次世代を担う教師を育てる一年間の教師・指導者育成プロジェクト

【事業報告】
2010年度指導者育成プロジェクト参加者 佐藤英恵
   〜1年間実習生はなえもんの学びのコラム〜

 4月研修報告

 すべてが初めてのことだった生活も1カ月がたちました。長くもあり、あっという間でもあった四月を振り返って考えたことが三つあります。
 一つ目にここに来て初めて見えたものがありました。それはそのものの本質、根っこの部分です。私は今までキャンプの現場で相談員としてかかわっていたのですが、はじめてキャンプの事務仕事をやらせていただき、そこにはキャンプの現場では想像できない多様な事務が存在しているということを身を持って知りました。私が今までキャンプとして見ていたものにはこのような営みの積み重ねがあり、キャンプという場(現場)が当たり前のものとしてあるのではなく、多くのスタッフの想いと尽力で生み出され成り立っているのだということを目の当たりにしました。現場でこどもたちや相談員と接すること向き合えることの重みと感謝を深く心に刻むことができました。だいだらぼっちもそうです。うまくいかないこと、できないことに直面しながら、こどもたち同士ぶつかり合いながら、そのたび自分の気持ちや現実に折り合いをつけて乗り越えていく日々の積み重ねが根っこにあります。そのたびに、相談員としての自分の価値観や姿勢が問われているのだということも感じました。
 二つ目に自分なりのかかわり方について考えました。1カ月生活していくなかで私は言ったほうがいいのか、やったほうがいいのか迷う場面がとても多くありました。しかし振り返ってみて感じたのは自分が言うべきだと思ったことは言葉にして伝えるということです。一時の感情に流されず、その人にとって大切だと思ったらタイミングを逃さず伝えていきたいと思いました。
 三つ目に物事を話し合いで決めることの難しさ、大切さを感じました。ここでは大きな行事のから日々の生活のまで話し合いで決めていきます。話し合いは主張することと認め合うこと、そのために自分の意見を持つこと、みんなが納得できるような意見を創り出したり判断したりすることなど多くのことが必要となります。最初は異年齢のこどもたちが話し合いをすることはとても困難なことでした。しかし意見を言うことにためらっていたり、何を言っていいかわからなかったこどもたちも、だんだんと意思表示ができるようになったり、意見を集約してよりよいものにしようとしたり、年下のわからない子に教えてあげたりと成長していく姿を見ることができました。振り返りで新規の一大人として、自分が思ったことをきちんと伝えていくことが大切なのだと感じたので、これから「伝えること、わかりあうことをあきらめない」という私が話し合いで大切だと思うことを心に留めながら示していきたいと思っています。また、私はわからないこと、失敗することを恐れて伝えることをためらうことが多かったと気付かされました。しかし失敗することでしか得られないことがあるし、ここで生活していくことは常に悩み続けることで、そのことから逃げたりあきらめたりしないことが大切なことだということが心に響きました。来月は私が疑問に思ったこと感じたことを伝えていくことを目標にしていきたいと思います。そして最後に、1年後自分がどうなりたいかと聞かれてうまく言葉にできませんでしたが、ためらわずに伝えられるようになりたいと考えました。1年後に目指す自分に向かって、まずは毎日振り返りをして自分と向き合っていきたいと思います。


研修担当しんのふりかえり 
スタッフ・しん
 はなえもんとの振り返りで印象的だった言葉は、「こどもに言葉で伝えたらわかるのではなく、積み重ねることで身体で知っていく」でした。だいだらぼっちがはじまり一ヶ月が経ちました。こどもたちは右も左もわからない共同生活の中で、「話し合うこと」「力を寄せ合うこと」や、薪、田んぼや畑など自然から恵みを得る生活をしながら、少しずつ「だいだらぼっちってどんなところ?」ということを身体に染み込ませてきました。一方まだまだできないこと、つまずくこともたくさんあります。大人からこどもに「言えばわかる」と思い込むことは、こどもにも大人にも辛いものでもあります。「伝えたのに、伝わらない」というのは、コミュニケーションが取れていないと不安を感じるからだと思います。失敗をしないとなかなか学びにならないものなのです。はなえもん自身も「言ったほうがいいのか、やったほうがいいのか」と迷っています。これも迷いながらもそのときの最良の答えを出さないと、正しかったのか間違っていたのかはわかりません。これから残りの一年、はなえもんもたくさんのつまずきを経験することだと思います。しかしその積み重ねこそが一年後の成長のための唯一の近道だともいえるのです。

キャンプの相談員として参加していたはなえもんが、大学を休学して1年間の育成プロジェクトにチャレンジしてきました。人生を変える大きな決断。この一年がはなえもんの人生で確かな土台、根っことなることを願っております。がんばれ!はなえもん!


 5月研修報告

 5月はゴールデンウィーク合宿という大きな作業合宿と、田んぼ・畑・薪作業、ものづくりや刃物研ぎといった、暮らしの営みを肌で感じられた月でした。またそれに伴って暮らしに必要になってくるチェーンソーやビーバーの使い方の研修など、新しいスキルの学びも多い月でもありました。
また、こどもたちも私も4月がここでの暮らしに慣れることに精いっぱいだったところからやっと自分たちで‘暮らしていくこと’が始まったように思う月でもありました。

‘暮らし’になっていったからこそ見えてきたこどもたちの姿
 5月は、緊張感を持ちながらも、常に満ち溢れるエネルギーをもった4月から比べると、少しずつこどもたちの素が出てくるようになりました。
 この時期は、キャンプのような非日常的な暮らしから、本当の家族としての日常の‘暮らし’へと変わっていく過渡期である時期だと思います。‘暮らし’に変わった瞬間からやりたいことからやるべきことになり、楽しいことや思い通りにいくことだけではなくなることもたくさんありました。
 だからこそ、そのなかで揺れ動くこどもたち同士、こどもとおとなでぶつかることもたくさんありました。私はその中で自分がどうしたいか、何をしたいのかわからずにいることが多く、結果何もできないことにふがいなく感じるばかりでした。
 しかしある時、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると真正面から本音でぶつかり受け止めるスタッフの姿を目の当たりにして、それぞれのかかわり方から自分はどうしたいのか、どう向き合っていきたいのか衝撃をもって考えさせられることとなりました。振り返りの中で私は共に生活する仲間に伝えたいことをしっかり持つことと、伝え方を意識すること、あきらめない・逃がさない姿勢などを芯として持ちたいと思うようになりました。その想いを日々の生活の中で持ち続けながら向き合っていきたいです。

だいだらぼっちの生活が持つつながりが豊かだと感じた
 だいだらぼっちでは暮らしの中で野菜や猪肉や鹿肉をいただいたり、田んぼや畑で自分たちの食べ物を育てています。また村の方々や来訪者・スタッフの方々のつながりからたくさんのことを知ることができます。そのような自然や人とのつながりがあたりまえにあることが豊かなことであると感じました。
 その中には去年のこどもたちが自分たちの生活で出た生ごみから作り上げた堆肥を、今年のこどもたちが畑にまいて野菜を育てることや、近所のおばあさんの家にお邪魔してとれたての野菜をごちそうになりながらお話をしたりすることなど、自然とのつながりと人のつながりが相互に結びついて生まれているものもあると感じました。さらにだいだらぼっちに関わる人々が人や自然に対してひとりひとり違った視点や深さでかかわりを持っています。そのつながりの豊かさをこどもたちとともに感謝しながら生活の中で生かし、さらに良いつながりが持てるようにチャレンジしていきたいです。

