2003年6月15日 『山村と体験教育 〜腑に落ちる森林体験教育の提案〜
PART1』
島づくりと森林 「島の人間は、海抜きには島づくりを考えられない」 東京の離島・神津島村の人が言い切った言葉である。最近この言葉をあちこちで使わせいただいている。私は青少年の自然体験活動を推進するNPO法人で働きながら、長野県森林審議会委員や長野県が力を入れている長野県森林保全条例検討委員会委員を拝命し森林行政に提言をしているのだが、その場でよく言うのである。 360度海に囲まれた絶海の孤島では、猛威を振るう海といえどもいかに資源としてとらえていくかが島づくりの鍵である。ひるがえって森林県と言われる長野県はどうか。果たして森や川を島の人がとらえる海のように壮絶な思いでとらえながら地域づくりをしてきただろうか。残念ながら森林・里山林を背後に抱えながらも一般的な都市生活を送っているのが長野県の現状である。私が働くNPOは長野県の南端にある人口2100人の僻地山村が拠点だが、この山村ですら同様の状況である。 何が言いたいのかというと、森と県民の暮らしがすっかり遊離しているのではないかということである。私は森林の専門家ではないが、その立場で森林審議会で審議される森林計画書などを見るにつけ「220万長野県民のほとんどがこの計画存在そのものを知らない」と感じる。県の職員が「この計画を縦覧したところHPで800件のアクセスがありました」と報告しているのを聞くと「800人しかアクセスがなかったのか・・・」と沈んでしまう。語弊を恐れずに言えばもはや森に囲まれた長野県民ですらすっかり森を自らの暮らしから除外して日々を過ごしているのである。 長野県ですらこの有様なのだから東京などでは森と住民のつながりはどのようなものなのだろうかと考えると気が遠くなる。しかし、日本全国、都市山村の区別なく、森と暮らしがすでにかけ離れている中で日々の日常は動いていることをまず認識しなければ議論が始まらない。
つなぐ役割 さて、この県民の意識を森につなげる妙案は何なのだろうか? 審議会や検討委員会ではこのレベルの話ではなく林業をどう発展させるのかという産業振興議論に移ってしまうが、それよりも意識作りがまず先なのではと思う人はは私だけではなく最近周りにも多くなったように思える。 2002年9月ヨハネスブルクで開催された「持続可能な開発に関する首脳会議」で興味深い提案を聞いた。「持続可能な開発のための教育10年」という提案である。これは持続可能な社会を創るために、環境、人権、貧困、男女差別、南北問題、平和、障害者などなどあらゆる分野での教育を10年間徹底していこうという趣旨だ。 なるほどと腑に落ちる。持続可能な社会創りには教育という視点も重要だということだ。そう言えば数年前に意見交換した駐日バングラデシュ大使が「民主主義国家を創るための最重要課題は教育だ」と言っていたのを思い出す。話がそれた。この提案から示唆されることは、森林を見つめるのには林業という産業振興の視点だけではなく、多様な視点を持つべきということである。 そう思うと、やはり森林と県民をつなぐには教育の重要性は高いのではないか。森作りには「教育」の視点が欠かせないのではないかと感じるのだ。
(これは財団法人日本緑化センター機関紙に寄稿した原稿です。3回にわたり紹介します)
2003年5月6日 『ご存知ですか? 環境教育振興法』
■環境保全の活動やその促進のため、環境教育・環境学習の促進のための法整備が進んでいます。
■具体的には、環境学習や環境保全活動を進める法律が早ければ今国会で審議される予定です。現在、政府や与党で検討している法案では、自治体が環境教育の基本計画を制定、人材育成や拠点整備、推進のための情報提供や体験活動の機会を普及する措置をとる事などがあげられています。 環境教育については、体験活動を重要視し、学校・地域・家庭・職場などで取り組むものである事が検討されそうです。
■環境教育を推進する法案の成立には、市民団体も協議会を作り申請するなどの動きも見られます。 環境教育への関心の高まりや、市民からの要求は今後も大きくなりそうです。
2002年5月1日 『「何もない」その豊かさ:伊那谷あんじゃね自然学校開校』
