NPO法人 グリーンウッド自然体験教育センター
代表だいちのGREENWOODコラム


2008年12月13日
『百箇日を終えて』

 郷里の福井県小浜市から泰阜村に帰る途中でコラムを書いています。9月に他界した親父の百箇日の法要でした。法要の和尚曰く、ここから法事が始まる、ということです。今回は兄が不在のため、私が代理で主催者となりました。
 三日前の12月10日は、親父が生きていれば84回目の誕生日です。その日、私は韓国ソウルにいました。翌日11日は中国大連。親父が命を削って力を注いだ中国東北部で、親父の人生と私の人生を、ぼんやりと考えてみました。
 小浜の実家では、資料の底の底から28年前の家族写真が出てきたようです。10歳の頃の私の顔は、私の長男(現在10歳)の顔に本当にそっくりでした。私もそうやって親父にそっくりだと言われ続けてきたのでしょうか。外見だけではなく、人生の歩みもまた、引き継いで生きたいものです。
 小浜市は、昨年のNHK朝の連続ドラマ「ちりとてちん」に引き続き、新大統領の誕生で、たいへん大きな騒ぎになっているようです。海があり、国宝文化があり、食文化も豊かな小さな街です。若狭の地へもぜひお出かけ下さい。    (事務局長 辻だいち)




2008年11月23日
『素晴らしき仲間の結婚式にて』

 11月23日の夕方、私は結婚披露宴の二つある主賓席の一つに座っていました。主賓席に座るのは初めてのことです。
 泰阜村に来てはや16年が経とうとしています。これくらい長くやると、山賊キャンプ(グリーンウッド主催事業)運営を共にした学生ボランティア同士の結婚式に呼ばれるようになるんですね。それにしても、私が主賓席に、そして招待されたボランティアリーダーもまた主賓テーブルに座っているところをみると、いかに結婚する2人にとって山賊キャンプが大きい位置を占めているかがわかります。
 新郎新婦それぞれに恩師がいて、今の職場の上司もいます。その方々を差し置いて、私たちが主賓テーブルに座っていいのかな?と恐縮するのですが、新郎新婦は「山賊キャンプの仲間だから、主賓テーブルなんです」とあっけらかんと言います。でも、恩師も上司も、山賊キャンプが2人の出会いの場であり人生を深めた場であることを理解しているようで、私(だけではなくグリーンウッドのスタッフや歴史)に対して感謝の言葉をいただきました。
 新郎新婦ともに教育の場で働き、今後の活躍が期待されています。これは、青年教育に力を入れて、彼らを輩出した教育団体としては、教育者冥利に尽きるというものです。これからも、彼らとは公私ともども豊かで熱いつきあいが続きそうです。
 披露宴は、彼らの人となりを感じるあたたかいものでした。私は乾杯のスピーチと発声、そしてボランティアリーダーとともに余興にも駆り出されました。余興では主役どころかギターの伴奏でした(笑)。でも、私を「だいち、何やってんのよ!」と怒鳴るボランティアリーダーとの共演は、とても心地よい時空間でもありました。
 来週末は、暮らしの学校「だいだらぼっち」の卒業生が、オーストラリアで結婚式を挙げるようです。招待されたのですが、残念ながら行けません。本当は、何をおいても行きたかったのですが。
 彼らの人生の中に、私達の教育活動が大きな位置を占めているということを、しっかりと肝に銘じなければいけないな、と思う晩秋です。    (事務局長 辻だいち)




2008年11月9日
『質的研究と卒業生』

  今年度、グリーンウッド付属の研究所(といっても所長は私で、研究員は2人)では、暮らしの学校「だいだらぼっち」の卒業生にとって「だいだらぼっち」での経験が、どのような意味を持っているのか、ということを明らかにする質的研究を行っています。
 今まで様々な人に「だいだらぼっちに参加して、子ども達はどう変わるのですか?」と聞かれ続けてきました。私たちスタッフは「1年で変わるものはそう大事なものではない。大事なことは10年、20年たって変わるものですよ」と答え続けてきました。それはもちろん正論だと信じていますが、しかしそこには客観性がないのも事実です。
 そろそろこの効果というものを明らかにしなければ、と思うのですがそこには問題がありました。卒業生300人に対してアンケートをとり、その結果を数字で表す方法(量的研究)もあるのですが、「だいだらぼっち」の効果測定にその方法はそぐわないのではないか、ということです。量的研究において設定された指標から導き出された数字の結果には、少数の人の声や微妙で複雑な思いなどは表れにくいからです。「だいだらぼっち」の効果測定には、少数の人からゆっくりと時間をかけて話を聞き、そこから考察する「質的研究」が適していると判断しました。
 私がインタビューを担当したのは、95年〜96年に「だいだらぼっち」に参加した女性2人でした。泰阜村での「だいだらぼっち」の生活を終え、都会に帰ってからのギャップ、それをどう乗り越えたのか、共に過ごした仲間やスタッフ、村の人や学校の先生がどういう存在で、その存在が人生にどのような影響を与えてきたのか、そして学んだことが自らの人生にどのようにいかされているのか、など、聞けば聞くほど、彼女達もどんどんと、本質的な話をしてくれました。
 もう彼女達は小学生ではないのですね(当たり前ですね)。本当にしっかり意見を持ち、そしてその意見を言っています。そして、小学生時代の1年、2年といった時間を、もう今ではお金は買えない時間を、彼女達の人生にとってかけがえのない経験として位置づけている彼女達が、確かに目の前にいました。
そして東京の品川駅改札口の向こうに、都会の20代の女性達とまったく違和感なく、彼女達は手を振りながら消えていきました。
 今年度始めた質的研究。卒業生の力を借りて、しっかりと形にまとめていかなければと思います。がんばります。   (事務局長 辻だいち)




