山村留学・だいだらぼっち
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山村留学・だいだらぼっちOB・OG・保護者・参加者の声>NO.2

山村留学・だいだらぼっち

     OB・OG・保護者 参加者の声
『私とだいだらぼっち』

それは一冊の雑誌から始まった。
いつものように、喫茶店でビジネスの構想を練っていた2009年1月下旬のとある日。頭を少し休めようと、本棚にさりげなく置かれていた一冊の雑誌をなんとなく手にとった。

“だいだらぼっち”を紹介した記事が眼にとまった。なにげなく携帯電話で撮影した。また時間のある時にホームページでも覗いてみよう。最初はそんな感じだった。
2月も下旬に入り、春の足跡がすぐそこまでという時期。思い出したように“だいだらぼっち”に資料請求している自分がいた。

“一番大事なもの・・・「本人のやる気」 もってきてはいけないもの・・・「親の期待」”

送られてきた資料には、そんな事が書かれてあった。そして、“だいだらぼっち”を紹介したDVDが添えられていた。感銘を受けた。正直めちゃくちゃ期待した。そしてすぐ、期待しないと心に誓い、“だいだらぼっち”に電話をしたのだった。
本人が「行きたい」と言えば行かせてあげよう。「行きたくない」と言えば行かせないであげよう。親としての複雑な心境を心の中にしまい、学校から帰ってきた娘に“だいだらぼっち”紹介DVDを見せた。“だいだらぼっち”の子どもたちが作ったという紹介DVDは、“だいだらぼっち”での生活が手にとるようにわかるすばらしいDVDだった。
娘は言った。「行ってみたい!」
“だいだらぼっち”では、主人公は子供一人ひとりである。決してスタッフではなく、泰阜村でもない。ましてや保護者でもないのだ。25年間の長きにわたり、過疎の村、長野県泰阜村にしっかりと根をおろし、地域と一体となって今まで活動を継続して続けてこられた意味は、すぐに私の体に伝わってきた。
娘が、正式に“だいだらぼっち”でお世話になることが決まり、4月1日の集合日初日。これから1年間、離れ離れの生活が始まる。荷物の搬入を終え、いよいよ別れる時がきた。涙が止まらなかった。娘も泣いていた。私は心の中で「主人公はこの子なんだ」と静かに自分に言い聞かせ、アクセルを踏み込み家路に向かうのだった。

すべてを前向きに捉え、すべてをプラスに考え、すべてを積極的に経験していく土壌が、“だいだらぼっち”にはある。たとえそれが成功であっても失敗であっても、すべてを受け入れ将来に生かすという土壌が“だいだらぼっち”にはあるのだ。人間が成長していく過程で最も大切なものは、一言で言えば“実体験”に集約されるのではないかと私は思う。それをまさに実践しているのが“だいだらぼっち”なのだと思う。

私は1年間、絶対に娘には自分からは電話をしないと誓って送り出した。最初の2ヶ月・・。娘は実家に帰りたくて帰りたくて仕方がなかったらしい。数カ月後、スタッフから聞いた。夜、ひとりで星空を見つめていることがあったということも。でも、娘は私に弱音をはくことなく、自分の力とスタッフの協力、そして泰阜村をはじめ地域コミュニティーの力を借りて乗り越えていった。

夏休みを超えた頃、娘が私に言った。「来年も行きたいねん・・」
返す言葉がなかった。でも、心の底でにっこり微笑んでいる自分がいた。

私の知らないうちに娘は成長していた。それはすべて、娘の実体験に基づく成長であることはもちろん疑う余地がない。


2009年2月に送られてきた、“だいだらぼっち”の資料。

“一番大事なもの・・・「本人のやる気」 もってきてはいけないもの・・・「親の期待」”

一番成長させてもらったのは、私なのかもしれない。

だいだらぼっち、バンザイ!
暮らしの学校だいだらぼっち保護者 たっちゃん(トミー父)

