1月28日 『寒中休み:9ヶ月経過した「だいだらぼっち」のこどもたち』
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◆毎年1月の下旬から2月上旬の4、5日間、泰阜村の小中学校は「寒中休み」と言われる休業がある。信州の学校にはこういった「田植え休み」「稲刈り休み」と言われる短期の休業が存在する。今年の「寒中休み」は1月26日から1月30日の5日間。
◆暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちは、この5日間を自分達で企画したプログラムを次々実践している。26日は、2月中旬に予定している「登り窯」に向けて、焼き物の「素焼き」を行った。自分達で丁寧に作った花瓶やお皿などを800度くらいまで焼く。もちろんガス窯に作品を積むのも、ガス窯を駆使して運営するのも、こどもたちである。
◆マキ小屋では、登り窯に使用する大量のマキを、これまたこどもたちが「このメンバーで一番良い方法」を考え出して、どんどん割っている。うまくいかない場合は「話し合い」によって知恵を出し合い、方法を修正して再び割る。
◆庭では、薪の整理作業が始まった。こちらの薪は風呂用である。どうやら風呂用の薪が少なくなっていたことに気がつかなかったらしい。自分たちが入るお風呂のためなら、寒空の下でもがんばれるのである。
◆28日には、マキ割りで忙しい合間を縫って、近くの村に全員でスキーに行った。その村では行政主導であるが山村留学施設があり、そこで留学するこどもたちとも楽しく交流したようだ。
◆こどもたちが運営する自立自営のコミュニティーは、この9ヶ月で培ったチームワークをさらに増している。「自分たちで考え、段取りをとり、そして行動に移す」そんな当たり前でいて、現代ではなかなか育みににくい能力をフルに発揮している。
◆「だいだらぼっち」のこどもたちは、ただ単に山村で暮らしているのではない。信州の自然と文化に真正面から向き合い、異年齢集団で共同生活をして、その運営を「話し合い」によって進めていく。そして、そのプロセスから「学び」「成長する」という、まさに「生きる力」を自ら育くむ活動をしているのだ。自らに潜む「生きる力」をお互いに引き出そうとしているのだ。
◆今年度もあと2ヶ月を切った。暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加するこどもたちが、あと2ヶ月でどのように変容し、夢を実現していくのか、その「学び」のプロセスに注目してほしい。
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1月15日 『腑に落ちる森林審議会』
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◆昨年末より長野県の森林審議会の審議委員に就任しました。1月11日に長野県庁で森林審議会が開催され出席してきました。 ◆ご存知のように県知事が交替し、良しにつけ悪しきにつけその動向が注目されるところですが、長野県政は確かに変わりつつある気がします。私たちのようなNPOでありかつ若い層から審議委員を選ぶこと自体、今まででは考えられなかったことなのではないでしょうか。 ◆当日は所用にて大阪から長野市に入ったわけですが、森林を感じることがなかなか困難な大阪・梅田から電車にゆられ、名古屋から木曽谷を通って信州に入るといやでも森林を感じることができます。しかし、自然・森林の豊富な環境に住む長野県民が森林を自らのものとして感じ考えているかというと残念ながらそうではないでしょう。審議会では、昨年秋に改正された森林・林業計画基本法を受けて、木曽谷の森林計画を審議したのですが、はたして県民にこの計画がどれほど知れ渡っているのでしょうか。 ◆審議会というと専門家集団というイメージが私にもありました。しかし、そうであってはなかなか審議会での議論や答申は県民のものになりにくいと思います。県民の暮らしの視点からかけ離れたところで議論して実施されたことは、きっと県民の暮らしとは結びつかないものになるでしょう。私自身を含め、長野県民が「腑に落ちる」森林計画を審議する審議会でありたいと思います。 ◆その意味で、信州の里山のライフサイクルを教育財として青少年教育活動を実践してきた私たちNPOグリーンウッドの視点は、長野県民が自らの暮らしと森林を結びつけるために重要になるのかもしれません。また、森林を「腑に落として」もらうために、森林環境教育活動などの教育の重要性が問われる時代になってきていると感じます。
◆続きはまた次回に。
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12月31日 『南信州の大晦日。伝統行事をこどもたちとともに』
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◆今日は1998年最後の日、大晦日。南信州の山里は静かな年の暮れを迎えている。この南信州・伊那谷地方には、新しい年を迎えるにあたり非常に珍しい伝統文化がまだまだ息づいている。この地方では「年越し」とは言わずに「年とり」と言う。従って「年越しそば」も「年とりそば」と言う。そしてこの「年とり」こそが伝統文化を色濃く残す行事なのである。 ◆「年とり」というのは何なのか? その昔とっても貧しかったこの山村で、大晦日の夜だけはなかなか手に入らない尾頭付きの魚を食べて、家族全員でひとつ「年をとった」のだ。いわゆる数え年の考え方なのだが、おもしろいのは元旦ではなく大晦日におせち料理を食べてしまって「年をとる」ということ。今でもこの風習が息づいており、今日の夕方は村中の家で、一家の大黒柱が「さあ、みんなでひとつ、年をとるぞ」と、尾頭付きの魚を食べることになっているのである。 ◆NPOグリーンウッドでは、小中学校の冬休みを利用して、冬の自然体験教育キャンプ「信州やすおか山賊冬合宿」を12月26日から1月6日まで3組開催している。