来月に向けて
 共に‘暮らす’ことは、どれだけ思いやれるか、信頼できるかだと思います。それは時に苦しいことも辛いこともあるけれど、それを積み重ね乗り越えたところに何倍もうれしいことや楽しいこともあると感じています。どんなことがあってもつながり続けることをあきらめずに大切にしたいと思います。
 来月の目標は「伝える」ことです。いいと思ったこと、わからないこと、できること、大切だと思ったこと。それをきちんと言葉にして伝える。言葉は人を傷つけるものにもなるし、感動し勇気をもらうものにもなるとこの1カ月で実感しました。だからこそ感動し勇気をもらうものとしての言葉を大切にしたいと思います。
 のりさんからは「伝える」ことと同時に「聞く」ことを心に置いてほしいと伝えていただきました。「伝える」、「聞く」といった一方向ではなく「伝える」ことと「聞く」ことの相互のバランスを取りながら何事も前向きに楽しめる6月にしていきたいと思います。


研修担当のりのふりかえり 
スタッフ・のり
 暮らしの学校だいだらぼっちに4月に集まったこどもたちは始めの1カ月、色々なことに慣れるのに精いっぱいです。それはまるでキャンプ生活のように毎日が非日常の連続です。ところが、5月も半ばになると、毎日の段取りとり、畑・田んぼ作業、学校、ごはんづくりなどなど、だんだんと色々なことに慣れてきて、『暮らし』という日常が始まっていきます。
 1カ月もの間、非日常の中にいたこどもたちの地の部分が一気に噴き出すのがこの時期です。家族を離れてひとりの淋しさ、ごはんづくり・洗濯・そうじなど身の回りのことを全て自分たちでやる大変さ、新しい学校での緊張感などなど、隠しきれない自分の姿や仲間の姿を目の当たりにする時期なのです。

 はなえもんの5月はそういったこどもたちの姿を見て、どのように向き合えばいいのか迷った5月だったようです。ふりかえりで色々な話をしましたが、結局、話の中に答えはなく、目の前にいるこどもたちとしっかりと向き合いつづけるところに答えがあるのではという話をしました。

 けれど、さらなる疑問として「向き合うとはどういうことなのだろう?」ということをはなえもんから聞かれました。
 「こどもと向き合うことが大事です」確かに色々なところで言われ、色々な本にも書いてある言葉だと思いました。「向き合う」方法論としては色々あるのだと思います。「話す」「スキンシップ」「遊ぶ」などなど、日常生活の中に向き合う方法は溢れていると思います。けれども本当に向き合うことってどういうことなのだろうと考えると、対峙するこどもたちひとりひとりで、また、その時々で、その適切な向き合い方は違うのではないかと思います。そのやって考え出すと「向き合う」というのを言葉に「することがとても難しく思えてきました。
 そこで、後日冷静になって考えてみて、昨年の指導者育成PTのふりかえりを読み返してみました。そこに昨年ふりかえった言葉がありました。
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「価値観」や「方法論」は人によって違うし、違うからいいのだと思います。でも人として大切なことというのはそんなにみんな違わないのではないかと思います。「隣にいる人を大事にする」そんなシンプルなことなのだと思います。それができれば世界が平和になり、世界のこどもたちが自分の夢や未来を語ることができるのではないかと思います。そのために、大人として人として自分の今できることを精一杯やっていこう。
【2009年11月育成PT参加者みどとのふりかえりより】
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 私なりに思う「向き合う」ということは「隣にいる人を大事にする」ということかな…。と思いました。
はなえもんなりの「向き合う」ことを考え、行動し続けて、1年間がんばってください。


 6月研修報告

 6月はこどもたちと一緒に梅ジュース・梅干し作りや染め物をして、暮らしの中で自然のものから手をかけて手作りすることのあたたかさとおもしろさを感じました。そして一方ではキャンプに向けて現場研修や準備などを通して、いよいよキャンプの夏が来るのだという思いも高まっていきました。
 だいだら一家の暮らしも3カ月目を迎え、こどもたちとの日々の何気ない出来事や言葉、暮らしていくことの積み重ねから、自分の姿勢・あり方を大きく考え直す月でもありました。

本当に‘伝える’ことはできていたのか
 今月は「伝える」「聞く」という人と暮らす中で基本だと思うものを大切にしていこうと考えていました。しかし実際は、言わなければならないことをただ言っているだけで、言いにくいことは言うことをためらっていることが多かったと思います。そのような自分の姿勢では伝えたいことを伝えようとしても伝わらないし、私自身が伝えることから逃げていることは確実にこどもたちに鏡のように反映されてしまったと悶々と感じていました。日々「伝える」ことに悪戦苦闘している中で、本当に「伝える」ためにはその根底に信頼しあうことが必要なのではないかと思うようになりました。しかし信頼しあえるためにはどうすればいいのか、それが私にはわかりませんでした。
 振り返りをしていく中で、自分が信頼している人はどんな人なのかを考え、それは本気でぶつかり、周りの人を気にかけることができ、自分の中に芯となる価値観を持った人だと思いました。それはこどもたちも同じだよ、というぱるの言葉にはっとしました。私がそんな人になれていません。また、伝えることをためらい逃げていることは、本当にその人のことを思ってのことではなく、自分がぶつかりたくないから、傷つきたくないからで、黙ってその場を取り繕い自分を守ろうとしているだけなのだと感じました。私はそんな自分ではありたくない。ここではスタッフもこどもたちも悩みながら伝えるため言葉を紡いでいこうと必死にもがいています。そんな姿を見て、私も言葉にすることに勇気を持って、一歩踏み出したいと強く思いました。

私がここに来た意味・暮らしている意味
 「伝える」という壁にぶつかっている時、私のここに来た意味は何だろうか、そしてここで私が暮らしている意味は何か考えるようになりました。私がここに来るにあたって持っていた自分の目的、それは多様な物事・人に触れる中で自分の価値観作っていくということでした。そのなかで「自分の思いを伝えること、他者の思いを伝えることにおびえずあきらめない」「何事にもアクティブに挑戦していきたい」「その時そのタイミングで訪れたチャンスを逃さず守りに入らず進む」「日々の幸せや感動、熱さを大切に、伝染させていきたい」の4つの思いを芯にしていきたいと思っていました。思いを言葉にするのは簡単です。しかしそれを行動に移していくことはとても難しく、具体的に何をするのかも考えないまま暮らしていたため、私がここで暮らしている意味を見出せませんでした。
 ある時この不安を聞いてもらった時、「ここはみんなで作り上げている場だから一人でも欠けていたら成り立たない。自分の意味を見出すのは自分次第」という言葉をかけてもらい、それが深く心に刻まれました。まずは自分というものをもっと見つめて、今できることにまっすぐに全力で取り組んでいくことが意味を創っていくことになるのだと思えるようになりました。