『だいだらぼっちに出す日まで指折り数えた日から、
                       だいだらぼっちでの生活が後3ヶ月になるまで』


息子(ワカ中3)がだいだらに行く事になったのは突然でした。
小学6年の10月頃友人の子供さんが山村留学(だいだら)に行っていたので、何気にフラフラと一緒に着いて
遊びに行きました。
たぶん皆さんも同じイメージだと思いますが、山村留学とは、田舎の古い建物での生活と思う方が多いのでは。
私もその一人でした。
しかし見てビックリ、なんてモダンな建物なんだろう。
そして母屋に行くと、とても気持ちのいい挨拶をしてくれる子どもたちが出迎えてくれました。
正直、自分の子どももここで生活をしたらみんなと同じ様に・・・
息子は「又だいだらに遊びに行きたいな〜」の思いからいつの間にか、「ここでみんなと生活したい」に変わっていました。
だいだらぼっちに出会うまでは、私も息子も普通に地元の中学に行く予定でした。
しかし、息子の「だいだらぼっちに行ってみたい」の一言で、まさか自分の子供が山村留学に行く事になるとは。
その時いろいろ考えました。
どうして小6に出会ってしまったんだろう。
中学生活はどうなるんだろう・・・中学の途中で転校したらどうなるんだろう・・・
中3まで居たとしても受験は・・・などいろいろ考えました。
でも、1年行くのか3年行のか分からないけど今、本人が一番不安に思いながら、「行ってみたい」の12歳の勇気に見守ってあげようと思いました。

山村留学も決まり4月まではまるで、娘を嫁がせるかの様に一緒に居れる日を指折り数えました。
もし、3年行ってしまったらどうしよう・・3年間息子が居ないなんて・・・
とりあえず、自分は淋しいけど1年間我慢しよう。又2年目に継続したいと言ってきたら又1年間我慢しようと考えました。
そして、あっという間に3年目に。
可愛かった息子が今では、会う度にドキドキしてしまうぐらいの素敵な青年になってしまいました。
この3年間は沢山の宝物を見つけました。
息子は「ありがとう」と言う当たり前の言葉を何回言ったんだろう。

3年前に「なんで中学の時に出会ってしまったんだろう」が今では思春期に出会えてよかったと思う自分がいる。
本当にみんなに出会えてありがとう。
こんな生きる為の普通の生活も後わずか。
心おきなく楽しもう〜!!
『だいだらぼっちから帰ってきて思う事』


息子のワカがだいだらで3年間お世話になり、我が家に帰って来た!!
まるでタイムスリップした様で、何も変わらない生活が始まった。

親としては、1人分のご飯、洗濯物が増えただけ、でも何だかこの一人分の仕事が嬉しい。
行く前と帰ってからと大して変わらない、洗濯をするでもないし、ご飯を毎日作るわけ
でも無いし、部屋を毎日綺麗にするわけでも。

でも、親が寝込んだ時には自分のご飯、洗濯、身の回りの事全部安心して任せれる
そんな凄い力を身につけて帰ってきた。

後、人を思いやる優しさも。

車に乗る時にお礼を言う事。他人にお世話になる時は当たり前だが、親の車に乗る時に
「お願いします〜。ありがとうございました〜」と今でも言ってくれる。ちょっと笑える
けど、本人は気が付いてない、これが習慣になっている事に。
ダイダラにいる時に何かしてもらったらお礼を言う。毎日当たり前の様に言ってた。

お風呂の追い炊きもそう。
次に入る人の為に気持ちよく入れるように追い炊きをして風呂から上がる、
そして何気なく「今入ったら温かいよ〜」の一言が心も温かくしてくれる。

ワカは人に感謝と優しさを身につけて帰って来た。

後は今までの普通の16歳。

社会人になった時、家庭をもった時、何か困難が起こった時に3年間の経験が生かされるのかな・・・

普通の16歳だが、信頼できる素晴らしい16歳です!!!

だいだらに遊びに行くといつでも「お帰り〜」とスタッフが迎えてくれる笑顔がみんなステキです。

3年間支えてくれた仲間、スタッフありがとう!!としみじみ思う。
暮らしの学校だいだらぼっち保護者 バーバラ(ワカ母)

