NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター
代表だいちのGREENWOODコラム


2015年2月1日
「20年目の1月17日」



「今年なんと30! 震災から20年と、自分が30になることがダブルでびっくりだよ!(笑)」

 なんとも元気なメールが神戸から届いた。20年目の1月17日は、私にとっても特別な日となった。20年前といえば私は若き24歳。大学卒業と同時に泰阜村に来て、2年目の冬。村役場での用件の時に見た、テレビの映像が忘れられない。神戸在住の友人から電話がつながったのは数日後。携帯電話もなく、安否確認に途方もない時間がかった時代だった。

 神戸の惨状をテレビや新聞で見て、いてもたってもいられずに当時の上司と共に神戸へ。若さとはそういうものなのかもしれない。何もできないことがわかっていて行くことは、ネットで現地の情報が手に入る最近ではマナー違反だろう。しかし、今と違って現地に行かねば何もわかならいまさに手探りの状況だった。気の遠くなるようなバス・電車の行列を耐え、ようやく神戸の街に足を踏み入れた時、その衝撃的な後景を見て吐き気をもよおした。

 街が歪み、どこが水平で、何が垂直かがわからなかった。
 ぺしゃんこになった家のそばで佇むおばあさん。
 避難所になった小学校で話を聞いてくれた憔悴しきった教頭先生。
 日本中の泥棒が集まっているという話を、涙を流しながら話してくれたおばちゃん。

 今も鮮明に想い出す。今思えば、泰阜村長の親書をしたためて神戸の街に入り、神戸市役所や兵庫県庁に乗り込んでその親書を渡しまくった自分は、本当に若かったと思う。村長の親書は、被災児童を泰阜村の山村留学で預かる、という内容。当時語られた「疎開」の一つのカタチである。珍しかっただろうな。信州の山奥から、神戸のこどもたちに対して「1年間、おいで」という声がかかるなんて。東日本大震災ではそれが当たり前になったが。

 神戸に何度も何度も通い、当時小4の女の子2人が、泰阜村に「疎開」してくることになった。NPOグリーンウッド・暮らしの学校「だいだらぼっち」が、震災などの重大自然災害に対して身の丈にあった支援を行った最初である。懇意だった神戸の市民団体が「疎開」のニーズを拾う。そして被災児童2人を暮らしの学校「だいだらぼっち」で受け入れる。その参加費用は泰阜村行政が負担する。20年前に、この構造を創ったことは画期的だった。

 1年間、泰阜村で山村留学をした女の子。今年、30歳になる。冒頭のコメントは、その子からのメールだ。この世の終わりともいうべき惨状を目の当たりにした彼女。血の涙を流しながらも、親元を離れて信州で1年間暮らす決意をした10歳の彼女。私は彼女をわが子のように、わが妹のように、1年間向き合った。そして、その後の20年間も。
この20年に、彼女の身には多くの困難がふりかかっただろう(今回のメールにも、彼女の友人が向き合う苦悩が語られていました)。多くの幸せもまた降り注いだだろう。生きていればこそ、である。

30歳か。今からだよ。支えてる。一生支え続ける。一緒にがんばろう。

 私も20の歳をとった。もう44歳である。  (代表 辻だいち)




2015年1月20日
「磨かれた“ことば”が試される」



「『ことばの森』を育てなさい」

 先日、私が主任講師をする講座で「伝わる文章の書き方」という講義があった。自然体験やアウトドアを仕事にする団体の若手職員を、一堂に集めた研修講座である。講師に招いた赤羽博之(フリー編集者&ライター)が、受講者に向けた冒頭の言葉。実に腑に落ちる。

 自然や身体と向き合うことが多いこの業界で、とかく文章を書くことは遠ざけがちになる。ましてや相手にきちんと伝わる文章を書くとなると、まるで歯が立たない、途方に暮れる、立ち往生する、というのは、この業界ならずともよく見られる光景だろう。

 今回の「伝わる文章の書き方」では、遂行技術や校正技術のテクニックを学んだ。それは言葉や文を自在に扱うための「言葉の基礎体力」ともいうべきものだ。しかし、赤羽氏は「それだけではない」という。「基礎体力」をいかすも殺すも、「ことばの森」の質次第だ、というのである。ことばの森とは、体内にある日本語データベースでありそれは日々育てることができるものだそうだ。

 3年前(2011年11月)に、私は本を出版した。「奇跡のむらの物語 〜1000人の子どもが限界集落をすくう!」(農文協)という本だ。人口1800人の泰阜村の風土や文化から導き出した教育力によって事業を行い、支え合いの地域作りに挑戦する。そんなNPOグリーンウッドの25年の歴史と実践をまとめたノンフィクションである。「山村」「教育」「NPO」という、誰がどう考えても食えない活動を、ソーシャルビジネスとして成立させた軌跡も綴られている。