■「この村には何もない」。よく聞かれる言葉です。その「何もない」土地で、自然と共存しながら生きぬいてきた人々の知恵、つまり「生きる知恵」こそ私たちは子どもたちに伝えていなければならないのではないでしょうか。 ■しかし、これらの「知恵」を子どもたちが積極的に学ぶ機会は少なかったと思われます。泰阜村における体験学習とは、まさにこれらの「知恵」をあらためて学ぶことであり、日々都市化の影響が濃くなっていく地域のこどもたちが「地域の原点」を心と体で学ぶことだと考えます。 ■私は現在、長野県森林審議委員として森林政策に提言をしております。様々な議論が交わされるわけですが、森林をとらえる時には川、流域、暮らしなどトータルで見つめないと狭い議論になってしまいます。この自然学校は森林環境教育の事業を行うことになっておりますが、「木を見て森を見ず」にならないよう森林体験に限らず幅広い体験活動を行っていきたいと考えます。
■伊那谷あんじゃね自然学校が、地域に育つ子どもたちの全人的成長と地域の豊かさの再発見につながることを期待しております。
2002年4月7日 『村の子の仲間入り:あいさつまわり』
◆「こんにちわ!!今年もメンバーが代わったのであいさつに来ました!!」「ぼくは大阪から来た・・・」 ◆4月7日、暮らしの学校「だいだらぼっち」恒例の「あいさつまわり」があった。東京、千葉、神奈川、愛知、岐阜、滋賀、大阪、長野・・・と全国から集まってきた子どもたちは、4月1日より泰阜村民となる。1年間お世話になる地域の人たちに、顔を覚えてもらう。 ◆戸数にして20戸ほど。一軒一軒の距離が離れているのでけっこう時間がかかる。顔を出したつくし、のびる、カンゾウに、「えっ!? これ食べられるの?」とびっくりしつつ、こどもたちは春のあぜ道を心地よく歩く。 ◆この地域には、「屋号」という家の名前がある。「亀屋」「紺屋」「柏屋」「丸屋」「島垣外」・・・。こどもたちはそれにまたびっくりする。暮らしの学校の屋号はご存じ「だいだらぼっち」。設立以来17年、地域の人たちから特別扱いされることなく、ひとつの家として存在してきた。 ◆「つらいこともあるけれど、とってもいいところだもんで、しっかりがんばれや」。あたたかく見守り、そして時には厳しくこどもたちをしかってくれる地域のおじいま(おじいさまのこと)、あばあま(おばあさまのこと)の存在は、地域社会の崩壊が顕著な現代においては、とても貴重な財産だ。
◆今年も、やすおか村に元気なこどもたちの声が響く。
2002年3月8日 『よみがえれ神津島! エコ・ツアーにかける想い』
■3月4日から7日まで、伊豆諸島の神津島へ行ってきました。神津島村役場の観光課に呼ばれていきました。東京から船で11時間。人口約2200人の島には、エコ・ツアーを推進しようとする人々が迎えてくれました。 ■2001年夏、神津島を震度6の大地震が襲いました。幸い死者は一人だったものの、島内のあちこちで土砂崩れなどが起こり、今なおそのツメ跡が残ります。それまで年間数万人と言われた観光客は風評被害もあって激減しました。島の人々はこれを機に、開発型ではない島の自然環境や文化を活用した観光を趣向しようということで検討を続けてきたということです。 ■なぜ、私どもNPOグリーンウッドが講師として呼ばれたのか。それは、私どもNPOグリーンウッドの拠点である泰阜村も人口2300人でありながら、何もない地域がそれを逆手にとって、年間5000人を超える自然体験交流人口を確保してきたこと、その実践から学ぼうということだそうです。 ■神津島はすばらしい自然にあふれていました。私は島の人々にエコ・ツアーの説明をしたり、体験ツアーということで島をめぐったりしました。島の人々は口々に、「こんな所は都会の人は喜ばない」「見どころがない」と言います。島の人は、島の自然、特に身近な自然が都会の人をひきつけるということをなかなか理解できないでいます。ダイナミックな海や山だけが人をひきつけるのではない、島の人々の歴史が刻み込まれた身近な自然に人はひきこまれる、島の物語を誇りを持って伝えることができればエコ・ツアーになるんだ、と一所懸命伝えました。 ■体験ツアーでは、講師である私が参加者つまり島民に質問し、島の人々がが島の自然や文化や歴史を説明しているという構図になりました。それでいいのです。「なんだ、こんなんでいいんだ」「無理しなくていいんだ」「これくらいなら私だってできる」と気づいてくれたことが大事なのです。私の役割は、外部の優秀なコンサルタントではなく、同じ地域課題を抱えた良き仲間としてアドバイスすることなのです。 ■絶海の孤島の人々が、生きることにかける思いは壮絶です。神津島の、復興にかける情熱を感じました。2002年4月からはジェット船が就航し、東京と2時間台で結ばれるとのこと。また、東京都民は神津島を旅行される際に最大1万円の助成金があるとのことです。ぜひ皆様も、お出かけください。
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