2008年10月30日
『通報のシステムを知っておく 〜備えるための連載その2〜』

 緊急事態において一般市民が通報した時点から救急車が現場に到着するまでの全国平均時間は6.5分です(平成17年度消防庁統計)。救急車が多数配備されている都市圏であればこの数字は減少しますし、逆に救急車配備が遅れまた救急車配備地から現場までが遠いという物理的に厳しい状況におかれている僻地農山漁村などはこの数字が著しく増加します。例えば、人口1,000人以下の自治体が多く含まれる長野県南部・飯田下伊那地域では、平均到達時間は8分にもなります。下伊那郡泰阜村をとりあげれば、平均到達時間は15分〜20分に増加します。
 この全国平均到達時間を「魔の6分」といいます。なぜかと言えば、前回の「備えるための連載その1」でお伝えしたように、心臓停止から6分で蘇生率が10%台に低下してしまうからです。「救急車さえ来てくれれば何とかなる」と思いがちですが、現実は甘くはありません。救急車が車での6分間に何もしなければ、蘇生する可能性はほぼなくなってしまうのです。
 この意味で、6分の間に一般市民が施す応急手当(一次救命処置)が重要な意味を持つことはおわかりいただけると思います。しかし、とにもかくにもまずは通報すること、そしてできるだけ早く救急車(二次救命処置)に来てもらうことにまずは努力をしなければなりません。
 最近の数年で、救急車全国平均到達時間は増加しています。その原因は、携帯電話による通報が圧倒的に増加してきたことにあります。固定電話による通報は救急センター側でどこから電話がかかっているかという住所を特定できますが、携帯電話による通報は住所を特定できません。よって通話中に、住所を伝える必要がありますが、緊急事態に直面したときに正確に住所を伝えることができるかといえば、そう簡単ではありません。このように、携帯電話による通報の割合が増えたことにより、住所が正確に救急センター側に伝わるまでに時間がかかってしまうという事態が頻繁に起こることになってしまったのです(ようやくGPSによる位置確定のサービスが一部始まりましたが)。携帯電話が普及されるという文明の発達が、6分を切っていた平均到達時間が6.5分に増加させたという皮肉な結果はきちんと認識しておくことが重要です。       (事務局長 辻だいち)




2008年10月22日
『49日を終えて』

 事務局長だいちのコラムも8月と9月はペースダウンしました。それには、私事ですが理由があるのです(言い訳ですが・・・)。
父が9月上旬に他界しました。8月中旬に危篤に近い状況に陥り、母一人の看病では心もとないということで、交替で看病、そして郷里の福井と泰阜村を往復する日々でした。通夜葬儀関係の行事が一旦区切りのついた後も、一人きりになってしまった母が心配だったり、墓や家や何やらと、待ったなしの状況を処理するには、郷里と泰阜村を往復するだけではない疲労が積み重なったなあ、と思います。もっとも、実家に近いところにいる兄がほとんどを担ってくれたのですが。
つい先日、49日の法要が終わり、三途の川を渡ったり閻魔大王と面会した父もようやく仏になったものと安堵した次第です。納骨のときに、父の骨はもちろんですが、祖父と祖母の骨を見ることができました。私の記憶にない祖父の骨にはさほどの感慨もなかったのですが(おじいちゃんごめんなさい)、33年ぶりに再会した祖母の骨を見たときは思わず抱きしめたくなるような感じになりました。
話が脱線しました。
 通夜・葬儀は、朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の舞台となった福井県小浜市の、山沿いに近い小さな集落で、各界から多くの方の参列をいただいて営まれました。父は集落の青年団長に始まる長年の青年団活動から国政に身を転じ、常に青年や大衆といった弱者の立場に依拠した政治活動を進めていました。小さな田舎から大きい視点で社会を変革しようと生き続けた父と、それを支えた名もなき大衆の想いに、感謝とともに感動を覚える葬儀でした。
 私も、ほうっておけば吹き飛びそうなへき地に身をおき、子ども達への教育とともに、青年教育・青年育成に力を入れてきました。今後も、大局的な視野を持ちつつ、小さくとも社会を変える原動力となるような取り組みを強い意志を持って進めていきたいと思います。
 最後になりますが、有形無形のご支援や激励をいただき、本当に本当に感謝しております。皆様、ありがとうございました。        (事務局長 辻だいち)


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