 それが、もうすぐ1万部を超えるという。読んだ人からの読みうつし、口うつし、手うつしで、今や韓国(ハングルに翻訳されている)にも広がっていっているというから驚きである。「読みやすい、面白い」という感想がたくさん寄せられるが、お世辞にも私にはテクニックや「言葉の基礎体力」はない。では、なぜそう言っていただけるのだろうか。

 もしかすると、私の体内には「ことばの森」が少々育っていたのかもしれない。泰阜村で展開されるすったもんだの教育活動を、文章にしたため始めたのが20年前。まだ20代前半の頃だ。それ以降、新聞の連載、雑誌への寄稿、論文執筆…。たどたどしくありながらも書き続けてきた。私が担当するこのコラムも1999年に始まり、最近のNPOグリーンウッドのブログ「地域の教育力を発揮するプロジェクト」もほとんど私が執筆している。

 赤羽さんは、「ことばの森を育てるには栄養が必要。それは、聞く、読む、話す、書くことの質を深めること」と言っている。私は自分のことばの森に、20年かけて栄養を送り続けていたのかもしれない。

 ただ、私の場合は、栄養だけではないだろう。私の中にあることばの森を育てるのは、栄養と同時に「土」だ。それはつまり泰阜村である。自然、文化、歴史、人々の営み、暮らし、それらが重層的に絡み合う「土壌」にほかならない。

 一文字一文字の小さな力を侮るなかれ。私が渾身の力を振り絞って書いた言葉は、泰阜村の土壌から産み出されたものだ。それらには拙著の題材にもなる泰阜村の壮絶な暮らしの営みと、私の人生を支えてくれる多くの人びとの歴史が流れている。

 言葉を磨け―。ずいぶんと前に人に言われたことがある。それはつまり、土壌を創れ、栄養を送れ、森を育てろ、ということだったのだろう。それがようやく腑に落ちる若輩者であることを痛感する。3年たってようやく1万人の人の手元に渡った。それがまだまだ広がるのか、もう終わるのか。揺るぎない強い意志と磨かれた言葉の力が、改めて試される。(代表 辻だいち)



NPOグリーンウッドスタッフ一同、今年も言葉を磨いていきます。以下のコラム、ブログなどをご笑覧いただき、率直なご意見をお寄せいただければ幸いです。

●代表だいちの「GREENWOODコラム」
●事務局長しんの「エデュケーションコラム」 
●スタッフブログ「グリーンウッド的あんじゃねライフ」
●ブログ「地域の教育力を発揮するプロジェクト」(ほぼ代表だいちが執筆しています) 




2014年8月
支え合いが日本を再生する



 今夏も、私たちNPOグリーンウッドでは地元の村と住民との協働で、福島の被災児童を自然体験キャンプに招待しました。1年間の長期山村留学にも被災児童を受け入れています。これで4年目になる継続支援です。
地元の村は南信州:泰阜村。人口1800人を切る、国道も信号もコンビニもない、文字通り「何もない村」です。
 21世紀に入り、「自立支援」の名のもとに、老人や若者、母子家庭、そして子どもにも「自己責任」と「自立」が強要されるような政策が実施されてきました。個人の能力を高めて自立せよ、と迫る政策は、人間をばらばらな孤立した存在にし、およそ「自立」できない個人、集団、地域に「自立」を強要します。
 要は、「自分が強くなる」ことが「自立」だといいます。しかし、どうも腑に落ちません。
南信州で長年にわたり青少年の山村留学や自然体験キャンプを続けてきた私にとっては、個人の能力にスポットをあててそこをいくら強化しても、それは本質的な自立とはいえないのではないか、という思いが常につきまといます。
 22年間見続けてきた子どもたちの姿は、決して「強い個人」ではありませんでした。むしろ、思い通りに進まないことに腹を立てたり、自分のことを自分で決められなかったり、仲間のことを思いやれないといった「弱い個人」の姿です。そんな「弱い」子どもたちであっても、支え合い認め合う仲間がそこに存在するという安心感の中で、確かに成長していく場面を見続けてきました。