『親もチャレンジ』

 中3の男子(こうき)と小4の娘(なる)の父、しかちゃんです。
 だいだらぼっちと出会って、もう4年目になりました。今年から娘もお世話になっています。5年前の冬、友人からもらったチラシを見て「オレ、行きたい」の一言から始まり、その春、男泣きして送り出すまでの日々は大きな不安とちょっとの期待がグルグルと巡っていましたが、「子どもの決めたチャレンジを止めることはできない」と自分に言い聞かせて送り出しました。4月に行ってからは毎日思い出しては心配したり、寂しかったりとオロオロする日々。5月の親子作業合宿を楽しみに行くと、ちっとも近寄ってきません。親の方が落ち込みましたが、後で気づいたのは「子どもにとってもチャレンジなんだ」ということ。「頑張っている子ども達に負けないように日常生活でチャレンジしよう」と決めました。家庭や学校では子どもを「できない存在」として手や口を出しますが、だいだらぼっちは「できる存在」として見守り待ちます。とにかく待ってくれます。ごく普通の子ども達がそれぞれの個性や能力を少しずつ使っていく姿を見ている中でだいだらぼっちと出会えてよかったと、しみじみ思います。離れているからこそ見える子ども達の個性や成長、子どもとの絆は前より強いようにも思います。親元を離れ、ここで暮らす決意をした子ども達や支えてくれるスタッフを心から信頼し、尊敬しています。また、その子どもの親であることを誇りに思います。

暮らしの学校だいだらぼっち保護者 しかちゃん(こうき、なる父)

『山村で見つけた理想の中学 〜泰阜中学校〜』

 だいだらぼっち3年目、中学3年生のたいようの父です。
 たいようは中学1年生から山村留学して、だいだらぼっちで共同生活することになりました。そして、泰阜村の中学に通うことになりました。
 村の中学は1学年1クラスが22人という少人数学級です。そして、その1クラスに担任の先生がなんと2人もおられるのです。それも、どちらかが副担任ということなく2人の熱意に溢れる先生が誠心誠意取り組んでおられます。
 クラスが少人数ですと違いますね。何か行事をするにしても必ず役割がまわってくるわけです。それで自然に一人一人に自覚が生まれるようです。また、その時にはその生徒が主役となって個性が光り、大切にされます。“数に埋もれる”ということにならないのですね。また先生方の熱意も、濃くストレートに伝わるようです。指導をきめ細かくして頂いているのでしょう、1つ1つの活動や行事が中学生とは思えないほど非常に質の高いものになっています。
 息子のたいようは小学校までは、中くらいの成績で目立たない子どもでした。自分からは勉強しようとせず、よく「宿題はしたのか?」と小言を言っていました。また、自分に自信を持てない様子でした。生徒数の多い町の中学に進んでいれば、恐らく目立たない生徒として何か役割を持つこともなかったと思います。それが、だいだらぼっちはもちろんのこと、泰阜中学で生徒会やクラスの役割を持ち、それらをやり切っていくことで自信をつけていきました。
 そして1年が過ぎて、2年生になる頃には父親が言うのもなんですが、見違えるように自信に満ちた人間になっていきました。そうすると誰に言われなくとも自分で勉強するようになったのです。宿題や提出物から逃げ回っていた息子が自らやるようになったので感心しました。
 授業参観日に数学と選択理科の授業を参観しましたが驚きました。数学の授業の時は、数学の先生がおられて、加えてクラスの担任の先生が補助教員として入っておられました。そして授業の間、クラスの担任の先生が教室の中を回って、分からない生徒に分かるまで説明しておられました。その姿を見てビックリしましたね。私が中学の時には決められた学習進度に合わせて授業が進んでいって、分からない生徒のことまで面倒をみていなかったですから。
 また、選択理科の授業の時は息子が花火の研究をしていました。なんでも研究テーマは生徒が自由に選んでよい事になっているということで、それぞれの生徒が思い思いに研究していました。息子は火薬を調合してはベランダに行って燃やし、キレイな青い色を出すにはどんな調合が良いかを一生懸命研究していました。中学生に火薬を扱わせるとは、先生と生徒の信頼関係がなければ、できないことでしょうし、また、少人数だから目が行き届くのだと思います。こうした授業で興味を育まれたのか、息子は工業専門学校を志望して受験勉強をするようになりました。
 村の学校と聞くと一般的には何か閉鎖的なイメージが浮かぶかもしれませんが、泰阜中学は違います。村が山村留学を行っている、だいだらぼっちを大切にしていて、外から来る子どもを歓迎しているからです。年度の始めには授業の中で仲間作りをするプログラムが設けてあって、生徒同志が仲良くなるように配慮されていました。暖かい気遣いが育まれたクラスを見ていると、出来ることなら私も中学生に戻ってあのクラスに入りたいです。
 文化祭などの学校行事は言わば村の行事としても位置づけられていて、当日は保護者も含め沢山の人が見学に来られていました。生徒も相当頑張ったようで、美しい合唱や一糸乱れぬ全員の踊り、そして普段の勉強の内容を分かりやすく生徒が説明するなど、工夫と配慮が行き届いた見事なものでした。
 12月に入って受験が近づいてきて大変有難いと思っていることがあります。それは、受験面接の練習をして頂いていることです。受験の面接など息子にとっては人生初めてのことです。いきなり本番では極度に緊張してコチコチになってしまうと思います。そこを察して学校で面接の練習をして頂いてます。担任による面接、教務主任による面接、校長の面接と3段階に分けて、そして、その度ごとに対応の仕方をきめ細かく指導して頂いてます。面接になれた息子はきっと本番で実力を発揮できると思います。
 生徒の人数が少ないこと、熱心な先生がおられること、村の人が教育熱心なこと、そこに、だいだらぼっちという村の外から来た生徒が加わること。全てが良い方向で回っています。お子さんをだいだらぼっちに参加されること、そして泰阜中学校に通わせることを心からお勧めします。