さまざまな支えあい
 6月は部活などで必ずしもこどもたちみんなが時間を共有できるわけではありませんでした。しかし離れていても、離れているからこそ気持ちを寄せ合って作業や暮らしを回していく姿を目の当たりにしました。一緒に考え、汗を流し、一つの作業をすることも支え合いです。しかしそのほかに、だいだらぼっちの暮らしを支えるために何ができるかを個々が考えながら、それぞれに今できることをやっていくというもう一つの支え合いを感じることができたと思います。もちろんうまくいくことばかりではありません。けれどその中でどうやっていけばいいのか試行錯誤を重ねていくことを、こどもたちとともにこれからもやっていきたいと思いました。

来月に向けて
 だいだらぼっちで暮らしも1学期のまとめの時期に入るので、できるだけこどもたちと一緒にいる時間を大切にしたいです。それは一緒にいることでほめること、しかること、気づくことを伝えられることができると思うからです。今月も「伝える」、「聞く」ことを頑張っていきたいと思っています。
また、後半にはキャンプが始まります。準備もキャンプもあせらず一つ一つ丁寧にやっていきたいと思っています。また、昨年度まで相談員として参加していた経験を生かして、相談員の立場にも目を向けて全員でキャンプを創りあげていきたいです。



研修担当ぱるのふりかえり 
スタッフ・ぱる
  6月は、こどもたちが暮らしの中での問題点、特に、言葉づかいが悪くて相手の心を傷つけてしまったことなど、心の問題についての話し合いがあり、はなえもんもこどもと同じく「問題に向き合う、仲間に向き合う」ことの苦しさ、難しさを痛感した月だったようでした。
 考え方、好みも異なるもの同士が一つ屋根の下で暮らしているのですから、ぶつかるのは当然のことです。我慢したりしてその場をしのげば、面倒なことにならずにすむでしょう。それではよくない、問題から逃げていては何の解決にもならない、ということはわかっていながらも、実際に心が傷ついたこと、傷つけてしまったことなどを素直に伝えるのは、非常に勇気がいるものです。それはこどもも大人も全く同じです。はなえもんは、伝えることで相手を傷つけたくないのと同時に、自分が傷つきたくないから伝えられないのだと、より自分の気持ちの核心に向き合っていました。
 はなえもんは、「伝える」ためにでは何が必要か?という問いに対し、しっかりとした意見を持っていました。伝える前提として、お互いが信頼しあうことが必要なこと。そのためには、今この一瞬や一年といった期間を見るのではなく、相手の将来を想い、相手によくなってほしい、そしてよくなれる人だと信じて本気でぶつかることが大切だということ。
 「私はまだ信頼されるような人にはなれていない」とはなえもんは言っていましたが、「信頼される人」になろう、と思うと正直難しいものです。ぶれない価値観を持ち、全体を見て適切なアドバイスができる―はじめからそんなにすごいことができる人なんていませんし、それができなければ信頼されないか、というとそうではありません。信頼し合える関係作りは、まず相手を信じることから始まるのではないかと思います。自分の気持ちが鏡のようにこどもたちに反映していた、とはなえもんも実感したようですが、自分から心を開き、相手を信じることをしなければ、相手も心を開いてはくれないのではないでしょうか。相手を信じること、そのために、「相手を信じることができる」自分を信じること、まずはそこから一歩を踏み出してみましょう!何に対しても全力投球で取り組むはなえもんなら、きっと心も体も体当たりで臨めると思います!私はそんなはなえもんを信じています!


 7・8月研修報告

  7月の中旬まではキャンプの準備の時期であると同時に、だいだらぼっちは1学期のまとめの時期でした。また7月後半からは約1,100人のこどもたちや350人のボランティアと創っていく山賊キャンプが始まりました。昨年まで一人のボランティアとして参加していたキャンプにひと夏中かかわれるこということで、熱い想いと不安が渦巻いたキャンプインとなりました。   
 私はキャンプに向けて「懸」の一文字を目標にしました。それはこどもたちが一つのキャンプに想いを懸けてくるので、それにこたえられるようひとつひとつのキャンプに自分のすべてを懸けて頑張るという気持ちからです。また「相談員さんにも目を向け全員で創る」「いつも元気に笑顔で、何事も楽しむ」を具体的な目標にしました。

キャンプを通して感じたこと
 キャンプを通して感じたことが大きく2つあります。
 1つ目に、キャンプがさまざまかたちで多くの方々の支えによって成り立っている場であるということです。今年は4月から印刷や資料作成など事務局業務のお手伝いもさせていただき、スタッフの想いや尽力を感じることができました。さらにこの夏を楽しみにしているこどもたちや相談員さんの想い、もちろん自分の想いも合わさって生まれていることもしっかりと感じることができ、私にとって特別なキャンプになりました。それを受けて私が現場に出られること、かかわれることへの重さや責任、感動も一段と大きなものでした。
 2つ目に、失敗できる場のありがたさを感じました。私はキャンプ中おもにフードという食品や衛生管理について担当し、インフォメーションがうまく伝わらないなどの失敗もありましたが、そのたびフォローしてくれる仲間に助けられました。また「この失敗を次の成功のためにどう生かしていくか考えてみよう」という言葉をかけてもらい、なぜ失敗したか、次はどうしたいかという自分の学びや成長がありました。キャンプが持つそのような場が、こどもたちだけではなく私自身にも与えられていることは本当にありがたいことでした。

キャンプでできたこと、できなかったこと
 目標やキャンプ全体でできたこと、できなかったことという視点で振り返りをしました。できたこととして自分から楽しむ雰囲気を作ったり、フードの立場からみんなが動きやすくなるように伝え方ややり方を工夫したり、自分の短所を知ることがありました。それは支えてくれる仲間の存在と、さまざまな人との出会いのおかげだと思います。また逆に自分の仕事に手いっぱいになってしまい、出会った人とのよりよい関係づくりや楽しみ続けることができませんでした。キャンプでの成功も失敗も自分の答えです。すべて自分の心で受け止めて今後に生かしていきたいです。

なぜキャンプをやっているのか、キャンプが何のためにあるのか
 キャンプをしていく中で「自分はなぜキャンプをしているのか、キャンプが何のためにあるのか」という根本的な問いが自分の中に生まれました。考え続けて見つかったのは、キャンプという場はそれぞれが初めてのチャレンジ(家族から離れることや一人で寝ること、こどもたちと向き合うことなど)を抱えていて、それに仲間と取り組み、共に成長できる場だということでした。その感動や素晴らしさを身を持って感じているからこそ私はキャンプを続けているのだと思えました。またなぜあえて都会の便利さや家族と離れてキャンプをしているのか考えた時、普段当たり前にあるものが当たり前ではないことに気づかされ、それによって大切な人やものへの感謝の気持ちが生まれる場であるということにも気づくことができました。自分なりの答えを見つけることは難しいですが、その出した答えこそ本当に自分の想いとなり、キャンプでたくさんの人と向き合いそれを伝えてゆける原動力となると強く感じました。

来月に向けて〜だいだらぼっちに生かしたいこと
 「自分から発信したもの(想いや行動)は必ず伝わる」これがキャンプで教えてもらった一番のたからものだと感じています。その姿勢をだいだらぼっちでも示していくことが最も生かしたいことの一つです。またキャンプで感じた「ありがとう」という感謝を言葉にすることや、自分から問題を相談すること、余裕を持てるようにすることも日々の中で実践していきたいと思います。いいものを発信していける、そばにいる人の苦しさや痛みをわかってあげられる、そんな存在になりたいです。キャンプが終わってすぐに実践できる場があることへの感謝を力に変えて、だいだらぼっちの家族と暮らしを創っていきたいと思います。



