山村留学・だいだらぼっち
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山村留学・だいだらぼっちOB・OG・保護者・参加者の声>NO.1

山村留学・だいだらぼっち

     OB・OG・保護者 参加者の声
だいだらぼっちから戻って2年

2年前、高校受験に向かう朝、「きっとこの高校を受験する誰よりも応援してくれる人は多いね。それだけで十分幸せだね。」と話しながら、だいだらぼっちのスタッフの顔、仲間の顔を思い浮かべていた。感謝の気持ちは薄れていくと言うが、それは違うと断言できる。高校受験の不安な気持ちをいつも支えてくれた多くの方々のおかげで、辛い気持ちは今は感謝の気持ちと形を変えた。
今、娘は4年間のだいだらぼっちでの生活が信じられないくらい、のんびりとした甘えん坊となり楽しい高校生活を送っている。家に帰ってきて以来、お米すら研いだことはない。でも私はそれでいいと思っている。だいだらぼっちでの生活の中で身についたものは、ご飯の支度でも、掃除でも、薪割りでもなかった。しかし、もっと大切なものを身に付けて彼女は家に戻ってきてくれた。それは、人と支えあうことの大切さ、人の優しさ温かさ、それを受け止める心をだいだらぼっちで育ててもらった。そして、人や出来事との出会いは楽しいだけでなく、必ず緊張感を伴うものであるといういこと、別れは寂しいだけでなく新しい道への出発につながるということを学ばせてもらった。
ただ楽しいことはいつか風化してしまうかもしれない。でも、だいだらぼっちで経験した数々の大変な暮らしは、楽しい思い出に変わり、それがいつか自信という形にかわっていくということを娘を見てしみじみ思う。
娘が「人生の中での宝物の4年間」というだいだらぼっちでの生活は、必ず彼女の大きな力となり、支えになってくれるに違いない。
だいだらぼっち参加者保護者 宮木 美詠子

だいだらとの出会いで、私が一番変わったこと

私は、長女をだいだらに送り出して2年目の現役母です。
ので、だいだらと出会っての自分の変化はいまだ現在進行形・・・
なかなか、自分を振り返るチャンスがなかったのですが、
先日の2006/1/15(日)のだいだらぼっち名古屋説明会にて、じっくり振り返る事が出来たので、
その時感じたことを書いてみます。

  1. 子供とええあんばいな距離がもてたなぁ〜
  2. 親としての役割を冷静に見れるよーになった気がする!?
  3. 子供って、元来いろいろな力がそなわっているんやぁって感じられた!
  • 1.(子供は別個の人格だよなぁって、改めて実感)
  • 2.(これは・・・つまり親として成長してるってコト・・??)
  • 3.(子供は自ら成長・学習・適応する種子を持っているのかも・・
    藤森さんやむさしの「根っこ」のお話を聴いて、そう思った。
    芽が出て根がはれるような土壌が、だいだらってことかな)

だいだらって、親も楽しめる事&力になれる事いっぱいあるんだろうなぁって、 OB・OGの親御さんの関わり方を見てて思います。
気負わず、さりげなく、でも一生懸命な姿、親として勉強になります!
いろいろ、アドバイス、よろしくおねがいしまーす!