追伸 
お蔭様で、第一志望の工業専門学校に合格いたしました。
ご指導くださった先生方、応援してくださった村の方々、支えてくださった
だいだらぼっちスタッフの皆様方に心より感謝申し上げます。
息子たいようは3年間、泰阜村で宝石のような時間を過ごすことができました。
本当に有難うございました。 (2009年3月)



暮らしの学校だいだらぼっち保護者 宮田公望

『楽しいだいだら』

※当時、3年生だった参加者の女の子が書いた作文が下伊那地区の文集に載ったときのものです。

 私は、今年泰阜村に、山村りゅう学をしに、くらしの学校だいだらぼっちというところに来ています。そこでは、自分の事は自分でやって、何をやるとかも、みんなで話し合いで決めます。しゅくだいも、自分たちで時間を作ってやります。私たちは、おふろも自どうではありません。全部まきでたきます。そのほかにも、とうげいやカヌー、キャンプなどいろいろなことができます。でもそういう計かくは、自分たちで話し合いをして決めます。
へやは、七つあります。でも、ちゃんと女子と男子は分かれています。そのへやは、三だんベッドです。本だなは、八つあります。私は、二かいの一番上です。二かいの一番上は、天まどがあって、朝日がさしこんできます。私は、いつも、朝日で起きます。
 学校は人数が少ないです。私は、三年生です。私たちのクラスは三人です。きょ年までは二人、おととしまでは一人でした。少ないと、算数のじゅぎょうでは、本物のあめを使ってやりました。二問くらいとけたら、あめが一こもらえます。でも、すぐおこられるからいやです。でも、少ないと、全校のみんなとランチルームとかできゅう食を食べられるからいいです。それと、全校の名前が全部おぼえられたからいいです。
 だいだらで生活していて楽しいことは、カヌーや川遊びができることです。団けつキャンプに行って、ぎょらいせんごっことつな引きととびこみと火おこしとプカプカういて流れるのをやりました。その中で一番楽しかったのは、ぎょらいせんごっこです。ぎょらいせんごっこは、二チームに分かれてカヌーにのって、三人は、ぎょらいせんになって、むこうのチームにせめにいきます。私は、川遊びがすきです。どうして川遊びが楽しいかというと水がすきだからです。たとえば、高いところからとびこんだり水の中にもぐって遊んだりすると、とても気もちがいいからです。私は小さいことから水で遊ぶのがすきでした。だいだらに来て、はじめてふかい川で遊べたのでよかったと思います。みなさんも川遊びをしてみてください。私は今年泰阜村に来てよかったと思います。