研修担当ばんのふりかえり 
スタッフ・ばん
  7月21日から8月30日までの1ヶ月半、はなえもんには「夏の信州こども山賊キャンプ」(以下、山賊キャンプ)の運営スタッフとしての役割を担ってもらいました。山賊キャンプは、ひと夏に約1,100人のこどもと350人ものボランティアの方々が集う事業です。そこでの経験は、参加者同様はなえもんにも貴重な学びを与えてくれました。
 キャンプ中、はなえもんは「何故キャンプをしているのか分からなくなった。」と話していました。これは非常に本質的な問いです。運営という立場において、食材の仕分けや衛生・備品管理など、こどもたちが安全に生活を送るための仕事を1ヶ月半もの間続けなくてはなりません。前述したはなえもんの疑問は、目の前の仕事に追われる中で生まれた、言わば必然的な課題です。
 ここで大切なのは、「はなえもん自身がその答えを出すこと」です。山賊キャンプも団体の一事業である以上、確立された目的が存在します。しかし、ただそれを教えてもらうだけでは、ここでの学びは薄れ、活動への姿勢も消極的・受動的なものになってしまいます。そしてこどもは非常に敏感です。受け売りの答えでは心に響きません。実感・熱意のこもった答えがあって初めて相手に伝わります。だからこそ、はなえもんには(苦しい作業ではありますが)自問自答を繰り返してもらいました。
 はなえもんはここでの学びを活かし、教師になることを志しています。「何故学校があるのだろう?」「この授業は何のためにあるのだろう?」教壇に立った後も様々な課題にぶつかることでしょう。
 また、このことはこどもたちにも共通します。「宿題だから…。」「いい学校に受かるため…。」目の前のことに精一杯になっているこどもたちに、その先の未来を見つめる余裕はどれほどあるのでしょうか?はなえもんにはここでの学びを活かし、“ただ仕事をこなすだけ”ではない「物事の本質を考える、伝えられる」「こどもの失敗を受け入れ、それを成長へとつなげる」そうした教師になって欲しいと願っています。
 疑問・課題は更なる学び・成長のチャンスです。これからも頑張れはなえもん!


 9月研修報告

 8月末で一ヵ月半のキャンプが終わり、だいだらぼっちのこどもたちと過ごす毎日が戻ってきました。大峰山野宿や団結キャンプ、稲刈り、そして普段のご飯作りやものづくりなど、日常の多くの時間をこどもたちと一緒に過ごせたという実感があります。キャンプが終わりここでの生活も半年が過ぎ、その日常の中に自分を見つめなおすきっかけがいくつかありました。

大人として何ができたか
 夏のキャンプを経験し、「そこで生まれた想いをだいだらぼっちに繋げていきたい」と強く思いました。具体的には9月の目標として掲げた、想いを伝えていくこと、相談していくこと、あたりまえのことをあたりまえにしていくことです。この目標を考えながら生活していく1ヶ月のなかで、自分を考え直すきっかけとなる出来事がありました。それは団結キャンプの係の仕事をこどもたちとやっていくときに問題が起き、こどもたちが懸命に相手に想いを伝えようとしている姿を見たことです。自分もその中にいるのに、私は伝えるべき時に想いを伝えられないままになってしまいました。そのときの自分の行動は、こどもたちの関わりを信じて「待つ」ことだったのか、ただなりゆきを見て何もしていなかったのか考えてみたとき、何もしていなかったのだと気づきました。まだ「伝える」ことをためらっているのだと思い知らされました。その数日後、こどもたちがやっていることで自分は正しくないと思うことがあり、逃がさない、あきらめない覚悟をして初めて本気でぶつかりました。とても不安で、それが言葉にも表れていたのか、なかなか伝わりませんでした。あとでそのことを後悔し、もっと違う方法もあったのではないかと考えました。けれども、伝えることに挑戦したことで少しずつ何かが自分の中で変わってきているとも感じます。これを積み重ねていけば変えていけると感じられました。
4月から私はずっと「伝える」ということに躓いています。きっとそれはこどもたちや、人と関わっていく上で一生悩み続ける課題なのかもしれません。そのたびにきちんと向き合っていくことが最良の決断なのだと思います。大人として何ができたか。そう尋ねられ何も答えられませんでした。今私はここで暮らす大人のすべきことは「伝える」ことだと思っています。少しずつでもいい、うまくいかなくてもいい、けれど一歩ずつ続けていきたいです。

一つ一つのことに意味がある
 今月は夏の山賊キャンプの想い出会準備や事務仕事をやらせていただき、キャンプの現場がどれだけ多くの支えを受けて成り立っているのかということを再認識したとともに、どんなことにも意味があるのだと感じました。些細なことでもそれが何のために、誰のためのものなのかということを意識して行えば、それに対する思い入れも完成度も変わってきます。そう考え始めてから自分の周りで起こる出来事も、任される仕事や日々の掃除なども全てが尊く大切なものだと思えるようになりました。
 一方で、ここに休学して来たことで今ここでの関係性だけでなく、友達や家族との関係性も変わってきています。そのなかで自分の価値観や心は常に揺さぶられ、自分がここにいる意味はなかなか見出せないこともあります。けれどここで私ができることはたくさんあります。ひとつひとつの物事の意味のためにどうすることが一番よい方法なのか工夫して、丁寧にやっていきたいです。

来月に向けて
 10月は1年の折り返し地点です。この半年間、今までの人生の中で最もいろいろなことがあった、濃い半年間でした。その中でここに来たからこそ感じることができた協働や暮らしの楽しさ、感動、それ以上に自分と周りとが向き合うことで感じた悩みや不安がありました。10月はそれらを経験としてしまいこまず、もう一度振り返ってここでの自分のかかわり方や自分の今後にどうプラスにしていくか考えていきたいです。
 この半年間で感じているのは、自分が一方的に何かをするのではなく、お互いの想いを伝え合い、理解しようとし、ともに創りあげようとすることが相互の学びとなり教育であるということです。また言葉以上に自分の人や物事に対する姿勢が大人の姿勢として伝わるものだし、伝えることが役割だと思います。私は自分の姿勢を通じて、何事もチャレンジすること、できることを伝えていきたいと思います。