 その昔、山村留学に目のつりあがった小5の女の子が参加してきました。触るもの皆傷つける、といった雰囲気です。彼女の口癖は「どうせ」でした。
「どうせ私の言うことなんて聞いてくれないんでしょ!」
「どうせ私なんかできないから!」
「どうせ大人が決めるんでしょ!」
 悲しいほどまでに、自分の可能性を低く設定し、自分を否定的にとらえています。おそらくそれまでの10年間、そういうことを学習してきてしまったのでしょう。
 当然、毎日毎日、仲間とケンカでした。それでも共に暮らしを創る仲間は誰も、彼女と関係性を創ることもまたあきらめませんでした。みんなで彼女の意見を大事にし続けました。
 その日々の積み重ねが、いつしか彼女に「自分の意見が大事にされている」と気づかせるようになります。この「周りから認められる」という実感と、その実感を積み重ねることが、大事なのです。
 「認められている」という実感は次に、周りを「認めよう」とする姿勢に発展します。彼女は1年かけて周りから認められる実感をその手に握りました。その実感を通して、周りの人たちを認めることができるようになりました。そしてつりあがった目は、見事なまでにやさしくなりました。

 「支えられている、認められている、応援されている」ということを、子どもたち自身が実感できる場や、実感できる周囲との関係性が本当に少ない。その安心感があれば、周りを支え、認め、応援することを自らできるようになるでしょう。
 同じことは、子どもだけでなく、生産能力が低いとされてきた老人や障がいを持つ人びとにも当てはまります。彼らもまた、それぞれが「自立」しているから「支え合う」ことができるのではなく、「支えあう」からこそ「自立」して生きようと思えるようになるのではないでしょうか。
 新自由主義政策のはざまで息切れしそうな農山漁村もまた、もはや単独で「強くなれ」と迫ること自体に限界が来ています。東日本大震災で被災した小さな地域や、この3年間で次々に起こる自然災害の被災地は、今「支え合い」ながら「自立」しようとしているではないですか。

 「『支えあい』の中から滲み出るように生まれる確かな『自立心』」。それが「自律」です。この国にはそれが欠けています。
 東日本大震災で被災した福島の子どもたちに、甚大な被害を被った広島の子どもたちに、疲弊しきったへき地山村に、「もっと強くなれ」と誰が言えるのでしょうか。子ども、老人、障がい者、へき地・・・、小さな力を侮ってはいけません。
 より弱いものが犠牲になり続けてきた歴史にピリオドを打ち、「支えあい」による「自律の国づくり」に踏み出したい。
 満州開拓、植林、減反、自治体合併・・・、国策に翻弄され、非効率の名のもとに切り捨てられてきたへき地山村泰阜村から、今こそ日本再生のメッセージを発信したいと強く想います。(代表 辻だいち)




2014年7月
私たちにはキャンプがある


 私たちNPOグリーンウッドのビジョンは、「あんじゃね」な社会です。「あんじゃね」とは、「案ずることはない」すなわち「大丈夫だ」「心配するな」「安心せよ」という意味を持つ、南信州の方言です。人と自然の関係性、人と社会の関係性、人と人との関係性、それらが安心な関係性でいられるような社会を目指しています。

 ところが、この数年、青少年をとりまく社会環境はどうでしょうか。震災を始め、猛烈な台風、ゲリラ豪雨や土砂崩れなど、人と自然の関係は今や最も危ういステージを迎えています。
 世界中でまたぞろ繰り広げられる戦争や内紛は、とどまることを知らず、むしろ時間が逆戻りするかのようです。そして、国民の声に耳を傾けないまま閣議決定で歴史を変えていく私たち日本は、いったいどこに向かうのでしょうか。
 そして、毎日ニュースを賑わす殺人事件やイジメ、虐殺は後を絶たず、飲酒運転や脱法(危険)ドラッグなど、「人々の良心などどこにあるのか」と疑ってしまうほどです。
 
 7月1日。私たちのこどもたちが、将来、戦争に加担する可能性を排除できないことが決まった歴史的な日になってしまうのかもしれません。
 社会に横たわるこの無力感。閉塞感。人々が「どうせ」と思ってしまうのも無理はないのではないか、と私まで思ってしまいそうです。

 でも、私は想うのです。「私たちには山賊キャンプがある」と。
 思い通りにならない状況を、力ずくで解決しようとすること、数に任せて相手に言うことを聞かそうとすることは、私たちが目指す「あんじゃね」な社会につながるものではありません。
お互いを認め合うこと、尊重すること、支え合うこと、力と知恵を合わせること、そして未来を創ること。
キャンプでは、それができる。そういうことを大切にできる心を培うことができるのが、キャンプだと、強く想うのです。
そう、私たちには山賊キャンプがあります。7月1日は確かに残念な夏の日です。でも、同じこの夏には、8月6日があるではないか。8月9日があるではないか。8月15日があるではないか。福島からこどもたちが来るではないか。全国からこどもたちが集まってくるではないか。それを支える青年が世界中から集まってくるではないか。そして、そのキャンプを、1800人の村民がこんなにも支えてくれるではないか。