22年目だいだらぼっち参加者 ちっぴ

『泰阜南小で過ごした一年間』

 一年間の泰阜での生活を終え。一回り大きくなって戻った娘を見て、だいだらぼっちと同じ位、泰阜南小学校で過ごした日々が娘を成長させてくれたと感じています。
 娘の学年は男の子一人、女の子二人、そして先生というクラスでした。
 地元では一学年、五クラスの大規模校に通っていたので、全く違う環境です。
 だいだらに行く前の娘は、自分が前に出なくてもクラスの全てが回っていくので、自分から何かを言い出すことはありませんでした。
 ところが、三人のクラスでは一人一人が頑張らなければ何も進みません。音楽会や運動会、学習発表会という行事でも、自分がやらなければどうにもならない状況に直面し、娘に主体性や責任感が生まれていったようです。運動会では、低学年のリーダーとして放送係を担当しました。大勢の前で、しっかりと原稿を読む姿に、以前との違いを感じました。
 担任の先生は、娘の長所は大いにほめ、直すべき所はとことん注意するというように、愛情を持って接してくださいました。個人面談の時には、発想が豊かであるとほめていただき、娘にそのような面があることに、わたしも気づかされました。これも少人数のクラスで、発言の機会が多いおかげでしょう。
 だいだらぼっちでの一年で一番変わったのは、周囲の仲間、先生とクラスメイト、だいだらスタッフという方達の温かい人間関係の中で、様々な経験を通して娘がたくさんの『できた』を実感し、自分に自信を持てるようになったこと、そして親もそんな娘を信頼して見守れるようになったことだと思います。
 帰ってきて初めての授業参観の時に『自分の長所』の発表で、「前は人の前で話すのは苦手でしたが、去年一年間たくさんの人の前で話す機会があって、人前で平気で話せるようになりました。」と前で堂々と話す姿を見て、胸が熱くなりました。
 私たち親子にとって、だいだらぼっちでの生活は、娘の成長に欠かすことのできない、貴重な一年になりました。

22年目参加者保護者 ひろろ

『私と関わりのある方々へ』

※彼女が当時小学校に通っていたとき、6年の最後に学校の授業で書いた感謝の手紙です。
 
 だいだらに行くと決まって三年がたちました。三年前はまだ四年生でした。きっと私の父も母もつらかった事でしょう。
 だいだらに来てから私は分からないことだらけで何度も何度も「家に帰りたい」と言って泣いていました。よく大人の人に相談をしていました。学校でもあまり友達ができなかったし、何より積極的に友達にならなかったからです。そんな不安定な私を支えてくれたのは、だいだらの大人の方と、父と母の手紙と電話でした。よく手紙に「だいだらでも頑張ってね」と書いてあって、その言葉に支えられて今の私があるのだと思います。
六年生の春、私に変化がおき始めました。学校が楽しいと思い始めたのです。今まではだいだらの事ばかりで、学校の事はあまり考えていませんでした。でも今は「早く学校行きたい」と思うようになりました。もちろん、だいだらの生活も話し合いや大きい行事やすごく楽しい事が増えました。
 そして、周りの環境も変わりました。友達はもっと色んな事を話せる友達になって、だいだらの生活も一日一日がとても充実した生活になりました。それは、私が大きく成長したからかもしれません。でも私は、私を支えてくれた方々のおかげだとも思います。まず、三年間だいだらにいて、遠くから私の事を見守ってくれた父と母、弟達。それから祖父母。私が三年目も泰阜に残ると決意した時、私の家族は、快く送ってくれました。最初私が泰阜に行くと決めた時反対してた家族が、今は賛成してくれて、私はとても嬉しかったです。そして、だいだらの方々。優柔不断で何も分からなかった私を最後まで支えてくれました。今までの恩は一生忘れません。あと学校の先生と友達。先生は全く勉強の分かっていない私を最後まで教えてくれました。たぶん、近藤先生だったからこそ、私は勉強が楽しいと思うようになったのだと思います。そして、私の周りの友達。けんかもたくさんしたけれど、今の私にとっていなくてはならない存在です。今まで本当に楽しかったです。
私は今年で帰りますが、今までの事は忘れません。家族、だいだらの方々、先生、友達、周りの方々、本当にありがとうございました。

