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代表だいちのGREENWOODコラム

 2004年1月1日 
『新春お年玉マラソン大会』


 新年明けましておめでとうございます。南信州・泰阜村は、快晴の元旦を迎えました。これで10年連続で雨や雪の降らない元旦です。
 この元旦の朝に、NPOグリーンウッドの拠点である泰阜村田本地区で、今年で19年続けられているイベントがあります。新春お年玉マラソン大会と呼ばれるこのイベントは、地区住民約300人が元旦の朝みんなで顔をあわせてマラソンを行い、その後新年会をするという内容のイベントです。
 19年前に田本地区の若手15人が実行委員会を作り、元旦の朝から地域を盛り上げようと企画したのが始まりで、地区住民もこぞって支援しています。地区住民も元旦の朝からよく出てくるなあと思いますが、若手有志もよく19年も「やろう」という気持ちを持ち続けられるものだなあと感心します。
 私もこの実行委員会に10年前から参画し、地区の若手有志の情熱を肌で感じています。このマラソン大会に、NPOグリーンウッド主催の「信州こども山賊冬キャンプ」のこどもたち・ボランティアスタッフも毎年参加させてもらっています。地区の人々にとっては「よそもの」であるこどもたちですが、そんな狭い感覚でみる住民はいません。こどもは「この社会の財産である」、という感覚で、よそものであるこどもたちをあたたかく迎えてくれます。そんな雰囲気がたまらないのでしょうか、年末年始のキャンプは毎年大人気のコースとなっているのです。
 地域の教育力がまだまだ息づいているこの泰阜村。今年もまた泰阜村のファンが増えました。この泰阜村は合併せず自律の道を歩もうとしています。みなさんもぜひ一度足をお運びください。(事務局長 辻)



2003年12月4日
シナリオのない長野県生涯学習審議会



 12月4日、泰阜村から車で4時間かかる長野県庁に行ってきた。それにしても広い長野県である。今回県庁に行った目的は長野県の生涯学習審議会に参加するためである。委員の改選を迎えた今夏、委員を公募していることを聞き、作文を書いて応募したのである。幸いなことに当選し、2年間の任期で委員に就任した。

 12名の委員は前回の委員から一新されたという。審議会の進め方も事務局側のシナリオがほとんどないという従来の県政では想像できないようなスタイルであった。

 生涯学習の分野は広い。委員それぞれの立場から、県の立場から、直面する課題や模索するべき方向などをまずは意見交換した。私は、「持続可能な地域づくり」という視点から生涯学習をとらえていきたいという趣旨で発言した。

 従来の審議会は年に一度ないし二度の形骸化した会議を行うだけだった。しかし、今回の審議会は、予算の範囲ではあるが、何度も開催して議論を重ねていくことになる、と委員全会一致で決めた。今までにない建設的な審議会になるのではないかと期待したい。

 この審議会の会長は、委員の互選により信州大学教授が選出された。ここまでは順当であるが、会長代理(副会長)は、これも互選により私が選ばれた。NPOのしかも30代の人間が選ばれるのだから本当にシナリオのない会である。(事務局長 辻)


 
2003年9月15日 
『日本一安全な地域プロジェクト〜お礼が言いたい〜』



 先日NPOグリーンウッド事務局に電話があった。「お礼が言いたい」ということだった。聞けば、NPOグリーンウッドが主催している救急救命法講習会を4月に受講した女性の方らしい。この講座は心肺蘇生法を中心とした救命法と止血法などの救急法をセットで習得できる画期的な講座であり、グリーンウッド内に国際インストラクターを擁している。彼女が言うには、交通事故で実際に心臓停止してしまった人を目の前にしたということ。看護婦である彼女は、「すべてがそろっている手術室ではなく、何もない普通の住空間での応急処置を学びたい」と受講された。その彼女が、手術室ではなく何もない一般の住空間で、まさに試された。講習会で学んだことを思い出し、忠実に守って実行するたびに、周囲からの応援が加わった。そして心臓停止した患者は、見事に蘇ったらしい。
 現在、心臓停止で病院に運ばれる患者のうち助かるのはわずか3%である。残りの97%の中には、救急車が到着するまでに応急処置を受けていれば助かったかもしれない患者が多数含まれる。NPOグリーンウッドでは、小児用・成人用の救急救命法講習会の実施や安全教育ワークショップを開催するなど、長野県南部地域を「日本一安全な地域」にするプロジェクトを昨年より続けている。3%がもう少し高い数字になるように、地域でこどもが安心して遊べる地域社会をつくるために、ぜひ講習会を受講してみてはいかがだろうか。



