事にしてきたか。つまり誠実さや真摯さではないでしょうか。書いていることは単純で当たり前のことばかりですが、体現し続けることが難しいもの。信頼とは、その人自身の在り方なのです。

今、日本のみならず世界全体で国や知事といった首長の行動、言動が注目されています。信頼されているリーダーはコロナを収束させたかどうかよりも、やはり「信頼」を得られるにあたる行動があったかどうかのように感じます。
もちろん解決できる答えを出してくれることを望んでいます。しかし誰も答えがわからない混乱の状況にいる中で私たちが欲しいのは、解決策以上にリーダーの誠実さや真摯さなのだと思います。





2020年6月
 コロナ時代のリスクマネジメントと

 コロナの影響で休校や休園も含め、こどもの活動が制限されることが増えているのではないでしょうか?
 そんな中、山村に住む私たちはどうだったかというと、もちろん外出の制限はありましたが、家の周りで言えば、そもそもそこまで人がいないので密になるような場所はなく、比較的自由に外で遊ぶことができました。とはいえ、村外に出ることもなく、ましてや県外に出るなどは難しい。そこで少しでもこどもたちの気晴らしにと、近くの森に家族でしばしば出かけていました。
 誰もいない森。我が家で独占です。コロナ禍の中で、これだけでもとんでもなく贅沢で特別なことです。とはいえ、家族だけだとこどもたちはなかなか盛り上がりません。2度、3度と森に行こうと誘っても、こどもたちからは「また行くの?」といわれる始末。
 緊急事態宣言も解除され、学校も通常登校となり落ち着いたところで近所に住む3家庭で森に遊びに行きました。どこも同じような小さいこどもがいるので、こどもたちはテンションMAXです。うちの息子も、普段であればお母さんと一緒でなければなかなかチャレンジしないことも、友達がいるだけで遊び方が全く変わります。これまであまりやっていなかったソリすべりも当たり前のようにやっているし、転んで甘えてくるようなこともありません。まだ4歳ですが、友達との間に社会が生まれているのだと思います。そして改めてこどもにとって仲間の存在というのは、「一緒に遊ぶ」ということを通して成長しあっているのだと感じました。
 学校休校が大きな問題として取り上げられ、授業の遅れから、オンライン授業や分散登校などの方法、そして入試について議論されています。しかし学校休校や制限された行動で奪われたのはそれだけではないはずです。同様に「コロナだから」と学校や地域の様々な行事が中止になっています。致し方ないことではありますが、一方で学校以外で得られるはずの学びや成長の機会の補填は考えられているのか?とても不安に感じます。
 こどもたちから奪われた遊びや仲間との時間は、自己の発見の時間です。それは授業だけでは賄えないません。また学力だけがこどもの成長ではないのです。様々な制限が「こどものため」の選択なのか、「大人の都合」の選択なのか、本質に立ち戻らずに結論を出す今の風潮はとても危険なものに感じます。目の前のリスクマネジメントに囚われすぎて、未来のリスクが増大することもあるのです。
 未来はこどもが創ります。ある局面においては、リスクを覚悟して挑戦することも大人の責任です。ウイズコロナの時代、未来が豊かになるためには「リスクゼロ」の選択よりも、「リスクを最小限にする方法」を生み出していくことが求められてくるのではないでしょうか。





2020年5月
 山賊キャンプを中止すること

 今年度の夏の信州こども山賊キャンプの中止が決定されました。詳しくは代表辻の文章をご覧いただければと思います。

 コロナ禍中で学校も休校となり、外出自粛が続いて遊びも制限されているこどもたちにとって、夏のキャンプは大自然の中で心も体も思い切り開放できる希望のひとつだったのではないかと想像しています。これまで参加するこどもたちの中には、お年玉や誕生日のプレゼントをキャンプの参加に充てたという話しも聞いたことがあります。過去に新型インフルエンザの影響で1コースを急遽中止にした際も、こどもだけが参加するものでありながら、家族にとっても大切な時間なんですと伝えられたのを思い出します。
 たかがキャンプ、されどキャンプ。保護者やボランティア、応援してくれる地域の方、たくさんの想いが集まり、こどもたちが新たな自分と出会い、成長する場である山賊キャンプが創られてきました。それが中止という判断となり本当に悔しく、やるせなく、もどかしく思います。そして何よりこどもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 経営的にも団体を持続していくことの難しさに直面しています。しかし、この状況でわたしたちが問われているのは、どう稼ぐか?よりも自分たちは何者なのか?というアイデンティティーです。