みすみ

だいだらぼっち参加者 みすみ

『だいだらぼっち・・・って何ダラ?!』

 3人の子の父親です。これからの世の中を生きていくこの子達に、何が一番必要になってくるのか・・・と考えた中に、「生きる力をつける」ことがずっとありました。親としてしてあげられることのひとつとして・・・。
 泰阜村は隣村。NPO法人グリーンウッドの活動や村の様子も知る中で、一番上の愛娘から一年ずつ、「山村留学」に行かせる決意をしたのは、娘が小3、9歳の時でした。隣村へ、娘ひとり山村留学へ送り出すことは、妻も両親も親戚・知人も、会う人話す人みんなが反対し、不思議がりました。“そこに何があるの?親元を離れるだけの意味があるの?”と。
 私には「2分の1成人式」という考え方があり、人生を動機づけるきっかけは10才にあると思っており、そのチャンスは逃したくないと決意し、大切な娘をひとり、山村留学へ送り出し、だいだらぼっちに託しました。
 娘はどんどん自立して成長しました。驚くほどに、見違えるほどに。父の思い通りに力を備えてくれました。自分のことがよくわかる、ということは、相手や仲間や、一緒に暮らす人々のこと、地域のこと学校のこと、これら生活の全てが“背景”にあるのだと感じました。“この生活空間が、この子を育てているのだ”と思ったとき、20年余の実績を持つだいだらぼっちに山村留学させたことに、私こそ、はっきりとした“自信”を持つことができました。「よかった」と。
 山村留学1年が過ぎ、娘には「1年のみの約束だった」と言い聞かせて、戻ってくるように話をしました。3人の子を公平に育てたい父親の宿命として、財政的にも“ひとり1年のみ”が限度と考えていたからです。
 しかし娘からは“もう1年、どうしてもだいだらぼっちで過ごしたい”と切り出され、困りました。薪わりや工芸、野外活動など、くらしの学校として自分たちで歩んでいる山村留学の良さは、親としても実感しており、わかるからこそ迷いました。反対を覚悟して、家族に娘の継続を相談したところ、意外なことに“賛成”が返ってきました。それは、娘が備えた「留学感覚」に対し、皆が良い評価を示したのでした。ありがたいことだと思いました。
 親の方こそ、泰阜村やグリーンウッドや、だいだらぼっちになじみ、合宿やまつりに参加していくうちに、どんどん好きになりました。行事に同行する下の弟2人も、山村留学の心地よさや自由、活気、創造力、可能性の大きさを感じていました。
 娘が2年の留学を終えようとし、父娘の協議では「これにてだいだらぼっち卒業」となっていた初春、私に一通の手紙が届きました。手紙には「もう1年留学を継続するのは難しいよね・・・」とあり、娘の苦悩が隠されていました。「継続はもう絶対的にあり得ない。次は弟達が山村留学する番だ」と、私は決めていました。ところが異変が起きたのです。弟達が、「お姉ちゃんがだいだらぼっちに行きたいのなら、行かせてあげて。僕達の分は使ってもいいから。僕達のことはあとでいいよ。」と言ったのです。この時の私の驚きは相当なもので、息が詰まるほど涙を飲み込んだことが、忘れられません。だいだらぼっちの底知れぬ魅力がはっきりと見えました。
 結果的に小4〜小6までの3年間山村留学した娘は、たくさんの経験と思い出を礎に、生きる力のひとつを手に入れました。
 3人の子に一年ずつ体験させたいと思った父親の計画は、少し形を変えましたけれど、3人の子にはそれぞれ人生に役立つ「自立力」ができたと思います。共同生活の中から育てられた数々の“思いやり”と“たくましさ”が、関係者の間に広まっていくことも喜ばしいことと感じています。
 だいだらぼっちって何ダラ?不思議な縁が織り成す子供達のネバーランドなのか。心の病が報道され、哀しい事件事故が後を断たない昨今、次世代を担う健全な若人を育ててくれるところ。温かな心の通う場所。ふるさと。だいだらぼっち。
 子供達がお世話になったことを縁に、私自身も、何かしら関わっていきたいと思うだいだらぼっち。今も、隣街から娘と共に車をとばして、母屋の中で思い出をよみがえらせながらペンを走らせています。
 だいだらぼっち。せみの鳴く窓辺にて。

だいだらぼっち参加者保護者 アミーゴ(池戸 通徳)

