2010年4月8日
『支援金をいただいて』
泰阜村の隣村のゴルフ場で、贈呈式があり、支援金をいただきました。
何のことやらよくわからない文章ですね。私にとってもまさに寝耳に水のような話でした。
国際ソロプチミスト飯田という社会貢献団体から、今年度の支援金をNPOグリーンウッドに贈呈したいという連絡があったのは3月でした。その団体が主催するチャリティーゴルフコンペの参加費の一部を、地域内で活動する市民団体に支援しようというものだそうです。4月8日の贈呈式当日は、多くの来賓も臨席しており、私がイメージしていたものとは少々違っていましたが、たいへんありがたく受け取りました。
NPOグリーンウッドを含めて4団体に支援金が渡されたのですが、他の団体がまた素晴らしい。満蒙開拓の歴史記念館を創ろうという準備委員会、知的障害者の支援施設、ハンディキャップを持った子どもたちへのサポート団体・・・。「自然体験を通した環境教育に支援金を贈呈します」という目録に恥じないようがんばらなければ、と思った次第です。
この支援金をいただいたよと、夕食後のミーティングで暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちに話をしました。「だいだらぼっちは、参加する子どもやスタッフのやりたいことや夢を応援し合う場だ。隣でご飯を食べている仲間を応援できなくて、何が仲間だろうか。応援し合うのは難しいことで、どうやったらよいのかきっと悩むだろう。そうやって悩むみんなのことを、お父さんお母さんをはじめみんなの周りの人が応援している。今回は、飯田下伊那地域の会社の社長さんや社会貢献をがんばる女性の皆さんからも応援された。たくさんの人に応援されて、みんなはここで暮らしている。それを忘れないようにしよう。」
2010年度の暮らしの学校「だいだらぼっち」がいよいよ始まりました。どんな寄り道をして、どんな回り道を重ねるのか? どんなドラマが起きるのか? そのプロセスをみんなで共有していきたいと思います。
そして国際ソロプチミスト飯田の皆様、支援金を本当にありがとうございました。この支援をしっかりと日々の暮らしに活かしていきたいと思います。この場をお借りしましてお礼申し上げます。 (代表 辻だいち)
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2010年3月20日
『小さな学校の灯が消える』
3月12日、泰阜村の小さな小学校の最後の卒業式がありました。
暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもが通う泰阜南小学校。私の息子と娘も通っています。全校生徒38名。130年の歴史に幕を閉じます。
今年度の卒業生は8名(私の息子もいます)。卒業生の3倍〜4倍はいるであろう地域の来賓の方々に祝福され、厳粛にもあたたかい雰囲気で式は挙行されました。来賓代表の松島村長の言葉は「思い通りにならないことがあることを知れ。それを乗り越えていけ」ということでした。
今年度の学年PTA代表だった私も保護者代表としての挨拶をしました。地域の皆さんに見守られ、泰阜村の持つ教育力がこの卒業生の小さな胸に刻み込まれ、いつか大きく花咲くことでしょう。また、献身的な先生に導かれ、小さな規模の学校でこそ生まれる豊かな人間関係は、きっと卒業生にとって見えない財産となったことでしょう。
4月から、泰阜北小学校と統合され、泰阜小学校になります。15日、18日、20日と引越し作業が続きました。南北小学校の児童はもちろん、地域住民が多数参加しました。高校生や中学生、南小学校に通ったことのある暮らしの学校「だいだらぼっち」の卒業生もボランティアで駆けつけ、まさに総出の引越し作業となりました。
18日、南小全校生徒と地域住民が見守る中、そっと校名札が降ろされました。校名札を降ろす一人が暮らしの学校「だいだらぼっち」代表の梶(かにさん)でした。南小学校は130年の歴史を持ちます。その歴史の中には、1986年からの「だいだらぼっち」の歴史も流れています。閉校は本当に残念ですが、この瞬間にPTA役員として居合わせた自分は、ある意味幸せかもしれません。
小さな学校の灯が今、消えました。そして新しい学校の灯が4月から灯されます。小さな村の教育に懸ける不屈の情熱を、どうかご支援ください。 (代表 辻だいち)
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2010年2月10日
『犬 〜 同期の仲間を失う傷み 〜』
私は彼の耳を噛んだ。実にいやそうな顔をしてこちらを向き、彼は何かを言おうとして力ない声で吠えていました。それが私と彼との最後の会話でした。
NPOグリーンウッドの暮らしの学校「だいだらぼっち」に約17年間暮らしていた彼=柴犬(雑種)の「コロ」が2月6日未明に天に旅立ちました。小さな愛嬌のある佇まいは、「だいだらぼっち」に関わる誰からも愛されていました。