松岡 弘子   (2005年度 だいだらぼっち通信 2・3月号掲載)
だいだらぼっち参加者保護者 松岡 弘子

山賊キャンプからだいだらぼっちへ

兄達といっしょに小1の夏キャンプから参加しその冬には一人で参加、新宿から自宅に帰る山手線で長靴を脱ぎ膝を立てちょこんと座り、窓の外を眺めていた姿を今も覚えている。気が付くと行った時と服も靴下も同じ。「着替えなかったの?」と聞くと、「うん、こんな荷物、無駄だったよ」と冬物がギッシリ詰まったリュックを指差した。そんな程度の小さい子を一人出した自分に一番呆れた。それから毎年、夏冬キャンプに参加をし続け、6年生の夏にはスーパーコース、ミステリーコースを経験し、どうしても通年合宿に行きたい、と言い出した。とうとうその時が来た、と私は思った。家族には山村留学そのものに参加することへの理解を得ることはかなり難しかったが、娘は強い意思を持ち、だいだらぼっちへと向かった。3年目となったが、長期休みに帰省する様子から、年月重ねた内面的な変化や成長ぶりにそれぞれの家族が言葉ではなく、その選択を尊重し、また尊敬し、特に兄達は自分の身に置き換えて考えるなど家族が理解をするようになったことはみかんだけに留まらない変化であり、ここにも感謝をしている。
実際、「暮らす」ということは簡単ではなく、短期キャンプの楽しさや自然体験とは全く別のモノだったと思う。娘は虫は苦手だし6年生の秋になっても一人で寝られなかった。何度か電話口で泣きじゃくり、親としても切なく感じたこともある。本当は継続しないで帰る選択の機会もあったけれども、やっぱり泰阜での暮らしの継続を選んだ。
通年合宿参加への期待は人により異なると思うが、そこに、豊かな自然が在ること以上に信頼ができる、信頼してくれる大人が居ることは得がたいことだと思う。だいだらぼっちは不思議なところです。泥だんご作りが大好きだった幼稚園時代の娘、今は泰阜で陶芸の土をこねる。
「今」はこれからの原体験。
だいだらぼっち参加者保護者 みかん母

みんなへ一言

この1年間で友達以上に親しくなった仲間たちへ一言・・・といわれても、 とてもむつかしいですが、書きます。
本当にありがとう 話し合いや、行事などみんなで協力したことは、 絶対に忘れません
このメンバーで集まる時を、楽しみに待っています。

BY てん (2005年度 だいだらぼっち通信 2・3月号掲載)
だいだらぼっち参加者 てん

みんなへの一言

私からみんなへの一言は、
ケンカや意見がちがうときのこと

1. ケンカは改めて大切だなと思いました。
ケンカを一緒にした人には本当に感謝します。
ケンカをするとすぐむかついたけど、時間がたつにつれて自分を振り返れました。
そして、その人のことを少しずつ分かっていけるようになりました。

2. 意見がちがうっていいなあと思います。
みんな17人っが同じ意見を持つと、すぐ話し合いが終わってしまうけど、
意見がちがうと、話し合いをしていて、なんだかおもしろかったです。

みんな、そしてスタッフの方に本当にありがとう

BY しずく (2005年度 だいだらぼっち通信2・3月号掲載)
だいだらぼっち参加者 しずく

親として暮らしの学校に3年目の継続をさせた理由

過去の日本には公の精神や道義を大切にする心があったように思います。
それが経済大国になるにつれて個人主義とかお金が全てという価値観に侵されてしまった。
敗戦後占領下でできた教育基本法は、日本の美しい伝統とか道徳の大切さが盛り込まれていない。従って、今何のために勉強するのか子どもも親も解らなくなっている。
いい大学に入ることが勉強の目的になっている現今。道徳心などの教育は二の次になっている。モラルの低下、道徳心の崩壊・退廃につながっている。それが考えられない犯罪につながっていると考えます。
言葉も心ある言葉が少なくなってきた。日本独特の品格・美徳・伝統などが失われてしまった現在、子どもにどのような環境を与えるのかを選択しました。

文部省の平成10年度の調査で、食器そろえや買い物、お風呂掃除などの普段のお手伝いと、道徳観などに関する質問とでクロスさせて分析してみると、お手伝いをする子どもほど、道徳観や正義感が身についているとの結果になっています。
なぜそうなるのかはっきりとは解りませんが、自分の毎日の仕事を与えられてきちんとやっている子どもほど、相手の立場に立って物事を考えたり、自分の責任や義務についてしっかり理解できている、というような事かもしれません。
いずれにしても、基本的な生活習慣、しつけ、お手伝いなどは、子どもの規範意識を醸成させる上で、大切なもののようです。
同時に生活体験の有無と道徳観・正義感の有無にも関係が認められます。
(文部省 平成10年度 「子どもの体験生活等に間するアンケート調査」)
さらに、自然体験の有無と道徳観・正義感の有無との関係でも、大きな相関が認められています。