 
2003年8月15日 
『山村と体験教育 〜腑に落ちる森林体験教育の提案〜 PART3(全3回)』


長野県のユニークな事例
 しかし、長野県の南端の山村に、このふたつの要素を相乗的に響き合わせて実施しているたいへんユニークな活動がある。それを紹介してみたい。
「・・・風呂焚きでは、ガスではなく、薪を使っています。ゴエモン風呂です。薪は村の人にお願いして山に入らせてもらい、間伐させてもらいます。切り倒した薪を、みんなで力を合わせて山の中からひきずりおろしてきます。とても危険です。作業の日を決めて、割れそうなものは、オノで割り、フシなどがあって割れそうにないものは薪割り機で割ります。私の経験から言うと、割りやすい木はスギやナラです。割りにくい木はリンゴです。3ヶ月以上、乾燥させて使っています。冬になればフロの他に薪ストーブにも使います。からだの芯からあたたかくなってきます。・・・」
これは、平成12年の教育改革国民会議(首相諮問機関)の公聴会において、全国で唯一中学生として意見を発表した「暮らしの学校:だいだらぼっち」の女の子の声である。
「暮らしの学校:だいだらぼっち」とは、NPO法人グリーンウッド自然体験教育センターが主催する日本最長の自然体験・生活体験教育プログラムである。全国から集まった20人の子供達が1年間山村に滞在して里山管理を自らてがけ、管理のプロセスで生じた薪で風呂やストーブを焚いて生活する。秋に里山の間伐、葉枯らし。冬に修羅場を作って山から薪出し。春・夏はひたすら薪割りと薪積み。次の秋・冬でやっと薪風呂焚き、薪ストーブ焚き、登り窯焚き。その後、灰を陶芸食器の上薬や草木染めの焙煎剤に活用したり、家具を木工で作ったりして、山の恵みを活用した「暮らし」を創る。まるでテレビドラマで有名な「北の国から」のようだ。「暮らし」が潜在的に持つ長期的ダイナミズムを見事に教育プログラムとして編成している。

これが山村での体験教育だ
 環境省・林野庁と長野県は、暮らしの学校の事例に着目し、平成13年度よりNPOグリーンウッドの拠点である長野県泰阜村において、自然学校や自然体験指導者養成などの協働事業を展開し始めている。私はその事業責任者なのだが、ここでこれらの事業から導き出される「これが山村での体験教育だ」とも言うべきユニークな提言をしたいと思う。
 それは「中山間地域の小・中・高校では薪ストーブで生活する」というものである。燃料を遠く中近東から運んでくるストーブでは環境教育の切り口にもならない。学校林を持つ持たないに関らず、近くの里山林を子供達が整備して薪を確保し、その薪を燃料にして冬を過ごすのだ。子供達も冬を暖かく過ごすためには「本気」になる。この「本気」が教育活動の要なのだ。里山の整備にはもちろん地元の林家や森林組合も関る。子供達が薪ストーブで「あたたかい」と思えたときこそ森林と暮らしと地域が結びつくのである。
里山林からの恵みを暮らしに落とし込んで初めて、里山林を自らの問題としてとらることができる。そして都会から1年間のスパンでこどもたちを滞在させ、こどもレベルでの都市山村交流が図れれば、教育効果を高めるうえでなおいい。
山村での森林体験は何も非日常のイベントを繰り返すことばかりではない。子供達の「本気」をいかに引き出すかの鍵は、実は日常の中に潜んでいる。言い換えれば、暮らしの中の「必然性」と森林・里山林をむすびつけることが重要なのだ。

 この提言のモデルは「暮らしの学校:だいだらぼっち」である。民間の有志が築いてきた18年の歴史が、薪ストーブ構想実現の可能性と有効性を物語る。やればできるのだ。
 「暮らし」からかけ離れた教育活動に「生きる力」を育む力はない。学校で木は燃えるという知識をいくら得ても、暮らしの中でマッチすら扱えない子供が火を扱うことは難しいのだ。もう一度教育の軸を「暮らし」に移すという歴史的な役割が、山村での体験教育・森林環境教育にあるように思えてならない。
(これは財団法人日本緑化センター機関紙に寄稿した原稿です。3回にわたり紹介します)