研修担当にっきのふりかえり 
スタッフ・にっき
  9月は夏休みから帰ってきただいだらぼっちのこどもたちが、だいだらぼっちでの生活も慣れ、それぞれの個性もお互いにわかりはじめてきます。各々が支えあえるようになり、様々な活動をして行く時期になります。こどもたちは運動会や文化祭などの学校行事もある中自分たちで生活を回しています。スタッフは日常の業務に加え、山賊キャンプの想い出会に向けて準備や他事業、イベントなどの準備などがある時期です。はなえもんはスタッフと一緒にだいだらぼっちのこどもたちとの生活や各種事業の準備など様々なことを経験できた月ではなかったのではないでしょうか。
 こどもたちとの生活の中では、“団結キャンプ”のまとめ役のサポートを勤め、こどもとの接し方に学びを得たようです。自分たちでやりたいと言った一方、やりたい係に付けなく積極的になれなかった子がいました。このような状況は、学校現場で起こりうることではないでしょうか?サポートするスタッフとしてどう接していくかその場にいてこどもたちとどう向き合うか悩んだようです。振り返りにもありますが、こどもたちの中で出た問題は極力こどもたちで解決していく姿勢をとりながら、「自分自身は何ができたのか?」そう自分自身に自問していたのが印象的でした。この問題は、まわりのこどもが積極的になれなかった子に泣きながら説得し、みんなで作り上げよう!と声をかけ、周りの子と一緒にサポートし、結果“信じて待つ事”とても重要なことに気付けたようです。
 伝えることについても。ただ伝えるだけでなく「本当の気持ちを伝えること、その子のことを考えた声かけをすること。」の重要性をこどもたちから教えてもらったと思います。伝えるということは簡単ではありません。インフォメーションのように一方的に伝えるのだけでなく、状況においては一人一人の個性に合わせてその子のためをもって“本気で悪いことは悪いと伝えれるようになる”こと、本人も言っていますがそこがはなえもんのこれからの課題なのではないでしょうか。
 指導者育成プロジェクトは、一年間OJTの生活ではつねに現場で様々なことを経験できることが特徴です。そこで周りのスタッフがどう対応しているのか時には見ることもできます。そうした中着実に経験を重ねて行えるのです。
 9月の振り返りをしてみて、感じたことがもう一つあります。
山賊キャンプの運営スタッフを経て、だいだらぼっちに戻ったはなえもんが少しずつではありますが自信をつけていることです。こどもたちに積極的に声かけをしている姿を目にします。自分に自信を持てるようになることは簡単ではありませんが、彼女は着実に力をつけていっています。
9月担当は主にNPO法人グリーンウッドにて事務方を担当している私が担当でもあるので、「“事務仕事”についても積極的に挑戦して学べるところは学んでみてください。」と伝えました。大学を休学してきたはなえもん、事務仕事をしてどうだったか?と聞いてみたところ、「正直楽しかった。」と言っていました。淡々とこなしていかなければならない仕事にも、1つ1つに意味があり、なぜ早くやらなくてはならないのか締め切りが決まっているのかなど、一つ一つ背景があることを経験を通して感じられたようです。その気持ちは忘れず何事にも積極的に取り組んでいって欲しいと思います。
後半年、はなえもんの成長が楽しみです。がんばれ はなえもん!!


 10月研修報告

 10月は「省みる」時期でした。折り返し地点を過ぎた今月、北東アジアの6カ国のこどもたちが泰阜に集うKids’ AUや稲刈り、村民運動会、お宮祭りなど世界から地域まで多種多様な行事がありました。なかでもKids’ AUという日常とは違う経験と、地域の行事が根っこにある「暮らしていくこと」を考え直すきっかけとなりました。

「地域で暮らしていくこと」からの学び
 前期はこどもたちやスタッフとだいだらぼっちの一員として生活することで精一杯でしたが、今月は日々の村の方とのかかわりや村の行事を通じて「地域で暮らしていくこと」とはどういうことなのかを考えました。
真っ先に感じたのは、私たちは地域に支えられて育てられているということです。地域の方々は家族のように私たちの田んぼや畑を気にかけアドバイスをくれたり、野菜をもってきてくれます。道路愛護(地域の道路掃除や草刈り)などのように地域が集まって行う作業も、自分たちの地域は自分たちで支え合っていくという「結」の精神がしっかり残っているのだと感じました。
 そしてこどもたちがそのような地域で暮らしていくことは、地域の中で支えられていること、その支え合いなしでは生きていけないことも、こどもたち自身が実感できます。私は人と共に生きようとすることを大切にしていきたいと改めて感じました。


稲刈りを通して
 半年以上もの間、多くの人たちで気持ちと労働を寄せ合って実った金色の稲穂を目の前に、さまざまないきさつで、稲刈り機で刈るか手刈りにするかこどもたちで話合いが紛糾したことがありました。そのとき自分はどうしたらよいか分からず、ともに暮らすおとなの一員としておとなのあり方はどうすればいいのだろうとあとから考えました。振り返りの中で、私はそれぞれのアプローチのしかたがある、違っていてもいいということに気づきました。なぜならひとりひとり人同士の距離感も価値観も違うからです。けれどそこには同時になぜそうしたのかを話し合える関係と時間がなければならないとも思いました。その時間と関係は今までの暮らしの積み重ねと、これからも暮らしていく仲間だという意識が作り出していくものだと感じているので、それを心掛けてかかわっていきたいです。

「暮らしていくこと」で感じたこと
 暮らしていくことは簡単ではありません。かかわって暮らしているからこそ、おとなもこどもも自分のありのままが写しだされ見られています。だから伝わらないことも、傷付けあってしまうことも、落ち込むことも、わかりあえないで苦しむこともあたりまえのことだと思います。けれど、これだけ多くの人とかかわりあって暮らしているからこそ、たくさんのことを受け取ることができます。受け取ったどんなものも、それをいかに次の自分や他者に活かせるか、プラスにできるのかという視点を大切に行動していきたいと思っています。
半年間積み重ねていくなかで今月意識したことは、今だけのことではなく、今の自分が見える範囲で先を見て、何のために伝えているのかをしっかり持って伝えていくことです。今までは言い方ややり方が悪かったと振り返ることが多かったのですが、もっと本質的なことはその言葉に何が込められているか、だと思いました。常に相手のことを想う気持ちをもって、違うと思ったことも、嬉しかったことも言葉にしていきたいです。

来月に向けて
 今の自分は、前よりも人や物事とのつながりを意識するようになったり、本当に感じていること、伝えたいことを整理しようとするようになりました。一方でまだ踏み出せないことや、やり切れていないこと感じることもいくつもあります。このように率直に眺められるようになったことに気づけたことは私にとって嬉しいことでした。
 また半年間の暮らしを通して、大切にしたいことが自分なりに持ててきたと感じています。それが自分の価値観を作っていくことだと思います。価値観を作っていくことは、人と想いを共有し自分と周りと向き合っていくことでしかできません。大切にしたいことを常に意識して行動していきたいと思います。


研修担当なおみちのふりかえり 
スタッフ・なおみち
 だいだらぼっちの1年間の折り返し地点でもある10月、たくさんの人と関わる機会を持ったはなえもんは、自分自身のことだけでなく、少し周りを見回せるようになりました。どんな人たちが自分の活動や夢を支えてきてくれたのか、顔を合わせることで実感できたのではないでしょうか?

 一緒に暮らすだいだらぼっちのこどもたちやスタッフ、地域の方、一緒に学校に通っている村のともだち、また遠方から声援を送ってくれている保護者や卒業生たち…たくさんの関わりが1人の生活を支えていることを、ここでの暮らしは、理屈でなく体験として教えてくれます。特に風土の厳しいこの土地では、支え合うことが当たり前にあり続けてきました。これが泰阜村の地に根づく「結い」の精神です。誰かと関わらなくても日常を過ごしていける現代の生活スタイルでは、忘れ去られようとしている精神でもあります。
体験を通して得たこの実感を活かしていくために、はなえもんはこれからどんなことができるでしょうか。例えば、先輩たちが泰阜村でどのように関係を作ってきたのかを聞くことや、両親がどんな社会との関わりを持って育ててきてくれたのか客観的に見てみることもよいかもしれません。自分の内側におこる成長だけでなく、外から学びとれるものも、たくさん受けとって自分の力に変えていってほしいと思います。

 新しい出会いが多かったことで必然的に自己紹介をする機会が増えた10月でしたが、初対面の方との会話で緊張している姿が印象的なはなえもんは、人見知りです。しかし、慎重に確実に関係を深めていくはなえもんの誠実で実直な人柄は裏表がなく、こどもたちや関わる人たちに安心感を与えてくれます。いつもこどもたちが群がって離れません。食事作りや作業、またのんびりと遊ぶ時間を大切にして、関わることを一生懸命考えてきたはなえもん、自信をもってその情熱を伝えていってください。あと半年、がんばって!