 現在、多くの方が活動を制限されています。ライブハウスや演劇など、そもそも人が集まらなければ成り立たない現場に身を置いている方は切実な問題です。私も学生時代に仲間と劇団を立ち上げた経験があります。それまで何かに夢中になったり、のめりこむという経験がなかった私にとって、それは特別なものでした。当時、同じような状況でもし公演ができなかったらと考えると、自分は何をすればいいのか、自分の持つ時間とエネルギーを何に注ぎ込むのかと、心が路頭に迷ったのではないかと思います。今も舞台に立ち続けている昔の仲間から、この状況で公演ができないという話しを聞くと、その悔しさや不安はどれほどのものかとつらい気持ちになります。

 音楽や演劇で何かを表現する人たちにとって、生計を立てる以上に表現の場が奪われるというのは自分の存在意義に関わるのです。同様に今回のコロナで様々な行動が制限されている団体、業界、人々がいます。思い通りの行動できない状況で問われるのは、「あなたは何者なのか?何を通して社会にいるのか?」ということのような気がします。
 
 翻って、では私たちはいったい何者なのか?キャンプという表現が奪われたときにどう答えるのか?
 それは社会を豊かに変革するためのこどもや青年たちに対する教育者なのだと答えたい。
 キャンプはひとつの表現方法です。その方法が難しいならば新しい道を見つける。自分たちのアイデンティティーを守るためにも、こどもたちや社会に届く、新たな道を手に入れるためにチャレンジし続けなければならないと強く感じます。これからも応援をお願いいたします。





2020年4月
 わたしたちの今の状況とコロナの先

 晴れやかな気持ちで始まるはずの新年度が、コロナウイルス禍の中で悶々とした日々が続いています。
 このコラムも早い段階で書きはじめていたのですが、日々変わる状況で書くこと、書きたいことが変わり、なかなか落ち着かないままでした。
 まずは私たちの状況をお伝えします。

 4/1より2020年度の「暮らしの学校だいだらぼっち」が19名のこどもが集まりスタートしました。
 参加者には集合2週間前からの検温と人ごみや感染拡大地への訪問を控えることのお願い、集合してからは室内でのマスク着用と手洗いうがいアルコールスプレーの実施、食事も向かい合わせに座らず大広間での食事に、ソーシャルディスタンスをとった話し合いと徹底したコロナウイルス対策の下にスタートしました。県教委からの県外転入者の自宅待機要請もあり、だいだらぼっちの敷地内での2週間生活を経て大きな体調不良もなく過ごし、やっと学校に登校できるようになったのもつかの間、全国に出された緊急事態宣言により、また休校となりました。その中で村のこども向け放課後学童も臨時学童としてグリーンウッドが請け負うことになっています。夏の山賊キャンプも例年であれば、広報活動や様々な協力者との打ち合わせなど進んでいる時期ではありますが、今年度の開催はどうしていくべきか…というのが現在(4/21)の状況です。

 その間にも社会では緊急事態宣言が発令され、日々発症者のカウントが増えています。多くの寮生活を送る学校ははじめることも難しい状況の中で、様々な方たちからご協力とご理解をいただき、それでもなんとかだいだらぼっちや学童がスタートできたことは本当に幸運なことと感じています。そして何より、こどもたち自身も状況をよく理解し、自分たちの暮らしを続けるために主体者としてどうしていかなければならないか、「大人の言う通りにしなくてはいけない」ではない、「自分で自分の身を守る、自分たちで仲間の身を守る」を考える機会となったことは私たちにとっても学びとなっています。
 
 人の移動と活動が減ったことで、大気汚染の改善やCO2の減少、海や川がきれいになったいうニュースを聞くと複雑な気持ちになります。ひとつは、人間の行動が変われば確実に自然環境は良くなるという事実。やっぱり行動すれば変わるじゃないか!というもどかしさと、もう一方で、このコロナ禍が過ぎ去ったときに、揺り戻しのように経済復興が叫ばれ、また元の木阿弥に戻ってしまう危惧です。
 またテレワークで家族の時間が持てるようになったという明るい話しや、家庭学習でこどもたちが新たなチャレンジをしているという話しも聞こえてきます。一方で弱い立場の方たちはさらに追い込まれている状況も見えてきています。
 このコロナウイルス禍が生んだ様々な混乱、困難が与えるいくつかの示唆はこれまでの「当たり前」への疑問符の発露のように感じます。 

 果たしてこの状況から抜け出したときにある、私たちが本当に「求めている日常」とはいったいどんなものなのか?選び取る準備をしておかなければなりません。まだ過ぎ去っていない災害の最中ではありますが、既に新しい時代へスタートが切られているのです。 
 この時間を意味あるものに変えるのは一人ひとりなのだと強く感じます。








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