2組目の合宿(30日〜2日まで)では、この伝統行事「お年とり」を、こどもたちの手で創り上げて体験する。昨日夕方、東京や名古屋から到着したこどもたち35人と、ボランティアリーダー15人、それに当センターのスタッフは、個人それぞれのやりたいことや目標、グループ全体の目標を確認し合い、「お互いを大切にする」ための約束事を決めた。今日は、朝からもちをつき、羽子板を作って顔中墨だらけになってはねつきをした。午後は「お年とり」のために、みんなで得意料理やおせち料理に腕をふるった。 ◆午後6時、「お年とり」が始まる。今年1年をみんなで振り返り、新年にむけて心を新たにする。そして「さあ、みんなでひとつ、年をとるぞ」と尾頭付きの魚を食べた。この後、こどもたちの自主企画「爆笑!年忘れかくし芸大会」があり、深夜には村のお寺で除夜の鐘をつき、神社で初詣でをする予定だ。 ◆南信州やすおか村の年末年始は、昔ながらにゆっくり過ぎていく。今年最後の日と新年の最初の日を、ここやすおか村で迎えたこどもたちは、直接年末年始の文化と触れ合った。メディアが発達し、家にいながら除夜の鐘つきの映像や新年の情報が忙しく飛び込んでくる現代で、映像や情報からではなく、自らの感性で本物を吸収することの難しさと素晴らしさを感じてほしい。
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12月24
日 『南信州から、メリークリスマス!』
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◆今日はクリスマス・イヴ。山村に住んでいると、四季の移ろいは肌で感じとることができるが、ことイベント的なものはなかなか実感がわかない。今日のクリスマス・イヴも、村のあちこちで小さいツリーが点滅しているのだが、実は実感がわかないのが正直な思い。都会における情報環境が与える、人間の感覚への影響がいかに大きいかがよくわかる ◆この3日間、暮らしの学校「だいだらぼっち」は大忙しだった。22日はだいだらぼっちの大掃除。1年間の汚れを、こどもたち自らが分担して掃除する。一人じゃたいへんなことも、仲間と力を合わせれば楽しく掃除ができる。23日は後述するクリスマス・パーティー。そして今日24日は、一日中、暮らしの学校「だいだらぼっち」の森林環境教育の代表的プログラム「薪出し」である。 ◆昨日、こどもたち手作りのクリスマス・パーティーが行われた。朝からケーキ作りに会場準備と大忙しである。今年のプレゼント交換は、手作りのもの=心のこもったものに限るらしい。直前まで、手作りのプレゼント作成が続いた。パーティーは、こじんまりとしていたものの、「だいだらぼっち」のこどもらしい楽しい内容だった。 ◆今年のパーティーも、こどもたちが一から話し合い創りあげたものだ。大人が「こうすれば?」と言えば簡単に答えが出てしまうことを、こどもたちはゆっくり自分たちのペースで創り上げる。それは大人から見れば不完全なことであるが、こどもたちはその不完全さを自ら作り上げたことに誇りを感じる。 ◆パーティー後、プレゼント交換が行われた。交換前はこどももスタッフも、手作りのモノを手にしていささか緊張気味。交換後は歓声があがった。自然の中にある材料をいかした手作りプレゼントが多かった。こころをこめて創ったものを、仲間に認められるとことのほかうれしいものである。仲間がこころをこめて創ったものが、自分の手に渡るとこれまたうれしい。面と向かうとなかなか素直な気持ちを表現できないこどもたちが、手作りのこころを通して、一瞬、素直になり合えた。 ◆情報環境がない中で、こどもたちは自分たちで自然や仲間と関わり、そして自分自身に問いかけて、様々な事象を創り出していく。その顔は、実にこどもらしく見ていて痛快だ。私たちのテーマのひとつである「無いことの豊かさ」を実感できた日だった。
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12月12日 『こどもの仕事』
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●北海道では記録的な大雪だと言う。ここ南信州でも、さすがに寒くなってきている。 ●暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちは、村の学校から帰ってくると毎日毎日、お風呂やストーブの薪を割ったり、薪小屋に積む作業をしている。今週一週間は、村の学校の個人面談があり、昼過ぎにはこどもたちは帰ってきてしまうので、「今週は薪作業の週!」と決めたようだ。 ●寒風吹きすさぶ中、わいわいと作業を続けるこどもたち。割るときの木の堅さやにおい、積むときの重さ肌触り、風呂焚きの最初に使う薪なのか後に使う薪なのかなどなど、「暮らし」の必然性を軸足にして木を見つめると、自然観察でインストラクターから教わるよりもはるかに木のことについて感じている自分に気がつく。 ●暮らしの学校「だいだらぼっち」は薪ストーブと薪風呂で生活しているので、薪は暮らしになくてはならない存在だ。どうやら「寒さをしのいであたたまる」という明確な目標は、こどもたちをめんどうな作業に向かわせるのに十分なモチベーションらしい。 ●いったいいつからこどもたちの仕事は勉強になったのだろうか。いったいいつから暮らしは便利になってきたのだろうか。本来、暮らしの中にはたくさんの仕事があるはずで、こどももその仕事を担いながら暮らしが成り立ってきたのだ。 ●薪の作業の合間に、自分たちで作ったゴールでバスケットが始まり、これまたみんなで作った木のシーソーで遊びが始まった。この後、こどもたちは仲間のために夕飯を作り、お風呂焚きをする。 ●暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちは、本当にこどもらしい。それは、暮らすための仕事を責任を持って手がけているからではないだろうか。
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