 
2003年7月15日 
『山村と体験教育 〜腑に落ちる森林体験教育の提案〜 PART2(全3回)』


腑に落ちる森林環境教育
 しかし、日本の中でどれだけの森林に関する教育が行われてきたのだろうか。例えば林野庁が使う「森林環境教育」という言葉。使われ始めたのは最近だが、いったいそれは何なのか?という気持ちがいつもつきまとう。森林を活用した環境教育活動なのだろうと考えてみるが、目隠しをして森を歩いたりルーペで森を観察するような活動がそれだと言われるとどうも「腑に落ちない」。
本来森林や里山林ひいては山村構造は、人間の暮らしと密接に結びついていたはずで、そこのところを切り取っての教育活動で森林・里山林・山村を本当に理解できるのだろうか?と思ってしまうのである。確かに欧米のプログラム理論で編成された環境教育教材は、目に見える成果=感動や気づきを私たちにある意味劇的にもたらせてくれる。しかし、森林・里山林での教育活動の役割はむしろ、目に見えない成果にスポットをあてる長期的な視点を持つことにあるのではないだろうか。
本来長期的スパンである「森林」なのに、そこで実践される教育活動は短期スパンなのが日本の現状だ。それは、とりもなおさず森林・里山林と私たち人間の暮らしとがかけ離れて存在してきているからに他ならない。これでは本当に「木を見て森を見ず」ではないか。

山村留学と森林体験
 次は文部科学省管轄だがほとんど認知度がない「山村留学」という言葉。山村留学とは、都会のこどもが山村に移り住み1年間山村の学校へ通うという取組で、全国で120団体が運営していると言われる。しかし、里親スタイルで運営している山村留学はまだ理解できるが、1億以上もかけたホテル並の建物の中でそうじも洗濯も食事作りも寮母さんのような人がやり、個室も冷暖房も完備しているという便利な生活をしているのをそうだといわれるとこれまた「腑に落ちない」。
私は平成11年度に文部省(当時)委嘱山村留学研究会委員として全国調査をした。私の解釈では、山村留学とは「山村地域の生活構造を教育プログラム化して児童・生徒に理解させること」だと考えている。
この意味では、多くの山村留学が陥っている山村で都会暮らしをするという、その山村地域が受け継いできた生活とかけ離れた1年間をすごすことに、いったいどのような学びがあるのかだろうか?と疑問にすら思ってしまう。
(これは財団法人日本緑化センター機関紙に寄稿した原稿です。3回にわたり紹介します。)




2003年6月15日 
『山村と体験教育 〜腑に落ちる森林体験教育の提案〜 PART1』


島づくりと森林
「島の人間は、海抜きには島づくりを考えられない」 東京の離島・神津島村の人が言い切った言葉である。最近この言葉をあちこちで使わせいただいている。私は青少年の自然体験活動を推進するNPO法人で働きながら、長野県森林審議会委員や長野県が力を入れている長野県森林保全条例検討委員会委員を拝命し森林行政に提言をしているのだが、その場でよく言うのである。
 360度海に囲まれた絶海の孤島では、猛威を振るう海といえどもいかに資源としてとらえていくかが島づくりの鍵である。ひるがえって森林県と言われる長野県はどうか。果たして森や川を島の人がとらえる海のように壮絶な思いでとらえながら地域づくりをしてきただろうか。残念ながら森林・里山林を背後に抱えながらも一般的な都市生活を送っているのが長野県の現状である。私が働くNPOは長野県の南端にある人口2100人の僻地山村が拠点だが、この山村ですら同様の状況である。 何が言いたいのかというと、森と県民の暮らしがすっかり遊離しているのではないかということである。私は森林の専門家ではないが、その立場で森林審議会で審議される森林計画書などを見るにつけ「220万長野県民のほとんどがこの計画存在そのものを知らない」と感じる。県の職員が「この計画を縦覧したところHPで800件のアクセスがありました」と報告しているのを聞くと「800人しかアクセスがなかったのか・・・」と沈んでしまう。語弊を恐れずに言えばもはや森に囲まれた長野県民ですらすっかり森を自らの暮らしから除外して日々を過ごしているのである。
 長野県ですらこの有様なのだから東京などでは森と住民のつながりはどのようなものなのだろうかと考えると気が遠くなる。しかし、日本全国、都市山村の区別なく、森と暮らしがすでにかけ離れている中で日々の日常は動いていることをまず認識しなければ議論が始まらない。