 世の中に横たわる無力感、閉塞感に、私たちはキャンプで立ち向かいたい。キャンプを開催できることに幸せを感じたい、と強く想います。(代表 辻だいち)


 代表コラムが滞ってしまいました。申し訳ありません。震災支援ブログを頻繁に私が主に執筆する、震災支援ブログで毎日筆をとっていることもあります(そちらのブログ(東日本大震災支援 地域の教育力を発揮するプロジェクト)もぜひ見てください)。申し訳ありません。ぼちぼち進めていこうと思いますので、よろしくお願い申し上げます。




2012年12月21日
多数決 〜こどもたちは見ている〜


 暮らしの学校「だいだらぼっち」では、物事を多数決で決めません。一人でも反対者がいれば、その人の意見に耳を傾けます。仲間と暮らすうえで困ったことは、何時間でも何日でも、時には一年かけてでも、自分たちが納得のいくまで話し合って決めてきました。
 かつて10対1の意見対立がありました。いくら多数決がないとはいえ、1の意見に10の意見がひっくりかえることはまずないだろうと思っていました。それが見事にひっくり返ったことがあります。「従来の多数決」ならあっという間に除外された1の意見。しかし、1の意見を大事にしようとした子どもが10人いたのです。
 私は思います。こうした自分(と自分の意見)が大切にされている経験を重ねること、そして相手(と相手の意見を)大事にするという経験を、丁寧に積み重ねることが、今の子どもたちに求められているのだ、ということを。

 私は実は多数決はあってもいいと思っています。ただし、私が出会うこどもたちは、多数決の本質を学ばないまま「多数決」を使っていると感じます。こどもたちが使う「多数決」は、例えば最終採択で10対9の結果が出た場合、「10の勝ち」で「9の負け」を意味しています。「9の意見は抹殺すればいい」という解釈を学んできてしまっているのです。そして「多数決は民主主義だ」とも。
 しかし、民主主義=多数決ではありません。本来「多数決」とは、少数意見を多数意見に反映するための決め事だったのではないのでしょうか。少数意見に耳を傾け、尊重し、多数意見に少数意見を反映する調整をして結論を出す。時間はかかり、ときには少数意見に近い結論にひっくりかえるときもあるでしょう。このような「一人一人(の意見)を大事にし」つつルールや結論を決める、という民主主義の土台を教えていくのが教育の役割の一つです。
 でも、私が出会うこどもたちは、そんな教育を受けていないように思えてなりません。私は、「少数意見を尊重する多数決」であれば使っていいと思いますが、「少数意見を抹殺する多数決」は使いません。こどもたちが、「少数意見を尊重する多数決」を学習して社会に出ていくために、暮らしの学校「だいだらぼっち」では「少数意見を抹殺する多数決」は使わないのです。
 子どもの自覚と責任でまわす暮らし。こども参画と自己決定を大事する暮らし。一人一人を大事にする暮らし。それはまさに民主主義を学ぶ場です。暮らしの学校「だいだらぼっち」の暮らしは、話し合いの中での議論を通して、民主主義を具体的に学ぶ場でもあるのです。


 翻って、年の瀬に行われた総選挙。1人を選ぶ小選挙区の選挙は、まさに「多数決」です。全国を見渡せば、数百票の僅差で勝敗が分かれた選挙区もありました。おそらく51%対49%の対立だったのでしょう。さて、この場合の「多数決」は、「51の勝ち=49という少数意見を抹殺する多数決」でしょうか、それとも「49という少数意見を尊重する多数決」でしょうか。
 政権復帰する党の得票率と議席獲得率に大差があり、民意とかけ離れている、と言います。それは「死に票」という文字が表すように、少数意見が抹殺されることを前提にしているからでしょう。少数意見が尊重され、多数意見に反映されるのであれば「死に票」にはなりません。しかし、現実には「死に票」と言わざるを得ない、あたかも多数意見が強いような政治が繰り返されてきた歴史でした。
 総選挙を経て、少数意見が死なないように、多数意見に反映される政治になるのでしょうか。それとも、またぞろ少数意見をまるで無視するような多数=強い政治になるのでしょうか。それが問われています。次の時代を担うこどもたちは、実はそこをしっかりと見ているのですから。
 本当の意味での民主主義を、こどもたちに培ってもらいたい。2012年の終わりに、強く思いました。私たち大人のふんばりどころです。
 
 代表 辻だいち

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