 11月研修報告

 11月は一言でいうと「変化」の月でした。それは私が7ヶ月間の暮らしの中で感じたり、考えたり、悩んできたことが、スッと「腑に落ちた」瞬間があったからです。
 だいだらぼっちでは下旬にあった祭りを前に、大きな話し合いが二回ありました。一つ目はともに暮らしていく上で最も大切な「仲間への思いやり」が壊れてしまう出来事があったことで起きた話し合いでした。日常でも話し合いでも、家族はおとなもこどもも思っていることを言わなければ一緒に暮らしてはいけません。頭ではそれが分かっていても、言うことが怖かったり迷って言えないことばかりだった私にとって、とても苦しいことでした。この話し合いで、日常で感じているとにかく正直な気持ちを懸命に言葉にしようとしているおとなやこどもたちを見て、言葉にできない自分に悔しい気持ちでいっぱいでした。それと同時に、自分も変わらなければならないという思いを強く抱きました。そして祭の直前に起きた大きな話し合い。何を言うべきか、どう伝えるかということではなく、思っていることを言いました。重かった心が楽になりました。真剣に聞いてくれるみんなの姿に、言ってよかったと心から思うことができました。
 この二つの話し合いで感じたのは踏み出したからこそ分かったということです。人と関わることは先のことをどんなに想像しても、やってみなければわかりません。なぜならお互いが心を持った生身の人間だからです。だからこそ失敗することももちろんあるけれど、それを打破するためにまた伝えていくこと、かかわりつづけていくことがともに生きていくことなのだと思います。また、言えない人、言える人どちらの気持ちも分かったことで、どちらの人の気持ちも尊重していくことが今の自分にできることだということも感じることができました。そして何よりも、真剣に伝えようとする姿、相手のことを分かろうとする姿が、踏み出せずにいる人の心を動かすものだと実感し、改めて一緒に暮らす仲間に感謝の思いでいっぱいになりました。人から学ぶとはまさにこのことです。
 どんなことも受けとめて一年間暮らしていく覚悟と、仲間を思いやること、信じて伝えること。あたりまえのことを大切にするためにはどうしたらいいのか。その答えを一瞬一瞬でどれだけ人や出来事と向き合って真剣に考え続けていけるかが全てだと思います。それはいつでもうまくできるわけではないし、それに真剣になればなるほど自分の弱い部分もたくさん見えて、苦しいこともあります。けれどもそんな自分も真摯に受けとめながら前に進むプラスのエネルギーをもち続けていきたいと思います。今月はだいだらぼっちでいられる時間を楽しいものに、大切にしていきたいと思います。やってみて、失敗して、苦しんで、笑って、ということをここで暮らす仲間と一緒にしていきたいです。
  


研修担当みけのふりかえり 
スタッフ・みけ
 「変化」 これは11月を一言で表すと?との問いにはなえもんがだした答えです。
だいだらぼっちで暮らすということは、それまで全く別々の暮らしをしてきた他人が集まって、仲間として、家族として、一年間の暮らしを紡いでいくということです。仲間・家族として暮らすということは、お互いにいいところも悪いところも知って、きちんと向き合っていくということです。こどもたちと向き合うことは、実は自分自身と向き合うことです。
 こどもと向き合いたい、なのに自分の思うことを伝えられず、こどもたちと向き合えない。そんな自分を真正面から受け止めることができずにいた7ヶ月を経て、言えない自分と向き合い、言えないことをきちんと捉え、仲間の姿から力をもらい、一歩踏み出して「変化」したのです。
 共に暮らす仲間の存在の大きさを、身を持って感じたはなえもん。そのはなえもんのひたむきな姿はきっとこどもたちの新たな変化や気づきをもたらすきっかけとなると思います。今の自分から一歩踏み出すことの大変さも、苦しさも、また踏み出した後に得るものの大きさも知ったはなえもんは、自分の姿が仲間にどんな力を与えられるのかを知っているのですから。
 今すぐ変化をきたしたり、分かり合えたりするということはきっと少ないでしょうけど、こどもたちにとって自分に真剣に向き合ってくれる人、自分に本気になってくれる人、自分を信じてくれる人がいることは、いつかそのことに感謝する日が必ず来るのだと思います。
 これからも等身大のはなえもんでこどもたちとぶつかって、悩んで、泣いて、笑って、自分と向き合い、こどもたちと向き合い、苦しみながらも一つずつ前に進んでいってほしいです。そのことがはなえもんのみならず、こどもたちの将来に必ずつながっているから。
 3月までの残りの時間が楽しく大切なものになるよう、一緒に丁寧に日々を紡いでいきましょうね!


 12月研修報告

 12月、だいだらぼっちでは穴窯の窯焚きがありました。窯焚きとは、こどもたちが中心となって3日間ローテーションを組んで、火を絶やさないようにしながら1250度になるまで薪をくべ焚き続けるものです。また12月中旬から冬の山賊キャンプがあり、その準備も手伝わせていただきました。この二つを振り返って感じたのが「支えかた」を考えるということでした。

8人で繋ぐ窯焚き
 11月にお互いに思いやれないことがあり二度の大きな話し合いがありました。こどもたちも私たちおとなも、今まで伝えられなったことを苦しみながらも伝えたり、お互いが理解しあい思いやりを持って暮らしていくためにどうしていきたいかをみんなで考え、人と向き合うことや自分のありかたを深く考えさせられました。私も一緒にやってみたり悩みながら進んでいった11月があって、12月はどんな状況もとにかく前向きに捉え、こどもたちと一緒に考え楽しむという気持ちを持って過ごすことを意識していました。
 そして12月中旬、窯焚きがありました。8人という少ない人数で3日間の窯焚きと生活を回していくことは大きな試練です。しかしいざはじまってみると、わからない中でみんなで考えたりアドバイスをもらいながら真剣に火と向き合い、薪割りや生活の部分もそれぞれ気を配ろうとしていました。必死で頑張っているこどもたちの姿を見て、私には何ができるだろうと考え、生活や食事の面で支えていきました。「支えかた」を考えて動けたことは私にとって大きな収穫となっています。
 
 2度目の山賊キャンプ<経験が原動力になる>
 下旬からは冬の山賊キャンプが始まりました。前半は夏と同様、本部スタッフとして食品・衛生関係を担当するフードの役割をし、1つのキャンプでプログラムを進行するPDという役割もさせていただきました。フードの仕事は夏を経験してわかっているからこそ、今回は自分も周りも動きやすくなるよう「支えかた」を考えて自分から動くことを意識しました。仕事に手一杯になってしまうことがありましたが、役割がありながらもその枠を超えて支えてもらうことがあり、お互いに支え合っているという実感がありました。
 私がPDをやるにあたっては、ばんから「自分で考えて答えを出し、やってみる」を意識してほしいと言っていただきました。「自分で考えて答えを出し、やってみる」先にあった失敗や成功は、なぜそうなったのかを腑に落ちるまで考えることとなり、より深い学びとなっています。また、一緒にキャンプを運営した本部スタッフにはさまざまな形で支えてもらったことで、自分が次に本部スタッフをするときにどう支えていきたいかも見えてきました。そこから感じたのは、支えられた経験が支える原動力になるということです。優しくされたら優しくできる。大切にされたら大切にできる。このことはすべてに通じます。こどもたちに支えられることや大切にされることを経験できるような連鎖を生みだすことをだいだらぼっちの日々の生活で、また教師となって実現していきたいと思いました。