つなぐ役割
さて、この県民の意識を森につなげる妙案は何なのだろうか? 審議会や検討委員会ではこのレベルの話ではなく林業をどう発展させるのかという産業振興議論に移ってしまうが、それよりも意識作りがまず先なのではと思う人はは私だけではなく最近周りにも多くなったように思える。
 2002年9月ヨハネスブルクで開催された「持続可能な開発に関する首脳会議」で興味深い提案を聞いた。「持続可能な開発のための教育10年」という提案である。これは持続可能な社会を創るために、環境、人権、貧困、男女差別、南北問題、平和、障害者などなどあらゆる分野での教育を10年間徹底していこうという趣旨だ。
なるほどと腑に落ちる。持続可能な社会創りには教育という視点も重要だということだ。そう言えば数年前に意見交換した駐日バングラデシュ大使が「民主主義国家を創るための最重要課題は教育だ」と言っていたのを思い出す。話がそれた。この提案から示唆されることは、森林を見つめるのには林業という産業振興の視点だけではなく、多様な視点を持つべきということである。
 そう思うと、やはり森林と県民をつなぐには教育の重要性は高いのではないか。森作りには「教育」の視点が欠かせないのではないかと感じるのだ。
(これは財団法人日本緑化センター機関紙に寄稿した原稿です。3回にわたり紹介します)




 2003年5月6日 
『ご存知ですか? 環境教育振興法』


■環境保全の活動やその促進のため、環境教育・環境学習の促進のための法整備が進んでいます。

■具体的には、環境学習や環境保全活動を進める法律が早ければ今国会で審議される予定です。現在、政府や与党で検討している法案では、自治体が環境教育の基本計画を制定、人材育成や拠点整備、推進のための情報提供や体験活動の機会を普及する措置をとる事などがあげられています。
環境教育については、体験活動を重要視し、学校・地域・家庭・職場などで取り組むものである事が検討されそうです。

■環境教育を推進する法案の成立には、市民団体も協議会を作り申請するなどの動きも見られます。
環境教育への関心の高まりや、市民からの要求は今後も大きくなりそうです。




 2002年5月1日 
『「何もない」その豊かさ:伊那谷あんじゃね自然学校開校』


■「この村には何もない」。よく聞かれる言葉です。その「何もない」土地で、自然と共存しながら生きぬいてきた人々の知恵、つまり「生きる知恵」こそ私たちは子どもたちに伝えていなければならないのではないでしょうか。
■しかし、これらの「知恵」を子どもたちが積極的に学ぶ機会は少なかったと思われます。泰阜村における体験学習とは、まさにこれらの「知恵」をあらためて学ぶことであり、日々都市化の影響が濃くなっていく地域のこどもたちが「地域の原点」を心と体で学ぶことだと考えます。
■私は現在、長野県森林審議委員として森林政策に提言をしております。様々な議論が交わされるわけですが、森林をとらえる時には川、流域、暮らしなどトータルで見つめないと狭い議論になってしまいます。この自然学校は森林環境教育の事業を行うことになっておりますが、「木を見て森を見ず」にならないよう森林体験に限らず幅広い体験活動を行っていきたいと考えます。
■伊那谷あんじゃね自然学校が、地域に育つ子どもたちの全人的成長と地域の豊かさの再発見につながることを期待しております。