社会問題になっている、学力問題や非行問題など全ての根幹は人間形成の基礎となる道徳や社会性の教育にあると確信しており、子どもが成人する過程でその環境が整っているからこそ、継続をさせていただきました。
暮らしの学校には都会に無い体験を持ち合わせた環境と感じておりますので、今後ともご指導よろしくお願いします。
だいだらぼっち参加者保護者 加藤 勝美

ダイダラボッチと僕

ダイダラボッチと僕が出会ったのは、小3の夏休み、近所の小さな図書館だった。母が新聞に載っていた、ダイダラボッチの記事を僕に見せてくれたのだ。当時、僕は「一年間のキャンプだ」と心躍らせたのを覚えている。それからすぐに見学に行き、考えたすえ、通年合宿参加を決めた。

通年合宿初日、僕は不安な気持ちでいっぱいだった。当時小学四年生で、最年少だった僕の周りには、年上のお兄さんお姉さんばかり。どう話しかけてよいのかも、何を話してよいのかもわからなかった。しかし、そんな心配はすぐに消し飛んだ。みんな明るい笑顔で話しかけてくれ、僕も笑顔でこたえていた。それからの僕のダイダラボッチでの生活は、毎日が思い出であり、毎日が経験の場であった。日々の炊事洗濯・風呂焚き・薪わりから、季節ごとの沢登り・カヌー・登山など、あげていったらキリがないけれど、そのすべてが決して東京での生活からは得ることのできないものだった。

また子供たちが主体となって何事も決めていくというダイダラボッチの精神は、小学四年生だった僕にも自分の意見を持ち、それをみんなの前で主張することの大切さを教えてくれたように思う。同時に、みんなが自分の考えを話して、納得いくまで話し合い、物事を決めていく日々の過程で、僕の中で協調性や他人への思いやりが養われていった。 二十歳になった今、ダイダラボッチにいた2年間を振り返ってみると、いつも僕の周りには年の差を越えて「仲間」と呼べる人たちであふれていた。そして、仲間は僕の一生の財産になり、彼らと過ごした日々は一生の思い出になった。

第二のふるさと、ダイダラボッチ。ありがとう!
だいだらぼっち10・11年目参加者 まさと

だいだらで我が家が変わったこと

長男のメット、次男のちっくん合わせて5年間、
本当にお世話になりました。
我が家の場合は、だいだらに助けてもらった!と本当に思います。
地域の学校やら社会やら、
うちだけでは超えられない、いろいろな問題があって
それをだいだらに支えてもらうことで、
なんとか越えることができた、と思うのです。
考えてみると、以前はまさに「閉ざされた核家族」というやつでした。
私たちの至らなさもあるのですが、でも基本的には、
「自然からも他の人間関係からも離れた家族」だけでは
子どもはちゃんと育たない、ということが身にしみました。
そしてだいだらで
「自然の中で仲間と生きる」だけで人は元気に幸せになれるんだ、
わかりました。
最初にだいだらに来て劇を見たとき、
「こんなに元気な人たちが集まっている所ってほんと珍しい」と思いました。
そして、うちの子どもたちはこんなふうになれないだろうな・・ と思ったのを覚えています。スマン子どもたち。
しかし5年たってみると、この「元気」が感染したらしく、
これが普通のように感じます。
ほんと、だいだらは日本の、世界の宝だと思います。
これからも元気な人を増やしていってほしいと思います。
ありがとうございました。
だいだらぼっち参加者保護者 合原 弘子

だいだらとの出会いで私が一番変わったこと

大事なものを預けることで、
人を信頼することの大切さや、
見えないところにいる子どもを信用することの難しさと大切さを、
噛み締める機会がたくさんあったことは、
とても貴重だったと思っています。

手元にいるよりも、
きっと色々な面、色々なエピソードを手に入れたのではないかと思います。

そして、自分がこんなに親馬鹿だったとは知りませんでした!
離れていることが寂しいことはあまりないのですが
心配やがっかりや怒りの合間に、
ちょっと良いことがあるともう嬉しくて嬉しくて
あぁいかんなと思いながら、
つい甘やかしてしまう情けなさも
噛み締めています。
だいだらぼっち参加者保護者 イケ母