みんなで食べるということ

 だいだらぼっちは暮らしから学ぶところ。そしてその暮らしの中心は台所。子どもも大人もみんながごはんをつくり、みんなで食べる場。みんなが集まってきておしゃべりをしたり、勉強したりもするところ。
 食べることは生きること。体のエネルギーのために食べているつもりだけど、心の栄養も一緒に食べている。自然のいのちを、育てたりつくってくれた人の気持ちと共に受けとり、一緒に食べてわかちあう人がいてこそ満たされる。
 だいだらぼっちでは、自分たちが田んぼや畑で育てたり、近所の方から分けて頂いたりした自然の恵みを生かして料理してみんなで食べる。その中で自然の循環の中で生かされていることに気づき、共にわかちあって食べる仲間との信頼感が育まれている。
 娘のあきよが思春期の多感な時期に、地域に根ざしながら、食べることを大切にした暮らしの中で、目にみえない宝物をたくさん受けとることができることを本当に感謝しています。そして、私もだいだらぼっちに触発されて、自分の住む街でみんなで一緒に食べることで人のつながりを地域に取りもどす場づくりを模索しています。

だいだらぼっち参加者保護者 佐々木 清香(あきよ母)

「4年目の参加者保護者の声」

はじめまして。長女(現在中学2年生)を暮らしの学校「だいだらぼっち」に預けて4年目になります保護者です。今から3年前ですが、初めて子どもを「だいだらぼっち」に預けた頃は、子どもが自らの意思で選んだ道に対し、父親としては少し寂しく、嫁にやったような気持ちさえありました。又、「だいだらぼっち」の環境に上手に順応していけるだろうかという心配もありました。ところが、泰阜の豊かでありながら厳しさもある自然環境のお蔭でしょうか、お互いを知らない子供同士がお互いを必要として、理解し合い、助け合う気持ちが芽生え、創意工夫しながら物事を進め、努力しようとする姿勢、つまり、自ら生きる知恵を編出す方法を知り、結局のところ、「だいだらっぼっち」4年目という結果となりました。今では、子どもの成長している姿を見ながら、同時に親も成長しなければと思うようにもなりました。子ども達のための「だいだらぼっち」だけではなく、親達も積極的にかかわって、スタッフや村の方たちと人間味溢れる交流をして、「親」として成長を感じさせてくれるための「だいだらぼっち」でもあると思います。
我が魂の底の底から湧き出るエネルギーを、この「だいだらぼっち」で一緒になって波動しませんか。

だいだらぼっち参加者保護者 4年目 松岡茂雄(はるな父)

「ダイダラボッチへの山村留学」

もう20年前のこととなりますが、我が家の三男大(たい)に、ふとしたことから大きな試練が生じました。
それは新聞を読んでいた妻の一言から始まったのです。社会面の記事「山村留学」の活字に目が止まったのでした。妻が「田舎に在留して通学するのは楽しそうだね。でも、北海道は遠いね。」続いて、「大は行きたい?」と尋ね、大は好奇心からか「いいよ」と答えたのでした。
こんな経緯から始まって、受け入れ先候補地について、東京から授業参観に行ける距離や地方自治体が協力していることなどを調べ、長野県泰阜の「ダイダラボッチ」に大が在留しお世話になり、共同生活をすることとなりました。
10才の大が小学校5年生の一年間を過ごしたのです。その間、梶さんを中心に、ギックさん、ムサシさん、三平さん、そして合宿の友達が母となり、兄・姉・弟となり共同生活をしたこと。また、村落の方々にも大変お世話になりましたことを聞いています。
親として小学校の運動会へ祖父母と一緒にうかがった機会やダイダラボッチ祭りなどの行事参加の折に、大の貴重な体験と成長を感じました。そして、大本人の幾多の思いは知る由もありませんが、20年後の今も想い出が継続しているものと思います。貴重な体験をありがとうございました。
「泰阜のダイダラボッチ」がNPO法人グリーンウッド自然体験教育センターへ発展し、今後も成長し続けることを祈念しています。
大の父 服部俊男

 初めて泰阜村を訪れた時、一緒に隙間だらけの壁の部屋に寝て、あまりの寒さに、少々後悔をしたことを覚えています。一泊し引継ぎの後、ダイダラボッチを去る時に涙があふれ、手を振ることもできなかった私です。
でも一年間の経験が高校進学、大学進学、就職、結婚(これはどうかな?)に大きく影響をしたことは間違いないと思っております。お世話になった長野県には縁があったとみえ、就職先は長野県でした。面接の時に「田舎ですけれどだいじょうぶですか?」と聞かれた大は「もっと田舎に住んでいたことがありますから」と答えたとのこと。
大のおかげでダイダラボッチ東京の母の会で当時の「母」とおしゃべりをする機会ができ、うれしい思いも味わっております。いつかまた泰阜村を訪れたいと思いつつ・・・。  
大の母 服部陽子