今後に向けて
 1月も一緒にやること考えることを大切にしながら、別の形で支えることも意識していきたいと思っています。そのなかで私が一番大切にしたい「自分の思いを伝え、相手の思いを受けとめる」ことを常に自問自答しながらやっていきたいです。支えられた経験から得た、支える原動力を胸に今度はこどもたちの支える原動力を生み出せるよう支えていきたいと思います。


研修担当ばんのふりかえり 
スタッフ・ばん
 12月23日から始まった『冬の信州こども山賊キャンプ』、その最後の組ではなえもんにはPD(プログラムディレクター)としての役割を担ってもらい、キャンプの進行・運営をしてもらいました。さらに山賊キャンプの肝である「山賊会議」も全てはなえもんの進行のもとで行いました。
はなえもんは、キャンプ前に「大切なことを“大切だ”とこどもたちに伝えられるようにしたい。」と話していました。山賊会議ではキャンプのおきてと危険をこどもたちに伝えます。ここでの場は正に“大切なこと”をこどもたちに伝える最大の機会です。
 このときに感じたことは夏キャンプからの大きな成長振りでした。(私は7−8月も育成担当としてはなえもんの姿を目の当たりにしてきました。)

● 9ヶ月の体験を経て伝えることのできる言葉
山賊会議では、はなえもんの口から「こどもが主役!」「チャレンジが基本!」「みんなで支え合って楽しく過ごそう。」といったことが伝えられました。これらは言葉にすれば至極簡単で、ありふれた表現です。だからこそ、そうした言葉は口にする人によって大きく意味合いが変わってきます。
この9ヶ月、『暮らしの学校 だいだらぼっち』のこどもたちと毎日過ごしてきたはなえもんだからこそ、その言葉にはホンモノの実感・熱意がこもっていました。そして、そのことを証明するかのように、こどもたちははなえもんの言葉に真剣に耳を傾け、素直に受け止めていました。

● 自分で答えを出す強さ
「こどもと接するときにどうしたらいいか分からない。」「こどもたちが全然まとまらない・・・こんなときどうしたらいいんですか?」これから教師・指導者になる人、また、既にそうした立場でこどもと接している人は誰もがぶつかる壁でしょう。
PDとしてキャンプを進めるに当たり、私がはなえもんに出した課題は7−8月同様、「自分で考え、答えを出すこと」でした。このことでキャンプ中、はなえもんは何度も悩みました。しかし、そこには「どうしたらいいか分かりません。」と、課題解決に向けて思考を停止する姿はありませんでした。
はなえもんの言動からは、単純な知識や経験から答えを出す力ではなく、失敗を受け止める強さ、諦めずに信念を貫く姿勢を感じました。

残りの3ヶ月、これからも様々な問題にぶつかり、悩み続けることでしょう。
そうした経験は、さらにはなえもん自身が成長する、人生を豊かにするための貴重な体験となります。これからも頑張れ!はなえもん!


 1月研修報告

 1月は大きな苦しい話合いがありました。これは今までの10ヶ月が積み重なったもので、ひとりひとりがきちんと言葉にできていなかった部分が出たものでした。話し合いで長い時間をかけて伝えること、聞くことをしていくうちに、私はこどもの様子が「なんとなくいつもとちがう」と感じたときに「どうしたの。」、「何しているの。」などと何らかの行動をしていなかったことに気づかされました。なぜその場面で声にしなかったのか。一つ目の理由は無意識のうちに誰かに任せていたということです。なんとなくその様子が気になっても、誰かも気づいているかもしれない、大丈夫だろうといった気持ちが奥底にあったのではないかと感じています。つまり自分にはここで暮らしているおとなとしての当事者の意識が足りなかったのです。二つ目の理由に自分の気づいたことが、とるに足らないことかもしれない、言うことが違っていたらどうしようと思っていたということです。すなわち自分の価値観を信じられていなかったということでした。ともに暮らす仲間のことを思うならば、それでも声にして伝えることが必要であったと感じています。「当事者としての意識を持つこと」と「自分の価値観を信じること」を私の弱いところとして認め、残りの2ヶ月で芯として落としこめるよう、自分と、仲間と向き合っていきたいと思います。
 今月の振り返りでは、この10ヵ月を大きく振り返ることもしていきました。ともに暮らすことで自分が感じ、悩み、答えを見つけようとしていく過程の中で、私はこどもたちに伝えていきたい芯が見えてきたことが自分の成長だと感じています。そのうちの1つである「何事にも楽しもうとする」ことを自分が率先して姿勢として見せていくことを意識しました。それは姿勢、行動こそが周りへ伝染させる力を持っていると感じたからです。日々の中で暮らしを一緒に考えたり工夫することを心がけて、何気ない団欒の時間、週末の作業や遊びをこどもたちとひとつひとつ楽しんでいくことができました。一緒にやってみる中で、年下のこどもへのやさしさや風呂焚きの工夫、段取りのとり方など、こどもたちの成長をとても近くで感じ、私が教えてもらうことがたくさんありました。自分たちで暮らしを創っていくことは大変なこともあるなかで、こどもたち自身が主体的に楽しもうとすることが、今後ぶつかっていく困難を受け止め前向きに捉える力になると私は思います。これからも全てのことに「楽しむ」という視点を常に持って姿勢として伝えていきたいです。また、今後は長い話し合いを経験して気づかされた「当事者としての意識を持つこと」と「自分の価値観を信じること」の大切さについても、まずは自分の中に芯として落とし込んだ上で、目の前のこどもたちへもしっかり伝えていきたいです。
 来月は自分の弱さとしっかり向き合っていくとともに「こどもたちが自分で考えて決め、それを行動に移していくために自分がどう支えていくかを考えること」を目標にしていきたいと思います。だいだらぼっちは自分で決めて来て、自分たちでやるべきこと、やりたいことを決めていきます。決めたことができないとき、「自分で決めたのだからやりきりなさい」といってしまうのは簡単です。しかしそれだけではできることにはつながりません。なぜできなかったか、どうすればできたのかも考えられるように、寄り添って一緒に考えていきたいと思います。