今、宮崎県の山奥の日の影町というところで竹細工をしています。だいだらぼっちで木工にはまってから、自然素材を扱う手仕事に興味を持つようになりました。色々な仕事の中から竹細工を選んだのは、機械を使うところがほとんどなく、少しの手で使う道具でやれることと、竹というどんどん生えてくる植物がおもしろそうだと思ったからです。
 だいだらぼっちでぼくたちは、今しか自分たちでしか、だいだらぼっちでしかできないこと、だからこそやりたいことを一生懸命追いかけていたような気がします。その意気込みを今どれだけ持ち続けているかは自分ではよく分からないけれど、やりたいこと、おもしろそうなことを気のすむまでやろうとぼちぼちがんばっています。
だいだらぼっち4年目参加者 てっぺい


私がだいだらに思うこと

こんにちは。だいだらOGのたなです。私がだいだらで過ごしたのは、1987年度と1988年度の二期になるのですが、今から思えば、行く前と行った後で私の人生や物事に対する価値観は大きく変化したと思います。
当時のだいだらでの生活は、今とは違い中垣外という民家と村営住宅を借りてのスタート。「だいだらぼっち」という名前もありませんでした。
私の一年目は、「自分たちの住む家を建てる」ということで、前年(2学期スタート)参加者の人たちが探してくれた場所に旧だいだらぼっちを建てました。
だいだらでの生活で何よりも思い出深いのは、母屋の資材の皮むきでしょうか。当時私は正直作業がそれほど好きではありませんでした。体力はないし、体調はすぐに崩すしで毎日保健室に入り浸っている生活の中、学校から帰ると大きな木3本の皮むき。毎日のノルマで、もしサボれば土日に調整してその分余計に皮むきをしなければならない…。そんな中で、来る日も来る日も夜遅くまで泣きながら皮をむいていた記憶があります。
でも、だからこそ家が出来た時には感動もひとしお。窓のない作りかけの家に荷物を運び込み、ワイワイと楽しい生活を始めました。 だいだらに来る前の私は、家の事情でいろいろな家に預けられていて、両親と触れ合うのは、土日に少しと朝の30分だけ。そんな中で複数の人と暮らすというのは、大家族ができたようでとても貴重な経験でした。そしてその経験は今も深く根付いています。私の頃は今と違って、食料がたくさんあるわけでもなく、そして環境もそれほど整備されているわけでもなく、ひたすら作業とそしてその合間のちょっとした楽しみ(キャンプや登山など)がメインでしたが、それでもそんな生活の中でも子供たちなりに知恵をしぼって遊びを開発し、いろいろなことにチャレンジしていきました。日曜日の早朝、朝の作業の前にぎっくに連れられて有志でぷち登山をしたりと、「やることはやりながらも遊ぶ」。そんなことを教えてもらった気がします。
そして、それは今のだいだらを訪れても、やっぱりそういう部分は残っていると感じます。時に相談員に怒られ、せかされ、そして何時間ものミーティングを重ねて決めごとをして…。だいだらでは当たり前とも思える基本的なことですが、今の子供たちの世代では、なかなか体験できないと思います。そして、その体験やそこで培った仲間の存在は、子供たちが大きくなっていく過程で、例えば親には言えない壁や問題にぶつかった時、その時にこそ真価を発揮する大きな財産となるのではないでしょうか。少なくとも私はそうでした。だいだらから帰ってきて悩んだりした時には、自分をよく知っている仲間たちに愚痴ったり、相談したり…。毎日密に連絡を取るわけではないけれども、時には平気で数年空いたりもするけれども、例え十年ぶりだろうが何だろうが、再会すれば一瞬にして距離が縮まる。そんな付き合いだと思います。今の時代にはなかなか無いような、深い付き合い。そして、現代社会が発展するにつれて忘れ去られてきた、人間の基本的な生活。(例えば一見雑草にも思えるようなものが意外と食べられる食材だとか、風呂焚きや畑作業の大切さ、何もないところから新しいものを作り出すワクワク感など…)ここにしかない魅力はたくさんあると思います。そんな魅力を感じるためにも、「一年間か〜」と悩んでいる人がいれば、思い切って踏み切ってみてもよいと思います。体験は人それぞれですが、必ず何らかの財産を持って帰られる場所ですよ。
だいだらぼっち2・3年目参加者 たな