 
2002年4月7日 
『村の子の仲間入り:あいさつまわり』


◆「こんにちわ!!今年もメンバーが代わったのであいさつに来ました!!」「ぼくは大阪から来た・・・」
◆4月7日、暮らしの学校「だいだらぼっち」恒例の「あいさつまわり」があった。東京、千葉、神奈川、愛知、岐阜、滋賀、大阪、長野・・・と全国から集まってきた子どもたちは、4月1日より泰阜村民となる。1年間お世話になる地域の人たちに、顔を覚えてもらう。
◆戸数にして20戸ほど。一軒一軒の距離が離れているのでけっこう時間がかかる。顔を出したつくし、のびる、カンゾウに、「えっ!? これ食べられるの?」とびっくりしつつ、こどもたちは春のあぜ道を心地よく歩く。
◆この地域には、「屋号」という家の名前がある。「亀屋」「紺屋」「柏屋」「丸屋」「島垣外」・・・。こどもたちはそれにまたびっくりする。暮らしの学校の屋号はご存じ「だいだらぼっち」。設立以来17年、地域の人たちから特別扱いされることなく、ひとつの家として存在してきた。
◆「つらいこともあるけれど、とってもいいところだもんで、しっかりがんばれや」。あたたかく見守り、そして時には厳しくこどもたちをしかってくれる地域のおじいま(おじいさまのこと)、あばあま(おばあさまのこと)の存在は、地域社会の崩壊が顕著な現代においては、とても貴重な財産だ。
◆今年も、やすおか村に元気なこどもたちの声が響く。




 2002年3月8日 
『よみがえれ神津島! エコ・ツアーにかける想い』


■3月4日から7日まで、伊豆諸島の神津島へ行ってきました。神津島村役場の観光課に呼ばれていきました。東京から船で11時間。人口約2200人の島には、エコ・ツアーを推進しようとする人々が迎えてくれました。
■2001年夏、神津島を震度6の大地震が襲いました。幸い死者は一人だったものの、島内のあちこちで土砂崩れなどが起こり、今なおそのツメ跡が残ります。それまで年間数万人と言われた観光客は風評被害もあって激減しました。島の人々はこれを機に、開発型ではない島の自然環境や文化を活用した観光を趣向しようということで検討を続けてきたということです。
■なぜ、私どもNPOグリーンウッドが講師として呼ばれたのか。それは、私どもNPOグリーンウッドの拠点である泰阜村も人口2300人でありながら、何もない地域がそれを逆手にとって、年間5000人を超える自然体験交流人口を確保してきたこと、その実践から学ぼうということだそうです。
■神津島はすばらしい自然にあふれていました。私は島の人々にエコ・ツアーの説明をしたり、体験ツアーということで島をめぐったりしました。島の人々は口々に、「こんな所は都会の人は喜ばない」「見どころがない」と言います。島の人は、島の自然、特に身近な自然が都会の人をひきつけるということをなかなか理解できないでいます。ダイナミックな海や山だけが人をひきつけるのではない、島の人々の歴史が刻み込まれた身近な自然に人はひきこまれる、島の物語を誇りを持って伝えることができればエコ・ツアーになるんだ、と一所懸命伝えました。
■体験ツアーでは、講師である私が参加者つまり島民に質問し、島の人々がが島の自然や文化や歴史を説明しているという構図になりました。それでいいのです。「なんだ、こんなんでいいんだ」「無理しなくていいんだ」「これくらいなら私だってできる」と気づいてくれたことが大事なのです。私の役割は、外部の優秀なコンサルタントではなく、同じ地域課題を抱えた良き仲間としてアドバイスすることなのです。
■絶海の孤島の人々が、生きることにかける思いは壮絶です。神津島の、復興にかける情熱を感じました。2002年4月からはジェット船が就航し、東京と2時間台で結ばれるとのこと。また、東京都民は神津島を旅行される際に最大1万円の助成金があるとのことです。ぜひ皆様も、お出かけください。