研修担当ぱるのふりかえり 
スタッフ・ぱる
 1月のふりかえりをしてまず私が感じたことは、非常に落ち着いて自分を、全体を俯瞰して見ているはなえもんの姿でした。いい方向に変わったことは?との問いに対して、淡々と、自分の変化について話してくれました。以前は何を伝えるべきか、自分の考えに迷いがあったが、今は自分の価値判断の基準ができ、何が本当に大切なことのか、判断できるようになってきたとのこと。また大きな変化は、その「伝え方」。直接言うだけではなく、自分がやってみせてそこから学んでもらうことを意識している、とのこと。それははなえもんが12月のふりかえりでも書いているように、人から色々やってもらって初めて気付き、自分もできるようになった経験から学んだことだそうです。
 結局人は、自分でしか自分を変えられないもの。しかし、こどもよりいくらか人生を先に歩んでいる私たち大人は、その分多くの分別や知恵がある。それを背中で伝えていくことが、時間はかかるがこどもにとって確かな学びとなる、ということをこの10ヶ月を通してはなえもんは体で学び取ってきたようでした。
まさにこの10ヶ月を通して自分の核となるものを築いてきたはなえもん。それは、こどもと真正面から向き合う暮らし、キャンプなど人前に立つ経験、一年という時間をかけて作られてきた人とのつながりがあってこそ。そしてその中で苦しみも楽しみも丸ごと受け入れて、体当たりでがんばってきた自身の努力の結晶ではないかと思います。
 とはいえ、まだまだきっと色々な苦難が待ち受けています。でも、「苦楽の両方が大事」と言うはなえもんなら、失敗してもその度に考えながら、周りから学びながら、自分が正しいと信じる「自分の在り方」を前向きに進んでいけるでしょう。今は一つ一つの経験を丁寧に積み重ねるとき。一日一日を大切に、最初で最後の一年の締めくくりに向けて過ごしてほしいと思います。
 最後に、残り期間でしたいことは、地域の人や来訪者など、より多くの方に触れ、学ぶことというはなえもん。もちろん私たちスタッフからも機会は提供しますが、チャンスは自分で掴むもの。常にアンテナを張って、自ら新しい場に飛び込んで、吸収していってくださいね!


 2・3月研修報告

 この一年間、苦しいと感じることはたくさんありました。なぜならだいだらぼっちでは自分のあり方・生き方がそのまま見られ、自分の苦手なところ、弱いところもこどもたちから行動や言葉でかえってくるからです。人間関係において苦手なところ、弱いところを思い知らされ、考えさせられることが今まで少なかった私にとって、受け止めて進もうとすることはとても苦しいことでした。その中で、「人と人とが関わっていくことはこんなに苦しいことなのに、それでも出会った人たちとここで暮らしていく意味はあるのだろうか」という問いが私の中に常にありました。それに答えが出たのは、話し合いと窯焚きという2つの出来事があったからです。仲間のことを思いやれないことで繰り返される話し合いは、自分を守ろうとして伝えられないという弱さと向き合えていないことを私に気づかせてくれました。話し合いを重ねていくなかで真剣に伝えよう、聞こうというこどもとおとなの姿勢は、言葉で伝えることが人と向き合うことだと私を奮い立たせ、言葉にすることができました。穴窯の窯焚きは3日間を終え自分の役割を考えて果たせたと初めて実感することができました。逆に今までは自分に何ができるのか、役割は何なのかが見えていなかったから、暮らしている意味が見出せていなかったのだと気づきました。自分にできることは必ずあるはずだし、見えていなかったら自分で探すものだとやっと分かりました。この2つの出来事は私にとって自信になり、人とともに生きることの感動と感謝を強く感じました。
 仲間と暮らしの中で「家族」になっていく過程は、多様な個性、価値観があるからこそ、楽しいことだけではなく、こどもたちとともに悩み、ぶつかり合い、苦しみ、考え続けることです。時にはこどももおとなも涙を流し、自分の弱い心を仲間にさらけ出し、自分や仲間の過ちや失敗を認め、ずっと言えなかった思いを言葉にすることもありました。それは常にあるのがあたりまえで、苦しくても一つ一つに真剣に向き合っていれば必ず答えは見えるのだということに気づいたとき、突然心が軽くなりました。ありのままをさらけ出し、弱さに気づいたら認めて変えていけばいいのだと思えるようになったのです。
 このような一年間を経て私の中には大切にしたい芯となる価値観が育っていきました。それは工夫して楽しむこと、当事者としての意識を持つこと、自分で考えて決め行動すること、自分の弱さと向き合い認めることなどたくさんあります。ここは毎日こどもたちと生活し目の前で物事が起き、感じたことから学びとなったものをすぐに実践(つまり行動)に移せる場でした。何となく分かったと捉えていたことやここで得た学びが、繰り返し行動していくことで新しい学び、深い学びへと結びついていきました。それが一年間暮らすことでしか得られない、自分が考え抜いた先にあった本質的な学びなのだと思います。今後これらを活かしていくためには、自分の行動で伝えていくとともに、こどもたち自身が「どうすればいいか」を考えられるような言葉をかけていくことです。また、これらの学びには、その時伝えられてわからなかったことも時をへて不意に「こういうことなのか」と分かることもありました。これから腑に落ちていく学びもきっとあると感じています。こどもたちも同じです。今はわからなくても家に帰ってから、社会に出てからいつか分かる日が来ると信じ、私は自分ができる全てを懸けて向き合い続けていきたいです。
 今後は四月から大学に復学し、人と向き合うことかかわることを続け、より自分の価値観の幅を広げられるような一年を過ごしていきます。そして共に考え共に学ぶ姿勢と、芯となる価値観を行動で伝えられるような強さを持った教師となり、学んだことを糧として社会に、こどもたちに還元していきたいと思います。最後に、ここで一年間学ぶことができたのはここで暮らす仲間、友人、家族に支えられていたからです。いつでも真剣に人と向き合う仲間との出会いは私の人生の宝物です。あたたかくご指導いただきまして本当にありがとうございました。


研修担当しんのふりかえり 
スタッフ・しん
 一年間の教師・指導者育成プロジェクトが終了しました。まずははなえもん。本当にお疲れ様。そしてありがとうございました!
 一年の振り返りを見直してみると、多くの葛藤と苦悩の後が見て取れます。一番こどもの近くにいて、こどもたちの楽しいもつらいもうれしいも悲しいも、全てを体全部で受け止めてきて、途中何度も息切れしながら、打ちひしがれることもあったはずです。振り返りの中で、本人の口からも正直に、「つらくて楽しめないことがあった」とありました。それはこんなにぶつかりあいがあるのに「なぜ他人と暮らさなければいけないのか?」とわからなくなったからです。
 他人と暮らすことはもちろん楽しいこともたくさんあります。ひとりの感動をみんなで分け合い、共有することほど素晴らしいものはありません。一方で、自分の勝手が通らずわがままをいったり、ケンカをしたりと、人と暮らすことで苦しむ場面もたくさんあります。はなえもんの疑問は当然のことだと思います。
 しかし、はなえもんは答えを見つけました。それは「たくさんの人と一緒に暮らすから、自分の役割を見つけられる。」ということでした。現代社会において、人は直接だれかと関わる機会を意識的に排除しています。それは人間関係の煩わしさからです。一方でネットの世界では、知らない誰かとつながりを求めている姿もあります。
 「わからない」から「理解したい」。「わからない」から「近づかない」。どちらをとるにしろ苦しさを伴います。しかし、人はひとりでは生きていけません。
 これからはなえもんは教師となるため再び大学に戻ります。教師は決して国語や算数を教えるだけの存在ではありません。こどもたちが最初に通る「学校」という小さな社会を伝えることが大きな役割ではないでしょうか?その中できっと行き当たる「教育とは何か?」という疑問に、はなえもんはこの一年で答えにつながる糸口を見つけたはずと確信しています。
 苦しさも楽しさも「自分次第」。また大きくなって帰ってきてください。それではいってらっしゃい!はなえもん!


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