1993年当時、まだ4人しかスタッフのいなかったこの団体に、私が新たなスタッフとして入った4月。同期など望むべくもありませんでしたが、ちょうど同じ4月にもらわれてきた小さな小さな「コロ」が、私の唯一の同期となりました。泰阜村に運んでくる車の中で、小さな「コロ」は嘔吐を繰り返しました。その度に処理を施したことを、私の身体が覚えています。
この17年間、彼と共に過ごした時間が走馬灯のように駆け巡ります。天に旅立った彼を想うと、心が痛い。身体が痛い。身が引き裂かれんばかりに痛い。これが同期の仲間を失う傷みなのでしょうか。
小さな命が、こどもたちやスタッフに大きな痕跡を残してくれました。それは、小さくともあきらめずに生きる姿勢です。特に必至に生き抜いた晩年は、周りの人に深い示唆を与えてくれる見事な生き様でした。こうやって書いていて涙が出ます。コロについて初めて涙を流しました。それは彼を失って初めて知る痛みと悲しみに出た涙です。
涙がとめどなく溢れます。コロ、ありがとう。同期のコロ、同じ17年を一緒に過ごしてくれてありがとう。本当に涙が止まりません。自分でもびっくりするほど泣いています。どうしてしまったのでしょうか。文がまとまりません。
同じ想いを抱いたことがあります。20年前の今日、1990年2月10日、大学時代に山岳部の友人が冬山登山中に雪崩に巻き込まれてこの世を去りました。何がなんだかわからずに、1日中泣いたあの日。それからちょうど20年がたち、同じく同期の仲間を失って、とめどなく涙を流しています。
この小さな命の生き様を胸に刻み込み、「だいだらぼっち」のこどもたちへの豊かな学びの土台にしていきたいと思います。そして悲しみを乗り越えて次のステージに進みたいものです。 (代表 辻だいち)
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2010年1月17日
『年頭にあたっての提言 〜 本質的な自律の心を培え 〜』
新年あけましておめでとうございます。1999年から毎月一つは書こう、と続けてきたこのコラムもどうやら170編を数えるようです。まさに継続は力なり。今年も懲りずにおつきあいいただければ幸いです。
さて、今から15年前の1995年1月17日、神戸を激しい地震が襲いました。全国から青年ボランティアが渦のように次から次へと集いました。まさしく彼らの力で神戸は復興の一歩を踏み出したのです。私もまたその1人でした。思えばまだ24歳。
その2年後の1997年1月7日、福井県三国港沖にタンカー「ナホトカ号」が座礁し、大量の重油が日本海を汚染しました。ここでも全国から青年ボランティアが集い、地域住民との協働により日本海がよみがえっていったのです。私も暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちも重油を掬いに行ったボランティアの1人でした。私は26歳。
それから現在まで、災害が起こるたびに全国から集まる「助け合い・支え合い」の気持ちは、せちがらい世の中においてはある意味安堵感を覚える尊いものでもありました。そして、それに呼応するかのごとく、もともとその地域が持っていたお互い様ともいうべき「ご近所の底力」が沸々とわきあがって困難を乗り越えていく姿も、失礼なようですがなぜか安堵感を覚えるものでありました。
私は2008年夏から、読売新聞で教育コラムを連載しています。ここでは2009年12月16日付で掲載された記事から引用して、年頭にあたっての提言をしたいと思います。
「自立支援」の名のもとに、老人や若者、母子家庭、そして子どもにも「自立」が強要されるような、いわば新自由主義的な政策が実施されてきたことは記憶に新しい。個人の能力を高めて自立せよ、と迫る政策は、人間をばらばらな孤立した存在にし、「自己責任」原則によっておよそ「自立」できない個人、集団、地域に対して「自立」を強要する。要は、「自分が強くなる」ことが「自立」だという。
しかしどうも腑に落ちない。南信州で長年にわたり青少年の山村留学や自然体験キャンプを続けてきた私にとっては、個人の能力にスポットをあててそこをいくら強化してもそれは本質的な自立とはいえないのではないか、という思いが常につきまとう。
20年間見続けてきた子どもの姿は、決して「強い個人」同士が力をあわせる姿ではなかった。むしろ、思い通りに進まないことに腹を立てたり、自分のことを自分で決められなかったり、仲間のことを思いやれないといった「弱い個人」の姿だ。そんな「弱い」子どもたちであっても、支え合い認め合う仲間がそこに存在するという安心感の中で、確かに成長していく場面を見続けてきた。その成長は、「周りとの連携・相互依存を通して自己決定権の条件を確保する」という意味において「自律的」な成長ともいえる。