 2003年6月15日 
『山村と体験教育 〜腑に落ちる森林体験教育の提案〜 PART1』


島づくりと森林
「島の人間は、海抜きには島づくりを考えられない」 東京の離島・神津島村の人が言い切った言葉である。最近この言葉をあちこちで使わせいただいている。私は青少年の自然体験活動を推進するNPO法人で働きながら、長野県森林審議会委員や長野県が力を入れている長野県森林保全条例検討委員会委員を拝命し森林行政に提言をしているのだが、その場でよく言うのである。
 360度海に囲まれた絶海の孤島では、猛威を振るう海といえどもいかに資源としてとらえていくかが島づくりの鍵である。ひるがえって森林県と言われる長野県はどうか。果たして森や川を島の人がとらえる海のように壮絶な思いでとらえながら地域づくりをしてきただろうか。残念ながら森林・里山林を背後に抱えながらも一般的な都市生活を送っているのが長野県の現状である。私が働くNPOは長野県の南端にある人口2100人の僻地山村が拠点だが、この山村ですら同様の状況である。 何が言いたいのかというと、森と県民の暮らしがすっかり遊離しているのではないかということである。私は森林の専門家ではないが、その立場で森林審議会で審議される森林計画書などを見るにつけ「220万長野県民のほとんどがこの計画存在そのものを知らない」と感じる。県の職員が「この計画を縦覧したところHPで800件のアクセスがありました」と報告しているのを聞くと「800人しかアクセスがなかったのか・・・」と沈んでしまう。語弊を恐れずに言えばもはや森に囲まれた長野県民ですらすっかり森を自らの暮らしから除外して日々を過ごしているのである。
 長野県ですらこの有様なのだから東京などでは森と住民のつながりはどのようなものなのだろうかと考えると気が遠くなる。しかし、日本全国、都市山村の区別なく、森と暮らしがすでにかけ離れている中で日々の日常は動いていることをまず認識しなければ議論が始まらない。

つなぐ役割
さて、この県民の意識を森につなげる妙案は何なのだろうか? 審議会や検討委員会ではこのレベルの話ではなく林業をどう発展させるのかという産業振興議論に移ってしまうが、それよりも意識作りがまず先なのではと思う人はは私だけではなく最近周りにも多くなったように思える。
 2002年9月ヨハネスブルクで開催された「持続可能な開発に関する首脳会議」で興味深い提案を聞いた。「持続可能な開発のための教育10年」という提案である。これは持続可能な社会を創るために、環境、人権、貧困、男女差別、南北問題、平和、障害者などなどあらゆる分野での教育を10年間徹底していこうという趣旨だ。
なるほどと腑に落ちる。持続可能な社会創りには教育という視点も重要だということだ。そう言えば数年前に意見交換した駐日バングラデシュ大使が「民主主義国家を創るための最重要課題は教育だ」と言っていたのを思い出す。話がそれた。この提案から示唆されることは、森林を見つめるのには林業という産業振興の視点だけではなく、多様な視点を持つべきということである。
 そう思うと、やはり森林と県民をつなぐには教育の重要性は高いのではないか。森作りには「教育」の視点が欠かせないのではないかと感じるのだ。
(これは財団法人日本緑化センター機関紙に寄稿した原稿です。3回にわたり紹介します)



 2003年5月6日 
『ご存知ですか? 環境教育振興法』


■環境保全の活動やその促進のため、環境教育・環境学習の促進のための法整備が進んでいます。

■具体的には、環境学習や環境保全活動を進める法律が早ければ今国会で審議される予定です。現在、政府や与党で検討している法案では、自治体が環境教育の基本計画を制定、人材育成や拠点整備、推進のための情報提供や体験活動の機会を普及する措置をとる事などがあげられています。
環境教育については、体験活動を重要視し、学校・地域・家庭・職場などで取り組むものである事が検討されそうです。

■環境教育を推進する法案の成立には、市民団体も協議会を作り申請するなどの動きも見られます。
環境教育への関心の高まりや、市民からの要求は今後も大きくなりそうです。


 
2002年5月1日 
『「何もない」その豊かさ:伊那谷あんじゃね自然学校開校』


■「この村には何もない」。よく聞かれる言葉です。その「何もない」土地で、自然と共存しながら生きぬいてきた人々の知恵、つまり「生きる知恵」こそ私たちは子どもたちに伝えていなければならないのではないでしょうか。
■しかし、これらの「知恵」を子どもたちが積極的に学ぶ機会は少なかったと思われます。泰阜村における体験学習とは、まさにこれらの「知恵」をあらためて学ぶことであり、日々都市化の影響が濃くなっていく地域のこどもたちが「地域の原点」を心と体で学ぶことだと考えます。
■私は現在、長野県森林審議委員として森林政策に提言をしております。様々な議論が交わされるわけですが、森林をとらえる時には川、流域、暮らしなどトータルで見つめないと狭い議論になってしまいます。この自然学校は森林環境教育の事業を行うことになっておりますが、「木を見て森を見ず」にならないよう森林体験に限らず幅広い体験活動を行っていきたいと考えます。
■伊那谷あんじゃね自然学校が、地域に育つ子どもたちの全人的成長と地域の豊かさの再発見につながることを期待しております。