だいだらぼっち参加者保護者 大の父 服部俊男  大の母 服部陽子

20年もたってしまったダイダラボッチ

通年合宿に参加した娘達が30歳前後ともなると、ダイダラボッチは時間的にも距離的にもすっかり遠いところになってしまった。もう細部はぼんやりと雲がかかり、薄情だけれど、娘達の様子はほとんど浮かんでこない。娘達は確かに楽しんでいた、という記憶はあるものの、イメージが具体的な形を作らない。
つらつら考えるに、それはもしかしたら過ぎた時間の長さというより、ダイダラボッチに行った時、娘達そっちのけで遊びほうけていた自分のせいかもしれない。仕事が忙しく滅多に行けなかったダイダラボッチ。行くまでは娘達に会える嬉しさをかみしめて高速バスに乗り込むのだけれど、ダイダラボッチに着いて娘達の楽しそうな様子を見るともう満足感でいっぱい。娘達も特に問題のない時は「ふふっ」と笑顔を見せると、もう自分達の時間に戻ってしまう、そんな感じだったように思う。
あの頃は、親も子も遊びたい盛り。娘達はいつものように生活の中で遊び、私は物珍しさから、薪割りに励んだり、その薪で風呂を焚いたり、野球をしてダイダラボッチの屋根越えを狙ったり……。
そんな中でも一番の楽しみは、相談員や他の親達との語らいだった。当時の図書室はおしゃべりな親たちのたまり場で、日が暮れると酒好きも下戸も集まってきて、夜が明けるまでしゃべり続けた。3日間で4時間しか眠らなかった、などとくだらない自慢をし合って笑ったものだ。
当時ダイダラボッチはまだ発展途上への足がかりを掴んだくらいの感じか。何も無く、やることだけが沢山ある、そんな毎日のように見えた。今、ホームページや印刷物から伝わってくる学びの匂いなどはあまりなく、生活の匂いのぷんぷんする場所。小汚いなりをした子ども達と試行錯誤の相談員の図がなかなか愉快で、得難い場所と縁ができたなと嬉しかった。
特に、長女は旧ダイダラボッチの母屋の建設に関わり、そのお陰で私は棟上げ式の時、屋根に登ってお餅をまいた。登り窯の柱の穴の1本分は私が掘ったし、チェーンソーの手応えも知った。というふうに、思い出すのは自分の事ばかりなのだ。
娘達も私同様、自分だけの思い出を抱え続けているだろう。高校生の時、奇しくも、娘達それぞれが「私ほど楽しい子ども時代を過ごした人はいない気がする」と言った。親にとって、これほど嬉しい言葉はないけれど、ダイダラボッチによる部分が大きいとも思う。
参加2年目になぜかホームシックになった次女には心配させられたし、泰阜村を去る間際までダイダラボッチに残りたいとゴネ続けた長女には手を焼いた。自宅に戻った娘達は、すっかり家離れ症候群にかかっていて、野宿の旅や遠方での住み込みアルバイト、海外留学と、逞しさと気合いを見せ続けた。
家庭を持った次女は草來社の食器を使い、もっとも尊敬する人「かにさん」と同じ子どもを育てる仕事に就いた。大人になったらダイダラボッチに戻ってずーっと暮らすんだ、と言っていた長女は、なぜかスペインに腰を落ち着け、しかし変わらずダイダラボッチの交友関係は賑やかに維持しているようだ。
私にとっても、ダイダラボッチに関わるあらゆるもの、飯田線、田本駅、奈川さんのアイスクリーム、しいたけ、もちろん母屋も、さがりのおじいまにも、特別の思いがある。でもやはり一番は、そこで知り合った相談員と、同じ時期に出入りしていた保護者達で、それは今も格別の存在なのだった。
盛 真由美(東京都)
2007.2.28

1987〜1989参加 盛 千夏
1988〜1990参加 盛 さくら

だいだらぼっち参加者保護者 盛 真由美(東京都)



* 資料請求・お問い合わせ・申し込み *

〒399-1801 長野県下伊那郡泰阜村6342-2
NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター 暮らしの学校だいだらぼっち係
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