「今のこどもたちに欠けているもの」、それは「支えられている安心感」だ。支えられている、認められている、応援されている、ということを、子どもたち自身が実感できる場や周りとの関係性が、今は本当に少ない。その安心感があれば、周りを支え、認め、応援することを自らできるようになるだろう。同じことは、子どもだけではなく、およそ生産能力が低い(と断定されてきた)老人や障害者、農山村地方などにもあてはまる。「支えあい」の中から滲み出るように産まれる確かな「自立心」。子どもにもこの国にもそれが欠けている。
国策により切り捨てられ、忘れ去られたような「何もない村」泰阜村。それでもこの村は自立を宣言しています。「自立」を宣言したから住民同士が支え合うかといえば、そういうわけでもありません。
最近の冷え込みで泰阜村にも降雪がありました。90歳になる隣のおばあま(おばあちゃんの意味)が心配と、われわれ若者や子どもが訪れ、玄関先の雪かきをします。住民同士が、小さな力といえどもそれぞれの力を持ち寄って、お互いを支えあう。そうして初めて、地域の課題を自ら解決する「自立」の力が培われていきます。弱い地域、小さな山村は、そうやって生き抜いてきたのです。
自分のことは自分で決めて実行する、という強い「自立心」を培いたいのは事実です。しかし、その「自立心」を培うためには、遠回りなようですが、質の高い「支え合い・助け合い」の基盤をもう一度構築する必要があると確信しています。それを教育の立場から構築するのが私たちの役割です。
私、今年、不惑の年、40歳。阪神大震災当時、暮らしの学校「だいだらぼっち」で受け入れた西宮と芦屋の小学生はもう社会人。震災15年の日、「神戸はどうだ?」とメールを入れると、「ただ辛い経験だったと遠ざけるんじゃなく、なにかの時にきっと活かせる経験だから、忘れずにいようと考えるようにしています」と返事が返ってきました。
周囲の多様性との質の高い連携・相互依存を通して自己決定権の条件を確保する。本質的な意味での「自律」を目指します。 (代表 辻だいち)
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2009年12月31日
『他者との関係を豊かにする学力の実際 〜2009年暮れ〜』
今、南信州の泰阜村では、全国から子どもと学生が集い、「冬の信州こども山賊キャンプ」が行われています。ご存知の通り?この村には国道も信号もコンビニもありません。そんなへき地山村で行われるキャンプが、今や行列ができるほど全国の子どもから人気があります。それは、、山賊キャンプを始めとした泰阜村での教育実践では、今年最初にこのコラムで提言した「他者との関係を豊かにする学力」が培われる、と参加する子どもや保護者が感じているからに違いありません。今回はその「学力」の実際を紹介します。
例えば、一年間の山村留学である暮らしの学校「だいだらぼっち」では、4月にはお風呂の焚き口で何もできなかった子どもが、秋には自分が入った後にお風呂に入る人のために薪をくべる(追い焚き)ことができるようになりました。ここで培われた「学力」は、単にお風呂焚きの習熟度が増しただけではなく、他の人を思いやる気持ちを伴う「学力」です。
来年度参加する子どものために、今年度参加している子どもが来年の暮らしに必要な薪を調達して割って貯めています。4月には土いじりもできなかった子どもが、秋には稲刈り後に「もったいない」といって落ち穂を拾うようになりました。ここで培われた「学力」も、水稲栽培の知識と技術、間伐による環境保全の知識と技術だけではなく、仲間の暮らしを長期的に見据える視点を伴った「学力」です。
地域住民総出で道路清掃等を行う「道路愛護作業」には、山村留学の子どももスタッフも出労しました。高齢化が著しい集落では、作業一つをとっても猫の手を借りたいほどです。米作りにおいても、近隣住民に機械を貸していただき、そのお返しにその家の米作り作業などを手伝うことになりました。これらの共同作業などを通して、4月には共に暮らす仲間のことを思いやれなかった子どもが、「困ったときはお互い様」の意味を身体で学んでいくのです。
テストの点数の量や有名大学の合格者数で評価されるのが、今の日本の当たり前の学力観です。人より1点でも高い点をとる、人を押しのけて合格する、そのようなことが当たり前の中で培われた学力は、果たして本質的といえるものなのでしょうか。
小さな山村の教育実践では、「個人所有の学力」の視点からいえば「低学力」かもしれませんが、「他者との関係を豊かにする学力」の視点からいえば「高学力」の子どもを育くみ続けています。泰阜村での教育実践が、日本の今の学力観に一石を投じることになることを願いたいものです。
今年1年たいへんお世話になりました。良い新年をお迎え下さい。 (代表 辻だいち)
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