私がだいだらに思うこと

ダイダラボッチ3,4年目にいたさくらです。多分だいだら1汚い部屋で有名だった私は、高校卒業後NZ留学、その後夜間専門学校にて保育士資格を取得し、3年前に公立保育園に就職。現在は、子育て真っ最中であります。2004年5月18日に男の子『果太(かんた)』を出産し、育児休業をエンジョイする毎日。仕事柄こどもは大好きなのだけれど、我が子がこんなにもかわいいものだとは思わなかったなぁと日々感じてます。ダイダラ時代をしっている人にいわせると『えー、さくらがお母さん』と驚かれてしまうけれど、それなりに母として頑張っているところです。4月からはまた仕事に復帰予定。残り少ない我が子とののんびりした時間を楽しく過ごしている今日この頃です。 http://blog.livedoor.jp/nena/ にて果太日記公開中。
そして無人ではありますが、http://m-s-c.cc/sakura/ もありますので、よかったらご覧下さい。
だいだらぼっち3・4年目参加者 さくら


暮らしの学校 卒業生の作文より

小学校5年生のときに、暮らしの学校だいだらぼっちに来て中学3年生まで泰阜村で過ごした家塚義之(かづかよしゆき)くんが、泰阜中学校 卒業式発表の機会に書いたものです。中学校の学年便りに掲載されました。


僕がこの泰阜村にやって来て5年目になり、もうすぐそれが終わろうとしています。思えば人生の3分の1をここで過ごしているわけで、僕にしてみると泰阜村は第二のふるさとになってます。
この5年間、この村の人達やいろんなところから集まったダイダラの人達と一緒に暮らして、とてつもなく大きなものをもらいました。村の人々とのふれあい、道路愛護への参加、村民運動会に出場して協力し合い、競い合ったこと。近所のおばあちゃんは、学校の帰りに野菜を袋いっぱいにくれる、温かくやさしい人でした。
小学校5年生のときから同じクラスだった9人の仲間と中学校に入って同じクラスになった13人の仲間達、文武両道だけどガンダムの好きな屋敷君、どこの国だかわからない言葉をいつもつぶやいている貴良君、歌がものすごく上手だけど、しゃべり方がおばさんくさい綾乃さん、1人1人個性があって面白いクラスでした。
全校でやった数々の行事。いろんな思いをしてむかえた恵曽祭、花いっぱい運動、百人一首大会、そしてチーム全員で手に入れたバスケットボール大会の優勝と白熱した先生方との最強決定戦。
部活動、きびしくもやさしかった小澤先生のテニス部に入部して、屋敷君とペアを組み、多くの試合に出場しました。勝ちは次への自信になり、負けは次への目標への第一歩になりました。屋敷君によく言われた「しっかりしろよ」というセリフは、僕に活を入れる反面、後ろからささえてくれる様なやさしい一言でもありました。そしていつしかペアを組んで試合をするのが楽しくなり、また彼を信頼していたためのびのびとしたプレーができて、遂に今年、平谷中のペアに勝ったという結果を残すことができました。約二年間屋敷君とペアを組んで本当によかったと思いました。
近所の人やクラスのみんな、学校の先生方や先輩や後輩、そして僕にとって大切な人との間で、協力することの大切さと他人を思いやる温かさ、そしてだれかと支え合うことの大切さを教えてもらいました。
僕は、もうすぐこの村とお別れをしなければなりません。ダイダラにいられるのは中学生までだからです。でもこの5年間の思い出はぜったい忘れません。泰阜村での生活は本当に楽しかったです。 ありがとうございました。
だいだらぼっち14・15・16・17・18年目参加者 のびーる



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e-mail:daidara-info@greenwood.or.jp   担当/中村友貴)
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