 2002年4月7日 
『村の子の仲間入り:あいさつまわり』


◆「こんにちわ!!今年もメンバーが代わったのであいさつに来ました!!」「ぼくは大阪から来た・・・」
◆4月7日、暮らしの学校「だいだらぼっち」恒例の「あいさつまわり」があった。東京、千葉、神奈川、愛知、岐阜、滋賀、大阪、長野・・・と全国から集まってきた子どもたちは、4月1日より泰阜村民となる。1年間お世話になる地域の人たちに、顔を覚えてもらう。
◆戸数にして20戸ほど。一軒一軒の距離が離れているのでけっこう時間がかかる。顔を出したつくし、のびる、カンゾウに、「えっ!? これ食べられるの?」とびっくりしつつ、こどもたちは春のあぜ道を心地よく歩く。
◆この地域には、「屋号」という家の名前がある。「亀屋」「紺屋」「柏屋」「丸屋」「島垣外」・・・。こどもたちはそれにまたびっくりする。暮らしの学校の屋号はご存じ「だいだらぼっち」。設立以来17年、地域の人たちから特別扱いされることなく、ひとつの家として存在してきた。
◆「つらいこともあるけれど、とってもいいところだもんで、しっかりがんばれや」。あたたかく見守り、そして時には厳しくこどもたちをしかってくれる地域のおじいま(おじいさまのこと)、あばあま(おばあさまのこと)の存在は、地域社会の崩壊が顕著な現代においては、とても貴重な財産だ。
◆今年も、やすおか村に元気なこどもたちの声が響く。



 2002年3月8日 
『よみがえれ神津島! エコ・ツアーにかける想い』


■3月4日から7日まで、伊豆諸島の神津島へ行ってきました。神津島村役場の観光課に呼ばれていきました。東京から船で11時間。人口約2200人の島には、エコ・ツアーを推進しようとする人々が迎えてくれました。
■2001年夏、神津島を震度6の大地震が襲いました。幸い死者は一人だったものの、島内のあちこちで土砂崩れなどが起こり、今なおそのツメ跡が残ります。それまで年間数万人と言われた観光客は風評被害もあって激減しました。島の人々はこれを機に、開発型ではない島の自然環境や文化を活用した観光を趣向しようということで検討を続けてきたということです。
■なぜ、私どもNPOグリーンウッドが講師として呼ばれたのか。それは、私どもNPOグリーンウッドの拠点である泰阜村も人口2300人でありながら、何もない地域がそれを逆手にとって、年間5000人を超える自然体験交流人口を確保してきたこと、その実践から学ぼうということだそうです。
■神津島はすばらしい自然にあふれていました。私は島の人々にエコ・ツアーの説明をしたり、体験ツアーということで島をめぐったりしました。島の人々は口々に、「こんな所は都会の人は喜ばない」「見どころがない」と言います。島の人は、島の自然、特に身近な自然が都会の人をひきつけるということをなかなか理解できないでいます。ダイナミックな海や山だけが人をひきつけるのではない、島の人々の歴史が刻み込まれた身近な自然に人はひきこまれる、島の物語を誇りを持って伝えることができればエコ・ツアーになるんだ、と一所懸命伝えました。
■体験ツアーでは、講師である私が参加者つまり島民に質問し、島の人々がが島の自然や文化や歴史を説明しているという構図になりました。それでいいのです。「なんだ、こんなんでいいんだ」「無理しなくていいんだ」「これくらいなら私だってできる」と気づいてくれたことが大事なのです。私の役割は、外部の優秀なコンサルタントではなく、同じ地域課題を抱えた良き仲間としてアドバイスすることなのです。
■絶海の孤島の人々が、生きることにかける思いは壮絶です。神津島の、復興にかける情熱を感じました。2002年4月からはジェット船が就航し、東京と2時間台で結ばれるとのこと。また、東京都民は神津島を旅行される際に最大1万円の助成金があるとのことです。ぜひ皆様も、お出かけください。



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